第2話 48回目の失敗
――これで48回目だ。
「どれだけ親に心配かけるんだ!!」
随分と酒癖が悪くなってしまった父。
僕はまたその父にぶん殴られ、食卓の横の食器棚に背中を強く打ちつける。
父との離婚が成立したばかりの母は、わざわざ実家から駆け付けたというのに、向こうでしくしく泣いているばかり。
妹は我関せずと、黙々とスマートフォンをいじっている。
酒に酔った父が癇癪を起こしている時は、割り込まない方が得策だと、妹は既に心得ているのだ。
父の鉄拳によって、僕の奥歯が居心地悪そうにグラつく。
口内を切ったらしい痛みと、不快な鉄のような味。
僕はその場を逃げるようにして階段を駆け上がり、自室に籠城を決め込む。
49回目の自殺について計画を立てるためだ――。
不満ばかりの毎日だった――。
僕は何しても不運という不運が、蜘蛛の糸のようにこの身にまとわりついてくる。
よく晴れた気持ちのいい日に、新調したスニーカーで出かけたりすると、決まって天気予報は外れ、豪雨に見舞われる。
そして当然のように、ついでに財布を落としたりするのだ。
毎朝の通勤の中でも、そんな不運は起こる。
僕はどうしても、満員電車を避けることが出来ない。
時間帯をずらして家を出ても、必ず満員電車がやってくるのだ。
そして痴漢されている女性に遭遇し、何故だか決まって僕が痴漢扱いを受ける。
事情聴取されて、ようやく濡れ衣だという事がわかり、解放される。
それは一度ではない。十回の通勤で八回はそれが起きる。
おかげで僕は、通勤経路の駅員から要注意人物として扱われている。
不運の猛威はもちろん、それだけでは治まらない。
その不運の影響で、僕は度々会社の大事な会議に遅れることになる。
上司に懇切丁寧に理由を説明したのにもかかわらず、理解してもらえずに戦力外通告を受けた。
遅刻の多い僕は会社の中でも浮いた存在になり、この間とうとうあまり重要ではない部署へと異動することになってしまった。
さらに不幸は続いた。
先日、大学一年の頃から付き合っていた彼女に、他の男が出来たと別れを告げられた。
しかもその相手の男は、僕の親友だったりする。
一日中家に引き籠っていても、もちろん不幸の連鎖は止まることを知らない。
僕のクレジットカードが何者かに不正使用されているなどという、警察からの電話がかかって来る。
もちろん、そもそもその電話自体が詐欺だったが……。
外に出ればひとたび最悪な状況に見舞われ、身を案じ自宅に引き籠っても、周囲の環境から間接的に不運がやってくるのだ。
ただ自室のベッドに寝ているだけでも、僕は悪夢にうなされ、足を攣って目を覚まし、挙句の果てに机の角へ小指をぶつけるのだ。
『努力をすれば、必ず結果はついてくる』
そんな理論を金属バットのように振りかざす父は、確かに馬鹿が付くほど努力家だ。
だけど僕には、その理論はどうやっても通用しないと思えた。
どんなに努力したって、どんなに慎重になったって、理不尽に不幸はやってきた。
どうにもならないことだってあるのだ。
理不尽な不運によって誤解は誤解を生み、僕は他人からはダメ人間のレッテルを貼られる。
僕はこの世に存在してはいけない人間なのではないか――そんな気持ちにさえなったのだ。
そして僕は、いつか自分の不幸に、罪無き人を巻き込んでしまわないか。
そんな不安に苛まれ、眠れない日々を過ごしていた。
不幸の連鎖となるきっかけ――。
――それは実に、二年前に遡る。
僕はその出来事を、決して忘れることは出来なかった。
少し肌寒くなりだす十月の終わり頃、僕は四歳下の弟を事故で亡くした。
弟はまだ高校三年生だった。
当時の僕は実家を出て、一人暮らしの大学四年生。
内定の争奪戦と、大学の卒論に追われていた。
弟を一番に慕っていた妹はまだ中学生で、弟が高校卒業と入れ替わりで、弟と同じ高校に入学する予定だった。
弟の訃報を知らせる電話は、泣きじゃくる妹からだった。
弟の死去以降、家の中の空気はとてもどんよりとしていて、流れを失って行き場を無くした濁った水たまりのように、気持ちの悪い怨念が渦巻いていた。
息をしているだけで肺が重く詰まりそうな淀んだその怨念は、まるで僕だけを窒息させるように不幸の連鎖を呼び込んだ。
弟の死という大きな悲しみになんとかめげず生きようとする僕の意志を、蝋燭の火を消すように、その不幸の嵐はいとも簡単に吹き飛ばした。
そして僕の心を次第に腐らせ、徐々に蝕んでいった。
不満ばかりの毎日だった――。
弟が亡くなる前の穏やかだった日々のその全てが、帳消しになってしまうほど、僕は何もかもに絶望し、全てに嫌気が差した。
――きっとこれからもずっと、この不幸は続く。
そして僕は、この灰色に染まった理不尽な人生に終止符を打つ為、とうとう自殺を企てる。
もちろんその自殺行為も――度重なる不運によるものなのか、それとも運命のいたずらなのか。
たった一度も、成功した試しはなかった――。