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馬鹿桜、〇〇とお勉強





「おい馬鹿、来たぞ」

 茶の間のテーブル前で正座している桜にたった今帰ってきた兄の望は一言伝えると、そのまま背後を振り返った。


「どうかよろしくな、尚哉なおや

 望に済まなそうに頼まれ背後から姿を現したのは、尚哉と呼ばれた少年だ。

 村井家とは比較的近所に住んでいる彼は望とは同い年の友人であり、今現在クラスメイトでもある。

 そして桜にとっても昔からの顔馴染みだった。


「久しぶりだな」

「…………どうも」

 望に次いでテーブル越しに近寄った尚哉に挨拶された桜は仏頂面でボソリと呟いた。


「あ、いてっ!」

 突然背後からゲンコツでごつかれ、庇うように両手で頭を抱え込んだ。

「何だよいきなり!」

「お前こそ何だその態度は。とりあえず謝れ、それと挨拶くらいちゃんとしろ」

 兄の一撃を頭部にくらった桜は渋々といった態度で口を開いた。

「…………ごめん…………よろしくお願いします…………」

 仕方なく謝り小さくお願いすると、向かいの尚哉がそのままテーブル前に腰を下ろした。


「こっちこそよろしく、受験まで頑張ろうな」

「…………うん」

「それと望、いきなり頭を叩くな。可哀想だろ」

 大変失礼な態度で迎えたにもかかわらず、尚哉はそんな桜に対しこれから一緒に頑張ろうと励ましてくれた。

 それどころか、失礼な妹をゲンコツで叱咤した兄から庇ってさえくれた。

 ますます居心地悪くなり再び仏頂面となった桜は、誤魔化すようにそっぽを向いた。




 2日前、八百雅の息子に嫁ぐか高校に進学するか究極の2択を迫られ迷いなく高校を選んだ桜に、兄の望が突き付けた最終手段が兄の友人である尚哉だった。

 顔を青くした桜がすぐさま拒絶し叫び声を上げ低抗するも、じゃあ八百雅に嫁げと素気無く脅されてしまえば、当然それ以上何も言えるはずがなかった。

 望が提示した最終手段にしばしショックで呆然と黙ってしまった桜だったが、すぐにハッと我に返った。

 要は断られればよいのだ、いくら親しい友人の頼みでも友人の妹の頭の面倒まで見るほど奇特ではないだろう。

 すぐさま立ち直った桜はさっそく兄が友人の尚哉にポンコツ妹を押し付けるため電話を掛け、大層申し訳なさそうに事情を話し始める姿を傍で期待の表情浮かべじっと見守った。

 ものの見事に期待は外れ、あっさりと了承を受けた村井家族は一斉大喜び。歓喜に沸く茶の間にただ一人取り残された桜は再びショックで呆然自失となった。




「本当にごめんね尚哉君、お馬鹿な娘のために無理なお願い聞いてもらっちゃって…………部活もあるし、尚哉君だって夏休みは忙しいのにねぇ………」

「気にしないで下さい、部活は午前中だけなんで忙しくはないです。それに俺は受験がないので」

 小学から大学までストレートの私立学校に通う尚哉に受験は関係ないおかげで、今回の兄の無謀な頼みもすんなりと聞き入れてくれたらしい。

 今日さっそく尚哉が不出来な娘の為にわざわざ家まで来てくれたので母が涙ぐみながら謝り始めると、尚哉は慰めるようにすぐ否定した。


「尚哉君…………どうか、どうか馬鹿な娘をよろしくお願いします」

 プライドも糞もあったもんじゃない、会社から急いで帰宅した父までもが土下座で深く頭下げ、不出来な娘の無事受験合格を必死に頼み込んだ。


 

「とりあえず尚哉、馬鹿の現実を見てくれ」

 しつこく感謝を繰り返す父と母がようやく茶の間から去っていくと、望は2つ折りの白い紙をテーブルに広げ始めた。

「あ! それは!」

 とっさに気付いた桜が慌てふためきながら取り上げようとするも望に一瞬先にかっさらわれ、あっという間に尚哉の手に渡ってしまった。


「…………………………」

 さすがに言葉を失くしたらしい。

 手にある白い紙をじっと見つめた尚哉がしばらく黙ってしまったので、桜は心底居た堪れず小さく小さく身を縮こませた。

 尚哉がじっと見つめる白い紙は桜の成績表だった。

 それも、ものの見事に全教科学年ビリッケツである。


「馬鹿には呆れてものが言えないよな…………尚哉、今ならまだ間に合うぞ。無理なら無理と言ってくれ」

 最近とうとう実妹を二つ名の馬鹿としか完全呼ばなくなった望は頼み込んだ張本人にもかかわらず、今なら引き返せると友人を諭した。


「いや…………まだ半年あるんだ。努力すれば自ずと結果も変わってくる。桜、とりあえず基礎をしっかり覚えような」

「…………うん」

 無様すぎる成績表を見られたショックからようやく立ち直った桜は、再び尚哉に励まされ自信なさげに小さく答えた。



「じゃあ俺は部屋に行くから。尚哉、悪いけどこいつのことよろしく頼むな。おい馬鹿、ちゃんと大人しくしてろよ。しっかり教えてもらえ」

 自分の勉強があるため部屋へ引き上げてしまった望が茶の間からいなくなると、とうとう桜と尚哉だけが残された。


「何から始める?」

「…………数学」

 ボソリとぶっきら棒に答えた桜は今だ一度も視線を合わせぬまま、テーブルに積み上がった問題集の中から数学を抜き取り1ページ目を開き始めた。


桜の受験まであと半年、こうして無事兄の友人である尚哉は桜の家庭教師となった。







 今から約9年前、桜の兄である望が学区内の県立小学校ではなく自宅から距離のある私立学校に入学を決めたのは、村井家の根深い事情が大きく関係しているからだ。

 

 望は妹の桜とはほぼ1歳違いの4月生まれ、偶然にも同じ4月生まれの桜が出産予定日一週間前、正確には4月最初の日にタイミング悪く母の腹から出てきてしまったおかげで、兄妹は不運にも同学年という境遇に立たされてしまった。

 そう、つまりはエイプリルフール。

 マジで冗談だよね? と突っ込みたくなるほど、なぜか4月のくせに1つ上の学年に無理やりギリギリ詰め込まれるという意味のよくわからない日本の法律のお蔭で大変はた迷惑にもまぎらわしい4月1日が桜の誕生日である。

 なんでよりにもよってその日に生まれてくるんだと文句もつけたくなるほどタイミングの悪い桜のおかげで、世間の目から見ればかなりめずらしく少しばかり哀れで、兄妹の両親にとってはなんだか恥ずかしいという、なんとも微妙な兄妹関係が始まったのだった。


 元々兄妹の両親夫婦は結婚当初から数年間子供に恵まれず、不妊に悩まされていた。

 5年が経過しても一向に妊娠の兆候はなく精神的にも疲れが見え始め、悲しくもとうとう諦めかけたその直後、なんと夫婦は奇跡的にも小さな命を授かった。

 当然歓喜乱舞した夫婦は嬉し涙を流し、腹に宿った小さな我が子を大切に大切に育て始めた。

 夫婦は暇さえあれば腹を撫で慈しみ、まだ顔見えぬ我が子に必死に話しかけ、それはそれは立派な胎教を施した。

 夫婦にとって念願叶った子供への思い入れは相当深いものだった。

 どうか元気で明るく、そしてできれば賢い子として生まれてきてほしいと、夫婦の我が子への期待は日に日に膨れ上がった。

 必死な胎教のおかげもあってかまるで夫婦の願いを体現したかのように、無事産まれた子供は元気で明るく、そして非常に賢い男の子だった。

 期待通りの我が子の誕生に夫婦はますます歓喜し、まだ小さな赤子を蝶よ花よと可愛がり手塩にかけ育て始めた。


 結婚して数年あれほど不妊に悩み続けた夫婦は、無事に可愛く賢い息子を授かったおかげで喜びと同時に深い安堵を覚えた。

 ようやく気持ちに余裕が生じたおかげもあってか、なんと夫婦は息子の誕生からわずか約2か月後、再び新たな命を授かった。

 一時は喉から手が出る程我が子を待望していた夫婦にとって、1人目の誕生後間を置くことなく腹に宿った子供の存在は当然喜ばしいものだ。

 なぜか喜び以前に嫌な予感が先に立った夫婦はすぐさま医者に出産予定日をしつこく何度も念押し確認し、ようやくそこで深い安堵と喜びに満たされたのだった。


 すっかり安心しきってしまったせいもあってか、先に産まれた小さい息子の世話と教育に忙しく追われ始めた夫婦は腹に宿った2人目に構っている暇もなく、1人目の時はあれほど必死だった胎教も当然疎かとなり、しまいには時たま腹に宿っていることさえ忘れる始末だ。

 あまりにも忘れ過ぎたせいだろう、まだ生まれぬ腹の子にだってちゃんと感情はある。

 夫婦がまだ出るな、あと少しだけ待てと必死で止めたにもかかわらず、2人目はまるで自分の存在を忘れるなと言わんばかりに勢いよく腹から飛び出してきた。

 こうして無事、妹は兄を必死で追いかけるように1年足らずでこの世に誕生したのである。

 

 そんな根深い兄妹事情を抱えた村井家、所詮自業自得の両親は兄妹揃って小学校入学1年前に差し掛かり、殊更頭を悩ませ始めた。

 兄妹が幼児時代はあらあらまあまあと周囲から好奇と恥を受けるのは自業自得両親だけでどうにか済んだが、兄妹の就学を目前にしてとうとう一家全員窮地に追い込まれた。

 このまま兄妹揃って入学となれば、いずれ近いうち自分たちの事情を理解した兄妹は周囲から謂われもなく傷つく経験も多々起こるだろう。

 可愛い我が子達に不憫な思いをさせてしまう現実を嘆いた両親はとにかく悩み続けた。


 そんな時、当時兄妹が通う幼稚園の担任教諭に母が堪らず悩みを打ち明けると、担任教諭はある1つの提案を悩める母に授けた。

 賢い兄に私立学校の受験を勧めたのだ。

 ようするに、大変優秀な兄の才能を適切な環境で伸ばしつつ兄妹を別の学校に通わせれば、周囲の目も多少は誤魔化せるというわけだ。

 夫婦にとって目から鱗のグッドアドバイスを受け、そして賢い息子の頑張りもあり、無事兄は私立学校の受験に見事一発合格。

 兄妹同学年問題はなんとか無事解決に至ったのだった。


 

  

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