第二章4-1
「今の母親、そんな好きじゃないんだ。」
夕暮れの河川敷。榊原悠真はにこやかに笑いながらも、その横顔はどこか影を帯びていた。
私は一瞬、返事を迷った。普段なら軽口を返す場面だ。けれど、家庭のことを悠真が自分から話すなんて滅多にない。しかもネガティブな言葉だ。私は夕焼けに視線を逃がしながら、ただ一言、「そっか」とだけ言った。
それ以上何も言えなかった。何を言っても、それが地雷になる気がしたから。
榊原家はこの街で知らぬ者のいない名家だった。観光業も、ホテルの設備も、街の発展は榊原家と共にあった。子どもの頃から私は榊原の家に呼ばれ、母親にお菓子をもらったり、食べきれないほどの夕飯をご馳走になった。私が幼馴染だったこともあるだろう。悠真と、遊んだ帰りは必ずグッとパーをしていた。普通は遊ぶ前にやるはずが、悠真は帰る前にそれをして、そそくさと帰っていく。
悠真の母はいつも笑顔で、悠真や悠真の父に、細やかな気配りを忘れない人だった。悠真はそんな母を誇らしげに見ていて、時には得意げな顔で私に「いいだろ?」とマウントを取ることすらあった。
だがその母は離婚し、街はたちまち噂に染まった。程なくして榊原家に新しい母親が入った。悠真はそこから少しずつ変わっていった。家に招かれることはなくなり、「また遊びに行きたい」と言っても「今度な」とはぐらかされるばかり。私は悟った。きっと話したくないんだ、と。
中学に入って桐島と初めてあった。読書が好きで私と悠真もすぐに仲良くなった。中学でも私と悠真の仲は変わらなかったが、家庭の話だけは決して出なかった。ある時、勇気を出して「私も片親だし…今のお母さんのこと、話してよ」と切り出した。悠真は少し黙った後、ボソリと呟いた。
「俺の母親は、産んでくれた母親だけだよ。」
その声には硬い決意と、どうしようもない寂しさが混ざっていた。私は何も言い返せなかった。
やがて高校に進むと、桐島と悠真と私はまた同じ学校になった。昼休みにファストフードで笑い合ったり、放課後に全国チェーンのレストランに行ったり。そんな小さな自由に胸を弾ませていた。ある時、会計のときに悠真が全部出そうとした。けれど桐島が笑いながら止めた。
「友達は普通、割り勘だよ。」
悠真はポカンとした顔をしていたけど、その瞬間、私の胸はじんわりと温かくなった。
――そうやって高校生活が続くと思っていた。
だが、高二の春。
真っ白な歯を見せる転校生が、教室のドアから顔を出した。
寿蓮。その名前が、私たちの関係を大きく変えていくことになる。




