伝説の聖剣を抜いた勇者、「思ってたより重いしダサい」と女神にクーリングオフを要求する。
「おお……おおおおお! 見よ、あの神々しい光を! ついに、千年の時を経て『伝説の聖剣』が台座から引き抜かれたぞ!」
「勇者様! 奇跡です、やはりあなたが予言に記されし救世主だったのですね!」
「バンザァァァイ! 勇者サトル様に栄光あれぇぇぇッ!」
王城の地下深く、厳重に封印されていた『聖なる儀式の間』。
ステンドグラスから差し込む神秘的な光の中、王様、王女、そして重武装の騎士たちが、感動のあまりボロボロと涙を流して歓声を上げている。
空間には金色の羽が舞い散り、どこからともなく荘厳なコーラスのBGMまで鳴り響いていた。
そして、その劇的な空間の中心にいる俺、勇者ことサトル(二十四歳・元営業職)は。
「…………」
ガシャンッ!!!!
両手で引き抜いたばかりの『伝説の聖剣』を、大理石の床に向かって、一切の躊躇なく投げ捨てた。
あまりにも乱暴な金属音が地下室に響き渡り、人々の歓声と謎のコーラスBGMが、まるで電源を引っこ抜かれたようにピタリと止まった。
「えっ……?」
王様が、間抜けな声を出した。
「ゆ、勇者様……? 今、手が滑って……その、聖剣を落とされたのでしょうか……?」
王女が震える声で尋ねてくる。
俺は自分の両手――聖剣の柄を握っていた手のひらを確認した。
薄く皮が剥け、微かに血が滲んでいる。
俺は大きく深呼吸をし、静まり返った儀式の間で、王様たちに向かってはっきりと宣言した。
「いや、わざと捨てました。これ、クーリングオフでお願いします。返品で」
「「「…………は?」」」
「クーリングオフです。無条件解約。今すぐこの勇者契約を破棄して、俺を元の世界に送り返してください。あ、交通費(転移魔法の魔力)はそっち持ちでお願いしますね」
俺が極めて事務的なトーンでそう告げると、祭壇の奥から、まばゆい光と共に『導きの女神』と名乗るホログラムのような美女が慌てて顕現した。
このふざけた異世界召喚の首謀者である、女神エルフレアだ。
『ちょ、ちょっと待ちなさいサトル! 今、なんて言いました!? 返品!? 伝説の聖剣を!?』
「はい、返品です。女神様、俺はね、さっきあなたから『この聖剣を抜けば、魔王を倒す絶大な力が手に入る』と説明を受けましたよね。でも、実際に抜いてみたら、事前の説明と商品スペックがあまりにも乖離しすぎているんです。一種の詐欺ですよ」
『さ、詐欺!? 滅多なことを言わないでください! それは神話の時代から伝わる正真正銘の最強武器『ホーリー・エグゼキュート・バニッシュ・ブレード』ですよ!?』
「名前が長くて痛いのは百歩譲って我慢するとして。いいですか、第一に……」
俺は床に転がっている聖剣を指差した。
「重すぎます。なんだこれ、鉄塊か? ざっと見積もっても三十キロはあるぞ。俺、元営業職の一般人ですよ? これを片手で軽々と振り回して魔王軍と戦えって? 冗談キツいですよ。肩がぶっ壊れます。労災降りますか?」
『そ、それは……聖なるオーラが質量を持っているからでして! 勇者としてレベルを上げればいずれ軽く感じられるように……』
「『いずれ』なんて不確定な将来の利益を謳って劣悪な初期装備を押し付けるのは、悪徳商法の常套句です。そして第二に……」
俺は痛む手のひらを見せつけた。
「この柄の部分。なんで無駄にトゲトゲが付いてるんですか? 握っただけで手に食い込んで血が出たんですけど。誰ですか、この人間工学を完全に無視したデザインを考えたバカは。武器としての実用性が皆無じゃないですか。自傷ダメージ前提の呪いの装備の間違いでしょ」
『バ、バカとはなんですか! そのトゲは『神の威厳』を表現した装飾です! 持つ者に適度な緊張感を与えるための神聖なギミックであり――』
「百害あって一利なしのギミックですね。そして最大の返品理由、第三に」
俺は大きなため息をつき、頭を抱えた。
「――死ぬほどダサい」
『…………え?』
「ダサいです。思ってたより五倍はダサかった。なんですかこの、柄の先端についてるドクロのモチーフは。聖剣なのにドクロってコンセプトがブレブレでしょう。しかもそのドクロから無駄にジャラジャラと黒い鎖が垂れ下がってるし。刀身には読めない古代文字が蛍光ブルーで発光してるし。極めつけは、鍔の部分が無駄にコウモリの羽みたいな形に広がってることですよ。中学生がノートの端っこに描いた『ぼくのかんがえたさいきょうのけん』をそのまま立体化したんですか? これ背負って街を歩けって、公開処刑ですよ。精神的苦痛で慰謝料を請求したいレベルです」
俺の容赦ないレビューの連打に、女神エルフレアは顔を真っ赤にしてワナワナと震え始めた。
『だ、ダサ……ッ!? そんなことないです! かっこいいじゃないですか! 黒い鎖は闇を封じる封印の証で、蛍光ブルーの発光はゲーミングデバイスみたいで現代的でイケてるって、他の神様たちも絶賛してましたよ!!』
「神界のデザイントレンド、完全に終わってますね。とにかく、俺はこんな重くて痛くて恥ずかしい鉄クズを持って魔王と戦う気はありません。よって、この勇者就任契約は白紙撤回。元の世界へ帰還させていただきます」
俺がスーツのポケットからスマホを取り出し(もちろん圏外だが、時間を確認するふりをした)、さっさと帰る準備を始めると、女神と王様たちはパニックに陥った。
『ま、待って待って待って! クーリングオフなんて神界のシステムに存在しません! 一度聖剣に選ばれちゃった以上、あなたが魔王を倒さないと世界は滅びちゃうんです!』
「俺の知ったことですか。そもそも、俺は『魔法陣でいきなり拉致される』という、特定商取引法における『キャッチセールス』ないしは『アポイントメントセールス』に該当する悪質な手口でここに連れてこられました。事前の同意なき契約は無効です。八日以内なら無条件で解約できる権利が俺にはあります」
『と、特定なんとか法って何!? ここは剣と魔法のファンタジー世界ですよ!? 現代日本の法律を持ち込まないで!』
「法律が通じないなら、なおさらこんな野蛮な世界にはいられませんね。じゃあ、お疲れ様でした。あとは王様、あなた方で適当に頑張ってください」
俺が儀式の間から出ようと踵を返すと、重武装の騎士たちが慌てて出入り口を塞いだ。
「ゆ、勇者サトル殿! お待ちくだされ! この世界を見捨てるおつもりか!」
「いや、見捨てるも何も、俺ただの通りすがりの一般人ですからね。そのでっかい剣、騎士団長さんとかが使えばいいじゃないですか」
「無理にございます! 伝説の聖剣は、選ばれし勇者にしか触れることすら叶わぬ神聖な代物! 我々が触れれば、その圧倒的な神気によって手が消し炭になってしまいます!」
「あー、なるほど。つまり『俺にしか扱えない』っていう独占状態を作り出して、解約を難しくする悪質なサブスクリプションモデルですね。ますますタチが悪い」
俺の徹底したビジネスライクなツッコミに、王様はついに泣き出してしまった。
「うおおおぉん! 勇者様ァ! どうか、どうかクーリングオフだけはご勘弁を! 魔王軍の脅威がすぐそこまで迫っておるのです! せめて、装備の変更なりなんなり、ご要望をお聞かせください!」
王様が床に土下座をして泣き縋ってくる。
一国の王が鼻水を垂らして土下座する姿は、さすがに少しだけ良心が痛んだ(いや、勝手に拉致された被害者は俺なのだが)。
「……装備の変更、ですか」
俺は足を止め、空中に浮かんでいる女神エルフレアを見上げた。
「女神さん。契約の『一部変更』および『代替品の提供』は可能ですか?」
『へっ? あ、ええと……聖剣を別のものに交換、ということですか?』
「そうです。こんなダサくて重い装飾過多のゴミじゃなくて、もっと実用的で、ミニマルで、洗練された武器です。たとえばそうですね……軽量化された特殊合金製の日本刀とか、遠距離から安全に狙撃できる高火力のライフル銃とか」
『ラ、ライフル!? ファンタジーの世界観をぶち壊す気ですか!? 日本刀ならまだしも、神界の武器庫に近代兵器なんてあるわけないじゃないですか!』
「ないんですか。品揃えが悪いですね。じゃあ百歩譲って、剣で妥協しましょう。ただし、その『ホーリーなんとかブレード』の無駄な装飾を全部削ぎ落としてください。ドクロも鎖もいらない。鍔のコウモリの羽もカット。蛍光発光もオフにしてください。あと重量は現在の十分の一、三キロ以下に。グリップは手に馴染むエルゴノミクスデザインに変更。それが無理なら、帰ります」
俺の提示した妥協案(という名の無茶振り)に、女神は顔を引きつらせた。
『そ、そんなの……伝説の聖剣のアイデンティティが完全になくなっちゃいます! ただの銀色の棒になっちゃいますよ!?』
「ただの銀色の棒で十分なんです。武器に必要なのは実用性であって、中学生の自己承認欲求を満たすための見た目じゃありません。どうしますか? デザインの修正に応じるか、俺を帰すか。決断は三十秒以内でお願いします」
俺が冷酷にカウントダウンを始めると、女神は頭を抱え、空中でジタバタと暴れ始めた。
『ああっ、もう! 分かりましたよ! やればいいんでしょ、やれば! 神界の鍛冶神に大急ぎで発注をかけ直します! でも、カスタマイズには少し時間がかかりますからね!』
「納期はどれくらいですか?」
『うーん……神界の時間の流れだと、ざっと一週間くらいですかね』
「遅い。魔王軍が攻めてきてるんでしょう? 三日に短縮してください。神界の総力を挙げてデスマーチすればいけるはずです」
『神に徹夜させないでえええええええっ!?』
悲鳴を上げながら、女神エルフレアは光の粒子となって消えていった。
おそらく、今頃神界の鍛冶工房で「クライアントから無茶な仕様変更が来た!」と大パニックになっていることだろう。営業職時代に俺が散々味わってきた地獄を、神々にも味わってもらういい機会だ。
「……ふぅ。とりあえず、交渉成立ですね」
俺がネクタイを締め直すと、王様や騎士たちはポカンと口を開け、まるで新種の魔物でも見るような目で俺を見ていた。
「ゆ、勇者サトル殿……あなた、神を相手に一歩も引かずに商談を成立させてしまうとは……。伝説の聖剣を『ゴミ』と切り捨てるその合理性、恐ろしい男よ……」
「ビジネスの基本ですよ。与えられたものを無批判に受け入れるのは、社畜の始まりですからね。さて、武器の納品まで三日あるわけですが……王様、宿と食事の手配は当然そちら持ちですよね?」
「は、ははっ! もちろんでございます! 王城の最高級のスイートルームをご用意いたします!」
*****
三日後。
俺は再び、王城の地下にある『聖なる儀式の間』へと呼び出されていた。
『……ハァ、ハァ……ゼェ、ゼェ……持ってきたわよ、サトル……』
祭壇の上に顕現した女神エルフレアは、三日前とは別人のように目の下に真っ黒なクマを作り、髪を振り乱していた。その後ろには、全身が煤だらけになって白目を剥いている筋肉達磨の神様(おそらく鍛冶神)が倒れている。見事なデスマーチの痕跡だ。
「お疲れ様です、女神様。見事な納期遵守ですね。評価しますよ」
『うるさいわよこの悪魔! 神界の労働基準法がぶっ壊れるかと思ったわ! ほら、これがあなたの要望通りにカスタマイズした新しい聖剣よ!』
エルフレアが指を鳴らすと、空中にポンッと一振りの剣が出現し、祭壇の上にフワリと降り立った。
俺は歩み寄り、その『新しい聖剣』を手に取った。
「……ほう」
それは、驚くほどシンプルだった。
装飾は一切ない。ドクロも、鎖も、コウモリの羽も、中二病全開の蛍光発光も、すべて完全に排除されている。
刀身は曇りのない美しい白銀のストレートエッジ。鍔は必要最小限のコンパクトな流線型。
そして何より、柄の部分は、特殊な魔獣の革のようなもので丁寧に巻かれており、手に吸い付くようにフィットした。人間工学の極みだ。
俺が片手で軽く振ってみると、ヒュンッ! という鋭い風切り音が鳴った。
重量バランスは完璧。手首への負担は皆無。三十キロあった鉄の塊が、わずか一キロ前後にまで軽量化されている。
「……素晴らしい。これですよ、こういうのでいいんです」
俺は満足げに頷き、剣を鞘に収めた。
「機能美を極めた、無駄のないデザイン。ミニマリズムの極致ですね。これなら長時間残業(魔物討伐)でも肩が凝りません。これ、名前はなんですか?」
俺の問いに、目の下にクマを作ったエルフレアは、やけくそ気味に叫んだ。
『もう名前なんて考える余裕なかったわよ! あなたが「シンプルにしろ」ってうるさいから、装飾を削るのに必死で! だから名前も極限までシンプルよ! その剣の名は……『剣』よ!!』
「「「剣!?」」」
王様や騎士たちが、ズコーッ! と吉本新喜劇のような見事なコケ方を見せた。
「いや、女神様! いくらなんでも伝説の武器の名前が『剣』って! そのままじゃないですか!」
王女が涙目でツッコミを入れるが、俺は静かに首を振った。
「いいえ、いい名前です。変にカタカナのルビを振ったり、『真・絶華』みたいな痛い装飾語を付けるより、よっぽど本質を捉えています。『剣』。シンプルで覚えやすい。良いネーミングセンスですよ、エルフレアさん」
『……えっ? あ、ホント? ふふん、まあね! 私にかかればネーミングなんて朝飯前よ!』
チョロい。
少し褒めただけで、女神はあからさまにドヤ顔を取り戻した。疲労で判断力が落ちている証拠だ。
「さて、武器の検収は完了しました。契約継続(魔王討伐)の意思を固めたいと思います。……が」
俺はニコリと、営業時代に培った『一番厄介な交渉を切り出す時の笑顔』を浮かべた。
「武器の件は解決しましたが、もう一つ、クーリングオフの撤回においてクリアしなければならない『労働条件』の懸案事項があります」
『……は? ま、まだ何か文句があるの!?』
「当然です。俺はこれから、見知らぬ土地で命を懸けて魔王軍という反社会的勢力と戦うわけです。これは完全な『危険業務』です。それなのに、俺はまだ自分の『パーティーメンバー』についての事前説明を受けていません。魔王討伐という巨大プロジェクトをたった一人で完遂しろと言うつもりではないですよね?」
俺の正論に、王様がハッとして前に進み出た。
「も、もちろん一人ではございませぬ! 勇者様をサポートすべく、我が国が誇る最高のエリートたちをパーティーメンバーとして選出しております! おい、皆の者、前へ!」
王様の号令に合わせて、祭壇の脇から三人の人物が歩み出てきた。
一人目は、全身をピカピカの白銀の鎧で包んだ、金髪碧眼のイケメン騎士。
二人目は、露出度の高いローブを着て、巨大な杖を持ったグラマーな女性魔法使い。
三人目は、小柄でフードを目深に被った、如何にも素早そうな盗賊風の少女。
「彼らが、勇者様と生死を共にする仲間たちです! さあ、自己紹介を!」
「ふっ……待たせたな、勇者よ。俺は王国騎士団長、アーサー。俺の『絶対防御』の盾があれば、どんな魔物の攻撃も――」
「あー、ストップ。ストップです」
俺は手のひらを向けて、イケメン騎士の自己紹介を途中で遮った。
「アーサーさんと言いましたね。申し訳ないですが、あなたは不採用です」
「「「…………え?」」」
アーサーは、目を丸くして固まった。
「ふ、不採用……? いや、勇者よ、俺は王国最強の騎士であって――」
「最強かどうかはどうでもいいんです。あなたのその『鎧』が問題です」
俺はアーサーの全身を指差した。
「ピカピカに磨き上げられた白銀の全身鎧。太陽の光を反射して、ものすごく目立ってますよね。俺たちはこれから魔王の領土に潜入して、ゲリラ戦を展開するわけです。それなのに、そんな『俺はここにいまーす!』と全身で主張するようなディスコのミラーボールみたいな男が隣にいたら、隠密行動が完全に破綻します。ヘイトを稼ぐタンク役だとしても、視覚的なノイズが大きすぎる。よって不採用。もっと迷彩効果の高い、くすんだ色の軽鎧に着替えてから出直してきてください」
「み、ミラーボール……!?」
王国最強の騎士は、自分のピカピカの鎧を見下ろし、ショックのあまり膝から崩れ落ちた。
「次、そこの魔法使いの女性」
「あ、アタシ? アタシは宮廷筆頭魔導士のフレイヤよ! 圧倒的な火力を誇る爆炎魔法で、敵を――」
「不採用です」
「即答ォ!?」
俺は頭が痛くなってきた。どうしてこの世界の人間は、機能性という概念がすっぽり抜け落ちているのだろうか。
「フレイヤさん。あなたのその服、なんですか。胸元は大きく開き、スカートには深いスリット。布の面積が少なすぎます。防御力が低い後衛職なのに、そんな露出度の高い服を着て、虫刺されや木の枝の切り傷はどうするんですか? 破傷風で死にたいんですか?」
「こ、これは魔力を効率よく外部から吸収するための、由緒正しき魔導士の正装よ!」
「非科学的な言い訳ですね。どう見ても男性プレイヤーの視覚的欲求を満たすためだけのデザインです。戦場を舐めないでください。最低でも長袖長ズボン、厚手のトレッキングシューズを着用してください。不採用」
「うわああああん! アタシの勝負服がぁぁぁ!」
グラマーな魔法使いは、泣きながら走り去っていった。
「最後、そこの盗賊風の少女」
「……アタシは、シーフの影音。罠解除や索敵なら、誰にも負けない……」
「よし、君は採用です」
「えっ」
「動きやすそうな地味な服。顔を隠すフード。無駄口を叩かない性格。どれを取っても隠密行動に最適です。合格。これからよろしくお願いします、影音さん」
「……あ、うん。よろしく……?」
選考基準が完全に『実用性と合理性』に振り切っている俺のパーティー編成に、王様も女神エルフレアも完全にドン引きしていた。
『……ねえ、サトル。あなた、本当に勇者なのよね? なんだか、魔王軍を「コスト削減の対象」としてしか見てないような……』
「魔王討伐という巨大プロジェクトを成功させるには、無駄なリソースの削減と、適材適所の人材配置が不可欠なんです。見た目だけのポンコツ装備や、承認欲求の塊みたいなメンバーは、プロジェクトを崩壊させるバグでしかありませんからね」
俺はシンプルを極めた『剣』を腰に下げ、たった一人だけ合格したシーフの少女を伴って、玉座の間を後にしようとした。
「さて、とりあえずメンバーの再募集(中途採用)をかけたいので、冒険者ギルドとハローワークの場所を教えてください。あ、交通費と交際費はすべて王国に経費請求(領収書)を回すので、経理担当者に伝えておいてくださいね」
かくして、重くてダサい伝説の聖剣をクーリングオフした合理主義者の勇者サトルによる、異世界ファンタジーのロマンを根底から粉砕する魔王討伐プロジェクトが、幕を開けたのである。
*****
王都の裏通りにある、荒くれ者たちが集う『冒険者ギルド・獅子の牙』。
昼間からエールを煽る戦士や、薄暗い隅の席でナイフを弄る盗賊など、いかにもファンタジー世界らしい猥雑で危険な香りが漂うこの場所で、現在、極めて異質な光景が展開されていた。
「はい、次の方。エントリーナンバー十五番、どうぞ」
ギルドのホールのど真ん中に長机がポツンと置かれている。
そこにスーツ姿(王城の仕立て屋に徹夜で作らせた、動きやすいストレッチ素材のオーダースーツだ)の俺が座り、隣にはたった一人のパーティーメンバーであるシーフの少女、影音が無表情で履歴書の束を整理している。
長机の正面には、パイプ椅子が一つ。
そこにドカッと座ったのは、身の丈二メートルはあろうかという、顔に大きな傷のある筋骨隆々の大剣使いだった。
「ガハハハ! 俺様は『血塗られた狂戦士』の異名を持つガルド! 勇者のパーティーメンバー募集と聞いて来てやったぜ! 俺様のこの大剣で、魔王軍の雑兵どもを肉片に変えて――」
「あー、ガルドさんですね。提出いただいた職務経歴書を拝見しました」
俺は手元の羊皮紙に目を通しながら、事務的なトーンで彼の言葉を遮った。
「過去三年間で、所属したパーティーが五つ。そのすべてを『リーダーとの反りが合わなかった』という理由で三ヶ月以内に脱退していますね。非常に離職率が高いようですが、これはどういうことですか?」
「あぁ!? そりゃあ、前のリーダーどもが俺様の力にビビって、後ろに下がってろだの命令ばっかりしてきやがったからだ! 俺様は本能のままに最前線で暴れるのが流儀なんだよ!」
「なるほど。つまり『上司の指示に従う気がなく、チームプレイを軽視し、独断専行でコンプライアンス違反を繰り返す』ということですね。組織における最も致命的なリスク要因です。不採用。お引き取りください」
「はァ!? 待てやコラ! 俺様の腕力を見ないで決めるってのか!」
「腕力以前の問題です。ホウレンソウ(報告・連絡・相談)ができない人材に背中を預けるほど、俺のプロジェクト(魔王討伐)は甘くありません。はい、次の方どうぞー」
俺が手でシッシッと払うと、狂戦士は顔を真っ赤にして怒鳴り散らしながら帰っていった。
それを見ていたギルド内の他の冒険者たちが、ゴクリと息を呑む音が聞こえる。
「……ねえ、サトル。さっきからもう三十人くらい落としてるけど、本当に仲間なんて見つかるの?」
隣で履歴書を整理していた影音が、呆れたような声で聞いてきた。
「妥協は最大の敵だよ、影音さん。魔王討伐というハイリスクな事業において、ヒューマンエラーは直接『死』に直結する。能力値が高くても、コミュニケーション能力に難がある奴や、承認欲求で動く奴は絶対に弾かなければならない」
俺がそう答えると、次の候補者がパイプ椅子に座った。
漆黒のローブを目深に被り、右目に眼帯をした、いかにも中二病をこじらせたような細身の魔法使いだ。
「……ククク。俺を呼んだか、勇者よ」
「はい、エントリーナンバー十六番の方。自己紹介をお願いします」
「俺は『深淵の探求者』……我が右目に封じられし『黒炎竜』が暴れ出す前に、用件を手短に――」
「右目の病気でしたら、ギルド併設の治癒院に行ってください。魔王軍との戦闘中に眼帯で視界を半分塞いでいるのは、ただのハンデキャップです。労災の対象外になりますよ。不採用。次」
「えっ、あ、これ病気じゃなくて設定で……ちょっと待っ――」
中二病の魔法使いを秒殺で追い返し、俺は深くため息をついた。
「ダメだな。どいつもこも、自己プロデュースの方向性を間違えている。俺が求めているのは、与えられたタスクを無感情に、かつ効率的に処理できる『社畜適性』の高い人材なんだが……」
この世界の冒険者というのは、基本的に自己主張が強すぎる。
協調性よりも個人の武勇を重んじる文化なのだろうが、現代の組織論から見れば、彼らはただの烏合の衆だ。
「……あの、すみません。まだ面接、やってますでしょうか」
その時、控えめな声とともに、パイプ椅子の前に一人の女性が立った。
年齢は俺と同じ二十代半ばくらいだろうか。
地味なグレーのローブを着ており、丸眼鏡をかけ、背中には身の丈ほどもある巨大なリュックサックを背負っている。髪は後ろで無造作にお団子にまとめられており、華やかさとは無縁の、どこか疲れ切ったOLのような雰囲気を漂わせていた。
「はい、やってますよ。履歴書を提出してください」
「これです。エルマと申します。職業は……『付与術師』兼『アイテム管理者』です」
俺は履歴書を受け取り、目を通した。
「エルマさんですね。……ほう。攻撃魔法や回復魔法は一切使えず、味方の武器の耐久度を上げたり、重量を軽減したりするバフ魔法に特化している。さらに、アイテムの在庫管理と原価計算のスキルを持っている、と」
「はい……。でも、派手な魔法が使えないので、どのパーティーに入っても『地味で役に立たない』『荷物持ちなら安い奴隷でいい』とクビになってばかりで……。勇者様のパーティーも、きっと私のような――」
「素晴らしい」
俺は履歴書をバンッと机に叩きつけ、身を乗り出した。
「えっ?」
「エルマさん、あなたは素晴らしい経歴の持ち主だ。なぜ誰もあなたの価値に気づかなかったのか不思議でなりません」
俺は立ち上がり、彼女に向かって熱弁を振るい始めた。
「魔王城までの長期遠征において、最も重要なのは前衛の腕力でも後衛の火力でもない。ズバリ『兵站』です! 食料の残量計算、ポーションの消費ペースの予測、装備の摩耗率の管理。これらを疎かにするパーティーは、魔王と戦う前に飢餓や装備破損で自滅します! さらに、重量軽減のバフ魔法? 最高じゃないですか! 積載量の増加は、そのままパーティーの生存率に直結します!」
「あ、あの……つまり……?」
丸眼鏡の奥で、エルマの目がパチクリと瞬きをしている。
「採用です。今日からあなたは、我が『勇者討伐合同会社(俺が王様から出資を受けて昨日立ち上げたペーパーカンパニーだ)』の最高執行責任者(COO)兼、兵站管理部長です。初任給は月額五十万ゴールド、週休二日制、有給休暇完全消化推奨。ボーナスは魔王軍幹部の討伐歩合制で支給します。契約書にサインを」
「ご、ごじゅうまん……!? しかも週休二日!?」
エルマは腰を抜かしそうになりながら、震える手で俺が差し出した雇用契約書にサインをした。
「よし、これでパーティーの陣容は整った」
俺は満足げに頷いた。
俺(社長兼アタッカー:シンプルな『剣』による急所攻撃のみ)
影音(索敵・罠解除担当:無駄口を叩かず隠密行動に特化)
エルマ(兵站・バフ担当:在庫管理と原価計算のプロ)
勇者、シーフ、荷物持ち。
魔法使いもヒーラーも重戦士もいない、ファンタジーの常識から見ればあまりにも歪で地味なパーティー。だが、俺から言わせれば、これこそが「無駄を極限まで削ぎ落とした、最も効率的な魔王討伐プロジェクトチーム」であった。
*****
三日後。
俺たち『勇者討伐合同会社』の第一回初任務は、王都から馬車で半日ほどの場所にある「ゴブリンの洞窟」の討伐依頼だった。
王様からは「まずは手始めにゴブリンで勇者としての経験を積んでくだされ」と言われたが、ギルドの依頼書を見ると、その洞窟には百匹以上のゴブリンが巣食っており、近隣の村の畑を荒らしているという。
「さて、現着したわけだが」
俺たちは、鬱蒼とした森の中にある、ぽっかりと口を開けた不気味な洞窟の前に立っていた。洞窟の入り口からは、獣の腐ったような悪臭が漂ってきている。
「社長(サトルにそう呼ばされている)、洞窟内の地形ですが、事前にギルドの資料室で過去の調査レポートを確認したところ、入り口はこの一つだけで、内部はすり鉢状の広場になっているようです」
兵站部長のエルマが、几帳面な字で書かれた手帳を見ながら報告した。
「ご苦労様。百匹のゴブリンが、逃げ場のないすり鉢状の洞窟に密集しているわけだ」
「……アタシが潜入して、寝込みを襲って少しずつ数を減らしてこようか?」
シーフの影音が、腰のダガーに手をかけて提案する。一般的な冒険者なら、それがセオリーだろう。だが、俺は首を横に振った。
「却下だ。暗くて足場の悪い敵のホームグラウンドに、わざわざこちらから乗り込んでリスクを冒す必要はない。視界不良による不測の事態や、囲まれてタコ殴りにされるリスクが高すぎる」
「じゃあ、どうするのよ。入り口で待ち伏せして、一匹ずつ誘い出す?」
「それもタイムパフォーマンスが悪すぎる。百匹も相手にしていたら日が暮れるし、残業代(魔力回復ポーション代)がかさむ」
俺はスーツのポケットから、一枚の図面を取り出した。
それは、この洞窟周辺の『地形図』だった。
「エルマさん。昨日、俺が手配しておいた『ブツ』は届いているね?」
「はい、社長。近隣の土木ギルドの業者に発注した通り、すでに洞窟の真上――山頂付近に資材を搬入済みです」
エルマの言葉を聞き、影音は頭にクエスチョンマークを浮かべた。
「土木ギルド……? 勇者の討伐任務に、なんで土建屋のオッサンたちを呼んだの?」
「簡単なことだよ、影音さん」
俺は洞窟の真上、切り立った崖になっている部分を見上げた。
「この洞窟の真上には、森から流れてくる大きな川がある。そして、洞窟の天井部分は長年の浸食で岩盤がかなり薄くなっているという地質データがあった」
「まさか……」
「土建屋のオッサンたちに日当を払って、川の水を堰き止め、洞窟の真上に意図的な『水溜まり』を作らせた。そして今、彼らには天井の薄い岩盤に火薬を仕掛けてもらっている。――よし、時間だ」
俺が懐中時計の秒針を確認した、まさにその瞬間だった。
ズドォォォォォォォン!!!
洞窟の真上から、地鳴りのような爆発音が響き渡った。
続いて、メキメキメキッ!という岩盤が崩落する轟音。
そして――。
ゴオォォォォォォォォォォッ!!!
洞窟の奥深くから、濁流が渦を巻く恐ろしい音が聞こえてきた。
仕掛けた火薬によって天井が崩落し、堰き止められていた川の水が、何十トンという質量を持って洞窟内へ一気に流れ込んだのだ。
すり鉢状の地形に密集していた百匹のゴブリンたちは、武器を構える間もなく、逃げ惑う暇すらなく、圧倒的な水圧と土砂の暴力に飲み込まれていく。
「ギ、ギャアアアアアッ!?」
「ゴボッ、グモォォォッ!」
洞窟の中から、ゴブリンたちの悲鳴と水が激突する音が響き、やがてそれも静かになった。
入り口からは、泥水がチョロチョロと溢れ出しているだけだ。
「……えっと」
影音が、完全にドン引きした顔で俺を見た。
「これで、終わり……?」
「あぁ。念のため一時間ほど待って水が引いてから、エルマさんは討伐証明のゴブリンの耳を回収してきてくれ。影音さんは周囲に見張りを。俺は土建屋のオッサンたちに外注費を精算してくる。当然、王国への請求書でな」
俺はパンパンとスーツの埃を払いながら言った。
「戦いは、始まる前に勝敗が決まっている。自分の手を汚さず、金とシステムで敵を物理的にすり潰す。これが我々『勇者討伐合同会社』の基本方針だ。覚えておいてくれ」
剣を一振りも抜くことなく。
伝説の聖剣『剣』は、今日も鞘の中で静かに眠っていた。
俺の冷酷なまでの合理主義的戦術(という名の環境破壊)を目の当たりにした二人の部下は、魔王軍よりもこの社長の方がよっぽど恐ろしいのではないかと、密かに震え上がっていた。
*****
数日後。魔王城、大広間。
禍々しい黒曜石で造られた謁見の間で、魔王軍の幹部である『四天王』たちが円卓を囲み、深刻な顔で話し合っていた。
「……聞いたか。ついに人間どもが、伝説の聖剣を抜いた勇者を差し向けてきたらしいぞ」
炎の魔将が、苛立たしげにテーブルを叩いた。
「フン。たかが人間一匹、恐れるに足らん。我らが四天王の力をもってすれば、赤子を捻るよりも容易いこと」
氷の魔将が鼻で笑う。
「しかし、報告によれば……その勇者、我々の予想を遥かに超える『異常者』だという話だ」
情報収集を担う影の魔将が、冷や汗を流しながら水晶球をテーブルに置いた。
「異常者だと? 勇者特有の、愛だの正義だのほざく熱血バカということか?」
「いや……そうではない。奴らは、戦わないのだ」
「戦わない? どういうことだ」
影の魔将は、震える声で報告書を読み上げ始めた。
「第一の砦、ゴブリンの巣窟。勇者一派は洞窟に侵入せず、上部から川の水を流し込んで水没させ、全滅させた」
「な、なんだと!?」
「第二の砦、オークの駐屯地。勇者一派は夜襲をかけるでもなく、風上に陣取り、大量の『催眠草』と『激辛唐辛子』を燃やして煙を送り込んだ。オークどもが咳き込み、涙と鼻水で行動不能になったところを、防毒マスクのようなものを被った勇者が入り口で待ち構え、出てきた端から流れ作業のように喉を突いて回ったらしい。被害ゼロ、討伐時間わずか四十分」
「き、卑怯な……! 正々堂々と正面から剣を交えないというのか!」
炎の魔将が立ち上がり、激昂した。
「それだけではない」
影の魔将はさらに顔を青ざめさせた。
「奴ら……我々魔王軍の『補給線』をピンポイントで破壊している。勇者は王国の莫大な予算をバックに、我々の領土に近い中立都市の食料市場に介入。小麦と塩を異常な高値で買い占め、意図的にハイパーインフレを引き起こしたのだ!」
「インフレ……だと……?」
「結果、我々魔王軍の末端兵士たちの給料では、パン一つ買うこともできなくなった! 現在、第三軍団のスケルトン部隊やゾンビ部隊で、食料不足と給与未払いによる大規模なストライキが発生! 奴ら、魔王城の前に『労働環境の改善を!』というプラカードを掲げて座り込みを始めている始末だ!」
「ば、馬鹿な! 勇者とは、聖剣から放たれる光の魔法で敵を打ち払うものではないのか! 経済制裁で敵軍を内部崩壊させる勇者など、神話のどこにも記されていないぞ!」
四天王たちは頭を抱え、パニックに陥った。
彼らが想定していた「勇者」とは、熱い正義感を持ち、罠にはまり、ピンチになりながらも最後は気合いと友情で乗り越えてくる、ある意味で「コントロールしやすい」相手だった。
しかし、今回現れた勇者サトルは違う。
彼は魔王軍を「悪」ではなく「倒産させるべき競合他社」として見ていた。
血みどろの戦闘などという非効率な手段は極力避け、兵站を断ち、資金源を枯渇させ、外注業者(土木ギルド)を使って物理的に地形ごと破壊してくる。
「ええい! このままでは魔王様のお耳に入る前に、魔王軍が経済的に破綻してしまう! 俺が直接出向いて、そのふざけた勇者を俺の炎で丸焦げにしてくれるわ!」
業を煮やした炎の魔将が、マントを翻して謁見の間を飛び出していった。
それが、彼にとって完全なる『敗北』への第一歩になるとも知らずに。
*****
中立商業都市、オルキア。
その外れに位置する巨大な貸し倉庫群の一つに、俺たち『勇者討伐合同会社』の臨時オフィスは設置されていた。
「社長。先ほど仕掛けた市場介入(買い占め)の余波で、魔王領周辺の小麦価格が平時の二十倍にまで高騰しました。予定通り、第三軍団のアンデッド労働組合によるストライキが全面的な暴動へと発展した模様です」
「よし。想定内のKPI(重要業績評価指標)達成だ。ご苦労様、エルマさん」
長机に広げた帳簿を前に、丸眼鏡を押し上げながら報告するエルマに、俺は温かいコーヒーの入ったマグカップを差し出した。
「ありがとうございます、社長。……しかし、買い占めた大量の小麦はどうされるおつもりですか? 倉庫の保管料だけでも、かなりのランニングコストがかかってしまいますが」
「問題ない。この倉庫に積み上げられている小麦は、すべて『次のプロジェクト』のための初期投資だからね」
俺がそう答えた時だった。
倉庫の天井付近の梁に身を潜めていたシーフの影音が、音もなく俺の背後に降り立った。
「社長。来たよ。上空から、ものすごい熱源が一直線にこっちに向かってる。おそらく、魔王軍四天王の一人、炎の魔将だね」
「報告ご苦労。……ふむ、やはり来たか。予想より半日早いな。血の気が多い中間管理職というのは、得てして自分の足で現場の火消しに走ろうとするから行動が読みやすい」
俺は立ち上がり、椅子にかけてあった安全第一のプリントが入ったヘルメットを被った。
「さて、エルマさん、影音さん。我々も退避壕へ移動しよう。お客様のお見えだ」
俺たちが倉庫の地下に急造した防空壕へと避難し、分厚い鉄の扉を閉めた数十秒後。
ズガァァァァァァァンッ!! という凄まじい爆発音と共に、巨大な倉庫の屋根が吹き飛んだ。
防空壕の小さな覗き窓(耐熱強化ガラス製)から外部モニターを通じて様子をうかがうと、もうもうと立ち込める粉塵と黒煙の中から、全身に真紅の炎を纏った巨漢が降り立っていた。
『下等な人間どもォ! どこに隠れておる! この俺、炎の魔将イグニス様が直々に貴様らを灰燼に帰しにきてやったぞ! 姑息な手段ばかり使いおって、伝説の勇者としての誇りはないのかァ!』
怒声とともに、イグニスが手から灼熱の火球を放ち、倉庫内の木箱を次々と吹き飛ばしていく。
俺は防空壕の中に設置されたマイクのスイッチを入れ、倉庫内に設置したスピーカーを通じて彼に語りかけた。
『あー、マイクテス、マイクテス。……炎の魔将、イグニスさんですね? 初めまして。勇者討伐合同会社の代表を務めております、サトルと申します。本日は遠路はるばるのご来社、誠にありがとうございます』
『何ィ!? どこから声が……! ええい、小細工を! 姿を現して剣を抜けェ!』
『申し訳ありませんが、弊社ではアポイントメントのない飛び込み営業への対面対応はお断りしております。それに、イグニスさん。あなたは現在、弊社のリース物件である倉庫内で、無許可による裸火の使用という重大なコンプライアンス違反を犯しています。直ちに火気の使用を停止し、損害賠償の協議に応じていただけますか?』
『ふざけるなァ! 俺の炎はすべてを焼き尽くす地獄の業火! 貴様らのような腰抜け共ごと、この倉庫を炭に変えてくれるわァァァ!』
怒りで我を忘れたイグニスは、全身の魔力を限界まで高め始めた。
彼の周囲の空気が陽炎のように歪み、超高温の炎が渦を巻く。
「……社長。彼、ものすごい規模の魔法を放つ気です。この防空壕の耐熱シールドでも、直撃すればただでは済みませんよ!?」
エルマが青ざめた顔でモニターを見つめる。
だが、俺は懐中時計の秒針を冷静に見つめながら、ニヤリと笑った。
「いや。直撃はしないよ。彼は今、自分がどういう『環境』に立っているのか、全く理解していないからね」
「環境、ですか……?」
「イグニスさん」
俺は再びマイクに向かって語りかけた。
『一つ、忠告しておきます。この倉庫内に保管されている木箱の中身が何か、ご存知ですか? すべて、私が買い占めた『小麦』です。そして先ほど、あなたが派手に屋根を吹き飛ばし、木箱を破壊して回ったおかげで、現在の倉庫内はどういう状態になっているか』
モニターに映るイグニスは、巨大な火球を頭上に掲げながら、怪訝そうに周囲を見渡した。
『……何が言いたい! この空間には、真っ白な煙のようなものが充満しているだけではないか!』
『それは煙じゃないんですよ。極めて細かい粒子の、小麦粉の粉塵です』
俺は、手元の分厚いマニュアル本(物理学と化学の基礎)をパラパラとめくりながら、冷酷な事実を突きつけた。
『密閉された空間。空気中に高濃度で浮遊する可燃性の微粒子。そして、そこへあなたが提供してくれた、極めて強力な「着火源」。……この三つの条件が揃った時、何が起こるか。魔王軍の幹部研修では教わりませんでしたか?』
『な……何を……』
イグニスが、頭上の火球の熱で周囲の小麦粉の粉塵が異常な速度で連鎖発火していく現象に気づいたのは、その直後だった。
『粉塵爆発です。労災案件ですね。それでは、さようなら』
俺がマイクの電源を切った瞬間。
イグニスの掲げた炎を起爆剤として、倉庫内に充満していた数トンの小麦粉の粉塵が一斉に化学反応を起こした。
通常の魔法爆発など比較にならない、純粋な物理現象による超規模の爆発。
カッ!!!!
太陽が倉庫の中に現れたかのような強烈な閃光。
直後、大地そのものを揺るがす轟音と、すさまじい爆風が吹き荒れた。
防空壕の中まで強烈な振動が伝わり、俺たちは思わず壁に手をついて姿勢を低くした。
「……すごい威力ですね。社長の言う通り、魔法なんて全く必要ありませんでした」
影音が、モニターの真っ白になった画面を見ながら感心したように呟く。
「コストゼロの最強の爆弾さ。……エルマさん、爆発の規模からして、おそらくイグニスは消し炭になっているはずだ。念のため、一時間後に防護服を着て、四天王の討伐証明(魔石か何か)を回収してきてくれ」
「はい、社長! これで四天王討伐の特別ボーナスですね! 小麦の調達コストを差し引いても、大幅な黒字化です!」
エルマが電卓をパチパチと叩きながら、満面の笑みを浮かべた。
「ああ。さて、これで敵の武闘派の頭は潰れた。次は、いよいよ魔王城への『直接交渉(M&A)』に向かうとしよう」
俺はヘルメットを脱ぎ、スーツの襟を正した。
伝説の聖剣『剣』は、今日も俺の腰の鞘の中で、ただの文鎮のごとく無傷のまま輝いていた。
*****
数日後。魔王城の正門前。
かつては数万の魔物兵士たちが警備を固め、人間を寄せ付けない絶望の要塞として君臨していたその場所は、現在、極めてカオスな状況に陥っていた。
「「「我々は! 不当な給与未払いに断固抗議するぞ!!」」」
「「「労働環境の改善! 有給休暇の完全消化! 魔王はブラック経営から脱却せよ!」」」
正門前を埋め尽くしているのは、おびただしい数のスケルトン、ゾンビ、そして下級のゴブリンたち。
彼らは武器ではなく、ダンボールの裏に拙い字で書かれたプラカードを掲げ、シュプレヒコールを上げていた。
魔王城を取り囲む、数千匹規模の大ストライキである。
俺たち『勇者討伐合同会社』の三人は、そのストライキの群衆を掻き分けながら、悠然と歩みを進めていた。
「すごいですね……社長の引き起こしたハイパーインフレと兵站分断が、見事に魔王軍の末端組織を崩壊させています」
エルマが、周囲の抗議活動の熱気に圧倒されながらメモを取る。
「経済の基盤を握るものが、最終的に戦争を制するんだよ。いくら魔王の魔力が強大でも、配下の兵士にご飯を食べさせられなければ組織は維持できない。マネジメントの基本中の基本だ」
俺たちが正門に近づくと、ストライキを主導しているらしい、首から『労働組合長』というタスキをかけたローブ姿のリッチ(不死者の魔導士)が前に進み出てきた。
「き、貴様らは人間……! まさか、噂の勇者一派か!? 何をしにきた! 我々は今、労使交渉の真っ最中であって、人間と戦う余力などないぞ!」
リッチが杖を構えようとするが、俺はスッと右手を上げてそれを制止した。
「落ち着いてください、組合長さん。私は勇者討伐合同会社のサトルです。今日は戦いに来たわけではありません。皆様の『窮状』を救済するための、ホワイトナイトとして参りました」
俺は懐から、分厚い羊皮紙の束を取り出した。
「これは……?」
「当社の『雇用契約の切り替え同意書』です。現在、魔王軍は深刻な資金難に陥り、皆様の未払い賃金は膨れ上がる一方でしょう。しかし、魔王はそれを解決する手立てを持っていません」
俺はリッチの肩に手を置き、営業スマイルを浮かべた。
「当社は、魔王軍を『買収』する用意があります。ここにサインし、我々を魔王の玉座へと通していただければ、皆様の未払い賃金を全額、勇者討伐合同会社が肩代わりして即日お支払いします。さらに、魔王軍時代より基本給を20%ベースアップ。完全週休二日制、福利厚生完備。アンデッドの皆様のための定期的な骨のメンテナンス費用も補助しましょう」
「な……なんだと……!?」
リッチの顎の骨が、カクンと外れて落ちた。周囲の魔物たちも、俺の提示した破格の労働条件にどよめき始める。
「さあ、どうしますか? このまま倒産寸前のブラック組織で無給のまま働き続けるか。それとも、クリーンでホワイトな我が社に転籍し、安定した生活を手に入れるか。決断の時は今です」
俺が悪魔よりも悪魔らしい、甘い囁きを落とした数分後。
魔王軍のストライキ部隊は、満場一致で雇用契約書にサインをした。
彼らは俺たちに深々と頭を下げ、モーセが海を割るように、魔王城の正門から玉座の間へと続く道をピシッと開けたのだった。
「ちょろいもんだね。金で買える忠誠心ほど、管理しやすいものはないよ」
影音が呆れたように肩をすくめる。
俺たちは、何一つ魔法の罠を作動させることも、一匹の魔物と剣を交えることもなく、悠々と魔王城の最深部――『魔王の玉座』へと足を踏み入れた。
*****
「……よくぞ来たな、忌まわしき勇者よ」
巨大な玉座の間。
深紅の絨毯の奥、禍々しい装飾が施された玉座に深く腰掛けているのは、漆黒の角を生やし、圧倒的な威圧感を放つ魔王・ゼノスであった。
通常であれば、周囲には近衛兵や四天王が控えているはずだが、今は彼一人しかいない。四天王の一人は粉塵爆発で消し飛び、残りの幹部たちも末端の反乱に対処しきれず逃亡、あるいは俺の会社への転職面接に向かっている最中だ。
「初めまして、魔王ゼノス殿。本日はお忙しい中、お時間をいただきありがとうございます」
俺は丁寧に一礼し、スーツの内ポケットから名刺を取り出して、玉座へと歩み寄った。
「ふざけるな……! 貴様、何たる卑怯者か! 真正面から我が軍に挑むこともせず、経済を混乱させ、兵站を絶ち、我が配下を金で買収するとは! これが伝説の聖剣に選ばれし勇者のやることか!!」
魔王は立ち上がり、玉座を叩き割るほどの怒りを爆発させた。その全身から、闇の魔力が黒いオーラとなって噴き出している。
「卑怯とは心外ですね。私は与えられたリソースを最大限に活用し、最も無駄のない合理的なアプローチで『魔王討伐』というミッションを遂行しているだけです」
俺は魔王の怒りなど意に介さず、エルマに合図を送った。
エルマはリュックサックから、さらに分厚い書類の束を取り出し、魔王の目の前にドンッ!と積み上げた。
「な、なんだこれは……」
「『約束手形』と『債権譲渡契約書』の束です」
俺は書類の束をポンポンと叩いた。
「魔王殿。あなたは長年の人間との戦争を継続するために、裏社会の闇ギルドや悪徳商人たちから、城を担保にして莫大な借金をしていましたね? 武器の調達、モンスターの召喚コスト……それらを維持するための負債額は、すでに魔王領の年間税収の百年分に達しています」
魔王の顔色(元々青白いが、さらに真っ青に)が変わった。
「……そ、それがどうした! 我が魔王軍が人間どもを滅ぼし、全世界を支配すれば、そのような借金など踏み倒して――」
「甘いですね。その『借金の債権』、先週すべて我が『勇者討伐合同会社』が買い取らせていただきました。王国の国家予算をフルスイングで投入してね」
「なっ……!?」
「つまり、現在の魔王城、そして魔王領のすべての土地・資産の実質的な所有権は、筆頭債権者である私、サトルにあります。そして、あなたは現在、事実上の『債務不履行』状態に陥っている」
俺は魔王に冷酷な視線を突き刺し、最後通告を行った。
「魔王ゼノス。今すぐあなたに、私との戦闘魔法を発動させる権利は一切ありません。なぜなら、あなたがここで暴れて玉座の間(弊社の資産)を破損させた場合、その修繕費用はすべてあなたの個人負債に加算されますからね。これ以上負債が膨らめば、あなたの自己破産は免れませんよ。魔界の信用情報機関に名前が載れば、今後一切のクレジットカードも作れず、新たなダンジョンのローンも組めなくなります。それでもよろしいですか?」
「…………ッ!!」
魔王ゼノスは、振り上げていた闇の魔力を込めた拳を、ワナワナと震わせながら……ゆっくりと、下ろした。
物理的な暴力ではどうにもならない『資本主義の暴力』の前に、魔王の膝が完全に屈した瞬間だった。
「よろしい。話のわかる方で助かります」
俺は笑顔で、最後の一枚の書類――『吸収合併(M&A)同意書』を差し出した。
「ここにサインをお願いします。これにより、魔王軍は勇者討伐合同会社の『完全子会社』となります。あなたの役職は『魔界支社長』へと降格になりますが、最低限の生活保障と、固定給はお約束しましょう。さあ、ペンをどうぞ」
魔王ゼノスは、プルプルと震える手で羽根ペンを受け取り……涙を一滴こぼしながら、書類にサインをした。
「……うぅっ……余の、野望が……こんな、書類一枚で……」
「お買い上げ、誠にありがとうございます。今後とも、コンプライアンスを遵守した健全な支社運営を期待しておりますよ、ゼノス支社長」
俺はがっちりと魔王と握手を交わした。
伝説の聖剣を一度も抜くことなく。
勇者のレベルは初期値の「1」のまま。
俺の『異世界魔王討伐プロジェクト』は、こうして一切の流血(魔将の粉塵爆発を除く)を伴わずに、完全なる勝利、いや『完全買収』という形で幕を閉じたのである。
*****
「……信じられない」
数日後。
すっかり平和(という名の徹底した資本主義体制)が敷かれた王都の儀式の間。
空中に顕現した女神エルフレアは、頭を抱えてしゃがみ込んでいた。
『こんなの……私の思い描いていたロマンチックでヒロイックなファンタジー世界じゃない……! 魔王がスーツを着て、エルフの里に営業の飛び込みに行かされてるなんて……!』
「世界は平和になったんです。大成功じゃないですか」
俺は、すっかり自分のオフィスと化した儀式の間で、優雅にコーヒーを飲んでいた。隣ではエルマが電卓を叩き、影音が見張りをしている。
『ああっ、もう! あんたなんか、さっさと元の世界にクーリングオフで返品してやるわよ! そのダサい聖剣ごとね!』
エルフレアが泣き叫びながら、俺を強制送還するための魔法陣を展開しようとした。
しかし、俺は立ち上がり、ビシッと女神を指差した。
「お断りします」
『えっ? クーリングオフしたいって言ってたの、あなたじゃない!』
「状況が変わりました。今の俺は、この世界のあらゆる利権を握り、王国と魔界を統括するグローバル企業のトップ(CEO)です。元の世界の安月給のブラック企業に戻るメリットなど、一つもありません」
俺は机の上に無造作に置かれていた、カスタマイズ済みの聖剣『剣』を手に取り、ペーパーウェイト代わりに書類の束の上にドンッと乗せた。
「この世界は、まだまだ未開拓の市場です。俺のビジネス手腕で、さらに効率的に、徹底的に管理された美しい世界へとリノベーションさせてもらいますよ。女神様、あなたにもうちの『神界広報部』のアンバサダーとして働いてもらいますからね。ノルマはキツいですよ?」
『いやああああああ!! 社畜の神様なんて嫌ああああああっ!!』
絶叫する女神の声をBGMに、俺は新たな事業計画書の作成に取り掛かった。
伝説の聖剣を抜いた勇者は、今日も剣を抜くことなく、契約書にサインをするためのペンを握り続けるのだ。




