1:船から落ちた影
ドボン――――
遠くから何かが海の中に落ちる音がした。その音にはっと振り返ると、黒い影が見えた。船だ。
音の感じから、落ちたのは中身の入ったワイン樽、もしくは、穀物など食料の入った袋……ある程度重さのあるものと思えた。
「今落ちたの、人間じゃない?」
くすくすと意地悪そうに笑いながら仲間が言う。
人間がこんな夜の海に落ちたら、あたしたちと違って溺れ死ぬのだから笑いごとではない。
でも彼女の反応は正しい。人間が海で死ぬことは、あたしたち「人魚」にとっては笑いごとだった。
人間はあたしたちの仲間を捕まえて見世物にしたり、希少だからと言って鱗を無理やりはぎ取って高額で売り物にしているらしい。最も趣味が悪いと思ったのは、人魚を剥製にして家に飾っている富豪がいるという話だ。
仲間たちをそんなひどい目にあわされて、人間に良い印象を抱ける者などいるわけがない。人間など、海に呪い殺されればいいのだと思う仲間がほとんどだった。
だから今も、先ほど落ちたのが人間ならば、そのまま海の藻屑になればいい、というのが彼女の考えだ。
以前も船から落ちた何かを見に行ったことがあるが、大体が人間で、それも罪人だった。
手足に枷をはめられ、水中でもがく姿は恐ろしかった。目は大きく見開かれ、口からは泡がボコボコと漏れ出ていく。ない空気を求めて必至に手足を動かし続け、枷を外そうと何度も皮膚をかきむしる。だが、ある時、ふっと糸が切れたように力尽きる。その瞬間が美しいと喜ぶ仲間もいるが、あたしはとても、やるせない気持ちになるのだった。
「まだ人間かどうかわからないよ。ちょっと見てくる。お宝かもしれないし」
「あはっ。まさか」
彼女は落ちたのは人間だと決めつけたのか、にやにやと楽しそうに笑う。
「あんた、あんまり関わらない方がいいよ」
不真面目な声を聞き届けてから、あたしは海の中へ飛び込んだ。
今日は妙に水の中が明るい。満月だった。