【編ノ十】あやかし水上大合戦(三) ~七本鮫~
「水球」…知らない者も多いと思うが、この球技は、一言で言えば「水の中で行われるハンドボール」に近い。
チームは互いに7名の選手で構成され、プールに作られたコート内で、相手ゴールにボールを入れあい点数を競う球技だ。
選手の体のほとんどが水中にあるため、掴む、蹴るといったラフプレーが分かりにくく「水中の格闘技」とも呼ばれている。
そんな未知数の戦場に、私…ディートリントをはじめとした「SEPTENTORION」は挑もうとしていた。
「では、大まかな陣形を説明する」
壁に貼られた戦地図=プールの図面を指し棒でピシリと叩きながら、副司令官であるアルベルタが一同を見回した。
「兵力は互いに七名。うち一名はゴールキーパーだ。文字通り最後の防壁となる。これはバルバラに担当してもらう」
「えー!最前線じゃないのかよ、あたし!?」
途端に文句を言う突撃隊長。
どうやら、先陣をきるつもり満々だったようだ。
「すまんが、適材適所というやつだ。水球は、試合全体の流れとしてパワーよりもスピードが重視される場合が多い。それに、お前ならゴール守備に適した体格をしているしな」
「要はデカ女って言いたいんだろ!?くそ!」
不満げなバルバラを尻目に、アルベルタは私とカサンドラを見た。
「両翼前衛は私とカサンドラ、中央はディート、お前だ」
「あたしは構わないけど…確か、フローターって、攻撃の要でしょ?副司令官じゃなくて、ディートでいいの?」
カサンドラが、そうアルベルタに問う。
すると、アルベルタは頷き、
「ディートは、バルバラのような『パワー』や、お前の『スピード』というような突出した能力は無いが、何でもそつなくこなす『器用さ』がある。フローターは攻撃のほか、守備にも回ることが多いから、うってつけだろう。できるな、ディート?」
問い掛けてくるアルベルタに、私は頷いた。
「いいだろう。連中を我が冥府の力により、魔海の藻屑にしてくれる」
「…すごく心配になってきたわ、あたし」
含み笑いをする私を見て、そう嘆息するカサンドラ。
「両翼後衛は、緑彦君とゲルトラウデが担当だ。防御が主な役目となるが、無理な接触プレイは避けろ。特に緑彦君は人間だ。くれぐれも、無茶をしてケガをしないように」
「は、はい…!」
「(・・)ゞ」
緊張気味に頷く緑彦と、いつもの無表情のまま敬礼するゲルトラウデ。
どちらも小兵勢なので、もはや守備はザルに近い。
前線を抜けられたら、バルバラのパワーと巨体が、文字通り最後の砦となるだろう。
「フリーデリーケは後衛だ。ここも無理な守備は避けろ。だが、他の子ども二人に代わって、可能な限り身体を張れ」
「ふ、ふええ…が、頑張ります…」
半泣きになるフリーデリーケ。
まあ、彼女も肉体派ではないし、こうした荒事には慣れていないから無理もない。
しかし、そうなると、ますます守備はザルとなる。
「いいか」
アルベルタは、声を落として続けた。
「この勝負は、いかに我々が多く点を取れるかにかかっている。そのためには、前衛三名による速攻が肝となる」
「まあ、私やゲルちゃん達では、ただ浮いてるだけになりそうですしね」
心細そうなフリーデリーケに、バルバラがドンと胸を叩く。
「なあに、このあたしがいるから大丈夫さ。一点たりともくれてやるもんか」
「頼もしいねぇ」
不意にそんな声が聞こえる。
見れば、不敵な笑みを浮かべた明次郎が腕組みしながら立っていた。
「けど、俺達“七本鮫”相手に、そう上手くいくと思うか?」
「緑彦、約束忘れんなよな?」
その横に立つ少年が、追従するように挑発的に言う。
それを見た緑彦が、睨むように呟いた。
「与志樹…!ああ、分かってらぁ!」
約束…「勝った方が負けた方の言う事をきく」
それが今回の水球勝負に課せられた条件だ。
私が、さる錬金術師から買い上げた、古代強制術式つきの強力な誓約書。
それには、そこに記された内容を実行させる強力な呪力が宿っている。
その内容は「私達『SEPTENTORION』がエロメイド姿で鮫島兄妹に奉仕する」というもの。
あの時はノリで書いてしまったが…今になって見れば、我ながらアホな内容を書き込んだものである。
「ぐふふふふふ…良いではないか、良いではないか!見れば、全員見目麗しい娘どもだのう!女子供相手のつまらん勝負と思ったが、こういう展開なら大歓迎じゃ!」
「仁兵衛兄さん、顔が下品だよ。済まないね、お嬢さんたち。この償いは、僕が時間を割いて、順番にお相手するということでひとつ…」
ゲシッ!!
ドスッ!!
狒々ジジイみたいに鼻息を荒くする長兄…仁兵衛と、気障に髪を掻き上げ、ナルシスト全開なPRをしてくる次兄…芳士の後頭部に、長女…葵のチョップと次女…神楽の踵落としが突き刺さる。
脳天から煙を立ち昇らせつつ昏倒する兄達を、妹達は氷点下の視線で見下ろした。
「他所で恥かかせんじゃないよ、クソエロ兄貴が!」
「女癖の悪さも大概にしなさいませ、芳士兄様」
その後ろから、三女…祢子がにこやかに、
「あは~☆うちのバカ兄貴共が失礼しました~。あとで、しっかりヤキ入れときますんで~」
ズリズリと引きずられていく兄達を横目に、明次郎が気を取り直したように一息ついた。
「…まあ、兄貴達はともかく…俺はあんたらの、屈辱にまみれた姿を楽しみにしてるぜ。俺達をコケにした代償がどれだけ高くつくか…それを思い知らせてやる」
そう言いながら、私に指を突きつける明次郎。
「おい、アンタ…ディートリントとか言ったな。アンタ、この前『どんな勝負になるにしろ、水の中は水棲妖怪の独壇場だ』とか言ってたよな?」
「ああ」
頷く私に、明次郎は再び不敵な笑みを浮かべた。
「アンタの言葉通り、アンタ達が俺達を相手にそのまま勝負するのは確かに分が悪過ぎる。公平じゃねぇ。そこで、ハンデを付けてやるぜ」
「何?」
訝しげになる私達に、明次郎はニヤリと笑った。
「アンタ達は自由に妖力を使いな。そして…」
凶暴な牙を剥き出しにする明次郎。
「アンタ達が1点でもスコアを決めたら、それでアンタ達の勝ちだ…どうだ?」
その言葉に、全員が息を飲む。
「あ、あんた、人をバカにしてんの!?あたし達は…」
「よかろう。その条件、飲もう」
さすがに憤慨して声を荒げるカサンドラを遮り、アルベルタがそう言った。
「ちょっと、アルベルタ!?」
「構わん。この勝負、僅か一点奪取で決着がつくなら、それに越したことは無い」
驚くカサンドラに、眼鏡のブリッジを押し上げながらアルベルタが言う。
「決まりだな。じゃあ、せいぜい楽しませてくれよ」
背を向ける明次郎と与志樹少年。
その背を見送るアルベルタ。
「…ちょっと、ナメさせすぎじゃないの?」
唇を尖らせるカサンドラに、アルベルタが静かに呟く。
「いや…あれは違う」
その視線は、いつになく厳しいものだった。
「本当に自信があるのだ。『私達になど1点もやらない』という自信がな」
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「では、試合開始です!」
審判役の十乃がホイッスルを吹く。
この日のために水球のルールを覚え込んできたらしく、なかなか様になっている。
彼がボールをセンターに投げ込み、着水すると同時に、
「もらったっ!」
一気に飛び出してきた明次郎が、ボールをあっという間にキープした。
は、速い…!!
その泳ぎは、まさに滑るようなスピードだった。
さすがは“七本鮫”
「神の使い」ともされる水棲妖怪である。
攻撃の権利を奪われた私達は、申し合わせた陣形を取った。
俯瞰するとこんな感じだ。
仁兵衛(GK)
○
神楽(右後衛) 葵(FB) 祢子(左後衛)
○ ○ ○
与志樹(右前衛) 明次郎(FL) 芳士(左前衛)
○ ○ ○
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○ ○ ○
アルベルタ(左前衛) ディートリント(FL) カサンドラ(右前衛)
○ ○ ○
緑彦(左後衛) フリーデリーケ(FB) ゲルトラウデ(右後衛)
○
バルバラ(GK)
「よし、各個マークだ…む!?」
指令を出そうとしたアルベルタが目を見開く。
通常、水球はサッカー同様、前衛が敵陣へ上がると共に、後衛もそれに続く。
が、この時、鮫島兄妹は前衛の明次郎、与志樹少年、芳士の三人のみがオーバーラップしてきた。
後衛の姉妹達は、プカプカ浮きながらおしゃべりに興じている。
つまり、7対3.
…本気でナメられたものだ。
確かに、私達は水球に挑むのは初めてである。
だが、あの乙輪姫(天逆毎)すら翻弄した鉄の連携がある。
いくら水中だからといって、やすやすと好き勝手にはさせな…
「遅い!」
突っ込んできた明次郎をブロックしようとした私を、彼はするりとくぐり抜けた。
まさに、鮫のようなスピードで。
バカな…
いくら何でも、早すぎる…!
アルベルタが咄嗟に叫ぶ。
「フリーデ!行ったぞ!」
「ひう、ひええ…!?」
慌ててブロックに動くフリーデリーケだったが、そのスピード差は、まさにウサギとカメだった。
全く相手にならず、ゴール前まで一挙に攻め込まれてしまう。
「まずは1点!」
素早くシュートを放つ明次郎。
しかし、その軌道にバルバラが手を伸ばす。
「させるかい!」
間一髪、拳でシュートを弾くバルバラ。
舌打ちする明次郎に、バルバラがニカッと笑う。
「言ったろ?1点もやらないってな」
バルバラに弾かれて、ボールが場外に飛び出ていく。
それを見ながら、明次郎は鼻を鳴らした。
「しょうがねぇ。先取点はお前にくれてやるぜ、与志樹」
その言葉にバルバラが眉根を寄せた瞬間、
バシャッ!!
「OK!悪いね、明次郎兄ちゃん…!」
「何!?」
いつの間に忍び寄っていたのだろうか。
水中から勢いよくとび跳ねた与志樹少年が、空中でボールを捕捉する。
そして、そのまま空中からシュートを放った。
さすがに今度は反応しきれず、バルバラも得点を許してしまった。
「くそ!そんな芸当まで出来るのか…!」
「こんなのはまだまだ序の口さ、デカイ姉ちゃん!」
口惜しげなバルバラに、ピースサインをする与志樹少年。
そして、緑彦を見て、不敵に笑う。
「どうよ?お前には、こんな芸当出来ないだろう?」
「うるせぇ!」
そっぽを剥く緑彦。
無論、人間である彼に、あんな人外なアクロバティックムーブは不可能だ。
「熱くなるな。この勝負は我々が1点とればそれでエンドだ。いくら点を取られようが関係ない」
「は、はい…」
アルベルタの言葉に、渋々頷く緑彦。
「よし、次はこちらからの攻撃だし、切り替えていくぞ」
全員が頷く。
アルベルタの言うように、この勝負は1点さえ入れれば、それで私達の勝ちが確定する。
その為には、私とアルベルタ、カサンドラの三人の働き次第なのだ。
「いくぞ、分かっているな?二人共」
「了解」
「あたし達をナメたツケ、きっかり払わせてやるわ!」
まず、FLの私が、ドリブルでボールを運ぶ。
それに正対する明次郎がガードに入るが、
「カサンドラ!」
いち早くボールを回す私。
「オーライ!」
右前衛として素晴らしい速度で切り込んでいたカサンドラが、それを鮮やかにキャッチ。
が、そこには芳士が、既にマークについている。
「カサンドラちゃんっていうのか。君のような美しい女性のマークにつけるなんて光栄だよ。どうだい、この運命の出会いを祝して、今度、二人きりで食事なんて…」
「悪いけど、頭が湧いてるキザ男なんて御免こうむるわ…!」
そう言いながら、華麗なフェイントとさらに早い速度で敵陣へ切り込むカサンドラ。
陸上でもそうだが、身の軽いカサンドラは本当にすばしこい。
水中でもあれだけの速さを誇るのは、恐らくそれ以外に、水の抵抗を受けないくらいの凹凸の少ないボディラインのなせる業か。
「あんた!いま何考えてた!?」
泳ぎながら牙を剥き出しにして怒鳴るカサンドラ。
…本当に、いらんところで勘がいい奴である。
「あらら~、あたしんとこ来ちゃったよ…」
ぷかぷか浮かんでいた祢子がそうぼやく。
そして、近付いて来るカサンドラをじっと見つめ、
「神楽お姉ちゃん、多分右だよ」
おもむろにボソリとそう呟く。
その言葉に、前衛三人は内心ギクリとなった。
どうやって見破ったのかは知らないが、祢子が指摘した通り、私達の作戦は私を基点にパスを回し、カサンドラがスピードでかく乱。
最後に、本命のアルベルタが持ち前の狙撃眼で長距離からゴールを狙うというものだった。
「チッ!」
意図を勘づかれたカサンドラの判断は早かった。
逆サイドのアルベルタに向けて、レーザービームのようなパスを送る。
それを受け止めつつ、アルベルタの鷹の眼が、ゴールの死角を捕える。
「そこだ…!」
本当にまともに狙いを定めているのか…そんなごくわずかなロックオンスピードで、アルベルタがシュートを放つ。
それはまさに絶妙なコースをなぞり、ゴールに突き刺さる…はずだった。
「お戯れを」
ボールの直上に立ち塞がった神楽が、水面をなぞる。
すると、薄い水の壁がカーテンのように吹き上がり、ボールを遮った。
見る間に勢いを失ったボールは、あっさりと神楽の手に渡る。
「この程度で、我らを下そうなどとは笑止です」
「そう急くな。オチはまだだろう」
「え?」
声に振り向いた瞬間、私は神楽の手にあったボールをひょいと抜き取る。
「な…」
驚く神楽を尻目に、私は再度敵陣へと切り込む。
「ボールは頂いたよ、明智くん。では、バッハハ~イ」
「ま、待ちなさい!このボール泥棒…!」
神楽が追いすがろうとするが、もう遅い。
そう、カサンドラのパスがアルベルタに繋がった瞬間、私は密かにゴール間近まで移動していた。
別に打ち合わせていた訳ではない。
ただ、祢子に作戦がバレた瞬間、自然と身体が動いていたのだ。
「ディート!?あいつ、いつの間に…」
「でかした!どうでもいいから、そのまま行っけぇ!」
アルベルタとカサンドラの声を背に、ゴール正面に着くや否や、私はシュートの体制に移る。
「葵、退いとれ。邪魔はするなよ」
「はいはい」
本来私を阻止する役目を担うFBの葵が、どういう訳があっさりと退いた。
代わりに、巨漢の仁兵衛がゴールを塞ぐ。
「さあ、どこからでも来い!」
「では、お言葉に甘えよう」
私はシュートすると見せかけて、ボールを抱え込むと、仁兵衛の眼から一瞬ボールを隠した。
「ぬ?」
仁兵衛が動きを止めたその瞬間、
「そこ!」
私は身を捻り、高速の裏拳打ちを放つように、背面越しにシュートを放つ。
一見、曲芸じみているが、これも実際に水球で見られるプレーである。
実に私好みのトリッキーなシュートだ。
これで、ゴールはもらったも同然だ。
しかし…
「ぬうん!」
仁兵衛の大木のような剛腕が、あっさりとボールを掴んだ。
な、何と、片手で!?
どういう握力だ、こいつ…!
「葵、任せた。俺のバカ力だと、場外になってしまうからな」
そう言うと、仁兵衛は葵にボールをパスする。
「了解。じゃあ、直行便行くよ…!」
ボールを受け取った葵の眼が鋭く光る。
「明次郎!」
しなやかで長い葵の手が、鞭のようにしなると、アルベルタにも負けない長距離砲が放たれた。
その先には、いつの間にかオーバーラップした明次郎がいる。
アルベルタが声を上げた。
「いかん!戻れ、二人共!」
「もう遅いぜ!」
飛んできたボールを受け止めつつ、明次郎の上半身が水面から飛び出るほど伸びあがった。
そして、打ち降ろすようなシュートがゴールの左隅に突き刺さった。
今度はバルバラも反応すらできない。
「見たか」
明次郎が牙を剥いて笑う。
「これが“七本鮫”だ…!」