本編:犬猿の仲の公爵家同士ですが、覚悟を決めたら僕の人生が決まりました
貴族社会には、
絶対にくっついてはいけない組み合わせというものがある。
例えば――
犬猿の仲として知られる、グラーフ家とローゼン家。
どちらも公爵家。
どちらも強い影響力を持ち、顔を合わせれば必ず口論になる。
そんな二つの家の間で、よりにもよって、静かに両想いを続けている二人がいた。
マティアス・フォン・グラーフは、学園内では少々有名な存在だ。
顔がいい。
とにかく顔がいい。
愛想もいい。
ただ、風貌の問題だろうか。
「チャラそう」と評されることが多い。
実際、周囲には女子が多い。
――ただし本人は、三人の姉に叩き込まれた徹底的なレディファーストと、断るのが壊滅的に下手な性格なだけだった。
どうしてこうなるんだろ……。
そう思いながらも、愛想よく笑ってしまうあたり、自覚はあっても改善の余地はない。
一方で、彼が想っている相手は、誰もが「近寄りがたい」と評する存在だった。
ヘレーネ・フォン・ローゼン。
整った顔立ちに、凛とした佇まい。
孤高のクール系美女――
という評価は、だいたい合っている。
ただし本人は、常々「友達が欲しい」「人気者が羨ましい」と口にしている。
二人が言葉を交わすようになったのは、皇室主催のパーティーだった。
両家の当主が、いつものように言い争いを始め、
その少し離れた場所で、マティアスとヘレーネは顔を見合わせた。
「……お互い、大変ね」
そう言って、ほんの少しだけ笑った彼女の顔を、マティアスは今でも覚えている。
それが、すべての始まりだった。
以来、二人は隙を見ては短く話し、見つかればすぐに引き離される。
「帰るぞ!」
「こんな家の人間と口を利くな!」
そんな言葉と共に。
それでも、会話を重ねるうちに、気づけば互いが特別になっていた。
――好きだ。
その気持ちは嘘じゃない。
ヘレーネも、きっと同じ気持ちでいてくれている。
うん。たぶん、きっと……俺の思い違いじゃなければ。
だが、付き合うとなると……なぁ。
マティアスは、元騎士団長で、ゴリラも裸足で逃げ出しそうな顔をした、ローゼン家当主の姿を思い出し、思わず身震いした。
怖すぎる。ビンタされたら、きっと俺の首はもげるだろう。
超えるべきハードルが高すぎる。
そして、その超え方がまったくわからない。
だから二人は、今日も曖昧な関係のまま、同じ学園に通っている。
その日も、空はやけに穏やかだった。
雲ひとつない青空。
いい天気だな。
洗濯物日和だ。
学園の中庭は、昼下がりの静けさに包まれている。
鈴を転がすような声が、その静かな空間に響いた。
「ねえ、マティアス」
隣に座るヘレーネが、本を閉じながら口を開いた。
ただ、それだけの仕草なのに、今日もヘレーネは美を体現していた。
そんな彼女の口からは、ほうっと思わしげなため息が漏れた。
「私たち、もしかして、悲劇の恋に酔っているだけなんじゃないかしら」
思いがけない言葉に、マティアスの背筋が一瞬で強張る。
別れ話。
関係を終わらせるための前置きか?
えっ、待って。
普通に嫌なんだけど!?
だが彼は、三人の姉に叩き込まれた教えを思い出す。
――女性の話は、最後まで聞け。
「えっと……
どういうことかな?」
自分でも驚くほど、穏やかな声が出た。
無駄にキメ顔をしている自覚もある。
「私たち、親に反対されているし、学校でも堂々と会えないでしょう。
だから、この状況に酔っているだけなのかしら、と思って」
憂いを帯びた、美しい横顔。
とても絵になる。
なるが――
いや、そんなことある?
そんな自覚がある状況で、酔いしれたりする?
「もしかしてだけど……
最近、何か小説とか……読んだ?」
「ええ。
ロミエットとジュリエッタを読んだわ」
「なるほど」
納得しかなかった。
あれは、そういう本だ。
読めば誰でも一度は、運命だの障害だのに浸りたくなる。
あるいは、本の中の二人を客観的に見て、もしかして、私たちも周囲から見たら、状況に酔っている痛いカップルに見えるのでは、と考え始めたのかもしれない。
……ありえそうだな。
「俺は酔っているつもりはないよ」
「私もよ。でも大体、酔っぱらいって酔ってないって言うじゃない?」
リアルな酔っぱらいと一緒にしちゃダメでしょうよ。
そう思うが、彼女は真剣だ。
「えっと……じゃあ、一回、距離でも置いてみて。冷静になる時間、設ける?」
自分で提案しつつ、思わず自分を殴りたくなった。
――離れるとか無理じゃない!?
マティアスの内心の葛藤は他所に、ヘレーネは少し考えてから、静かに頷いた。
「そうね。その方がいいかもしれないわ」
あっさりした返事だった。
……あっさりしすぎじゃないですか?
内心、心臓が嫌な音を立てていたが、彼はそれを表には出せなかった。
それから数週間。
マティアスの周りには、なぜか女子生徒が増えた。
「マティアス様、良かったら次の教室までご一緒しても――」
「あ、……うん……いいよ」
断れない。
いつも通りだった。
いや、別に勘違いさせたいわけじゃない。
だって、悲しい顔をされたら、どうしたらいいのか分からないんだ。
でももちろん、一緒に歩く以外は何もしない。
だいたいの子は、想像と違ったらしく、一定期間で去っていくし。
なんか違うらしい。
――なんかって何? 去り際に致命傷与えるの、やめてくれる?
最初のキラキラした目とは違い、何だか残念なものを見る目で、皆、俺の元を去っていく。
別に悲しくはない。ただ、原因だけ教えて?
一方で、ヘレーネの方にも変化があった。
友達ができたのだ。
しかも――皇女。
恐らく初めてだろう友達に、ヘレーネはワクワクを隠しきれない表情をしていた。
なおマティアスは、その皇女に以前、こう言われている。
「チャラい男は嫌いです。近寄らないでください」
思い出すたびに、心が静かに削られる。
皇女が近くにいると、なかなか近寄れない。
でも、楽しそうなヘレーネは可愛いな。
それから、さらに数週間して、久々に中庭でヘレーネと会った。
彼女の口から、開口一番に飛び出したのは――
「やっぱり、貴方と会えない日が続くのは淋しいわ」
という言葉。
あーもう、可愛い。
マティアスは、その言葉を噛み締めながら、
「俺も」
と返すのがやっとだった。
そして、それから数日。
ヘレーネの両親が、ヘレーネに婚約者の打診があったと伝えたらしい。
伯爵家の嫡男で、
顔よし。成績よし。運動神経よし。
将来有望で、なおかつ爽やか。
学園内の人気は、堂々の一位。
ちなみに、二位はマティアスである。
何してくれてんの? マジで何してくれてんの!? 将来のお父様、お母様。
俺、勝ち目ないから!
ヘレーネに近寄らないでくれ。頼むから!
……完璧男とか滅びろ。
マティアスは、毎晩寝る前に神様へと祈りを捧げるようになった。
ヘレーネは両親へ、しっかりと断ったらしいが、どうやら向こうは、まだ諦めていないようだ。
そんなある日。
裏庭で本を読むヘレーネを見つけ、声をかけようとしたマティアスは、その足を止めた。
彼女の前には、例の完璧野郎が立っていたからだ。
マティアスから見ると、二人は、とても楽しそうに話しているように見えた。
――何よりも、とてもお似合いに見えた。
近くにいた皇女曰く、ヘレーネの返事は、どう聞いても棒読みだったらしいけど。
壊れたオルゴールだって、もっとスムーズよ。
とは、後ほど聞いた話だ。
でも、その時の俺には、二人のお似合いな姿が、ただただ羨ましかった。
それ以来、そんな光景は、何度か目にすることになった。
俺は、皇女が怖くて近寄れないのに!
それを見たのは、何度目だっただろうか。
裏庭。
木陰。
本を開いたままのヘレーネの正面に立つ――例の完璧男。
マティアスは、物陰から二人を見ていた。
ストーカーじゃない。心配だからだ。
風が吹き、ヘレーネのきれいな髪が揺れる。
そのあと、完璧野郎が、ヘレーネの髪を整えようと、手を伸ばした。
――その瞬間だった。
「ちょっと待ったぁぁぁ!!」
自分でも驚くほど、でかい声が出た。
あ、やばい。
そう思った時には、もう遅い。
俺は、
二人の前に、飛び出していた。
「あっ……えっと」
視線が集まる。
完璧男。
ヘレーネ。
通りがかりの生徒数名。
落ち着け。落ち着け、俺。
そう思えば思うほど、舌が空回りする。
ヘレーネを見ると、驚いたように、目をまん丸にしていた。
何故か、落ち着いていない時ほど、口は勝手に動く。
「俺は……! えっと……その……」
――言葉が、まとまらない。
物語とかでは、もっと格好よく決まっているのに!
今、出てくるのは、
意味不明な単語と、
妙な間だけだった。
「えっと……ヘレーネは! 俺の……なんで、だから」
沈黙が痛い。
「触らないで! ください!」
あーー……くそ。格好悪い。
今までの人生で、一番、格好悪い瞬間だった。
沈黙。
完璧男が、不思議そうに首をかしげる。
「……二人、仲良かったの? 犬猿の仲じゃ?」
ですよねー。
今まで、そんな素振り、なかったもんね。
有名だもんね。
仲悪いの。
ちらりと視線を向けると、ヘレーネは、顔を伏せ、口元を手で覆っていた。
終わった……。
嫌われた。
幻滅された。
今までの関係も、全部。
そう思った、その時。
「――ふふっ」
小さな、でも、確かに堪えきれていない笑い声。
顔を上げたヘレーネの顔には、はっきりと笑みが浮かんでいた。
「……え?」
「もう……」
彼女は一度、深呼吸をしてから、にっこりと笑った。
「なんだ。あなた、覚悟が決まったのね」
「……は?」
理解が追いつかない。
「だって、そうでしょう?」
彼女は、当然のように言う。
「嫉妬して、飛び出してきて、あんな告白――いえ、未遂をするくらいだもの。
私のこと、大好きなのね」
「い、いや、あれは……! 大好きだけども!」
それはもう大好きですよ!
でも、覚悟って何!?
「十分よ」
そう言って、彼女はマティアスの手を取った。
「なら、早い方がいいわ」
「は、早いって、何が……?」
「決まっているでしょう」
ぐい、と引っ張られる。
歩き出す。
迷いがない。
「ちょ、ちょっと待って! どこ行くんだ!?」
「決まっているじゃない」
振り返った彼女の表情は、楽しそうで、どこか晴れやかだった。
「両家へのご挨拶よ」
……は?
脳が、処理を拒否した。
「い、いやいやいや! それは! 順序ってものが――」
「今さら、何を言っているの?」
にっこり。
「あなた、覚悟が決まったのでしょう?」
――違う。
決まったのは、勢いだ。
首をもがれる覚悟も、ゴリラとタイマンする覚悟も、決まってない。
だが、その勢いに引きずられるように、マティアスは歩いていた。
……ああ、もう。
どうやら俺は、人生で一番大事な局面に、最悪の形で踏み込んでしまったらしい。
連れて行かれた先には、予想通り――両家の当主が揃っていた。
奥方はいない。
そして、とても空気が重い。
部屋に入るなり、すでに言い合いが始まっていた。
「だから貴様の家は――!」
「それを言うなら、そちらこそ――!」
あ、これ、いつものやつだ。
マティアスが現実逃避を始めた、その時。
「お父様」
ヘレーネが、澄んだ声で口を開いた。
喧嘩が、ぴたりと止まる。
「私たち、結婚しますわね」
ヘレーネちゃーーーん!?
静かで、あまりにも自然な宣言だった。
次の瞬間。
「なにを言っている!!」
「ふざけるな!!」
怒号が飛ぶ。
予想通りだ。
むしろ、ここまでは想定内。
だが、ヘレーネは一歩も引かない。
彼女は、マティアスの父の前に歩み寄り、一通の手紙を差し出した。
「おじさま。これを読んでいただけます?」
「おじ……なぜ、そんなものを」
「読みたくないなら、構いませんわ」
にっこり。
「おじさまとおばさまは、今もとても仲がよろしいですものね。
いつまでも、そうでいてほしいですわ」
――貴族的な、満点の微笑み。
その笑顔に、背中に冷たいものを感じたのだろう。
父は、手紙をひったくるように奪い取った。
そして。
数行読んだところで、顔色がみるみる青くなる。
そして、赤くなる。
――すごいな。どうなってんの?
それは、若かりし日の公爵の黒歴史ラブレターだった。
公爵夫人と出会うまで、公爵は相当遊んでいたらしい。
「……ま、まだ……あるのか」
「ええ。皆様、とても大切に保管されていましたので」
父は、崩れ落ちた。
「……婚約は、認める」
蚊の鳴くような声だった。
唖然とするローゼン家当主。
唖然とするマティアス。
えーと。
ヘレーネちゃん、何を父に見せたのかな?
俺の戸惑いを他所に、ヘレーネは止まらない。
次は、自分の父へ向き直った。
「お父様。私、家を出てもいいと思っているの」
「……何?」
「行商になって、各国を回るのも楽しそうでしょう?」
ローゼン公爵の顔色が、今度は本格的に悪くなる。
娘の、斜め上に突き抜けた行動力の数々を思い出したのだろう。
驚くよね。俺も驚いた。初耳だよ、ヘレーネちゃん。
「平民の生活が、どれほど厳しいか分かっているのか!
お前は家のことも、自分のことも……!」
「あら」
ヘレーネは、首を傾げた。
「私は、できなくても問題ありませんわ」
「……は? 何を甘えたことを……!」
「彼ができるもの」
そう言って、彼女はマティアスを指差した。
部屋の視線が、一斉に集まる。
「……え?」
素で声が出た。
「料理も」
「家事も」
「身だしなみも」
淡々と、事実だけが並べられる。
「彼の作る食事は、派手ではないけれど、毎日食べたくなる味ですし、
その他の家事も、お手の物ですわ」
マティアスは、完全に思考停止していた。
「……で、できるのか?」
恐る恐る父に問われ、逃げ場を失った彼は、正直に答える。
「あ、はい……できます」
「何をやっている! お前は公爵家の嫡男だぞ!」
「いや、その……母と姉たちが、
父のような、煩いだけのポンコツになるなって……」
空気が、死んだ。
ごめんね。思わず口が滑っちゃった。
でも、ちゃんとオブラートには包んだから。
実際は、もっと酷かったから。
泣きそうな顔の父を励ますか悩んでいる間にも、ヘレーネの追撃が止まらない。
「この間のクッキーも、美味しかったわ。
デートの時には、髪も綺麗に結ってくれたし。
マティアスは、実際に行動で愛を示してくれるから、安心できるんです」
えっ。照れる。
「お母様も、結婚するなら、マティアスみたいな人がよかったと、よく言っているしね」
ローゼン公爵が、音を立てて崩れ落ちた。
愛娘から、愛する妻のまさかの発言を聞いて、耐えられなかったのだろう。
その後。
両家当主は、喧嘩する気力すら失ったのか、それぞれが短く告げた。
「……婚約は、了承する」
「もう、好きにしたらいい……」
意気消沈した二人は、そのまま部屋を出ていった。
そうして、部屋は静かになった。
残された俺とヘレーネ。
何とか首をもがれなかったことにホッとしつつ、機嫌の良さそうなヘレーネに向き合う。
「……俺の覚悟待ちだったの?」
呟くと、ヘレーネは楽しそうに笑った。
「ええ。だから、早く言ってくれればよかったのに」
マティアスは、改めて彼女に向き直る。
待っててくれたなんて、考えたこともなかった。
何とかしなきゃと思うばかりで、何の行動もできていなかった自分とは違い、
彼女は、俺たちの今後を、しっかり考えていてくれた。
その事実に、マティアスは、拳をぎゅっと握りしめた。
花束もない。
もちろん、指輪も用意していない。
それでも、彼女に膝まずくことはできる。
「俺と、結婚してください」
そっと手を差し出し、美しい指先に手を触れる。
「ええ、喜んで」
とても美しい彼女の笑みに、マティアスも思わず、笑みがこぼれた。
「結婚しても、たまには、あなたが作る素朴なご飯が食べたいわ」
「……うん。いくらでも作るよ」
「また、私の髪の毛、結ってくれるかしら。
貴方が選んでくれた服を着て、デートにも行きたいわ」
「もちろん。じゃあ、俺の服は、ヘレーネが選んでね」
「それと、取り巻きの女性は、整理なさい」
ヘレーネの声が、一段低くなった。
「……はい」
「それから……」
まだあるの?
「貴方の、学園での告白も、私は好きよ」
それはもう、忘れてください!!
でも、まぁ。
「ありがとう」
こんな俺を好きになってくれるのは、彼女ぐらいだろう。
マティアス・フォン・グラーフは、
こうしてようやく、
覚悟を決めた。




