馬鹿桜、〇〇に怒られる
ぼんやりと棚におにぎりを補充していた桜は、レジ前にいる店長が一生懸命両手をブンブン振り回していることにようやく気付き、ハッと我に返った。
(桜ちゃん、来たよ)
(ラジャです!)
必死なジェスチャーで合図を送る店長に、桜もすぐさま気を引き締めビシッと敬礼で了解する。
店長のジェスチャー通り、入口ドアから今日も馬鹿の子達がゾロゾロとコンビニ店内へ入ってきた。
(僕は前、桜ちゃんは奥だ)
(ラジャでーす)
ジェスチャーで奥周辺を見張れと店長に指示を受けすぐさま了解した桜は、カモフラージュ用で待機しておいたモップ片手に店の奥へ急いだ。
「ここ失礼しまーす、アハハ」
集まり始めた馬鹿の子達の周囲をモップ掛け、わざとらしくも自然を装いうろつき回る。
「こっちも失礼しまーす、ウフフ」
そこかしこに馬鹿の子が散らばっていて、桜はクネクネと馬鹿を避けながらさり気なくもあからさまに邪魔をしモップをくねらせた。
(大変だ、桜ちゃん! また来た)
(何!? またですか!?)
遠くから店長がひどく慌てた様子でジェスチャーを送ってきたので、驚愕した桜も慌てふためき入り口ドアを見つめた。
それでなくてもコンビニ内はすでに馬鹿の子ばっかりだというのに、再び新たな馬鹿の子集団がゾロゾロと入り口ドアから行進してきた。
コンビニはあっという間に馬鹿の子ですべて埋め尽くされた。
「……ん? 一体どうしたんだ君達」
しばし呆然と突っ立っていた桜がようやく我に返ると、埋め尽くす馬鹿の子達がなぜか一斉にズンズンと近寄ってきた。
どうやら桜は馬鹿仲間からの裏切り行為に直面したらしい。
突然、馬鹿の奇襲だ。
「ぶるぶるぶるぶるぶるぶる」
戦闘武器はしょぼいモップ1本だけ、両手にブルブル握りしめぶるぶる発した馬鹿桜は気付けばあっという間に馬鹿の子達に周りをすべて取り囲まれていた。
「せーの!」
「尚哉先生をよろしくお願いしま――――す!!」
馬鹿の子一同が一斉にガバリと頭下げ、馬鹿桜に深くお辞儀した。
なぜか馬鹿の子一同から「尚哉先生」をお願いされた桜は呆然自失で立ち尽くした。
「お前達…………一体そこで何をやってるんだ」
いつのまにか入口ドア手前に佇んでいた尚哉が、桜と取り囲む馬鹿の子達を唖然と見つめていた。
「俺の生徒達がごめんな…………びっくりしただろ、あんな大勢押し寄せて」
尚哉が車を運転しながら気遣わしげに隣の桜に声を掛けた。
尚哉の生徒総勢30人に一斉取り囲まれた桜は、ようやくこの日尚哉が中学の先生であることを教えられた。
結局桜が馬鹿の子と勘違いしていた賢そうな子達は本当に賢かったらしく、コンビニ近くの私立学校へ通う生徒だった。
尚哉の母校でもあり、そういえば兄も中学まで同じ制服を着て通学していたことをたった今ようやく思い出した。
「部活帰りの生徒が、俺が毎日あそこの前に立っているから勘違いしたらしい…………ごめんな」
尚哉が担任する生徒達は尚哉が毎日足繁く通うコンビニに恋人がいると完全に思い込み、今日はクラス全員揃って挨拶に訪れたのだそうだ。
とても良い子の生徒達は、コンビニ唯一の若手女性店員である桜をここ最近かわるがわる観察していたらしい。
どうりでここ最近コンビニ内が中学生で溢れていたわけだ。
ずっと馬鹿の子だと信じて疑わなかった桜も、集団万引きだと思い込み疑っていた店長も完全空振りの結果で終わった。
尚哉が事情をすべて話し終えた頃に、車が静かに道路脇に止まった。
桜と尚哉はそのまましばらく静かに黙った。
尚哉の手が静かに桜に触れた。
桜の手を優しく握りしめた。
「今日は腹ごなししないのか?」
尚哉に問われ、ここが八百雅の前だということにようやく気付いた。
桜はそのまま尚哉の手を見つめた。
桜の手がゆっくり尚哉から離れた。
「……ふりは八百雅前だけで十分だ」
「桜」
「悪かったな…………もういいんだ、私に付き合わなくていいんだ。今までありがとうな」
桜はもう十分だと謝った。
もう十分だと、尚哉にありがとうと伝えた。
桜の手がそのままドアを開け、外へと降り立った。
桜が降り立つ前に、尚哉が追いかけた。
「桜」
尚哉が桜に追いついた。
桜の手を強く握りしめた。
桜は尚哉を再び離した。
「腹ごなしはもうおしまいだ」
今度こそ外へ降り立った桜は車から離れ、1人で歩き始めた。
「おい馬鹿、どうした」
昨日は妹の監視をサボった望だが今日はさすがに反省し、いつもより一時間も早く玄関前で仁王立ちしていると、偶然にも都合良くいつもより1時間も早く妹が帰ってきた。
「ただいま」
「む…………イチゴ牛乳の気配なし。さては八百雅をサボったな」
近づいた妹の匂いを即座に嗅ぎ回した望は、今日妹が八百雅ラブラブ徘徊デートをボイコットしたことを瞬時に察した。
医学生のくせに今日も暇そうな兄をすぐさま忘れた桜は完全無視し、玄関の中へ入った。
「おい馬鹿、どうして落ち込むふりをする」
馬鹿は絶対楽天的と勝手に信じて疑わない兄が勝手に部屋に入ってきた。
桜はベットに座ったまま膝に顔を埋めていた。
望は息を吐き、妹の傍に近寄った。
「今日は何があった」
「何もない、もうおしまいだ」
「おい馬鹿、またすっかり忘れたのか。このままじゃ八百雅の」
「もうおしまいだ、1カ月だ。今日でもう1カ月だ」
最初から1カ月の約束だったと、だから終わらせてきたのだと、桜は兄の言葉を無理矢理遮った。
望の手が静かに妹の頭に触れた。
桜は兄の手で仕方なく前を向かされた。
「逃げたのか」
「望……」
「逃げたのか、お前はまたあいつから逃げ出してきたのか」
妹を見つめる兄の目に微かに怒りが滲んでいた。
兄に怒られた桜は仕方なく頷いた。
望はそのまま妹の目をじっと見つめた。
「お前はそうだな…………昔からそうだった。いつも逃げてばかりだ。馬鹿のくせに誰よりも臆病だ。いつもあいつから逃げ回ってる。俺と比べられてもいつも平然と笑ってるお前が、あいつの隣だけはいつも嫌がる」
「望……」
「自分の気持ちさえわからないポンコツ馬鹿のお前には兄の俺が教えてやる。お前は怖いんだよ、あいつが怖いんだ。あいつに嫌われるのが怖いんだよ。あいつにだけは絶対に嫌われたくないんだ」
妹を見つめた兄の目がようやく傍を離れた。
残された桜は離れていく兄の背中を見つめた。
「後は自分で考えろ。馬鹿もたまには頭を使え」