馬鹿桜、〇〇と偶然出会う
「おい、そこのプー。なまけんな、さっさと書け」
ここ最近再び実妹を馬鹿だけでなくプー呼ばわりし始めた兄の望に命令され、茶の間のテレビ前でごろ寝していた桜は渋々上体を起こされた。
突然書けと言われ、テーブルに置かれた白い紙の前に正座させられた。
「何だこれ…………何て読むんだ?」
「馬鹿、履歴書だ。7年前に何度も覚えただろ」
兄の言う通り、7年前に何度も覚えさせられた履歴書の3文字を今じゃ当然すっかり忘れてしまった桜は7年振りに履歴書と対面し、不思議そうに向かいの兄に視線を向けた。
「どうすんの? これ」
「明日面接だ。俺が話をつけといた。ちゃんと丁寧に書けよ。自分の名前の漢字くらい覚えてるよな?」
「面接…………どこどこどこ!?」
「隣町のコンビニだ」
「またコンビニかよ!」
前回同様またしても今日コンビニの働き口をしつこく見つけてきた兄に堪らず突っ込んだ。
高校卒業後、アルバイト従業員として桜が働いていた町内初のコンビニエンスストアが先月とうとう経営不振のため潰れてしまった。
せっかく仕事も覚えようやく1人前として働けるようになったというのに、桜は24歳にして今度こそ本当にプー太郎になってしまった。
「文句言うな、仕事があるだけまだマシだ。せっかく偶然見つけてやったんだぞ」
「……だからって、何でまたコンビニなんだよ」
「お前はコンビニで十分だ。ていうか、コンビニしかない」
また1から仕事を覚えるなど妹の頭では絶対無理だと直感で判断した優秀な兄は、そんな妹にもっとも適切な仕事を再び見つけてきてくれた。
「コンビニ…………ま、いっか」
さっきまでしつこくコンビニに文句をつけていたくせに結局コンビニが好きなことをようやく思い出した桜は、はりきってテーブルの上の履歴書と向かい合った。
「いいか、お前にはすでにコンビニしか残されてない。ここを逃したらもう後はないぞ」
「わかってる…………」
「おい馬鹿、名前くらいちゃんと漢字で書け」
さっそく1文字目から兄の叱りを受けマンツーマンでなんとか履歴書を書き上げた桜は隣町のコンビニエンスストアで働くため、明日の面接にはりきって臨むことになった。
「いらっしゃいませぇ!」
先月までのコンビニアルバイト経験のお蔭であっさりと面接に合格し採用されてしまった桜は、さっそく次の日から隣町のコンビニで元気いっぱい働き始めた。
さすが隣町は都会だけある、桜の暮らす田舎とは違い客も皆若くてとても賢そうだ。
ほぼ同じ制服を纏った学生ばかりを相手にレジ打ちを頑張っていると、一旦客が途切れた所で傍に店長が近寄ってきた。
「どう? 桜ちゃん。もう慣れた?」
初出勤の今日にもかかわらず既に桜ちゃん呼びの大変気さくな男店長・森田が親切に声を掛けてくれた。
「はい店長! 私に任せてください!」
馬鹿ですが奇跡的に今まで一度もレジ打ちは間違ったことがありませんと、桜は自信満々で答えた。
「ははは、いいねぇ。桜ちゃんは元気で」
「はい店長! 私に任せてください!」
馬鹿だけに元気だけが取り柄ですと、桜は再び自信満々で答えた。
「いらっしゃいませぇ!……………………あっ!!」
馬鹿でかい声で反応した桜は、たった今レジ越しに佇む客の姿を失礼にもマジマジと凝視した。
「……………………ハッ!」
30秒後ようやく我に返ると、ガッと勢いよく真横に顔をそらした。
「148円でーす!」
真横を向いたまま客の商品を器用にレジに通すと、真横から金を受け取り真横で釣りを返した。
どうやらギリギリセーフ、なんとか無事最後まで赤の他人でやり過ごせたらしい。
「ありがとうございまぁす!」
「久しぶりだな」
「…………うん」
しっかり桜の存在に気付いていたらしい彼に挨拶され、桜は渋々正面に向き直った。
たった今客として桜の前に現れたのは、高校卒業以来6年振りの再会となる尚哉だった。
なんともタイミング悪く他の客がまったく途切れた今、桜と尚哉はレジ越しに2人きりで取り残された。
「ここで働き始めたんだ」
「……うん」
尚哉の質問に気まずげに小さく肯定する。
確実に動揺している桜は、どうして尚哉が今隣町にあるコンビニにいるのか当然まったく気付けない。
まったくの偶然と完全に信じきっている桜に、向かいの尚哉が再び口を開いた。
「偶然だな、俺も最近この近くで働き始めたんだ」
偶然は偶然でも、よりたちの悪い偶然だったらしい。
いつもタイミングが悪い星の元に生まれた桜らしいオチである。
「じゃあ、俺もう行くから…………何時まで?」
「7時半」
おそらく今昼休憩中なのだろう、あっさり引き返そうとする尚哉にホッと安心した桜は正直にバイト終了時刻を教えた。
「偶然だな、俺もその時間」
再びタイミング悪くバッチリ帰宅時間も重なってしまったらしい。
だから一体どうなんだと思わず俯いていた視線を上げると、向かいの尚哉とパッチリ目を合わせた。
尚哉が微かに笑ったので、桜は気まずげに再び真横を見つめた。
「帰りは一緒に帰ろう」
「……おい!」
「じゃあな」
桜が止めるのも聞かず今度こそ本当に背を向けてしまった尚哉は、言うだけ言って桜の前からいなくなった。
「何だよ一体……」
入口ドアを見つめる桜は1人取り残され、ボソリと呟いた。
「桜ちゃん、さっそく目を付けられちゃったねぇ……」
背後に振り返ると、入口ドアを見つめた店長が困ったようにため息を零した。
店長の視線を追った桜は、外の入り口ドア近くに佇む尚哉の姿をさっそく見つけた。
アルバイト終了間際の午後7時半前、彼が言った通り律儀にも本当に迎えに来たらしい。
冗談で済ませてくれなかった尚哉の姿を遠目からうんざりと見つめた。
「桜ちゃん可愛いから…………ああいう輩は完全無視した方がいいよ」
桜を可愛いと素面で言う大変奇特な店長は本気で心配してくれているらしい、気遣わしげに桜を見つめた。
「なんなら僕がはっきり言ってあげようか!」
「ははは、店長大丈夫でーす!」
さっそく腕まくりを始めた店長を明るく笑って止めると、お疲れ様でーす! と元気に挨拶しさっさと店内から引き上げた。
「おい馬鹿、どういうことだ」
家までの一本道をとぼとぼと帰宅途中、目の前に佇む兄が仁王立ちで待ち構えていて、桜は足を止めた。
「…………ハッ! 望か」
いつの間にか家の前に到着していた桜は玄関前に佇む兄にようやく驚き、慌てて傍に近寄った。
「ここで待っててくれたのか?」
「馬鹿、監視だ。どうしてここにいる」
「ん……? だって家だから」
妹の初出勤を心配して待っていてくれた兄に感動した妹をただ監視していただけらしい兄にどうしてここにいると問われ、当然自分の家だからと答えた。
「このポンコツ大馬鹿野郎! また変態に襲われたいのか!」
「変態?………………おい、一体何年前の話だよ」
すでに遠い過去、変態露出男と遭遇した事件などすっかり記憶の外に飛ばしていた妹に、無謀にも思い出せと兄が激しく一喝した。
「おい、それよりもあいつだよ」
「あいつ?」
「あいつ…………あそこに勤めてんのか?」
変態はもういいからあいつのことを教えろと妹が迫ってきたので、望は首を傾げながらしばらく考えた。
「あいつ…………ああ、尚哉のことか」
現在医学生の優秀な兄があいつと聞いただけでドンピシャあいつを当てたので、桜も神妙に頷いた。
「知らなかったのか? もうあいつには了承済みだぞ」
「……はあ?」
「俺が話をつけといた。危ないから帰りはついでに車で送ってもらえ」
「はあ!?」
妹を完全無視し勝手に話をつけたらしい兄に激怒した桜は、勢いよく兄の胸倉に掴み掛かった。
「どういうことだよ望! なんで今更あいつなんだよ!」
いつもいつもいつも、結局いつもあいつしかいないのかと我儘を言い始めた妹に対し、望は呆れたように息を吐いた。
「あいつがいるだけマシだろ…………おい馬鹿、いいか。変態から身を守るためにも明日から素直にちゃんと送ってもらえ」
「だからいつの話だよ!」
しつこく変態話をぶり返す兄にうんざりと突っ込んだ。
「変態なんてもういるわけないじゃん、聞いたことないぞ」
桜が変態に遭遇してからすでに9年、この町内で変態が出没したなんて噂すら立たない。
兄はいつまでもしつこすぎる。
「変態はとりあえず仮の話だ………………お前、知らないのか?」
「……ん? 何が?」
突然知らないのかと訝しげに問われ、当然なぁんにも知らない桜はキョトンと問い返した。
「3日前、八百雅のばあちゃんが突然家に来たんだぞ」
「え……ばあちゃんが家に?」
八百雅のばあちゃんとは、近所の八百屋の看板ばあちゃんのことだ。
小さい頃から桜を殊更可愛がってくれた八百雅のばあちゃんが3日前、突然村井家を訪問したらしい。
「母さんにしつこくお前のこと嗅ぎまわっていったらしい。特に男関係だ」
「…………ん? どゆこと?」
桜の匂いを嗅ぎ回し男が関係していると言われてもまったくもって意味不明な桜は、ひどく首を傾げた。
「過疎化が進む一方のこの田舎近所じゃ、すでに若い女はただ一人お前だけ…………男の気配がまったくないお前は八百雅のばあちゃんに確実に狙われてるぞ」
「…………ん? どゆこと?」
「つまり、八百雅の嫁になれってことだ」
兄の口から冷静に放たれた最終宣告に、桜の顔がサッと青くなった。
「それだけは嫌だああああああああ!」