【編ノ十】あやかし水上大合戦(一) ~七本鮫~
“私の名はディートリント。
かのドイツ第三帝国が誇る最強の兵士だ。
決して、某「呪われた島」の女ハイエルフではない。
くれぐれも間違えないように。
故あって、私は現在「SEPTENTRION」という隊に身を置いている。
この隊は、女性だけながら、なかなかの精鋭ぞろいだ。
狙撃の名手であり、副官として辣腕を振るうアルベルタ。
腕力と突撃力に秀でた突撃隊長バルバラ。
口うるさい小姑のような軽歩兵カサンドラ。
数少ない理解者であり「神の癒し手」(勝手に命名)である衛生兵フリーデリーケ。
隊のマスコットで、最強の砲撃手ゲルトラウデ。
そして、私達をまとめ上げる「鋼鉄の司令官」エルフリーデ司令官。
この6人の精鋭が、現在の私の仲間だ。
だが、私には彼女達すら知らない秘密がある。
それは、この私が冥界の魔王の血を引き、呪われた運命に囚われた、暗黒の魔法戦士であること。
異世界「ゼーレンティア」に生まれ、暗黒の女神ラティスにより次元召喚でこの世界に転生した、闇の救世主…それが私だ。
その証拠に、愛用の軍刀「Fáfnir」は、ゼーレンティアで名高き“悪竜王”と呼ばれる龍の牙から削り出された、呪われた闇の魔剣である。
この魔剣は手にした者と歯向かう者に死をもたらす「冥界からの使者」とも呼ばれ、時間経過と共に使用者の意識を闇へ飲み込んでいく。
これに辛うじて抗することが出来るのは、同じ冥界の血を引き、選ばれた究極の戦士である私しかいない。
以前、カサンドラが不用意に使用しようとし、咄嗟に跳び蹴りで阻止したことがある。
無知な彼女は激怒していたが、辛うじて味方から犠牲者を出さずに済んだ。
まったく、世話が焼ける”
「へぇ~、スゲェなディート姉…!」
暑い夏の昼下がり。
本来、私達“七人ミサキ”などの死霊の類は、闇夜を活動範囲とする。
が、強固な霊的システム“Sieben geists”によって、我々「SEPTENTRION」は昼夜問わず活動が可能だ。
今はその恩恵もあり、私の外見は普通の人間とさして変わらない。
強い日差しから守るように、木々が繁茂する神社の境内で、そんな私を一人の少年が目をキラキラさせながら見詰めている。
それに薄く笑って見せた。
「凄くはない。ただ、私はこの宿命を背負い、永遠の闇の道を戦い、進んでいかねばならない…そう、いつか、この魂が“勇者の館”へ招かれるまでは」
そして、遠い目で真夏の日差しが降り注ぐ境内を見やる。
立ち上る陽炎が、まるで亡者達の怨嗟の合唱のように私を招く。
私は目を細めて続けた。
「…その日は、果てない旅の、そのまた果てになるだろうがな」
「カッコいい…!!」
英雄を見るような眼差しを、私に向ける少年。
彼の名は雨禅寺 緑彦。
私の数少ない友人だ。
緑彦はここ降神町の小学校に通う、小学三年生の男児である。
彼とは、少し前に近所の駄菓子屋で偶然知り合った。
ガチャガチャで被っていたフィギアを交換しっこし、交流が芽生えたのだ。
些細な切っ掛けでの出会いではあったが、お互いに意気投合し、こうして我々が本拠地と定めた「黒き龍の牙亭(別名:降神神社の境内)」で、発泡水を片手に、互いの近況を語り合い、次の(駄菓子屋)遠征について情報を分け合っていた。
「やっぱり、ディート姉はスゲェや!初めて会った時から『只者じゃない』って思ってたんだ!」
ちなみに。
彼との出会いの際、私は陣地内偵察(=散歩)という特別任務中であり、特殊部隊のゴーグルにガスマスクで装備を固めていた。
それで匍匐前進のまま、馴染みの駄菓子屋で食料を調達しようとしたのだが、初顔の小学生達には刺激が強かったのか、緑彦を除いて皆怯えて立ち去ってしまった。
仕方がない。
この呪われた身から立ち上る闇のオーラは、特殊兵装でもカバーはしきれようだ。
「止せ。所詮、いまの私はただの兵士だ」
手にした干し肉を一口齧る。
「あの時も、特殊任務中だった故、この身を覆う冥府のオーラが抑えきれなかったのだろう…脅かしてしまった君の友達には悪いことをした」
それに緑彦は首を横に振った。
「別に気にする必要はねぇよ。あいつら、友達じゃないし、いつもつるんで偉ぶってたし、いい気味さ」
「そうか」
「へへ…俺も鼻が高いぜ。こんなものスゲェ人と友達なんてよ」
嬉しそうに笑う緑彦。
「今度、兄ちゃんにも紹介してやろうかな」
「ほう。兄がいるのか」
「うん。降神高校に通ってるんだ。確か『ゴータイショー』っていう超強いヒーローにハマってるんだけど」
それに、私は僅かに笑った。
「ゴータイショー…ふむ、思い出したぞ。あいつか」
「えっ?知ってるの…!?」
目を丸くする緑彦。
私は頷いた。
「奴とは一度、拳と刃を交え、語り合ったことがある…なかなか手強い奴だった」
緑彦は身震いしてから、目を剥いた。
「マ、マジかよ!?蒼馬兄ちゃんが言ってたぜ!『ゴータイショーは未だ負け知らずの無敵のヒーローだ』って…!!」
「ああ。確かに奴は強かった。私達も何度も追い詰められたさ。しかし、私とこの『ファフニル』がいたお陰で、何とか隊は持ちこたえた」
嘘ではない。
少し前にゴータイショーと名乗る謎の鎧の戦士と交戦したのは事実だ。
そして、隊を上げての総力戦は久しぶりだった。
私の騒霊を応用した剣舞も、バルバラの鉄拳も、カサンドラの曲刀も、ゲルトラウデの支援砲撃さえ、奴にとっては決定打にはならなかった。
結局、お互いに痛み分けになってしまったが、近いうちに再び戦うことになるだろう。
エルフリーデ司令官も、再戦に燃えていたし。
「やっぱりスゲェ…!」
興奮冷めやらぬ緑彦。
そこに…
「おい、ウゼー人」
不意に。
神社の入り口からそう声が掛けられる。
見ると、5、6人の小学生男子が、こちらを見ている。
どれも、緑彦と同い年ぐらいの子供たちだった。
彼らの姿を認めた瞬間、緑彦の顔が歪んだ。
「…俺は雨禅寺だ。ウゼー人じゃねぇ」
不機嫌な顔でそう言いながら、緑彦は彼らと対峙した。
それに、ニヤニヤ笑いながら、少年達の中でボス格らしい日焼けした子が、おどけた口調で、
「『俺は雨禅寺だ。ウゼー人じゃねぇ』…だってさ。お前なんか『ウゼー人』で十分なんだよ、ウゼーし」
緑彦の口調を真似るボス少年に、周囲の少年たちもゲラゲラ笑い出す。
唇を噛む緑彦。
思い出した。
確か、この少年達は、緑彦と駄菓子屋で初めて会った時に、私を見て逃げ出した連中だ。
あの時は、ガスマスクにゴーグルをつけていたから、私が同一人物だとは思っていないようだ。
「俺に何か用かよ」
硬い声でそう尋ねる緑彦。
ふむ、どうやら彼らに良い感情を持っていないようだな。
それに、ボス少年が薄く笑う。
「おめー、最近生意気なんだよ。この前も、水泳の時に女子の前でいいカッコしようとして出しゃばってたろ?」
「仕方ないだろ。俺はスイミングスクールに通ってるから、それを知ってて先生が手本を見せろって言ってきたんだからよ」
それに、ボス少年は鼻を鳴らした。
「それで、クラス対抗リレーの選手にも選抜されましたってか?いいご身分で羨ましいね」
緑彦は溜息を吐いた。
「あのな、鮫島。“七本鮫”だかなんだか知らねぇけど、特別住民のくせに泳ぎで人間に負けたのが、そんなに悔しいのか?」
「う、うるせー!!」
鮫島と呼ばれた少年が、顔を真っ赤にして怒り出す。
“七本鮫”…聞いたことがない妖怪だ。
鮫という名前から、それに関わる妖怪なのだろう。
察するに、それが人間である緑彦に水泳で負けたということか。
「…ぷ」
「そっちも吹き出すなっ!」
鮫島少年が私に指を突き付ける。
私は表情を崩さず、抑えた口元をそのままに、言った。
「いや失敬。っくく…別にンンン…君を愚弄ぅふふ…するつもりはなひゃひゃ…い」
「思い切りバカにしてるだろ!無表情で笑いを堪えやがって!」
激昂する鮫島少年。
む。
ポーカーフェイスには定評があるはずなのだが。
「くそっ!あの時、腹の具合が悪くなかったら、お前なんかに!」
「ああ、それで水中騎馬戦でも青い顔してたのか」
合点がいったように頷く緑彦。
「プールが腐海にならなくて良かったな。そしたら、伝説になってたぞ、お前」
「やかましい!!余計なお世話だ!!」
吠える鮫島少年の背後で、他の少年達がクスクス笑い始める。
それを眼力で黙らせると、鮫島少年は緑彦に近付いてきた。
「ちょっと泳ぎが得意だからって、調子に乗んなよ?俺が本気でやりゃあ、お前なんてぶっちぎりなんだかんな!」
「あっそ。俺は別にどっちが上かなんて関係ないし、興味がねぇ」
すると、鮫島少年がニンマリ笑った。
「へっ!要はまともにやったら勝てないって認めるわけか」
その台詞に、緑彦の眉がピクンと上がる。
「…はあ?誰がそんなこと言ったよ?」
「なら、勝負するか?」
鮫島少年が、ビシッと指を着きつけてくる。
「お前が上か、俺が上か…勝負しようじゃねぇか?」
「ああ、いいぜ…!」
相手の挑発に、後先考えず乗ってしまう緑彦。
やれやれ…この辺りはまだまだ子供だな。
仕方ない、少し大人げないが、助け船を出してやろう。
「あー、待て。亀島くんとやら」
「鮫島!わざとか!?」
年齢の割にいいツッコミだ。
何となくカサンドラに通じるものがある。
「…失礼、鮫島くんとやら。それはいささかフェアではないな」
口を挟んできた私に、鮫島少年が剣呑な視線を向けてくる。
「そう言えばさ、アンタ誰?緑彦の何なのさ?」
「彼と私は、魂を通じ合わせた、いわば『戦友同士』といったところだ」
胡散臭そうに私を見上げる鮫島少年。
ふと、鼻をひくつかせ、
「ふぅん…アンタ、人間じゃないな」
と、聞いてくる。
さすがは鮫の特別住民、随分と鼻が利くようだ。
「ご明察だ。私はディートリント。冥府の魔王の血を引く、暗黒の魔法戦士。“闇の救世主”と呼んでもらっても構わない」
呆気にとられた表情になる少年達をよそに、私は続けた。
「さて、鮫島くんとやら。どうやら体調不良のせいで緑彦に泳ぎで負けたようだが、特別住民である以上、万全の君には、間違いなく人間である緑彦はかなわないだろう」
「当然だな」
胸を張る鮫島少年。
一方の緑彦は、納得いかない目で私を見て言った。
「ディート姉、俺は…!」
それに片目をつぶって見せる私。
「いいから任せておけ」という合図だ。
「そこでだ…公平を期する意味で、ただ速さを競う勝負ではなく、もう少し外連味の利いた勝負方法で勝敗を決めるというのはどうかな?」
まともな水泳勝負では、緑彦に勝ちの目は無い。
が、それを言ったところで、緑彦は引かないだろう。
なら、少しでも勝率の高い勝負方法に持ち込むだけだ。
「どんな勝負になるにしろ、水の中は水棲妖怪の独壇場だ。断るという選択肢はないだろう?それとも…」
私は不敵に笑った。
「怖くて逃げるか?“七本鮫”」
「面白い」
不意に。
第三の声が境内に響く。
全員が声の方を見ると、一人の目つきの鋭い少年が腕組みしながら仁王立ちになっていた。
年の頃は高校生くらいか。
随分と威圧感のある若者だ。
しかし、今まで気配を感じなかったが…何者だ、こいつは。
「明次郎兄ちゃん…!」
鮫島少年がそう叫ぶ。
青年は、ゆっくりとこちらに近付いてきた。
「与志樹、お前が負けたっていうのはこのガキか?」
「う、うん」
鮫島少年が、突如現れた青年…明次郎におずおずと頷く。
「兄ちゃん、どうしてここに?」
「たまたま、お前らを見かけたのさ。で、こっそり聞いてたら、随分と面白そうな話になってきたじゃねぇか」
そう言いながら、眼光鋭く私を見やる。
「ガキ同士のケンカに口出しするのは筋違いなのかも知れねぇが“七本鮫”の沽券に関わる、どうにも聞き捨てならねぇ台詞が出たんでな。つい、出てきちまった」
「君は…鮫島くんの兄か?」
私がそう尋ねると、明次郎は頷いた。
「ああ。明次郎ってんだ。降高(=降神高校)の一年坊さ」
そう言いながら、鮫島少年の頭を、右手で鷲掴みにする。
「あ!?ああああああああああ!痛い痛い痛い…!」
ミリミリと締め上げる明次郎。
そのまま、私を見ながら言った。
「不肖の弟のせいで、随分と“七本鮫”もナメられちまったようだし、ここはシメさせてもらいてぇな」
「…つまり、君も勝負に加わりたいと?」
「おうよ!売られたケンカは漏れなく買う主義なんでな」
そこいらの若者なら、縮み上がりそうな眼光で、私を睨む明次郎。
ふむ…そういうことなら、むしろ好都合だろう。
「よし。いいだろう」
「ディート姉!?」
緑彦が驚いたように私を見る。
初めて、明次郎が笑った。
「で、勝負方法は?」
それに、私は告げる。
「水中の格闘技…ズバリ『水球』だ」