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犬猿の仲の公爵家同士ですが、覚悟を決めたら僕の人生が決まりました  作者: 白波 いつき


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番外編:姉たちの包囲網

 家に帰り、サンルームへと連れて行かれた時点で嫌な予感はしていた。


 いや、正確に言えば、玄関をくぐった瞬間から、空気が違ったのだ。


 妙に静かで。

 妙に整っていて。

 そして何より、侍女たちの視線が優しすぎた。


 嫌な予感しかしない。


「「「おかえりー」」」


 扉を開けた瞬間、揃った声が響く。


 俺は、今日が厄日だと確信した。


「……ただいま帰りました。お姉様」


 そこには現在この家に住んでいる三女だけではなく、家を出たはずの長女と次女まで揃っていた。


 逃げ場はない。

 完璧に、包囲されている。


 サンルームは西日が差し込み、白いレースカーテンが揺れている。

 ガラス越しの庭は穏やかで美しいのに、ここだけ空気が重い。


 嫌すぎる。

 何か、何か言い訳はないか。


 体調不良?

 急用?

 緊急で書類整理?


 頭を高速回転させていると、侍女のリジーがお茶の準備を始めた。


 俺の分を淹れる前に止めなければ、と一歩踏み出した瞬間。


「あぁ、いいわよリジー。マティが淹れるから」


「えっ? いや、リジーが……」


「久しぶりに帰ってきたのだから、マティのお茶を飲みたいの。早くしてくれる?」


 にっこり。

 逃げ道、封鎖。


「……はい」


 俺は掠れた声で返事をするしかなかった。

 リジーは心得たように一礼し、下がっていく。


 所詮、俺に断る権利などない。


 ヘレーネが“淑女の中の淑女”と呼ばれているのに対し、姉たちは“社交界の花”と呼ばれている。


 だが俺からすれば――毒花だ。

 それも猛毒の。


 長女と次女の旦那さんを心の底から尊敬する。

 よくぞ娶ったな、あんな猛獣たちを。


 内心でぶつぶつ言いながら、ポットに湯を注ぐ。


「ねぇ、マティ」


 二番目の姉の甘えた声が響いた。


「そんな顔で淹れたお茶を、私たちに飲ませるつもり?」


 俺には、顔をしかめる権利すらないらしい。

 無理やり口角を上げ、紅茶を淹れ直す。


 そんな間にも、リジーが茶菓子を運び入れ、姉たちへとサーブしていく。


「マティもそこに座りなさい」


 長女の凛とした声が響く。


 座らなきゃだめ?

 逃げちゃだめ?


 思い出す。昔、走って逃げた時のことを。

 その後、一ヶ月間に渡って“細々としたお仕置き”を受けた記憶が脳裏を駆け巡る。


 あれは二度と御免だ。


 俺は大人しく席についた。


 すると、長女がカップを持ち上げながら言った。


「マティ。貴方、私たちに報告し忘れていることがあるんじゃない?」


 報告?

 いや、ない。

 そもそも、何一つ報告したくない。


「いや、特に……」


「ヘレーネと無事婚約できたそうね」


 俺の返事をぶった切り、長女は言葉を続けた。

 淑女の話は最後まで聞けと煩いくせに!


「……はい。婚約できました」


 しぶしぶそう答えた瞬間、三人の姉が一段と姦しくなった。


「まぁ、ようやくなのね!?」


「ほんっと、いつまでもタラタラしてるんだから」


「どこぞの伯爵家の嫡男に掻っ攫われるんじゃないかと、ハラハラしましたわ」


 ぐうの音も出ない。


「それにしても、ヘレーネも物好きよね。あんな格好悪い告白なんかで了承するなんて」


「何よりも、結局お父様達を納得させたのはヘレーネじゃない。マティ、あなた一体何をしていたの? 情けない」


 集中砲火。

 俺はカップを握ったまま、ただ耐える。

 口を開こうものなら、この何倍もの言葉がとんでくるだろう。


「まぁまぁ、マティなりに頑張っているのよね。最近はようやく女の子の誘いを躱せるようになっているみたいですし」


「そもそも押し切られるのがおかしいのよ。それだってリディアとカトリーナが尽力してくれているおかげだし」


 俺の知らない情報まで飛び交う。

 怖い。

 本当に怖い。

 この人たち、どこまで把握してるの?

 俺の人生、俺より詳しくない?


 ポットを持つ手が小さく震える。


 俺が集中砲火に耐えていると、サンルームの扉が控えめに叩かれた。


「ヘレーネ・フォン・ローゼン、お呼びと伺い参りました」


 澄んだ声。

 振り向いた瞬間、空気が一段柔らかくなる。


 美しい所作で一礼するヘレーネは、夕日の光を背に受けて、まるで一輪の花のようだった。


 ――救いだ。


 俺が声をかけようとした瞬間。


「ヘレーネ! いらっしゃい!」


「待っていたのよ」


「ほら、こっちに座りなさい」


 俺を押しのけ、姉たちが一斉に立ち上がる。


 え、ちょっと。

 いつの間にそんな仲良くなってるの?


 長女と次女の間に当然のように座らされるヘレーネ。


 自然すぎる。

 距離感が近い。

 俺だけが蚊帳の外みたいじゃない?


「マティ、お茶」


 長女の一言で現実に引き戻される。


 俺はヘレーネの元へ行きたい気持ちを押し込み、改めてポットを手に取った。


 ヘレーネの分だから、特に丁寧に。


 茶葉の開き具合、湯の温度、蒸らし時間。


 ――完璧に。


 カップを差し出すと、ヘレーネはいつもの柔らかな微笑みを向けてくれた。


「ありがとう、マティアス」


 口に含み、ほうっと小さく息を吐く。


「マティアスが淹れたお茶は、本当に美味しいわね」


 君だけがこの部屋の癒しだ。

 猛獣の檻の中に咲いた唯一の花だ。


 内心で涙ぐみながら感謝していると、再びサンルームの扉が開いた。


 ――ばたん!


 今度は遠慮も配慮もない勢いだ。


「ローゼン家の小娘が来たと聞いたぞ!」


 父上の声が、穏やかな午後の空気を真っ二つに裂いた。


 そんな父の声に、姉たちは揃って白けた顔をしていた。

 ああ、また始まった――そんな表情だ。


 父は重い足音を響かせながら、一直線にヘレーネへ歩み寄る。


 俺は反射的に、その前へ出た。


「父上。その態度はあまりにも失礼です。ヘレーネを怖がらせないでください」


「お前、あいつがこれぐらいで怖がるような娘に見えるか!?」


 父は不躾にヘレーネを指さす。


 振り返ると、ヘレーネは眉をわずかに下げ、そっと頬に手を添えていた。


 ――あれは、困ったときの仕草だ。

 小さな変化だが、俺には分かる。


 その瞬間、腹の奥で何かが静かに切り替わった。


「父上であっても、ヘレーネを困らせるなら許しません。突然押しかけてきて、一体何のご用ですか」


「……っ!」


 父の顔がみるみる赤くなる。


 だが、俺は引かない。

 正直、これがヘレーネの父上だったなら膝が震えていたかもしれない。


 だが父なら、最悪取っ組み合いになっても負ける気はしない。


「まぁ、マティアス。守ってくださるなんて……嬉しいわ」


 背後から甘い声。

 思わず頬が緩みかけ、慌てて引き締める。


「たまにはマティも格好いいところを見せないとね」


「もっと早く見せるべきだったけれど」


 姉たちが追撃してくる。

 うるさいな。


 父上より姉たちのほうが精神的に痛い。


「どうせなら、ローゼン家当主にもその態度を見せればよろしいのに」


「それにしても、お父様は礼儀というものをご存じないのかしら」


「これが公爵家当主だなんて、明日から社交界で顔を合わせるのが恥ずかしいわ」


「まぁまぁ。お父様がどうしようもないのは、今に始まったことではないでしょう?」


 容赦がない。

 思わず父を見ると、目がうっすら潤んでいた。

 娘たちを溺愛している父にとっては、致命傷だろう。


 俺はもう慣れたけど。


 父は一つ咳払いをし、無理やり威厳を取り戻そうとする。


「その……以前の、あの用紙だが。二人の婚約は了承した。ゆえに、こちらへ返してもらおう」


 あの用紙。

 つまり、父の黒歴史ラブレターの束だ。


「あら、あの用紙でしたら既に処分いたしましたわ」


 ヘレーネは涼しい顔で答えるが、


「そんな言葉が信じられるか!」


「信じていただけないのは心外ですけれど……以前お見せしたのは、あくまで一部ですわ」


「一部だと!?」


 父上の声が裏返った。


 ……父上、自分が何通書いたか覚えていないのか?


 内心呆れていると、長女の大きなため息が落ちた。


「お父様。ヘレーネが持っているのは一部です。それは私が保証いたします」


「なっ、なぜお前が知っている!?」


 長女は静かにカップを置いた。


「ヘレーネにあの手紙を渡したのは、私たちですもの」


 次女と三女が同時に頷く。

 父の動きが止まった。


「私たちの結婚に反対されたら面倒ですから。お父様の弱点は、以前から少しずつ集めておりましたの」


 次女が楽しげに微笑む。


「まぁ、私たちの結婚は円満に済みましたので、使わずに済みましたけれど」


 うふふ、と無邪気に笑う。

 怖い。

 その笑顔が一番怖い。


 ――いつから集めていたんだ?


 父上の威厳は、完全に蒸発していた。

 午後の光の中で、ただ立ち尽くしている。


 そして俺は、改めて理解する。

 この家で一番強いのは父ではない。


 間違いなく――姉たちだ。


「マティアスの結婚が危なそうだったから、ヘレーネに渡したのよ」


 長女が当然のように告げる。


「とても助かりましたわ」


 嬉しそうに微笑むヘレーネ。


「私が結婚する時用に、まだ残してあるから」


 三女がさらりと言い添えた。


 父上の口は開いたまま、閉じる気配がない。

 立ち尽くしたまま、虚空を見上げている。


 ……生きてるよな?


 思わず呼吸を確かめる。

 動いている。よし。

 なら、いいか。


 完全に置き去りにされた父上を横目に、俺はずっと気になっていたことを口にした。


「……ヘレーネと姉様たちは、いつからそんなに親しかったんですか?」


「マティがヘレーネに恋した頃よ。あなたが八つか九つの頃かしら」


 なぜ俺の初恋の時期を、そんな正確に把握しているんですか?


「あの子、ずいぶん難しい相手に惚れたわねって思ったのよ」


「でも、ヘレーネも嫌がっている様子はなかったし」


「ふふ。マティアスは、あの頃から優しかったですから」


 照れたように微笑むヘレーネ。


 ……うん。可愛い。

 今も可愛いが、あの頃も可愛かったに違いない。


「だから前もって、私たちがヘレーネと交流を持っておいたのよ。お母様たちも、その頃からよくお茶をする仲だったわ」


 父上の口が、さらに開いた。

 完全に寝耳に水らしい。


「ヘレーネは良い子だったもの。だから、私たちが集めていたお父様の弱点を譲ったのよ」


 なるほど。

 俺だけが、何も知らなかった。


「……そういえば、姉様たちはその頃から俺にやたら厳しくなりましたよね。それも関係あります?」


「あぁ、あれね」


 長女が小さく頷く。


「マティが自分の顔の良さに気づき始めた頃だったでしょう?」


「お父様みたいに、あちこちに声をかけるグズ男になったら困るから、一度きっちり締めておこうってなったのよ」


「もちろん、お母様の許可は取ったわ」


 うん。俺の許可もとって欲しかったな。


「ふふ。お姉様方のおかげで、マティアスがこんなに素敵な男性になったのですね」


 ヘレーネが嬉しそうに言う。


 ……なら、もういいか。


 結果として婚約できたわけだし。

 過程はどうあれ、今があるってことで。


「可愛い弟のためですもの。これくらい当然よ。あら、お茶が冷めているわ」


 長女がカップを持ち上げる。


「我が家の唯一の男の子だもの。可愛くて仕方ないのよ。マティ、今度は私のドレス選びにも付き合いなさいね」


 次女が笑う。


「“姉たまっ”って一生懸命後ろをついてきた姿を思い出すとね。幸せになってもらわないと困るでしょう? あ、マティ。お礼は今度、伯爵家の完璧くんを紹介してくれればいいわ。最近仲が良いんでしょう?」


 三女がさらりと爆弾を投げる。

 最後に何か放り込まれた気はするが。


 姉たちの優しさを、俺はちゃんと受け取ることにした。


 新しくお茶を淹れながら。


「仲が良くて素敵ね、マティアス。私たちも将来、こんな家族になれたら……嬉しいわね」


「ヘレーネ……」


 はにかんだ笑顔。


 その一言で、今度こそ頬の緩みを止められなかった。


 そして。


 すっかり空気と化していたグラーフ家当主は、心の底から思う。


 ――マティアス。

 お前の婚約者は、間違いなく姉たちと同類だ。


 この瞬間、父は初めて。


 息子の将来を、本気で案じたのだった。

本編に続き、番外編もお読みいただきありがとうございました。


書いているうちに、

まだまだこの世界で描けそうな場面があるなと感じています。


また気が向いたら、

ひっそり番外編を投稿するかもしれません。


そのときはお付き合いいただければ嬉しいです。

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