馬鹿桜、〇〇とデート
「桜ちゃん、相当気に入られちゃったみたいだね……」
背後を振り向くと、入口ドアを見つめた店長が困ったようにため息を零した。
店長の視線を追った桜は同じように入口ドアをじっと見つめた。
「桜ちゃん可愛いから…………ああいう輩はしつこいから絶対そばに近寄っちゃいけないよ」
初出勤から一夜明けても桜を可愛いと今だ信じきっている大変純粋な店長は本当に心配らしい、ハラハラと桜の姿を見つめた。
「なんならこの際僕が一発ガツンと!」
「ははは、店長大丈夫でーす!」
さっそく腕まくりを始めた店長を明るく笑って止めると、お疲れ様でーす! と元気に挨拶しさっさと店内から引き上げた。
「よう」
「おう」
桜が傍に近付くと小さく挨拶されたので、小さく答える。
兄の望に頼まれ桜を無事家に届けるため、尚哉は今日も桜が働くコンビニ前で待っていた。
昨日は勝手に1人で帰ってしまった桜は気まずげに視線をそらした。
ソワソワと落ち着きなく視線を彷徨わせていると、向かいの尚哉がさっそく動き始めた。
「帰るか」
「おう」
入口ドアから離れ、さっさと歩き始めた尚哉の後ろ姿を慌てて追いかけた。
尚哉は店の駐車場に止めておいた車の助手席ドアを開くと、視線だけを向け中へ促した。
桜も何も言わず、急いで車の中へ乗り込んだ。
桜を乗せた車はコンビニ駐車場を抜け出し、ゆっくりと車道を走り始めた。
「止めてくれ」
突然隣から届いた声に、尚哉は視線だけを一瞬向けた。
桜がそれ以上何も言わないので、尚哉も何も言わずスピードを緩めた。
車はゆっくりと道路脇にそれ、そのまま静かに停止した。
何も言わない桜をしばらく待っていた尚哉が再び視線を向けた。
桜はじっと固めた身体をようやく解放すると、そのままドアを開け外へと降り立った。
すでに暗い夜道は人影もなく、辺りはしんと静まり返っていた。
「どうした」
道路に佇んだままじっと前を見つめる桜に、同じく車から降り傍に近づいた尚哉がようやく声を掛けた。
理由を尋ねる尚哉は桜の横顔をじっと見つめた。
「行くぞ」
「……え?」
「夕飯前の腹ごなしだ。お前も付き合え」
じっと前を見つめた桜が隣の尚哉を誘うと、突然彼の手をギュッと握りしめた。
まるで逃がさんとばかりに尚哉の手を無理やり引きずりながら猛スピードで目の前の道を歩き始めた。
「いいか馬鹿、よく聞け。今日から1日1回八百雅の周りを徘徊しろ」
八百雅に嫁ぎたくないと泣いてすがった妹に対し、八百雅の嫁回避のため兄の望が突き付けた最終手段は、毎日尚哉と手を繋ぎ八百雅の近隣道路を5周ウロウロとうろつき回ることだった。
「桜…………どういうことだ」
「いいから、とりあえず何も言うな」
意味もわからず強引に引きずられる尚哉の戸惑いに、桜も意味もわからず強引に引きずる。
まったく意味のわからない桜はとりあえず兄の言いつけ通り、尚哉の手を強引に引きずり八百雅近隣を猛スピードでうろつき回り始めた。
「どういうことだよ!」
帰って早々部屋に突っ込み憤怒する妹に、仕方なく望は医学書から視線を外した。
「何が?」
「どういうことだよ! あれじゃまるで」
「あれじゃまるで?」
「デ」
「で?」
「デ、デートみたいじゃねーか」
ようやっと気付いた妹がひどく気まずげにデートと呟いたので、望は思わずニヤリと口角を上げた。
「その通り、馬鹿のくせによく気付けたな。それが狙いだ」
「……は? どゆこと?」
デートと八百雅の嫁回避がまったく結びつかず、桜はキョトンと兄を見つめた。
「いいか馬鹿、よく聞け。デートは偽りだ。だがそれでいい。要は誤解されればそれでいいんだ」
「…………ん? てことは?」
「つまり、お前と尚哉は付き合ってる。八百雅のばあちゃんにそう思い込ませればいいんだ」
「…………ん? てことは?」
「まだ足りないのか…………つまり、お前と尚哉を恋人同士だと勘違いすれば八百雅のばあちゃんはとうとうお前を諦める」
「……………………ハッ! つまり」
「そう、つまりお前は八百雅へ嫁に行かなくて済む」
「なるほどー…………すごいぞ望!」
大変優秀な兄の素晴らしい悪知恵に、ようやく納得した桜は声高らかに感動した。
その程度で八百雅への嫁入りが免れるならしめたものである。
ニヤリと笑った兄に、思わず妹もニヤリと笑った。
「いいか馬鹿、勝負は1カ月だ。心して八百雅周辺を徘徊しろ。一日たりともサボるな」
「ラジャ」
兄の厳しい命令にすぐさま気持ちを引き締めた妹はビシッと敬礼した。
「桜…………どういうことだ」
「腹が減れば飯も美味くなる。つまりそういうことだ」
翌日も意味がわからず強制的に引きずられる尚哉の戸惑いに、桜は超適当にはぐらかし強制的に引きずる。
気持ち改めこの日より兄画策、桜と尚哉の恋人偽り八百雅ラブラブ徘徊デートが始まった。