偉人と日記
僕、朝依 数馬には、毎晩二十二時半から就寝までの間に、その日起きた出来事を手帳に軽くまとめるという習慣、つまり日記をつける習慣がある。
『これから毎晩、必ず日記をつけること。それは即ち、人生を記すことである。自分の生きた痕跡を明確な形で残すことにより、初めて人間の存在価値が証明されるのだ。なぜだか分かるか?』
それは、小学五年生に進学した日の夜、父さんが教えてくれたことだ。僕はあの時、“分からない”と首を横に振った。
それから父は質問を変え、
『では、偉人が偉人足りえた理由は分かるか?』
と問う。至って平凡で捻りの無い返答をする僕。
『能力があり、それを実行に移せるだけの行動力があったから』
『それなら俺でも偉人になれる。どころか世界は偉人で溢れかえる』
なんて傲慢な人だろう。でも確かに、父はとても優秀な人間だった。自画自賛が素直に似合うぐらいには、富と名声を築き上げていた。
まあ、この世から居なくなってしまった今では、それはもう遺産としての価値しかないけれど。
『じゃあ、答えは何なの? 父さん』
『答えは一つ。“歴史という日記に残っているから”、だ。だから偉人は偉人足りえる。例えどれだけ大きな野望を成し遂げようと、大衆がその存在を認知しない限り、それは“ただ有能なだけの人間”だ』
『でも大きなこと成し遂げたら、嫌でも大衆には知れるよね? だったら、大勢に名が知れるほどの特別有能な人間=偉人じゃないの?』
『馬鹿かお前は。物事を直球で受け止め過ぎだ。提示された材料だけを弄ることしか出来ない、言われたことに従うだけしか能の無い、まるで小学生だな』
いや、小学生なんだよ。
というか小学生馬鹿にすんな。ちゃんと言われたこと以外も出来る小学生だって一杯いる。決まって優等生か問題児かの両極端だけれど。
それに、そもそも言われたことが出来るというのは立派な武器であり、優れた能力じゃないか。一般常識だ。あ、でも父さん、ちゃんと“言われたことに従えるのは能である”とは言ってるな。
まあ、この父の台詞で相手を愚弄する要因は、“だけ”という言葉のみにある。
『ふん、まあそれも仕方ないか、人類の八割は小学生脳だからな。お前もその凡百な人類の内でしかないということだ。我が子ながら嘆かわしい』
何十億もの人間に喧嘩売ったぞ、この人。どんだけ傲慢なんだ。あんたもあんたで、威張るだけしか能の無い、小学生みたいなやつという自覚はないのか? ちなみに、威張るのも能の一つではある。まあ、父さんには威張る以外にも取り得はあるから、それは的外れだけれど。ただ“そう見える”という話だ。だから“みたいな”なのである。
『話を戻すぞ。偉人とは、天才的な能力を有していた人間のことでも、大衆に名が知れた人間ということでも無い――――』
『え? でもさっき、“例えどれだけ大きな野望を成し遂げようと、大衆がその存在を認知しない限り、それはただ有能なだけの人間だ”って父さん言ったじゃん。それってつまり、成果や能力が無くても、大衆に存在を認知されればいい、って言いたいんじゃないの? 今言ったことと矛盾してない?』
『黙れ小学生、茶々を入れるな。お前の解釈と、俺の持論はずれている。“名声を得られるほど優れた能力”は十分条件であり必要条件ではない、というその考えは合っている。だが、“大衆に認知されること”は偉人になる必要条件であるから、名声を得られる者=偉人である、というその考えは間違っていると言っているのだ。必要条件はどこまでいっても所詮、条件の内の一つ。それは過程でしかないのであって、結果とは別のものなのだ』
『ごめん、何言ってるか全然分かんない。日本語?』
『要は、“特別な能力”があるに越したことは無いが、それは必要条件である“大衆の認知”を得るための十分条件である。そして、必要条件である“大衆の認知”も、過程以上のものではない、ということだ』
『でも過程と結果はイコールで結べるんじゃないの? 式と答がイコールで結べるのと同じで』
『結べるわけがないだろう。過程は結果になりはするが、結果が過程になることは無いだろう? 式と答とは別異層のもの。言うならば、“式と答”が“式=答”とするならば、“過程と結果”は“過程→結果”であり、一方通行なのだ』
『へえ。で? その過程を経て、どういう“結果”が出れば、偉人足りえるの?』
『“歴史という日記に自らを記す”という結果が出せれば、それで偉人だ』
『あ、そこで最初に言った“偉人足りえる理由の回答”と繋がるんだね』
『そうだ。偉人であるためには、歴史に名を残していなければならない。この国で言うならば、織田信長や豊臣秀吉がそうだな』
織田信長と豊臣秀吉を例に挙げたのは、単に分かりやすいからだろう。
『やつらはな、天下統一を果たし、大衆の認知を得、“歴史に名を刻んだ”からこそ偉人として扱われているのだ。ここで天下統一のための“特別な能力”は必要ない。実態は無能な人間だったとしても、“あれは有能な人間だった”と思わせることが出来れば、大衆の認知は得られるのだからな。まあ、能力が無ければ偉人になるのはかなり難しいだろうが、というかほとんど無理だろうが、可能か不可能かでの話だ。限りなくゼロに近い可能性でも、可能性があるにはあるのだからな。そうやって成功した人間の中でも、結果的に“歴史と言う日記”に名を連ねた者だけが、偉人として扱われる。歴史に記されなければ、一時の名声は得られるだろうが、それは恒久的なものにはならず、結果偉人と呼ばれることはない。偉人を選定するのは、その人物が没した以降の時代の民衆なのだからな』
『じゃあ、歴史に名を残してる人は皆偉人なの?』
『違う。少々言葉不足だったな。補足すると、人々にそう言わしめるだけの武勇伝を残した歴史人、それが偉人なのだ。歴史に名が残っているというだけの雑魚はいくらでもいる』
『へえ。で、その偉人持論と、日記をつけろって話はどう繋がるの?』
『つまりな。偉人と言うのは、人生の成功者なのだ。なぜだか分かるか?』
『“自分の生きた痕跡を明確な形で残すことにより、初めて人間の存在価値が証明される”から? 父さんが一番最初に言ったやつ』
『その通りだ。偉人ほど、自らの人生の痕跡を大々的に残すことに成功した人種はいないだろう。だから彼らは人類最高の成功者達なのだ』
『何で生きた痕跡を明確に残すことが人間の存在価値の証明になるのか、全然分からないんだけど』
『数馬、お前は何で生きているんだ?』
『息子に向かってなんてこと言ってんの』
『妙な勘違いをするな、お前にとっての自分の存在価値は何なのかと聞いているのだ』
『僕にとっての僕の価値? ええと、そんなこと言われても。幸せになる、こと、かな……』
『ふん、それがお前が定義するお前の価値か。曖昧だが、まあいい。で、お前が幸せになるためには誰を幸せにしなければならない?』
『え……いや……僕、かな?』
『そうだ、自分を幸せにしなければ自分は幸せになれない。自分を幸せにしたいのなら自分を幸せにすればいい』
『なにそれ。右手を動かさなければ右手は動かない、とか、勝てないのなら勝てばいい、みたいな屁理屈だね』
『行動と結果が同一している、と言いたいのだろう? 右手を動かすという行動をとれば、同時に右手が動いたという結果が残るのは当然だな。逆も然り』
『何が言いたいの?』
『要は、“自分の価値は自分”なのだ』
『??』
『お前の価値はお前で、俺の価値は俺だ。今お前が即興で定義した、幸せなどというフワフワしたものではない』
『???』
『例えばここに、ボールペンがある。何でもない、タネも仕掛けも思い出もドラマも無いボールペン。これの価値はボールペン以上でもボールペン以下でもない、ボールペンとしての価値しかないボールペンだ。それと一緒だな』
『えっと……僕の価値は、僕で、父さんの価値は、父さん?』
『そう、自分の価値は自分なのだ。それの価値は、それそのものと同等なのだ。当たり前だ、それそのものなのだから』
『じゃあ、存在価値の証明っていうのは――――』
『――――自分の証明、に置き換えられるな。そして、“自分の生きた痕跡を残す”ということは、“自分を証明し続ける”ということだ。そうすれば、自分を証明し続ければ、歴史に自らの足跡が残るからな、生きた痕跡が残る』
『そうやって繋げるんだ』
『ああ。だから、“自分の生きた痕跡を明確な形で残すこと”により、初めて人間の“存在価値”つまり“自分”が証明される。“自分の痕跡”と“存在価値”はイコールなのだ』
『“自分の生きた痕跡を明確な形で残すことにより、初めて人間の存在価値が証明される”、ね。うん、それはまあ、言いたいことはなんとなく分かったけどさ。結局、僕の“偉人の話と日記をつける話は関係あるの?”って疑問には答えてないよね』
『今からそこに持っていこうとしていたところだ。というか、お前は妙に振りが良いな。上手い具合に愚直で的確な質問をしてくる。わざとか?』
『そりゃあ、父さんの説明を分かりやすく聞くためにね』
ふん、と軽く鼻を鳴らし、父さん。
『で、これから毎晩日記をつけろという話だな。率直に言うと、お前は一生掛かけても自分の存在価値を証明することが出来ない、取るに足らない人間だ』
『こんなに息子を割り切る親も珍しいよ』
『まあな。血が繋がっているだけの他人だからな、俺は常に極めて客観に近い感覚を有しているという自負がある。人類皆兄弟と言うが、兄弟は皆他人だからな。自分とは別の人間のことを他人と言うのだ』
『結論は?』
『お前は偉人になることは絶対に出来ない。人類の成功者にはなれない。歴史に残すような業は果たせない。このまま人生を過ごせば、何の価値を見出すこともなく死んでいくだろう。意味も無く死んで消えてしまう。人間は意味も無く死ぬとな、世から消滅するんだ。人々の前から居なくなり、やがて時間と共に記憶からも居なくなる。だがそれは、あまりに勿体ない。お前は他人だが、他人ではあるが、より俺に近しい他人だ。そんな他人が、我が子が、世から消えてなくなるのは流石に、この俺でも忍び無い』
『せめて、生きた証が微かでも残るように、日記を書けってこと?』
『そういうことだ。どうせお前の日記など誰も見ないだろうが、それでも確かな形にすることで、僅かでも生きた証を残すことが出来る。死後、消えて無くなったりはしなくなる。お前の代わりに、お前の日記が、お前の存在を主張してくれる』
『ふうん』
『分かったな? 俺はお前を見限ったんだ。死ねば消えるだけの人間だ、と。だから今日から毎晩、必ず日記をつけることを課す』
『分かったけど、僕、作文とか苦手だよ?』
『簡単なものでいい。内容は粗雑でも構わない。手帳でも携帯でも、とにかく何かしらの記録媒体に日記をつけろ。まあ、出来るだけ長く残るものが好ましいが、その辺は自分でなんとかしろ。俺がお前に残すのは、“日記をつける”という日課だけだ。後は好きなようにしろ』
『まるで、もうすぐ居なくなるみたいな言い方だね』
『ああ、俺はもう居なくなる。だからこれは、いわゆる遺言というやつだな』
『え?』
『ん、違うか。居なくなる、ではなく、もう既に居ないのか』
『父さん、何を言って……』
『さよならの言葉も思いつかない、無骨な父で悪かったな』
その言葉を最後に、父さんは居なくなった。まるで、元から誰も居なかったかのように、部屋には僕一人だけが取り残された。
最期の最期までよく分からない人だったな。
後から聞いた話だけど、この会話を交わす前、仕事先で父は交通事故に遭って死亡していたらしい。
あれから、もう六年も経つのか。
現在、高校二年生。僕は今でも、毎日欠かさずに日記をつけている。
当初計画していたものと全く違う内容になってしまいました。
いや、何でもいいから即興で短(または中)編小説を書いてみよう、という目的は果たせたので別にいいのですが。執筆終了までの時間は四時間。まあ、ぼちぼちノルマは果たせました。
で、読み返してみて、思わず“日本語じゃねえ(笑)”と自分で自分に突っこんでしまいました。なんだこれ。ホンヤクコンニャク食べたい。
あれですよ。
ミステリーというかホラーというか、そんな感じのを書きたかったんですよ。『主人公が自らの日記に支配されてしまう』という主旨の短編を書きたかったんですよ。
まあいいや。次の機会に書こう。これも経験の内ですよね。質より量と言いますし。これからも、筆の赴くままに、書いて書いて書きまくります。
では、また会えることを祈って。