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馬鹿桜、〇〇へ嫁に行く?





 村井 桜むらいさくらはいつもタイミングが悪い。

 

 そもそも彼女は生まれた日からタイミングが悪かった。

 桜の出生はその名の通り春の桜の日4月の頃、出産予定日1週間前という不運に尽きる。


 それまですっかり安心していた両親はなぜか1週間も早く産まれてきてしまった我が子に、喜びの感情よりも後悔の念が先に立ったことはおそらく間違いない。

 けれどすでに少子化が懸念されつつあった当時の昨今日本事情、周りからめでたいと喜ばれこそすれ両親に罪はない、そして当然子供にも罪はない。

 タイミングが悪かった、ただそれだけに尽きる。



 あたたかな春の4月、桜は無事この世に誕生した。

 あと数時間遅ければ次の日まで持ち越されたというのに、まるで陣痛に苦しむ母を助けるかのように勢いよく腹の中から飛び出した。

 なんとも親孝行な桜のお蔭でそれから先何かにつけて苦しむ運命となる村井家族だが、それはすべてタイミングが悪かっただけの話だ。

 だから、これ以上桜を責めないでほしい。



「だああああ!! なんでお前はこんなに馬鹿なんだああああ!!」


 兄の悲痛な雄叫びが、今日もけたたましく村井家に響き渡った。




 不気味にもしんと静まった一家団欒の茶の間に、今日も家族4人はテーブル前で暗く沈んでいた。


 1枚の白い紙を両手できつく握りしめた桜の兄であるのぞむは、絶望のため息を深々と吐き出した。

「どうすんだよ…………このままじゃこいつ本当に高校行けないぞ」

 望が切実な表情で向かいに座る両親に訴えると、それまで暗く沈んでいた父と母はますます顔色悪くしょぼくれてしまった。

「どんなに馬鹿でも今時中卒なんて…………ねえ? お父さん」

「うーん…………」

 弱々しい母の嘆きの問いかけに父が苦しそうに唸るのも、やはり毎度のことだった。


 それまで肩身狭く縮こまり正座していた当人の桜は、そんな哀れな両親の姿にさすがに申し訳なさを覚え、ようやくテーブルから顔を上げた。


「……馬鹿なもんはしょうがないしさ、私働くよ。社会人になる」

 大層暗くなってしまった家族を精一杯励まそうと健気にも明るく笑って答えた桜に、家族一同視線を向けた。

「所詮私は馬鹿なんだし、馬鹿が学校行ってもただの金の無駄だよ。行けなくてちょうど良かった。私働くよ。中学出たら仕事する」

「…………どこで?」

「八百雅のばあちゃんがさ、いつでもおいでっていつも言ってくれてるじゃん。桜ちゃんがいれば店も明るくなるってさ」


 八百雅とは、村井家とはご近所の昔からある八百屋のことだ。

 小さい頃から八百雅の看板ばあちゃんに可愛がられてきた桜は今でも店の前を通り掛かる度、優しい言葉をかけてもらえるのだ。 

 どこで働くつもりだと冷静に尋ねてきた隣の兄に、桜はすでにあてはあることを胸張って伝えた。

 落ち込む家族を安心させるため自信満々答えたのに、そんな桜をじっと見つめた家族は、なぜかとうとう頭を抱えてしまった。


「ん? みんなどしたの?」

「……馬鹿かお前は。どこまで馬鹿なんだ」

「ん? どして?」

 自分は確かに馬鹿だが馬鹿なことは一切言ってないと、桜は馬鹿を連発する兄をきょとんと不思議そうに見つめた。


「このポンコツ大馬鹿野郎! どこの誰が掛け算もろくに出来ない馬鹿のお前を雇ってくれるんだよ! ふざけんのもいい加減にしろ!」

「ふざけてなんかない! だって本当にばあちゃんが!」

「桜…………八百雅さんのおばあちゃんはね、近所の若い女の子みんなに声を掛けてるの」

 冷静な母の声が優しく諭すように、向かいの子供達の喧騒に割って入った。


「…………ん? みんな?」

「そう、若い女の子みーんな。ほら……あそこにはまだ独身の大きな息子さんがいるでしょ? おばあちゃんも相当心配なさってるみたいね、まだ中学生のあなたにまで声を掛けてたなんて…………」

「つまり、ばあちゃんの息子の嫁になれってことだよ」

 母の曖昧な説明ではまったく理解できず首傾げる桜に、隣の兄が単純明快あっさりと事情を教えてくれた。


 つまり、桜は今だ嫁の来手がなく苦労している40歳オーバー独身1人息子の嫁候補だったらしい。

 親切な兄にわかりやすく教えてもらい今ようやく八百雅の嫁不足事情を理解した桜は、当然ショックで呆然としてしまった。


「そんな…………」

 たとえ学校に行けなくても、さすがにまだ嫁には行きたくない。

 とうとう一縷の望みすら消え去ってしまった桜は、この時ようやく自分の行く末が非常に危ういことを気付かされた。



「…………私、高校行く。何が何でも絶対高校行くよ!」

 自分に残された道がすべて途絶えた今、これまで微塵も存在しなかった勉学への情熱がこの瞬間初めて桜の内側から勢いよくほとばしった。

 15才で八百屋へ嫁に行かされるくらいなら、大嫌いな勉強の方がそれでもなんぼかマシというものだ。


「そうだ! 塾に行こう。望の行ってる塾。お父さん、いいよね?」

「お前は馬鹿か! 学校の授業にさえまったくついていけない馬鹿なお前が塾に通ってみろ。先生と周りが迷惑こうむるだけだろ。それこそ時間と金の無駄だ」

 兄の通う塾に行けば必ず成績が上がると純粋に信じている単純馬鹿な妹に、兄は一刀両断すぐさま現実を突きつけた。


「そんな…………じゃあ私どうすれば」

「…………本当に、どうしようかしらねぇ?」

「うーん…………」

 再びどん底に突き落とされた村井家族はとうとう解決方法が見つからず、再び目の前のテーブルを暗く見つめた。



「…………こうなったら最終手段だ」

「「「最終…………? なになになに!?」」」

 望の静かな呟きにガバリと一斉に反応した桜と哀れな両親は身を乗り出すと、すがるように彼を見つめた。

 家族全員から一心に救いを求められた望はひとつ小さく息を吐き出すと、隣に座る妹にそっと視線を向けた。

 兄の口から冷静に告げられた最終手段に、桜の顔がサッと青くなった。


「それだけは嫌だああああああああ!」




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