馬鹿桜、〇〇と別れる
「おい、そこのプー。だらけんな、とっとと書け」
最近じゃ実妹を馬鹿だけでなくプー呼ばわりし始めた兄の望に命令され、茶の間のコタツに肩までどっぷり浸かっていた桜は渋々上体を起こされた。
突然書けと言われ、こたつに置かれた白い紙の前に正座させられた。
「面倒くせー……なんだこれ」
「馬鹿、履歴書だ。3か月前まで散々書いただろ」
兄の言う通り、3か月前まで散々書かされた履歴書の存在を今ではすっかり忘れてしまった桜は再び履歴書を書けと言われ、不思議そうに向かいの兄を見つめた。
「どうすんの? これ」
「明日は集団面接だ。ちゃんと丁寧に書けよ、漢字間違えんな」
「面接……………………どうせ受かりっこないよ」
兄に面接と言われようやく3か月前までの散々に終わった就職活動を思い出し、自信なげに弱音を呟いた。
すでに来月初めの高校卒業を目前にして、桜は今だ就職先が見つかっていなかった。
去年の夏から始めた就職活動は片っ端から面接を受けても結局どこも採用してもらえず、しまいには面接すら受けさせてもらえなくなった。
高校の担任からも匙を投げられ途方に暮れた桜は、最近とうとう働くことを諦めたばかりだ。
「就職は諦めろ。それでなくてもこんな田舎で働き口が少ないんだ。馬鹿を正社員で採用する良心的な会社は確実に存在しない」
「じゃあ何で書くんだよ!」
就職できないのに履歴書を書けとふざける兄にむきになって突っ込んだ。
「とりあえず働け。お前はアルバイトで十分だ」
「アルバイト? どこで?」
急にアルバイトをしろと言われ働き口もわからず、キョトンと問い返した。
「今度うちの町内に初めてコンビニができるのは知ってるよな?」
「コンビニ…………ふーん、そうなんだ」
「3日前にも話しただろ…………まあいい。とにかく、今そこでアルバイト従業員を募集してるらしい」
最近、近所で大きな話題となっている町内初のコンビニエンスストアが来月オープンするにあたって、ただいま町内在住のオープニングスタッフを大募集しているらしい。
3日前家族みんなの食卓は初コンビニの話題で独占したというのに今日の朝にはすっかり忘れてしまった桜は、兄の話をもの珍しげに聞き入れた。
「アルバイト…………そっか! アルバイトすればよかったんだ」
なにも正社員だけじゃない、アルバイトすれば働けるじゃないか。
ようやくそのことに気付いた桜は今再び目の前の履歴書と真剣に向かい合った。
「いいか、お前はどうせ試験に落ちるから一生車の免許も持てない。遠くのコンビニは無理だ。ここを逃したらもう後はないぞ」
「わかってる…………」
「おい馬鹿、さっそく漢字間違えんな」
さっそく兄の叱りを受けながらマンツーマンでなんとか履歴書を書き上げた桜は町内初のコンビニエンスストアで働くため、明日の面接にはりきって臨むことになった。
「今日何食べた?」
「おにぎり」
「おかずは?」
「からあげ」
今日も隣を歩く尚哉が桜の横顔に小さく質問する。
今日も前を見つめた桜が小さく答える。
とうとう卒業式を明日に控え、今日も桜はいつもと変わらず兄の友人である尚哉と帰宅を共にした。
「1時間目は?」
「理科」
「2時間目は?」
「…………体育」
「3時間目は?」
「………………忘れた」
変態防止の為、結局高校3年間毎日学校帰りの一本道を共に歩いた桜と尚哉だったが、2人の会話レベルも結局まったく進歩することはなかった。
すでに去年の夏バドミントン部を引退した桜は帰宅時間も以前よりぐっと早くなり、それ以降夜の帰り道の心配も必要なくなった。
いつものようにタイミング悪く同じ時期、部活を引退した尚哉とそれ以降も結局帰宅時間が重なり、先に無人駅に到着し律儀に待っている尚哉と今日の最後の日まで帰宅を共にすることになった。
それでも尚哉と共に一本道を帰るのは今日で本当におしまいだ。
「帰ったら何食べる?」
「ごはん」
「帰ったら何する?」
「お風呂」
「一緒に帰るのも今日で最後だな」
「…………うん」
わざわざ言わなくていいのに確認する尚哉に小さく答える。
もうすぐ先に家が見えたので、桜は少しだけ歩調を早めた。
「春になったら何する?」
「花見」
「何食べる?」
「団子」
「そっか…………俺は大学生。相変わらず今の学校だ」
「うん」
「来週からそこのコンビニで働くんだって? 望から聞いた」
喋ってないことを尋ねられ、桜の足は止まってしまった。
すでにわかっていると教えた尚哉の足も一緒に止まった。
「また会えるよな」
尚哉に確認され、じっと黙った。
桜の横顔を、尚哉はじっと見つめた。
「また会えるよな」
再び確認されても、桜はまだ黙った。
黙ったままの横顔を、尚哉はまだ見つめていた。
「そうだ、また一緒に帰ろうか」
とっさに思いついた尚哉の言葉をただ聞いていた。
ただ聞いている桜の横顔に、尚哉が笑って言葉を続けた。
「また一緒に帰ろうか。迎えに行く。また」
「来んな」
ポツリと呟いた桜は小さく抵抗した。
桜の小さな呟きは尚哉には届かなかった。
「桜」
小さく呼んだ尚哉がゆっくり一歩近づいた。
「桜」
再び呼ばれた桜はゆっくり一歩小さく離れた。
「桜」
「来んな、もう最後だ」
再び呼ばれた桜は今日で最後だと小さく伝えた。
もう会うことはないと、桜を呼ぶ尚哉をはっきりと拒絶した。
桜は尚哉を置いたまま、帰りの一本道を逃げるように突っ走った。
結局3年間、尚哉が一度も休まず送ってくれた帰りの一本道。
結局3年間、桜が一度も礼を伝えることはなかった帰りの一本道。
3年間2人で一緒に帰った一本道、この日桜は尚哉と別れた。