【編ノ十一(下)】ゆめのぬくもり ~暮露暮露団~
私…歌多根 由愛が一家で特別住民の居候、抜守 就(暮露暮露団)と奇妙な同居生活を始めてからひと月が経った。
就は相変わらずのほほんとしつつも、お母さんの家事を手伝ったり、近所の布団干しのバイトをしたりと、それなりに我が家に貢献する毎日を送っていた。
そんな就に、両親の評価はうなぎのぼりであり、あの気難しさの権化たるお父さんですら、就を可愛がるようになった。
そうしたある日のこと。
「長らくお世話になりました」
そう言う就に、私と両親は目をパチクリさせた。
時にして晩ご飯時。
家族で箸を進めようとした矢先のことだった。
「本日、晴れて妖力も安定し、依代の布団からも離れて活動が可能になりました」
就は深々と頭を下げると、かしこまった口調で続けた。
「これで僕も晴れて一人前の付喪神ッス。依代の布団からも離れて活動が可能になるッスよ」
ニッコリと笑う就に、お母さんが慌てたように言った。
「えっ?それってどういう意味?しゅー君、うちを出て行っちゃうの?」
「ゆくゆくはッスけどね」
就は申し訳なさそうに言った。
「とりあえず独り立ちが出来るように住処が見つかるまでは、置いてもらいたいッスけど、いつもまでもここにお世話になるってのも何ですし…」
「別に遠慮することはないと思うわ。ねぇ、お父さん?」
「そうだな」
いつもの気難しい顔をしつつ、お父さんは腕を組んで言った。
「君がいてくれると由愛もシャンとなるし、はっきり言って有り難いくらいだ」
「いつもダラけててすみませんね」
不貞腐れて横を向く私に、就は苦笑した。
「でも、このままずっと由愛ちゃんの部屋に厄介になるわけにもいかないですし、やっぱり倫理上マズいと思いますし…」
その言い方に、何故か私はカチンときた。
突然私の部屋で発生し、有無を言わさずに同棲してきたくせに、何を今更な感じだ。
その上で、今度は勝手にいなくなるというのだから…
私はモヤモヤを抱えたまま、行儀悪く頬杖をついた。
「いいんじゃない?無理に引き止めなくても。本人もこの家から出て行きたいって言ってるんだからさ」
「由愛ちゃん、そんな言い方しないの」
つい、口をついて出た辛辣な言葉。
それをたしなめるようにお母さんが注意してくる。
私は更にカチンときて、お母さんを睨んだ。
「あのね!そもそも私がコイツと同棲する羽目になったのは、お母さんのせいでもあるんだよ!?」
ビックリしたような顔になるお母さん。
「あら?お母さん、自分でも知らないうちに由愛ちゃんとしゅー君のキューピッド役してたの?」
「全ッ然!違う!」
私は真っ赤になって立ち上がった。
「元はと言えば、お母さんがあんなボロッちい布団を後生大事に使っていたから、こんなのが生まれてきたんでしょ!?」
指を突き付けられた就が、目をパチクリする。
なおも猛る私。
「物を大事にする大切さは分かるけど、ちょっとは娘のプライベートも大事にして欲しいのよね!」
「まあまあ。お母さんが大事にしてくれたお陰で、僕が在るわけだし、ね?」
とりなすような就の言葉に、私は何かがプツンと切れた。
「あんたが一番要らないのよ!」
「由愛!」
抑えが効かなかった。
ついに心無い一言を放ってしまった。
そして、これには無口なお父さんが反応した。
厳格で、意固地で、クソ真面目なお父さん。
いつも苦手だったその視線が、私を射竦める。
「もう勝手にしたら!?」
「由愛ちゃん!」
「放っておきなさい、母さん」
部屋を飛び出す時、背中越しに追い掛けてきたのは。
私を呼び止めるお母さんの声と。
どこまでも固いお父さんの声。
就の声は…無かった。
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夜の町を一人歩く。
「寒…おなか減った…」
着の身着のまま飛び出してきたせいで、やや薄着。
しかも、夕飯前だったから、おなかの虫がくうくう鳴りやまない。
くそぉ。
財布くらいは持ってくればよかった…
「…」
何となく夜空を見上げる。
空には満天の星。
この町…降神町では、不思議と星空がよく見える。
普通なら、夜の明かりに打ち消されて、ボヤけてしまうところなのだが。
「…はあ、何やってんだろ、私」
夜の冷気に触れて、カッカしていた頭が冷えてきたのだろう。
就に冷たく当たってしまった自分が、とんでもない馬鹿に思えてきた。
就は飄々としていながら、割と真面目で。
しかも、律儀。
お父さん達や近所の人達も、そんな就の人となりに魅かれていたんだろう。
じゃあ、私は…?
ある日突然、私の日常に滑り込んで来た就。
最初の内はそれこそ困惑しかなかった。
当然だ。
男性と言えば、父親くらいしか接点が無い私だ。
そんな私が、若い男と寝食を共にすることになったのである。
ある意味、人生においてかなりの重大事件だと言える。
自分の楽しみの核を成すぐうたらな生活が台無しとなり、いつもそばに就がいる生活となったのだから。
しかし、唐突に始まった共同生活だったが、一カ月も経つと不思議なくらいにあっさりと馴染んだ。
それはたぶん、就の性格によるところが大きい。
何というか…あいつは人を無防備にさせるのが抜群に上手いのだ。
それこそ、あいつと一緒にいると、いつも間にかふかふかの布団にくるまれているような感覚になるのである。
そう考えた時だった。
「…恥ず……何て、ベタな展開…」
私は急に気恥ずかしくなった。
何のことはない。
私は失いたくないんだ。
今のこの生活を。
だから、就が家を出て行くと宣言した時に、反抗してあんなことを…
「きっと、駄々っ子に見えたんだろうな…」
就は今の姿になる前から…それこそ赤ん坊の頃から私を知っているのだ。
おぼろげだが、小さい頃、就の布団でなければ寝られなかったことも覚えている。
お昼寝の時も。
ふて寝した時も。
失恋で泣いた時だって。
就は優しくそこにいてくれた。
そして、私を包んでくれた。
そんな彼に、私は「要らない奴」と言ってしまったのだ。
(謝ろ…じゃないと、私はずっと嫌な奴のままだ)
そう思って、駆け始めた時だ。
点滅し始めた歩行者信号を急いで渡っていた私の右から、強いライトが照射された。
「え?」
そこからはスローモーションだった。
飛び込んで来る信号無視のバイクとブレーキ音。
背中を押される感触。
地面に倒れる私。
背後で響く鈍い音。
「…いったー…」
全身に走る激痛に耐えながら、身を起こす私。
そこには、横倒しになったバイクと、見慣れたベージュのベストと傍らに落ちた眼鏡があった。
混濁する意識が、身体を走る痛みによって明確になるにつれて、私は事態を把握した。
「お父…さん…?」
倒れたお父さんは。
仰向けになったまま、ピクリとも動かなかった。
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「あまり思わしい状況ではありません」
年配の医師が眼鏡のブリッジを押し上げながら言った。
「外傷も酷い状態ですが、特に頭部を強く打っており、正直危険な状態です」
「そ、そんな…」
病院に駆け付けたお母さんが、絶望的な声を上げる。
「た、助からないんですか…?」
「全力を尽くしてみます。しかし…万が一を覚悟しておいてください」
そう言いながら、部屋を後にする医師。
後には私とお母さんのみが残された。
「あなた…」
声を震わせてベッドに横たわるお父さんを見やるお母さん。
頭に包帯を巻かれ、酸素吸入器を口元に当てられたお父さんは、目を固く閉ざしたままだ。
あの後。
家を飛び出した私を、お父さんは探しに出たという。
そこで町をさ迷う私を見つけ、そして、信号無視で飛び込んで来たバイクから私を守って…
「お父さん…」
いつも気難しい顔をして、事あるごとに私をたしなめていたお父さん。
頑固でくそ真面目だから、だらしない私はいつもお父さんを苦手にしていて、お父さんも私のことなんか「不出来な娘」ぐらいにしか見ていなかったと思っていた。
でも…
お父さんは、やっぱり私のお父さんだった。
小さい頃、怖いものや苦手なものに遭った時、お父さんは優しく私を抱きしめて、こう言ってくれたんだ。
『大丈夫。お父さんが由愛のことを絶対に守ってやる』
…って。
お父さん、あの言葉を忘れていなかったんだ…
だから、命懸けで私を守ってくれたんだ。
いつの間にか、涙が頬を伝っていた。
「お父さん…ごめんなさい…私のせいで、こんな…」
「由愛ちゃん…」
泣きじゃくる私を、お母さんが優しくだ抱き締めてくれた。
だが、嗚咽が何度も喉をついて溢れ出る。
後悔と悲しみで、胸がいっぱいになった。
その時、
「遅くなりましたー」
場違いな陽気な声を共に、家で留守番をしていたはずの就が病室のドアを開ける。
目を丸くする私達に、就は手ぬぐいを頬被りをしつつ、何かを担いで入室してきた。
まんま「昭和のドロボー」スタイルである。
「いやー、準備と侵入にしこたま時間が掛かっちゃって」
そう言いながら、ペロっと舌を出す就。
呆気に取られていた私は、ハッと我に返った。
「準備って…いや待て!侵入って何だ!?」
「まーまー。細かい事はいいからいいから」
そう言いながら、就が担いできた大きな風呂敷包みを解く。
すると、中から意外なものが出て来た。
「これって…」
「私の布団!?」
私とお母さんは目を丸くした。
そこにあったのは、私の部屋にあるはずの掛け布団だった。
就は、その布団を広げると、丁寧に撫でた。
「そう。まごうこと無き由愛ちゃんの布団ッス」
「こ、こんなものをどうして…?」
「まあ、見てるッスよ」
頬被りを解き、片目をつぶると、就はベッドに横たわるお父さんから掛け布団を引き剥がした。
「ちょっと!?」
「大丈夫。悪いけど、ちょっと選手交代するッス」
慌てて引き止めようとする私にそう言うと、就は病院の掛け布団を傍らに置き、代わりに持参した私の布団を掛けた。
「これで良し」
そう言うと、就は私達に振り向いた。
「由愛ちゃん、お母さん…これまでお世話になったッス」
「就…!?」
「しゅー君…?」
「今から、生まれて初めての【妖力】を使ってみるッスよ。その間、どうか二人は見守っていて欲しいッス」
私は振り返ろうとする就の肩をつかんだ。
「待ってよ、一体どういうこと!?何をするつもりなの!?」
その手に自分の手を重ねると、就は優しく微笑んだ。
「僕は由愛ちゃんが大好きッス」
途端にボンッ!と顔が蒸気するのを感じた。
「ななななな何を突然…!?」
「それとお母さんとお父さんも、同じくらい大好きッス」
…
……
………
「…そ、そう…」
「由愛ちゃん、そんなに歯を噛み締めたら割れちゃうわよ?」
「うっさい!で!?好きだから何…!?」
お母さんにそう噛みついてから、私は就を睨み上げた。
「だから…絶対に皆を助けてみせるッスよ」
「え?」
そう言って微笑むと、就は静かに両手をお父さんに掛けた布団に置いた。
「妖力【命治浮綿】」
瞬間。
お父さんに掛けられた布団が蛍のように淡く輝く。
同時に就の全身も淡く発光し始めた。
「就…」
呆然と呟く私に、就はいつものようにふんわりと笑った。
「この妖力を使うのは初めてッスけど、こうしていれば、お父さんの傷の治りが早くなるはずッス」
「本当!?」
驚く私に就は頷いた。
「元々、睡眠は生き物に回復を促すもの。そして、布団と睡眠は深い関係にあるものなんだよ」
そう言いながら、今度はお父さんを見やる就。
「僕の妖力は、僕の本体であるこの布団を媒介して、睡眠状態にし、同時に対象の回復力を向上させることが出来るんだ」
「それじゃあ…」
就は笑顔で振り向いた。
「きっと僕が治して見せるよ!」
私とお母さんはホッと息を吐いた。
その様子を、就はどこまでも優しい眼差しで見詰めていた。
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チュン、チュン…
スズメのさえずりと、窓から差し込む朝日に顔を照らされて、私は目を覚ました。
あれから数時間後。
就はお父さんに妖力を使い続けた。
その甲斐もあったのか、深夜を回る頃には眠っているお父さんの顔がどんどん和らいでいた。
それを見届けると、ホッとした私とお母さんは、就の勧めもあったので、少し仮眠をとることにしたんだ。
でも、安心した反動か、二人共ぐっすりと寝入ってしまったらしい。
目映い朝日に目を射られ、私はごしごしと目元をこする。
身を起こすと、窓辺に佇む就と目が合った。
就はいつもと変わらずににっこりと笑った。
「おはよう」
「お、おはよ…」
何だか気恥ずかしくなって、私は小声でそう返した。
そして、ハッとなってお父さんを見やる。
お父さんは安らかな寝息を立てていた。
「もう大丈夫だよ。きっと怪我もすぐに治るよ」
そう言う就に、私は思わず笑顔を浮かべかけ、そのまま俯いた。
「…ごめんなさい」
「?」
首を傾げる就に、私は立ち上がるとペコリと頭を下げた。
「ホラ、昨日の晩…あんたに酷いこと言っちゃったでしょ…?」
私は就の顔をまともに見ることができす、そのまま続けた。
「でも、あんたはこうしてお父さんを助けてくれたよね。だから…」
意を決して、顔を上げて就と向き合う。
「あんたは要らなくない。我が家に必要な人だと思う…それこそ好きなだけ家にいてもいいんじゃない!?」
精一杯の想いを。
そう就に伝えた。
それに、就はキョトンとしていたが、ふと微笑んだ。
「…ありがとう、由愛ちゃん」
そう言うと、就は私に近付き、そっと頭を撫でた。
すると、ほのかに日なたの布団のにおいがした。
「君に出会えて本当に…よかった…」
ふと、就の手の重みが無くなった。
思わず見上げた私の視線の先で、就の姿が徐々に透き通っていく。
驚きに目を見開いた私に、就は苦笑した。
「ありゃ、時間が来ちゃったか」
「就…!?」
「どうやら…妖力を…使い過ぎちゃったみたい…はは…これじゃあ、まだまだ半人前…だね…」
そ、そんな…!
「何よ…どういうこと…!?」
思わず声を上げる私に、就は困ったような、慰めるような顔で言った。
「僕達特別住民はね、妖力で存在しているんだ。だから、それを使い過ぎるとホラ、この通り」
「バカ!」
私は、思わず消えつつある就の胸板をド突いた。
だが、そこには何の感触も無かった。
「あはは…ごめんね。ちょっと…妖力を…使い過ぎちゃった…」
「アホ!ドジ!マヌケ!一体何やってのよ!」
私は構わず就を殴り続けた。
だが。
拳は空を切るばかりだった。
「お父さんが助かっても、あんたが消えちゃったら意味ないじゃない…!」
「そう…だね…でも…」
就はまた微笑んだ。
ふわり、と再び日なたのにおいがした。
その姿が、徐々に朝日に溶けていく。
「皆を助けられて、本当に…良かった…」
「就!」
「また、ね…由愛ちゃん…」
最後にそう言うと。
就は完全に消失した。
後に残された私は、ただ一人泣いた。
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それから。
お父さんは医者も首を捻るほどの回復を見せ、三日後には無事に退院した。
それから、事故の後処理とか色々とあったけど、我が家族にはいつも通りの日常が帰ってきた。
ただ一つ。
就の姿はきれいさっぱり無くなった。
それだけで、家の中がどこか物足りなくなった。
ぴぴぴっ!ぴぴぴっ!ぴ…
毎朝の心地よいまどろみを切り裂くアラームを、きっかり二回目で停止させる。
「んっ、んーーーーー~……」
大きく伸びをしてから、私は窓のカーテンを開けた。
目に飛び込んで来る朝日。
今日もいい天気だ。
柄にもない時間に起床した私。
実は、就が消えてからの日課になっている。
いままでの怠惰な朝には別れを告げた。
何かを思ってではない。
ただ何となく、目覚めの時にあいつが傍らで笑っていそうな気がして。
それで自然と目が覚めるようになったのだ。
その気持ちの正体は、今はまだ気付いていないことにする。
だって、何か悔しいし。
あいつが言った最後の言葉に、すがっているのを自覚するのは、やっぱり気恥ずかしい。
「っし!今日もいい目覚めね」
鏡に向かってそう呼び掛ける。
寝癖はあるが、目元はしゃっきりしている。
ふむ、今日もなかなかにいけそうだ。
その時、
「おはよーさん」
のんびりとした声が響く。
一瞬、目を見開いた私は、慌てて振り向いた。
そこに、彼がいた。
「あ、ああああっ!」
「ようやく一人で起きられるようになったようだね」
驚いて口をパクパクさせる私に、就はにこやかに告げた。
私は呆然となったまま尋ねた。
「ど、どうして…?」
「え?」
「あんた、妖力ってのを使い過ぎて、消えたんじゃなかったの…!?」
それに、就は合点が言ったように手を鳴らした。
「ああ、そう言えば言ってなかったっけ。あの時消えた僕は『掛け布団』の分の妖力を使ったからだよ」
「は?掛け布団の方だけ…?」
「そう。僕は布団の妖怪で、掛け布団と敷き布団でワンセットになってるんだよ。だから、あの時僕が消えたのは、全体の半分くらいの妖力で病院にお邪魔したからなんだ」
「………」
立ち尽くす私に、就はどこかいたずらっぽく笑った。
「だから言ったっしょ?『また、ね』ってwww」
「この…!」
私は朝一番の怒声を張り上げた。
「ボロ布団野郎ーーーーーーッ!!!!」
「うへっ、僕は“暮露暮露団”だよっ!?」
「うるさい!あんたなんか…あんたなんか…」
さわやかな青空に、私の声が響き渡る。
「一生こき使ってやるんだからーーーッ!!」