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異世界リブランディング計画 ~ブラック企業で培ったマーケ術で辺境立て直し~(短編)

作者: 茉莉花


「ふざけないでよ…私の企画、ただの『地味』だけだなんて…!」


東京のネオンが滲む深夜。桜井 ふみは、喉の奥が熱くなるのを感じながら、心の中で毒づいた。テーブルのメガジョッキを三杯目を空け、文は机に突っ伏した。

ブラックコンサル企業で地方創生に勤める文は、昼夜問わず泥臭い業務で成果を出してきた。しかし、企画は課長に「地味」と一蹴され、その後ちょっとだけかわいい後輩がなぜか同じデータで企画を出して、なぜか採用された。私生活では30手前で彼氏に「女が稼ぎすぎ」とあっさりフラれる始末。「もう、この不公平な世界に、私の居場所なんてないのかもしれない――。」


「お嬢さん、一人で寂しく飲んでるなんて、もったいないね」


頭上から降る声に顔をあげれば、金髪ロング、派手なアロハシャツを着こなした、遊び人風のイケメンが立っていた。耳には複数のシルバーピアス。一見軽薄そうだが、エメラルドグリーンの瞳の奥には、どこか深遠な光が宿る。


「どちら様ですか?ナンパなら他を当たってください。今、人生のどん底なんですけど」文は露骨に嫌な顔をした。普段なら職業病で質問攻めにするところだが、今はそんな気になれなかった。


男は文の非難をあっさり無視し、向かいの席に音もなく腰を下ろした。

「そりゃ災難だ。でも、君、面白いね。俺でよかったら話聞くよ。ま、強いて言うなら、神、的な?」


「はあ?何それ。イタいんですけど。神様がこんなとこでナンパ?」文は思わず吹き出した。酔っていたせいもあり、その突拍子もないセリフが妙に面白く感じられた。

男はにっこり笑い、メガハイボールをオーダーした。


文は堰を切ったように語った。企画への屈辱、後輩への怒り、彼氏の心ない言葉。男は深く頷き、的を射た相槌を返す。


「…血と汗の結晶だったのに、中身より見栄えなんです。本当に地方を良くしようとか、考えてないんですよ。」文は憤慨し、訴える。「それに、彼氏にまで『プライドが傷つく』って…あり得なくないですか?私だって身を削って得てる対価なのに。これって妬みじゃないですか!結局、誰も私の努力を見てくれない。この世界に、私の居場所なんて、本当にないのかもしれない…」


文が自嘲すると、男は「違う」と首を振った。エメラルドグリーンの瞳が、一瞬、夜空の星を閉じ込めたかのように煌めいた。


「君のその力は、この世界ではまだ眠っているだけだ。もっと必要としている場所がある。君のその、誰にも理解されなかった才能を、存分に活かせる場所がね。…そこでは、君の努力と、君の生み出す価値が、この世界のどんな宝石よりも尊い輝きを放つだろう」


男はグラスをおき、文の指先をそっと指差した。蠱惑的な笑み。彼の声は居酒屋の喧騒を掻き消し、文の心臓に直接響くようだった。


「うちにおいで?君が本当に輝ける場所へ」


「え、ヘッドハンティングですか?こんなとこで?」

文は一瞬、飲んだくれの自分に目をつけた、どこかのベンチャー企業のスカウトかと思った。

だが、彼の言葉は、まるで麻痺した心の奥底に染み渡るように、彼女の乾いた魂を潤していく。自分の企画を必要としてくれる場所があるのなら、そこへ行きたい。企画が通らず燻っていた文にとって、抗えない魅力を持っていた。


「いいですよ、行きます!なんか面白そうですし!」


酔った勢いも手伝って、答えた瞬間--

急に身体が重くなり、視界が奇妙にねじれ始めた。

店内の喧騒が遠ざかり、代わりに耳の奥で、遥か彼方から囁くような、星々の歌声とも、大地を流れる生命の脈動ともつかない、心地よい風の音が響いてくる。全身が温かい光に包まれるような浮遊感に、抗い難い睡魔が襲った。文は、その不思議な感覚に身を任せるように、ふわりと意識を手放した。


---


次に目が覚めた時、文の視界に飛び込んできたのは、土壁の部屋と、藁の混じった硬いベッド、そして見慣れない木製の天井だった。鼻腔をくすぐるのは、薪の燃える匂いと、微かに古い木の香り。窓の外からは、聞き慣れない鳥のさえずりや、馬のいななき、遠くで人が話すようなざわめきが聞こえてくる。


「……ん?…ここ、どこだっけ……」

体が重い。惰性で起き上がろうとすると、昨夜の居酒屋の記憶が鮮明に蘇る。

メガジョッキを重ねて、あのチャラい男と散々愚痴をこぼしたこと。そして、彼に誘われて、酔った勢いで「行く」と答えてしまったこと……。


「まさか、居酒屋で寝落ち?アラサーにもなって、恥ずかしすぎる……」

そう思いながら、身を起こそうとしたら、自分の手が、以前より小さく、肌もすべすべしていることに気づいた。


恐る恐る体を撫でれば、着ているのは見慣れない粗末な麻の服。

耳の奥で、何かこれはやばい、という警戒音が鳴り響く。何かが、決定的に、おかしい――。


あたりを見回すと、土壁に磨かれた金属板が映った。

恐る恐る近づくと、そこに映っていたのは、金髪碧眼の、見知らぬ少女の顔だった。年齢は、どう見ても15歳くらいに見える。


「あら、エイミ、もう起きたのかい?」

優しい声に、文ははっと顔を上げた。目の前に立っていたのは、恰幅の良い、粗末な麻のエプロンをした、人の良さそうなご婦人だった。その顔には、長年宿屋を切り盛りしてきた苦労と、エイミへの深い愛情が刻まれているのが見て取れた。


「今日の調子はどうだい?」とおかみさんが、苦笑しながら粗末な木のコップに水を置いてくれる。

その言葉に、文の脳内に、もう一人の自分――エイミの15年分の記憶が、津波のように押し寄せた。


「ーーーー!!!」


「まだ調子が悪いかい?あんたは、朝に弱いからねえ」おかみさんが苦笑しながら、そっと額に手を当ててくれる。その温かい手の感触が、文の意識を、現実と、「エイミ」の記憶が混じり合ったこの奇妙な状況に引き戻した。


「そうか、わたし…行くって言ったんだ…」

文は、ごくりと喉を鳴らした。

「これ、いわゆる異世界転生だ…」


宿屋の入り口には、古びた木の看板が揺れている。「憩いの宿《薊と星》」。看板の文字はかすれ、埃をかぶっていた。食堂からは、煮込み料理の匂いがうっすらと漂ってくるが、客の話し声一つしない。


「ずいぶん静かね……お客さん、あまりいないみたいだけど」エイミとなった文は、固い大麦のパンをほおばりつつ、戸惑いつつもそう漏らした。


おかみは、寂しげに顔を曇らせた。

「ああ、それがね、エイミ。最近はさっぱりでねぇ。隣の領土に、あの『ダンジョン』ができてから、めっきり旅人も商人もそっちへ流れちまって。みんなそっちで宿を取るから、この《薊と星》も、すっかり閑古鳥さ。」


エイミとなった文のいる場所は、遥か北に位置するフィンガル辺境伯領。豊かな麦とブドウの産地だが、その実情は厳しい。食料は足りているが衣類は粗末な麻が主流、食事も「おなかが膨れればよい」とされるような、貧しい土地だ。村の農民の多くは、遠方で莫大な富を築く豪商の不在地主が所有する土地を耕す小作農であり、この村にはわずかな富しか残らない。領主は名ばかりでこの地には住まず、数年前に追放されてきたという辺境伯の三男が領地代行を務めていると聞く。


宿屋「憩いの宿《薊と星》」は、エイミが15年前にこの宿屋の前に捨てられていたのを拾われて以来、おかみと二人で細々と切り盛りしてきた。これまでは、収穫期にやってくる日雇い労働者や行商人、そして時折、狩りに訪れる冒険者たちが主な客で、それなりには成り立っていた。宿屋の食堂では、彼ら向けにがっつりとした肉料理や煮込み料理が提供されていた。


だが、状況は一変した。数年前、国境を接したアルビオン王国側に突如として「ダンジョン」が出現したのだ。

ダンジョンからは希少な素材や魔物が手に入り、多くの冒険者が殺到した。冒険者の増加に伴い、新たなギルド支部が設けられ、それに投資する商人が集まった。結果として、物資と人が集中し、アルビオン王国は急速に発展。まるで経済の潮流が根底から変わったかのように、既存の経済構造が激変した。アルビオン王国の、安価な料金で複数の冒険者が泊まれるドミトリー形式の宿が主流となり、旅人も商人もダンジョンのあるアルビオン王国へと流れ、フィンガル辺境伯領の「憩いの宿《薊と星》」は、今や閑古鳥が鳴いていた。


静まり返った宿屋の様子に、エイミのマーケターとしての嗅覚がピクリと反応した。


「なるほどね…隣の領に利用者を奪われたなら…ふふ、そんなの、ターゲットを変えればいいじゃない!」


エイミは立ち上がった。宿屋の窓から見える、麦畑と遠くの山々。そして、素朴だが懸命に生きる村人たちの姿。

「既存のターゲットが無理なら、新しい市場を開拓すればいい。この村には、この宿屋には、どんなニーズが眠っているんだろう?まずは、この村の人たちに目を向けないと。宿屋を、彼らのための場所に変えるのよ!」


その日から、エイミの宿屋立て直し計画が始まった。

彼女が最初に着目したのは、食堂だった。いままでは労働者や商人、冒険者用のがっつりご飯をだしていた食堂だ。


まずは、幼馴染で養鶏場を営む一家の一人娘、リリーの元を訪れた。リリーはエイミより少し背が低く、素朴でみつあみの可愛い少女だった。この辺りでは珍しい黒髪で、いつもエイミを慕ってくれる。彼女は遊牧民の末裔で、そのルーツは、この地で生き抜く知恵や、自然との共生の精神に影響を与えていた。

「リリー、お願い!あなたのところの卵と、それから飼料の大麦も分けてくれない?この宿屋を立て直したいの!」

リリーはエイミの真剣な眼差しに、最初は目を丸くしたが、エイミの熱意に押され、快く協力してくれた。


エイミとリリーは、宿屋のおかみからキッチンを借り、二人で台所に立った。エイミは、この世界では見たこともないような「甘いお菓子」と「飲み物」のレシピを熱心に説明した。それは、前世でよく食べた、リリーの卵で作るメレンゲクッキーと、大麦を煎って作る麦茶だった。

「この世界にはない味で、しかも『低コスト』で『差別化』できる商品よ!」


甘いおやつの文化がないこの世界で、メレンゲクッキーのふんわりとした食感と、冷やした麦茶の清涼感は、おかみも驚きを隠せないほどだった。麦茶を作るために大麦を煎る作業は、エイミとリリーにとって初めての共同作業だったが、二人は失敗を重ねながらも夢中になった。エイミの指示でリリーが大麦を炒り、その香ばしい匂いがキッチンに満ちた時、リリーは目を輝かせ、「エイミ、これ、なんだかとってもわくわくするね!」と純粋に喜んだ。


エイミは、村人たちを観察した結果、この地では初期の労働分業として、男性が農作業を行い、女性が収穫物を売り歩くことが多いと気づいた。

「リリー、聞いて!まずは、宿屋に細々と農作物を売りに来る『売り子』の農家の女性たちと子供たちを集めて。美味しいと思ったら、誰かに話してもらう。SNSもないこの世界では、『口コミ』が最も強力なマーケティングツールだったんだから!」


冷たく冷やした麦茶と、甘く優しいメレンゲクッキーを、売り子さんたちに振る舞う。

「まぁ、なんて爽やかなのでしょう!」

「こんな美味しいもの、初めて食べた!」

売り子さんたちは、初めての味と、エイミたちの心遣いに感動した。


口コミは瞬く間に村中に広がり、「憩いの宿《薊と星》」の食堂は、女性たちや、彼女らの子供たちで賑わうようになった。ただの食事処だった食堂が、村人たちの「集いの場」へと変わり始めたのだ。食堂で出す麦茶の評判も上々で、お土産用の麦茶の茶葉も売れはじめた。そこには、宿名の由来でもあるアザミと星をモチーフにしたシンプルなロゴマークが施されていた。「憩いの宿《薊と星》」ブランド商品のあかしだ。


この辺境伯領にはアザミが広く自生し、昔、アルビオン王国が奇襲してきた際、アザミを踏んだ音で事前に気づき、被害を免れたという伝承があった。アザミはこの地の守りの象徴とされていたのだ。エイミは、この伝承をロゴマークに込めることで、地域との繋がりを深め、宿屋を単なる場所ではなく、村の誇りの象徴にしようと考えた。


しかし、エイミの視点は、そこだけでは終わらない。

「よし、客は呼べた。次は、彼らがもっとここに滞在したくなる仕掛けね」


食堂の隅に、彼女は小さな本棚を設けた。おかみから借りた古い物語の書物や、行商人から譲り受けた地図を並べる。さらに、テーブルの配置を少し変え、談話しやすい空間を作り出した。

「ここを、村人たちがもっと気軽に利用できる『第三の場所』にするの。商談や情報交換、あるいはただ時間を過ごす場所としてね」

エイミは、宿屋が持つ新しい「ブランドイメージ」を意識的に作り上げていった。農業中心の生活に根差した村の文化を背景に、「感謝の日」と称して、農業が落ち着く新月の夜はお茶や飲み物の価格を半額に下げた。「新月は憩いの宿《薊と星》へ行こう!」という掛け声は、村人たちの間に新たな習慣として広まり始めた。


宿屋の食堂は、女性たちや、彼女らの子供たちだけでなく、やがて仕事の手を休めた農民たちも立ち寄るようになった。メレンゲクッキーを齧りながら、今日の天気や収穫時期の相談をする者、あるいは隣の村の新しい農具の話に耳を傾ける者もいた。エイミは、そんな彼らの会話にそっと加わり、前世で培った知識と経験を活かした。ある時は、遠い町の新しい肥料の情報を畑の肥やしに困っている農民に教え、またある時は、別の村から来た商人の話を聞いては、この村で特定の作物を多く栽培している農家を紹介したりした。彼女の働きかけで、食堂の片隅で、それまでならわざわざ町まで出向かなければ得られなかったような情報が飛び交い始め、小さな商談が成立する光景も見られるようになった。さながら、異世界版の「コワーキングスペース」であり、「ビジネス交流会」だった。


しばらくすると、食堂に集まった人たちから情報を求めてやってきた行商人が、宿に泊まるようになった。そして、妻や子供から宿屋の評判を聞いた遠い小作地で働く小作人や、出稼ぎの日雇い労働者が、悪天候で帰れなくなった際に利用するようになった。


さらに、宿屋の評判は、隣の領のダンジョン帰りに立ち寄った、少し身なりの良い冒険者たちの耳にも届き始めた。冷たい麦茶と珍しいメレンゲクッキーの話を聞いて、わざわざ立ち寄る冒険者もいた。そういう人には、エイミはこっそりとお土産として試食の新作おやつを渡したりもした。これは、故郷で家族や恋人に広めてもらうためである。

宿屋は、夜になっても誰かしらがいる状態となり、活気を取り戻し始めたのだ。


数ヶ月後、「憩いの宿《薊と星》」は、以前の面影を留めないほど活気に満ちていた。宿屋の経営は軌道に乗り、その評判は隣村にも届き始めた。


数ヶ月後、宿屋の評判はフィンガル辺境伯領中に広がり、『月桂樹商館』という老舗の若きご令嬢、ローレルの耳にも届いた。ある日、宿屋に彼女からの手紙が届いた。


「エイミ、あなたの宿屋経営の手腕、ぜひ私に力を貸してほしい」


エイミは手紙を手に、静かに笑みを浮かべた。その薄い紙一枚が、前世で決して得られなかった正当な評価と、新たな挑戦への扉を開いている。この世界でなら、私の『地味』な努力も、本当に輝けるのかもしれない。

「ふふ、私のマーケティング能力、存分に活かせてもらうわ、この世界で!」

彼女の新たな挑戦は、今、まさに始まったばかりだった。そしてその舞台は、宿屋の片隅から、辺境伯領全体へと広がろうとしていた。


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