馬鹿桜、〇〇に嫁に来る?
「灯台下暗し、夫婦喧嘩は犬も食わない、桃栗三年柿八年、元の鞘に収まる、雨降って地固まる」
大変優秀な兄は妹の姿をジロジロと嫌らしく観察しながら早口ことわざを言い連ねた。
医学生の兄は今日も変わらずとっても暇らしい。
「上手くいったみたいだな…………ふん」
最後に鼻息荒くするあたり、完全自分の手柄だと信じて微塵も疑わないようだ。
「あいつにも礼を言われたぞ…………はは」
友人に協力するため影でとっても一生懸命健気に働いていたらしい兄は友人に褒められ、何気にさりげなくとても嬉しそうだ。
「変態店長だけは誤算だったな…………くそ、俺としたことが」
変態をまったく見極められなかったマヌケな医学生の兄は、変態に妹の身を預けてしまったことがとても悔しいらしい。
「とにかくまあいい…………終わりよければすべて良し」
ポンと妹の頭を叩いた兄はめずらしく優しく妹の目を見つめた。
「馬鹿のくせに良く頑張ったな…………えらいぞ」
生まれて初めて妹を褒めた兄はなんだか自分の事のようにとっても嬉しそうだ。
「もう逃げらんねえぞ、桜…………どうしようもねえよな。ポンコツ馬鹿のお前が、あいつはとにかく可愛くて仕方ねえんだからよ」
実に数年ぶりに妹の名を呼んだ兄を見つめ返した。
「ありがとな…………お兄ちゃん」
妹は照れくさそうに呟いた。
「桜、八百雅だ」
昼下がりの日曜日、夏の道を散歩していると、喉が渇いたという尚哉は激甘イチゴ牛乳を飲もうと桜の手を引っ張った。
余計に喉が渇きそうだと思ったが、文句も言わずついて行く。
2人は手を繋ぎながら八百雅の前まで駆け寄った。
楽しそうに笑いながら走ってきた2人の前に、突然老婆が立っていた。
「ば、ばあちゃん」
ギクリと身体を固めた桜はマジヤベえと1人慌てふためき始めた。
「あんれまあ桜ちゃん! 久しぶりだねぇ?」
[ど、ども…………こんちは」
「何しとったんね? 今まで。ぜーんぜん顔も見せねえで」
「は、はあ…………すんません」
「ゆっくりしていぎな、あちいからスイカでも切っかねぇ?」
「あ、いや…………ゴチっす」
「しばらく見ねえあいだにすっかりおっきくなっぢまって」
「はは、へへ、ふふ…………あざっす」
「おーい雅彦、早く出てこんかい! 桜ちゃんがいっからよー!」
「は ひ ふ へ ほ――――! それはマジヤバいってばあちゃん!」
「なになに―――? 桜ちゃんだって―――――?」
「ひょ、ひょえへへへへケケケケケケ」
桜が気味悪い奇声を発している間に、八百雅の店の奥から雅彦が飛び出してきた。
「いやぁ! 桜ちゃんだ、久しぶりだねぇ!」
「すんまそ―――ん! 嫁には行けましぇ―――――ん!」
「ねー、この人だーれ?」
「へんなおねえちゃん」
「シェーってしてるよ」
「………………シェッ!?」
一心不乱慌てふためくあまりイヤミのシェーポーズで威嚇していた桜は小さい子供3人に不思議そうに指さされ、ようやく現実に戻ってきた。
桜の目の前に、いつの間にか八百雅家族が全員集合していた。
「桜ちゃんは初めてかな、これうちの子供達。ほら、みんな挨拶して」
「「「こんにちは―――!」」」
「それでこれが俺の奥さん」
「はじめましてー!」
「そしてこっちがうちのばあちゃん…………あ、ばあちゃんは知ってるか。ハハハハ」
「ハハハハハハハハハハハハハハハハ」
八百雅家族が楽しそうに大声で笑い始めた。
「……ハハ……ヒヒ……フフ……へへ……ホホ……」
桜もとりあえず引きつりながらハ行で一緒に笑ってみた。
「くそー……望のやつ、すっかり騙しやがって」
八百雅の1人息子がすでにとっくの昔に気立ての良いお嫁さんを貰っていたというのに、結局なぁんにも知らなかったのは馬鹿桜だけだった。
兄の悪知恵に散々騙された桜はブー垂れながら八百雅を離れた。
「相変わらず甘いな…………はい」
「あ、うん」
飲みかけのイチゴ牛乳がまた桜の手に戻ってきた。
桜はしばし照れながら再びイチゴ牛乳を飲み始めた。
昼下がりの2人の散歩は再び始まった。
「どこ行く?」
「…………一本道を散歩して、家でトランプ」
「…………ん?」
「桜に怒られ続けたから、今度こそ名誉挽回」
高校時代2人で帰った一本道も、小学時代散々遊んだトランプも、いつも桜は最後に怒ってしまったので、隣の尚哉がやり直すと言い始めた。
「……そういえば、受験の時も怒られた」
「勉強はもういいよ…………勘弁」
そういえば受験発表当日も、桜は尚哉に怒ってしまった。
いつも怒ってばかりいた桜がおかしそうに笑った。
桜を見つめた尚哉は嬉しそうに笑った。
「うーん……明日からのんびりしてらんないな」
「何で?」
「職探しだ。またコンビニでも探すか」
結局、桜が働いていたコンビニは店長が別の経営者に変わった。
その時、桜も一緒に辞めた。
以前兄に馬鹿な妹はコンビニしかないと言われたので、律儀にも信じている桜はコンビニのアルバイトを探すことにした。
「八百雅へ嫁には行かないのか?」
「どうせさっきフラれたよ」
嫌味を言いおかしそうに笑った尚哉にふて腐れながら返す。
桜の居場所は八百雅にはないのだ。
「そうか、だったら空いてるな」
「…………ん?」
「お前の隣」
「一緒に歩いてるだろ」
桜の隣は尚哉が歩いてるから、桜の隣は空いてない。
「俺の隣は空いてるぞ」
「…………ん?」
「嫁に来るか、桜」
イチゴ牛乳を取り上げた尚哉が桜の手を握った。
握りしめる彼の手をしばらく見つめた桜は、ようやく照れくさそうに笑った。
「望むところだ」