馬鹿桜、〇〇と出会う
「……あ、あった………」
「は、マジで?………………嘘だろ」
白い息を吐き白い紙を握り締めた桜は3桁数字を確認するや否やブルブルと白い紙を震えさせた。
妹の呟きをまったく信じられない兄も3桁数字を目を凝らし何度もじっくり確認すると、ようやく目の前の奇跡を受け入れたらしい。
呆然と前を見つめる兄妹の隣で父と母はひたすらむせび泣き、抱きしめ合っている。
県立高校受験合格発表の今日、桜は奇跡的に無事合格を果たした。
「やった…………やったよ! ねえ望!」
これでとりあえず八百雅へ嫁に行かずに済むと、桜は喜びに打ち震えながら兄に感動を叫んだ。
普段は呆れ返るほど馬鹿でどうしようもない妹にとってもシビアな望だが、それでも実妹の無事合格に今日ばかりは安堵の息を吐き出した。
「定員割れもなかったのに…………お前すげえな」
「……へへ? そうかな」
「この馬鹿を合格させるなんて、やっぱすげえよお前…………マジで助かった。今まで本当にありがとな、尚哉」
いつもシビアな兄が生まれて初めて妹の甲斐性を褒めてくれたのかと思いきや、褒めた相手は村井家族と一緒に合格発表を見に来た友人の尚哉だった。
「尚哉君! 本当に、本当に、本当にありがとう!」
「尚哉君!」
それまでむせび泣いていた父と母が抱きつかんばかりに尚哉に飛びつき、勢いよく感謝を伝えた。
無事合格を果たしたのは桜だというのに今日の主役を完全無視する村井家族は尚哉だけを囲い込み、しまいには彼を胴上げしようと笑顔で相談し始めた。
当然まったく面白くない桜はふて腐れた表情で張り切る家族の姿を見つめていると、村井家族からの胴上げをすぐさま遠慮した尚哉が羨ましげにじっと見つめる桜に気付き、傍に近寄ってきた。
「桜、合格おめでとう。よく頑張ったな」
「…………どうも…………あ、いてっ!」
不機嫌そうに礼を返した桜の頭部に突然背後からゲンコツがクリーンヒットした。
「何すんだよ!」
「おい馬鹿、何だそのふざけた態度は。一体誰のお蔭で合格できたと思ってんだ。ほら、今すぐ尚哉に心の底から土下座で感謝を伝えろ」
「望の言う通りよ。ほら桜、尚哉君にしっかり頭を下げなさい」
「そうだぞ桜、今すぐお礼を伝えなさい。今日の合格はすべて尚哉君のお蔭なんだぞ」
今日の主役であるはずの桜をちっとも褒めてくれない家族から一斉に尚哉に感謝しろと強要され、桜はますますふて腐れた。
そんなこと桜が一番わかってる。
兄の望に頼まれ、尚哉は昨年の夏以降付きっきりで桜の勉強を見続けてくれた。
中学1年の基礎まで遡り、数学と国語に至ってはそれこそ小学にまで遡り、徹底的に基礎の基礎からとことんやり直しさせられた。
辛抱堪らず何度も根を上げようとする桜をいつも冷静に諭し、根気強く時間をかけ教え続けてくれた尚哉のお蔭で、桜の成績はどうにか志望校ギリギリ合格ラインまで引き上がったのだ。
尚哉がいなければ桜はとっくの昔に諦め、今この場所に立つことさえ叶わなかっただろう。
そんなこと桜が一番よくわかってる。
「いや、俺はいいんです。桜、気にするな」
家族全員から尚哉に対し感謝の言葉を強要されてもふて腐れ黙っていると、大変謙虚な尚哉に必要ないと辞退された。
しかたなく視線を向けると、桜と目を合わせた尚哉は気まずげに桜を見つめた。
「桜……」
「今まで本当にありがとうございました!!」
ガバリと勢いよく頭を下げた桜は尚哉の言葉を遮り、大声で感謝の言葉を叫んだ。
そのまま遠くの正門に向かって一気に校庭を突っ走った。
「くそ…………何でもう暗いんだよ」
真新しい制服ブレザーのポケットに両手を突っ込み目の前の一本道を歩きながら、ぶつくさと文句を呟く。
外灯もままならない田舎道は1歩間違えれば周りの田んぼに突っ込むであろうほど、辺りはすでに夜の闇に包まれていた。
「くそ…………何でもう暗いんだ」
再び文句を呟いた桜は、すでに一週間前から同じ愚痴を毎日飽きもせず繰り返している。
「田舎の馬鹿高校め……」
奇跡の高校合格を経て4月から晴れて無事高校生となった桜だが、そんな桜を受け入れてくれた良心的な学校にはそれだけでも感謝しなければならないのに、入学から1カ月経過した今ではすっかり田舎馬鹿高校呼ばわりだ。
無人駅を降りてすぐ、家より田んぼが目立つ桜の住むこの町は、暗くなればバス1本運行しない。
高校からの帰宅時間は8時を過ぎるため、無人駅から自宅まで徒歩30分の一本道はとにかく暗くて仕方ない。
あまりにも暗すぎて自転車は危険だと無理やり取り上げられてしまった桜は、今日もひたすら真っ暗な夜道を歩くだけだ。
そもそも通う高校が田舎にあるから悪いんだと、桜は今日もしつこく1人愚痴る。
田舎に住む桜が50km以上離れたやはり田舎にある高校に電車とバス乗り継ぎ通う破目になったのは、もちろん桜の学力が高校を選ばせてくれなかったからだ。
桜が奇跡的にも入学できた高校はそれでも県内では偏差値最下位、はっきり言ってしまえば底辺馬鹿高校だ。
そんな馬鹿の集まりの中でも頂点に君臨する桜だが、そんな桜の通う学校はとにかく遠いせいで、高校生となった桜の朝はいつも早く、帰りは遅い。
片道2時間以上を要し、しかもその上部活動強制参加という問答無用の校則のせいで、昔から体育だけは得意だった桜は放課後の2時間バドミントン部で健康的に汗を流す事となった。
そのお蔭でここ一週間はますます帰宅が遅くなり、桜の愚痴もますます悪化する一方だ。
「くそー………………ん?」
自宅へ続く一本道を急ぐ桜の足が突然ピタリと止まった。
視線の先にポツリとある外灯を訝しげに目を凝らし見つめた桜は、外灯の手前に人らしき者が佇んでいることに気付いた。
外灯の明かりが弱々しい上に相手が全身黒ずくめの服を纏っているせいで、余計に人物を判断しにくい。
この遅い時間、こんな田舎の一本道で偶然人とすれ違うことも少なく、しかも外灯前にじっと佇む黒ずくめの人間は一向に動く気配すらない。
明らかに不審な表情を浮かべた桜だったが、とりあえずさっさと通り過ぎてしまえばいいと再び歩き始めた。
さりげなく視線を反対方向の田んぼにそらし急ぎ足で外灯脇を通り過ぎようとすると、突然目の前の黒ずくめ人間がザッと不気味な音を立て桜の前に立ちはだかった。
ビクリと立ち止まった桜はただ驚き露わに目の前の黒ずくめ人間を見つめた。
(何だ、こいつ…………)
今だ乏しすぎる頭では状況をまったく把握できない桜は、脅えるより先に疑問の表情を浮かべた。
ガバリッ!
突然、黒ずくめ人間が着用していたトレンチコートを桜の前でガバリと全開した。
(…………き、汚ねぇ)
大層汚らしい変態全開男の素っ裸をもろ視界に受け取ってしまった桜は、恐怖以前にひどい吐き気を催した。
どうだ、凄いだろ? と、まるで見せつけるかのように汚い下半身を露出する変態全開男がしばらく経っても一向に隠す様子を見せないので、足を止めたままの桜は仕方なく息を吐き出した。
ガバリッ!
突然膝上まである制服スカートを両手でむんずと掴み上げた桜は、変態露出男の目の前で自分の下半身をガバリと全開した。
「…………………………」
まさか自分と同じ手で反撃されるとは予想だにしていなかったのか、変態露出男が一瞬怯み背後に後ずさった。
桜はここぞとばかりに変態男の隙を突き、一気にその場から一本道を突っ走った。
「大変!変態!大変!変態! 望、変態! 変態だぁ!」
「おい馬鹿、まぎらわしい言い方をするな」
ひどく息乱し兄の部屋に突然突っ込んだ桜は必死に変態を連呼すると、興奮状態で兄の部屋をグルグルと駆け回り始めた。
帰ってきて早々変態と騒ぐ妹に、それまで机に向かっていた望は仕方なく参考書から視線を外した。
「変態? どこに?」
「だから変態、望、変態なんだよ! 望、変態なんだって!」
「……おいそこの馬鹿、いい加減にしろよ。まさか俺に喧嘩売ってんのか?」
大変誤解を招きかねない失言を繰り返す妹に、いつもは冷静な兄もさすがにカチンと頭に来た。
「本当なんだよ望! 本当にさっきそこの一本道に変態が出たんだよ!」
「…………マジか?」
妹の必死な訴えにようやく表情を変えた望は、椅子から立ち上がり妹の傍に近寄った。
「一体どんな奴だった? まさかお前、そいつになんかされたのか?」
「…………オエ」
めずらしく兄に心配されさっきの変態露出男をとっさに思い浮かべた桜は、特に露出男の下半身辺りを鮮明に思い出し、再びひどい吐き気が一気にこみ上げた。
「変態がコートをガバッてして、あそこ見せつけてきた」
「露出狂かよ…………それで? お前一体どうしたんだ?」
「くやしいから私もスカートをガバッてして、見せつけてやった」
「…………お前、マジで馬鹿すぎる」
実妹のあまりのポンコツぶりに、さすがの兄もとうとう頭を抱え蹲ってしまった。
「安心しなよ望、ほらこの通り」
呆れてものが言えない兄の前で再びガバリと制服スカートを捲り上げた桜は、しっかりジャージインの下半身を堂々と見せつけた。
「このポンコツ大馬鹿野郎! お前も一緒に露出してどうすんだ!」
兄がジャージインに安心するどころか激しく怒り始めたので、桜は意味がわからず首を傾げた。
「何で? だってこっちはジャージだぞ?」
「たとえジャージでも相手がポンコツでも、興奮するやつはするんだよ…………お前いい加減自分が馬鹿で、ついでに女だってこと自覚しろ」
「汚い変態野郎になんか絶対負けない!」
「男を甘くみんな! 下手すりゃお前、今頃変態に襲われてたんだぞ!」
「……………………」
真剣な兄の厳しい叱責に、さっきまで強気で粋がっていた桜もとうとう黙ってしまった。
今頃になって変態に遭遇した恐怖をようやく自覚させられた桜は、無意識に足を小刻みに震えさせた。
「桜…………とりあえずもう大丈夫だ。泣くな」
ポロポロと涙を零し始めた妹を宥めるように、望は優しくその身を抱きしめた。
「……こ、こわ…………変態がいたよぉ…………」
「とりあえず夜道は危険だな…………明日から駅まで迎えに行ってやるから」
望はグズグズと胸で泣き始めた妹の背中をポンポンと叩きながら、さっそく明日からの事を思案し始めた。
「……でも、望は塾があるじゃん」
小学校から私立学校に通っていた兄の望だが、将来は国立医大を目指すため高校はより難関の県立高校へ進学した。
放課後は週に3日塾に通っているため、帰りも8時過ぎる桜より遅くなる日が多いのが現状だ。
「うーん…………俺が無理な日は父さんに頼むか」
「……それはだめだ望。お父さんとお母さんには絶対言うな」
桜の受験のせいで、ついこの前まで散々心配をかけさせてきたのだ。
そのうえ今日桜が変態に襲われかけたなんて知られたら、父と母は今度こそ卒倒してしまうかもしれない。
今は共働きで働く忙しい両親にこれ以上の心配を掛けさせるわけにはいかない事も、いくら桜だってちゃんとわかっている。
「どうしよう……」
父と母には言えない、兄にも頼れない、最悪再び変態と遭遇した時は結局また1人で立ち向かわなければならない。
いつもは強気な桜もついさっき変態に襲われかけた恐怖が残っているせいか、兄の前で不安気な表情を浮かべ若干怖気づいた。
「お前の帰りはいつも8時過ぎ………………こうなったら仕方ない、最終手段だ」
「最終……? なになになに!?」
望の静かな呟きにガバリと反応した桜は兄の腕をむんずと掴むと、すがるように見つめた。
妹から一心に救いを求められた望はひとつ小さな息を吐くと、目の前の妹にじっと視線を向けた。
兄の口から冷静に告げられた最終手段に、桜の顔がサッと青くなった。
「それだけは嫌だああああああああ!」