【編ノ二】お祭好きたちの夜 ~虚空太鼓~
困った事になった。
よりによって、こんな時にこんな事になるなんて。
「参ったな…」
そう言って溜め息を吐く俺は、名前を打本 面一という。
ここ降神町で、老舗の蕎麦屋『玄風』を営んでいる。
「珍しいですね、貴方がそんな風に悩むとは」
そう言いながら、俺の対面の席でワイングラスを煽っていた優男…織部 幹久が首を傾げる。
こいつは新進気鋭のイタリアンレストラン『MISTRAL』のオーナー兼シェフで、俺の悪友だ。
ちょっと前まで派手にケンカしていたんだが…まあ、色々あって、今はこうして飲み屋で酒を酌み交わす仲にまで縁を戻した。
チャラチャラした外見とキザったらしい口調が鼻につくが、度胸と根性は、まあまあだ。
「一体、何があったんです?」
「おう…実はな、来週『降神祭』があるだろ?そこで毎年、盆踊りもやるのは知ってるよな?」
「ええ」
『降神祭』は、この降神町の夏に行われる夏祭りだ。
町の中心部にある「降神神社」から担ぎ出された神輿が町中を練り歩き、祭囃子を乗せた山車が賑やかす地元が誇る行事でもある。
俺はこの祭を取り仕切る氏子の一人だが、今年は、織部と一緒に神輿の担ぎ手もやる予定だ。
本来、神輿の担ぎ手は、この町で生まれた人間のみに許されているもので、新しくこの町に引っ越してきた連中はなることが出来なかった。
が、新住民の一人である織部の提案によって、すったもんだの挙げ句、どうにか今年から新住民も参加できるようになったって訳だ。
祭では、お馴染みの屋台のほか、櫓を組んで盆踊りも行うのが通例だった。
俺が悩んでいるのは、その盆踊りの事なんだが…
「実は…太鼓を担当する奴等が、事故で怪我したり、仕事の都合とかで、揃いも揃って祭に参加できなくなっちまったんだよ」
「それはまた…不幸な偶然もあったものですね」
織部も驚いた顔になった。
「では、盆踊りはどうするんです?まさか、太鼓無しでやるんですか?」
「最悪はな。けどよぅ、太鼓無しの盆踊りってぇのも…」
「まあ…締まらないでしょうね」
腕を組む織部。
あんたらも想像してみてくれ。
無人の櫓に太鼓無しのBGMで、盆踊りが盛り上がると思うか?
「織部よ、お前さんのツテで、太鼓を叩ける奴とか居ねぇか?」
俺がそう尋ねると、織部も困った顔になった。
「ジャズバンドをやっている友人はいますが…和太鼓となると、ちょっと」
「そいつら、一週間くらいで太鼓打ちに仕込めねぇかな?」
「またそんな無茶を…無理ですよ、そもそもジャンルが違いすぎます」
今度は呆れた顔で織部が言う。
「私はピアノとギターくらいなら触れますが、さすがに和太鼓は未経験ですから、自信はないですよ」
「そうか…何なら俺がやってもいいんだが、何せ、音感がてんで駄目だからなぁ…はぁ、どうしたもんか」
机に突っ伏した俺がそうぼやくとと、織部が手を打った。
「打本さん、どうせ駄目元なら、彼らに相談してみたら如何です?」
「あん?」
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「はぁ…和太鼓ですか」
降神町役場にある特別住民支援課。
ここはこの町に住む特別住民が、俺達人間と共存…よく分からねぇが、仲良く生きていけるようにするのが仕事の部署らしい。
俺と織部は以前、とあるイベントでここの連中の世話になった事があって、その時知り合ったのが、目の前にいる十乃っていう若い兄ちゃんだった。
他にも、妖怪の職員で見知った顔もいる。
つい最近行われたそのイベントでは、『玄風』の常連でもある“朧車”の輪ちゃんにも世話になった。
その輪ちゃんは、役場に来た俺を見るなり、警戒心丸出しで身構えていたけど…何かしたっけか、俺?
「そうなんだよ。あんたらの中で、太鼓叩ける奴とかいねぇかな?」
「いや、僕はちょっと…」
そう言うと、十乃は課内を見回した。
「あたしだって無理!ついでに言わせてもらうと、あんな格好ももう無理だから!」
「…太鼓、音が大きいから苦手」
「私もやった事ないしねぇ」
「知ってる限りだと、役場の職員でもいないと思うけど…」
輪ちゃんをはじめ、マタギみたいな格好の女の子と、口が二つある女の職員がそう答える。
これには、十乃も困った顔になった。
「すみません、打本さん。事情はお察ししますが、今回ばかりは僕達にもどうにも…」
俺は慌てて言った。
「あ、いや、謝るのはこっちだ。悪かったな、無茶を言ってよ」
今の世の中、何でもかんでも役場に頼り、文句だけ言う奴は多い。
けど、前のイベントで、ここの職員は全員が忙しい中、親身になって協力してくれた。
今回もつい甘えそうになった自分が、少し恥ずかしかった。
「仕方ねぇ…他を当たるか」
「でも、当てがあるんですか?」
十乃に言われて、押し黙る俺。
正直言えば、当てなんか無い。
すると、しばらく考えていた十乃が、
「…ちょっと待っててください」
そう言って、机の書類を引っ掻き回し始める。
「あった。これだ」
一枚の書類を探し出す十乃。
それを横から覗き込んだ輪ちゃんが、驚いた顔になった。
「巡、その案件って…」
「打本さん、僕に時間をください」
真顔でそう言ってくる十乃。
「僕が、太鼓の演奏者を探して来ます」
「あ、ああ、そりゃいいんだが…期限は来週だぜ?当てがあんのかい?」
十乃はしっかり頷いた。
「盆踊りが無いと、祭が盛り上がらないですもんね!」
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翌週、いよいよ祭の当日。
町中に活気が溢れ、いつもよりたくさんの人手が通りを賑わす。
日も落ちて、会場になっている町営グラウンドには祭提灯や屋台の明かりが、輝き始めた。
「…やっぱり無理だったか」
暗くなった空を見て、俺はそう呟いた。
あれから数日後に役場に経過を確かめに行ったが、十乃の姿は無かった。
同じ課の二口女の姉ちゃんに聞いてみると、外回りの仕事が続き、なかなか帰って来ないという。
「打本さん、そろそろ盆踊りのアナウンスを始めねぇと…」
担当の若い衆がそう声を掛けて来る。
予定では、盆踊りが始まって、その締めと同時に神輿を担ぎ出すことになっている。
町中には神輿を通す交通規制が張られているが、警察に届け出た時間が過ぎると、後で小言をもらいかねない。
…仕方ねぇ。
「よし、やってくれ。太鼓は…無しでいこう」
若い衆に指示を出すと、俺は溜息を吐いた。
「気を落とさないでください。リーダーの貴方がそんな様では、神輿も盛り上がりませんよ?」
似合わない法被姿の織部が、そう声を掛けて来る。
「おう…」
「…十乃さん、きっと頑張ってくれたんだと思います」
織部に言われるまでもなく、それは十分分かっている。
年若いが、あの兄ちゃんは真っ直ぐな心根の持ち主だ。
先のイベントで、俺はそいつを強く感じた。
間に合わなかったが、あの兄ちゃんなりに八方手を尽くしてくれたに違いない。
『それでは、盆踊りを開始します。参加される皆さんは、大きく輪を作ってください』
アナウンスに従って、町内の舞踊サークルの夫人連中が、櫓の周りに集まり始める。
それについで、一般のお客さんも輪に加わり始めた。
親子連れや老夫婦、手空きになった祭の関係者も法被姿のまま輪になっていく。
『それでは盆踊りを始めます』
BGMが流れ始めた。
輪になった人達が、曲に合わせて踊り始める。
が、すぐに気付いたのか、空のままの櫓をチラチラ見上げていた。
やっぱりそうだ。
BGMはこの祭りではお馴染みの、毎年流している曲だ。
だが、そこに勢いを加える祭太鼓の音が無い。
踊っている皆は何も言わないが、物足りなさを感じているんだろう。
「ごめんな」
誰ともなしに俺は小さく呟いた。
俺自身、この「降神祭」には随分と思い入れがある。
それが原因で、織部とも派手な喧嘩もしたくらいだ。
準備から終わりまで、結構な手間だし、それこそ寝る間もない。
だが、それでも終われば「やって良かった」と思える。
笑顔で帰っていくお客さんを見ると、地元に残るこの祭を誇りにも思う。
「来年も頑張ろう」という元気も出てくる。
それだけに、この盆踊りが不完全な形になってしまったのが、悔しかった。
「打本さん、そろそろ神輿の準備に行きましょう」
曲が一巡し、再び繰り返しになるところで、織部がそう声を掛けてくる。
「おう。仕方ねぇ、せめて神輿で盛り上げっか!」
そう言いながら、立ちあがった時だった。
…ォォォォォオオン…
どこからか、そんな轟きが耳に届く。
気のせいかと思い、織部を見ると、奴も足を止め、空を見上げていた。
…ドォォォォォオオオオオオン…
また聞こえた!
織部が振り向いて言う。
「…打本さん…いまの、聞こえましたか?」
「おう…何の音だ、ありゃ」
「雷…でしょうか」
だが、空は暗いが雲一つ無い。
…ドドドドォオオオオオオオ―ン
今度ははっきり聞こえた!
あれは…太鼓の音か!?
ドドドドド…ドッドドドオオオオン!
初めは空耳に聞こえていた太鼓の音が、徐々にハッキリと聞こえてくる。
それこそ、盆踊りのBGMにも乗るくらいになり、踊っていたお客さんも気付いたように虚空を見上げた。
どん!どん!どどどーん!
太鼓の音は、どうやら盆踊りのBGMに合わせて叩かれているようだ。
音の出どころは分からないが、その打ち方は長年祭太鼓を聞いてきた俺でさえ、聴き惚れるくらいに軽妙かつ豪快だった。
「Fantastico…!」(※イタリア語で「素晴らしい」の意)
織部が胸に手を当て、空を見上げてそう呟く。
どん!どん!どどどどどど!どーん!
すると、止むことのない迫力の演奏につられた様に、止まっていた踊りの輪が動き始めた。
「何これ、どこで誰が打ってるの!?」
「スゴイ、スゴイ!聞いてて楽しい!」
「こんな祭太鼓、初めてだな…!」
「お母さん、あたしも踊りたい!」
輪が広がっていく。
周囲で見ているだけだったお客さんも、祭太鼓に誘われるように、踊りに加わり始めたからだ。
大人も子供も、若者も老人さえ。
そして、わらわらと妖怪達の姿も増え始めた。
「よう、大将!」
不意に上から声を掛けられ、俺は空を見上げた。
そこには法被姿にねじり鉢巻きの若い男が、宙に浮いている。
見ての通り、こいつは人間ではない。
俺の知り合いで「一反木綿」という妖怪だ。
名前は飛叢という。
顔は美男子だが、喧嘩っ早く、祭り好きな飛叢は『玄風』の常連でもある。
「今年の盆踊りは太鼓無しでシケてんな、と思ったら、鼓峡の奴に頼んでたのかよ!随分イキな演出じゃねぇか!気に入ったぜ!」
飛叢の言葉の意味が分からず、俺はただ立ち尽くした。
「鼓峡…って、誰だ…?」
そう問い返すと、飛叢は変な顔になった。
「誰…って、鼓峡だよ、鼓峡 達人。“虚空太鼓”の」
「“虚空太鼓”…?」
「そうよ。しっかし、よくあいつに会えたな。大したもんだ!」
ますます意味が分からねぇ。
そこに…
「間に…合い…ましたか…」
振り向くと。
十乃がそこに立っていた。
どこで何をしてきたのか、ワイシャツにスラックスはボロボロだった。
あちこちにすり傷まである。
おまけにフラフラの満身創痍だった。
「十乃さん!?一体どうしたんです!?」
「お、おいおい!大丈夫か!?」
織部と飛叢が、思わず駆け寄って肩を貸す。
「スミ…マセン…僕なら、大丈夫…です」
ひどい格好だが、意識はしっかりしている。
笑顔を浮かべる十乃に、俺はホッとした。
「十乃さんよ、一体何があった?この太鼓の音は、あんたが何かやったのか?」
そう尋ねると、十乃は笑いながら頷いた。
「“虚空太鼓”の鼓峡さんに会って…演奏を依頼しました…」
後から聞いた話だが、何でも“虚空太鼓”は、音の妖怪の一種で、周防灘という山口県の海に伝わる妖怪だそうだ。
毎年ある時期になると、海から太鼓の叩く音が聞こえる現象らしい。
が、誰がどこで叩いているのか、全く分からないという。
「彼には、以前から何回も会いに行ってたんですが…全然捕まらなくて…遅くなってスミマセン」
どうやら、姿も見せない相手を、延々と追い掛けて、海上をさまよい続けていたらしい。
「十乃さん、何でそこまで…」
俺は思わずそう問い掛けた。
確かに太鼓の演奏者を探すという約束はしてくれたが、そんな苦労まですることはない。
この兄ちゃんにとって、この祭はそう重要な意味があるとは思えない。
約束だってしたけれど、守らなくたっていいような約束だ。
だが、へとへとになりながら、十乃は言った。
「だって…また、あれが見られると思ったから…」
十乃の視線の先には。
踊りの輪の中で、笑顔になっているお客さん達がいた。
それこそ、人間と妖怪の区別なく。
踊りの輪は回り続けていく。
それは、あのイベントで織部と共に見た、思い出深い風景だった。
「十乃さん…」
織部が、十乃の背中を叩く。
十乃はそれに笑顔で応える。
「やれやれ…あんたにゃ、敵わねぇよ」
俺も呆れたような、感心したような表情を浮かべた。
本当に、まったく…
大した奴だよ、この兄ちゃんは…!
「しかし、その…鼓峡だっけか…そいつにも会って、きちんと礼を言わなきゃな」
俺がそう言うと、十乃は苦笑した。
「それは無理だと思います」
「何でだ…?」
「彼、人見知りなんです。それも極度の」
…
……
俺と織部は、顔を見合わせてから吹き出した。
途端に耐え切れず、二人で笑いだす。
こんな豪快な太鼓の叩き手が、極度の人見知りなんて、想像もできなかった。
「ところで、お二人さん。神輿が出るまで、まだ少し時間があるだろ?」
飛叢が、親指で背後を指差す。
「せっかくの機会だ。たまにゃ、踊ってみねえか?神輿の準備運動によ」
俺と織部は、頷き合った。
「いいでしょう。一度踊ってみたかったんですよ、盆踊り」
「はあ?踊ったことないのかよ、お前」
俺が呆れてそう言う。
「長くイタリアに居たのでね。実に興味深い」
「しゃあねぇな。じゃあ、俺がいっちょコツを…」
「いやいや、大将のはタコ踊りになるだろ」
「うるせぇぞ、飛叢」
「僕はもう少し、休みます」
「いいから、ホレ!巡も来いよ!」
「いや、あの、僕、体力がもう…あああああぁ~」
飛叢に引きずられていく十乃。
それを追い掛けながら、俺は空を見上げた。
虚空に響く勇ましい太鼓の音は、まだ鳴りやまない。
(ありがとうよ)
そう胸の内で呟き、俺は鉢巻きを締めなおす。
「おっしゃ!祭はまだまだこれからだ!!」
こちらでは久し振りの更新になってしまいました(汗)。
お付き合いいただき、ありがとうございました。