第10話 愛すべき妹
僕は大学の卒論と就職活動を一時中断し、実家に戻っていた。
僕の部屋は高校卒業当時からそのまま、時間が止まったようだった。
玄関先では葬儀屋と打ち合わせる父の声が聞こえた。
弟の遺体を運び入れるための経路や、通夜の日取りについて話しているようだ。
リビングの方では相変わらず、母が悲しみの沼からなかなか出ることができないようで、少し狂気じみた声で嗚咽を漏らしていた。
それを見かねた妹は、ずっと母に寄り添っていた。
弟の訃報の知らせは、泣きじゃくる妹からの電話だった。
その電話越しには、近くに錯乱した母の声とそれをなだめる父の声も聞こえていた。
妹からの電話を受けた時、僕はまだ実感がなかったのかとても冷静だった。
しかし駆け付けた病院のエントランスで、憔悴しきった母に寄り添う父の姿を見て、ああ、これは現実なんだ。と初めて弟の死を実感したのだった。
弟の最後の姿を一目見てあげてやれ。と父に促され、そのあとすぐ安置所に向かった。
そこにはベッドに横たわって動かない弟と、その横で泣きじゃくる妹が居た。
あの時の光景は、僕は一生忘れることはできないだろう。
コンコンッ……。
「おにーちゃん……、ちょっといい……?」
僕が返答する間もなく妹はガチャリと僕の部屋のドアを勝手に開く。
小さい頃からいつもそうだった。傍若無人で男勝りな性格の妹のデリカシーの無さは、昔とちっとも変わっていない。
「いつまで……こっちに居れるの?」
さすがに今日の妹は、元気も無くしゅんと小さく見えた。
「決めてない。でももう少し家が落ち着くまではこっちに居るよ。父さんも忌引きとはいえそんなに長くは休暇取れないだろうし」
まだ内定を獲得していない後ろめたさが、僕の回答を少しだけ曖昧にさせた。
「そう……ならよかった。ママがあんなだからあたし悲しくて……」
母は弟の突然の死をどうしても受け入れ難かったのだろう、異常性を感じるほど悲しみに打ちひしがれていた。
昨晩は半狂乱だった母を、父がなだめるようにて、一晩中リビングで過ごしたようだった。今朝はそれを物語るように、リビングが少し荒れていた。
ウィスキーのボトルが、キャップもせずにテーブルに置いてあった。
どうやらそれは、今まで一滴も酒を飲まなかった父が、気を紛らわせるために手を出したようだった。
「そうだ……。あいつが死んだこと、学校にも知らせないと」
「それならさっきパパが電話していたよ。お世話になっていたバイト先にもね」
「そうか。父さんの仕事は相変わらず?」
「うん、さすがに忌引きだから休みをくれたみたいだけど。パパがうちにいるのは2週間ぶりだよ……。体を壊してしまわないか心配なんだけどね」
まだ母方の祖父からの嫌がらせは続いているようだ。
色んな事ですり減っていた父を、妹はとても心配しているようだが、僕はむしろ高校受験を控えている妹の方が心配だった。
妹は弟が通っていた高校への進学を志望していた。
弟に比べて僕も妹も勉強は出来るほうではなかったが、妹は父のように努力を惜しまない性格なので、この冬には合格圏内の成績になっていた。
この時まだ15歳の妹は、とても社交的で近所にもとても評判が良かった。
母の遺伝子の影響で童顔ではあるがとても美人だし、それこそ笑顔はひまわりのように可憐で、かと思えば大雑把で男勝りでさっぱりしてて。
その容姿と性格のギャップは、特に学校では男子のみならず、女子にも人気が高いようだった。
「母さんの体調はどう?」
「ママはあんまり良くないの。最近は特に……」
妹には反抗期はなかった。
母方の親類の悪意ある嫌がらせもあり、近所からも少し差別的な目を向けられていたから、捻くれてしまっても仕方はなかった。
でも妹は、父と母の苦労や、弟のひたむきな姿を見ていたせいか、人の気持ちにとても敏感で、とても優しい子になっていた。
しかし仕事でまったく家に帰ってこない父の影響なのか、少し異常なくらいに寂しがり屋な節も見受けられた。
妹は僕が帰省する大型連休などは、とても楽しみにしてくれていた。
今年の冬も早めに帰省し、実家で年越しを迎える予定だったのだが、弟の事故で僕の帰省は早まってしまったのだった。




