最悪の想定
午後六時。昨日飲んだバーで待っていると、一人の女性、いや魔族が目に付いた。遠くからでも異質さがわかるほど、見た目も雰囲気も目立っていた。俺は深呼吸を繰り返して、はやる心臓を落ち着かせる。
封印は、まず間違いなく出来る。研鑽の日々を考えれば、この自信は妥当なものだ。それなのに、動悸が止まらない。冷汗が、止まらない。まるで、本能がやめておけと告げているように思えた。
魔族を恐れるのは当たり前のこと。恐れているからこそ、対策して、殺す。だが、これは今まで経験してきた恐れとはどうやら毛色が違うようだ。まあ、だからと言ってこのチャンスを逃すような人間は国魔連にはいない。
「待った?」
「いいや、全然。緊張してたらあっという間に時間がたったよ」
「ならよかっ……それっていいことなの?」
「俺はいいことだと思うよ。じゃ、入ろっか」
あふれんばかりの殺意を抑え、冷たい仮面をかぶる。あらゆる恐怖に蓋をして、脳を騙す。
さあ、勝負しよう。叶うならば、おとなしく封印されてくれ。
バーに入り、俺は入り口の近くに座る。
まずは、昨日と同じように彼女の話を聞くところからだ。できるだけ滞在時間を長くして、昨日この一帯に仕掛けた魔法を長時間浴びせるために。これは、俺の魔力を空気中にばら撒くために必要な魔法。空気中にばら撒かれた俺の魔力を目の前の魔族が吸収することで、昨日彼女の肩に仕掛けた魔法が効果を発揮する。その魔法が俺の魔力と結びつき、全身にある魔力管にダメージを与える。これで、ある程度弱った時点で封印に入る。こうやって話を聞くのもそれまでの辛抱だ。
……それにしても、魔族とわかってからこいつの話を聞くと虫唾が走るな。まるで自分を人間かのように扱っている。まさか、人間になりたいとでも本気で思ってるのか? いや、ないな。どうせいつもの気まぐれだ。今はそうでもすぐに変わる。……お前らの気まぐれで、一体どれだけの人間が犠牲になったと思ってるんだ。
着々と怒りが募る中、俺は一つの疑問を口にする。
「ちょっと聞きたいんだけど、そんなことを思ってまでなんで一緒に住んでるの?」
魔族はプライドの高い存在だ。気まぐれが適用されるのは自分に歯向かわない存在のみ。敵対心と殺意マックスなロウが生かされているのが、なんなら反抗しながら一緒に過ごしていて生きているのが不思議だった。意図が分かれば今後に役立つかもしれない。そんな思いでの質問は、予想を遥かに上回る答えで返された。
「知ってる? 誰かを憎める人間はそれと同じくらい誰かを愛せるんだよ。あいつは、魔族をこの世の誰よりも憎んでる。だから、この世の誰よりも誰かを愛せる。私は、この世の誰よりも愛されたいから。それにあいつなら、私の愛で死んだりしない」
愛? 魔族が愛に飢えるなんて聞いたことがない。そもそもあいつらは同種でさえ愛という考えを持つことはない。家族が人間に殺されたとしても、そこで湧いてくる復讐心は愛故のものではなく屈辱からくるもの。数百匹の魔族で試したが、例に漏れず全員そうたった。こいつは、他の魔族とは違うのか?
「……? 固まってるけど、どうかした?」
「あ、ごめん。深いこと言ってたからつい。心に刻んどこうと思って」
「まあ、驚くのも無理ないよ。普通魔族は愛を知らない。私がたまたま気付いただけだから」
なるほど、考えを改めるべきか。魔族は愛という感情がないのではなく、知らないだけ。なら、逆に魔族だけが知っている感情もあるのかもしれない。もしかして、敵対していない魔族と話すのは存外有益なのかもしれない。
ここで俺は自分の想定が甘かったことに気づいた。彼女は笑顔で、それでも鋭い目でこちらを見ている。何から何まで見透かされていたような感覚。一体いつから気づかれていた。一体こいつは……何者なんだ。
焦りから冷や汗が流れる。全身が震えている。死を覚悟した脳は、もう心臓の音しか聞こえない。それでも、やるしかなかった。
「君の憎しみも相当凄そうだけど、ロウには敵わないね。それに君は、私の愛で死んじゃいそうだもの」
「……試してみるか?」
そして俺は魔法陣を作動させる。確かな手応えを感じる。あとは効果が現れるまで生き残るだけだ。
「さあ、追いかけっこでも始めようか」
俺はマスターに財布を渡して、翻すように店を出た。