最悪の結果
魔族狩りを始めて十年。巷では殺戮マシーンだの、血も涙もない鬼畜だの、言われたい放題の所業だ。勿論、俺は人間だし、血は流れるし涙も出る。ただ殺すものが魔族なだけで、他の人間と相違ない。
俺は温めた牛乳を一口飲む。そして、最近魔族関連のクエストが不自然なほど極端に減っていることを憂いた。このギルドにも、そういった圧力がかかりはじめているようだ。
俺がパッとしない依頼書を流し見していると、カウンターの向かいにいる受付嬢さんが声をかけてきた。
「聞いたぜ、クレセ。今度は仲間ごと魔族をぶった切ったんだってな。ハハハ! だから今日は一人なのか?」
豪快に笑いながら、普通の人なら聞きづらい部分にズカズカと入り込んでくる、彼女の名前は知らない。自己紹介されてないし、ネームプレートもつけていないので、わからないといった方が正しい。多分、彼女も俺の名前を知らないだろう。フルネームはロウ・クレッセントだが、俺の悪評では、クレセと略されている。彼女からはクレセとしか呼ばれた覚えがないので、その名前だけ知っているのだろう。
「とんだ誤解だな。俺の腕はそこまで舐められてるのか。後ろのものだけ斬るなんて造作もないのに」
「じゃあ今日は休み? あの子、凄いバイタリティで有名だけど」
「今日居ないのはパーティーを解消したからだ。あんなイカれた奴と一緒にやってられるか」
「世間的に見たらお前の方がイカれてるけどな」
「だからなんだ。それより、依頼はこれだけなのか? 人探しや薬草採取ばかり。この間に比べて、随分と可愛くなったじゃないか」
「あ〜……。最近風当たり強くてね。ここってほら、魔族殺しの依頼とかバンバン貰ってたじゃん? それに目をつけた魔族交友推進団体がちょっかい出してきてね。スポンサーにまで迷惑がかかって……表に貼れなくなっちゃったんだよ」
彼女は項垂れながらそう愚痴を零した。自由の象徴たるギルドも、資金がなきゃ運営できない。加えてこのギルド、経営が心配になるくらい冒険者優位の手数料設定がされている。スポンサーがいなけりゃ、やってられないはずだ。
「でも、あるんだな」
「まあ、あるけど」
彼女はカウンターの下から、数枚の依頼書を取り出す。どれも、被害の大きさや受け方から魔族の関与が見て取れる。本当に、ありがたい。魔族は個体数が人に比べて著しく少ないため、情報がないと見つけること自体が困難なのだ。
俺は渡された依頼書をよく見て、熟考した結果右から三番目のものを手に取る。
大型魔獣の討伐依頼だ。どう考えても生息域の違う魔族が暴れているらしい。見かけること自体珍しい種の上、本来は寒いところでしか生活できない生物。こういうのは大体魔獣が関わっている。人の移住区付近に魔獣を追いやる、なんならわざわざ運んできて暴走を助長する。あいつらが遊び半分でやることだ
「これにする。契約金とお代、置いとくぞ」
「それじゃ、がんばっ……て、ホントに頭イカれたのか? これ、ヘスティア金貨じゃないか。ギルドの全財産を集めたってお釣り出せないぞ?」
「悪い。手持ちがなかった。お代は報酬金から払うから、そいつは担保にとっといてくれ。」
ポカン、とした顔を浮かべた後、彼女は頭を抱えた。
俺はギルドの扉に手をかける。依頼書によると、目撃場所はここからそう遠くない。
父の言葉と、母の言葉を思い出す。どちらにも偏らない思考が仕上がり、脳が適度な緊張を持つ。
安易な選択は最悪をもたらす。常に命を懸けろ。
俺は携えた剣を握り、油断せず、目的地へと足を進めた。
「生で見るのは初めてだが……案外でかいな」
巨大な翼に、巨大な牙。大部分はイノシシで、ところどころ鳥獣の特徴が混じっている。進化の過程で何があったらこんな姿になるのか。口内の牙も肉食生物のように鋭くとがっている。ここに来るまで出会った生物と比べるとやはり場違いだ。
俺は力尽きてうなだれる魔獣の首に剣をあてがう。この大きさなら、骨も極太だろう。関節を折るように、筋肉の隙間を縫うように、集中を高める。しかし、俺の集中は飛び込んできた叫び声によって易々と邪魔された。
「なにしてるの! ガラフェルムは特定魔獣保護法に載っているのよ?」
鬼気迫る表情で叫ぶ女性と、それに続いて同じシンボルが載っている服を身に着けた人間がぞろぞろと取り囲むように現れた。あのマークは……魔獣保護団体か。現実を見ずに、声だけの大きい害悪集団
まためんどくさい奴に絡まれてしまった。
「……そう決めてる国もあるってだけの話だろ。この森の領有権を持ってる国には、そんな法はない」
「だからって、保護しなくてはいい理由にはなりません」
「だったら。あんたらはこいつをどうするんだ?」
「もちろん、元の住処に戻します」
「どうやって? 今はおとなしいが、どうせすぐ暴れだす。それにこの巨体だ。魔法で運ぶなら相当な腕の魔法使いが相当な数必要だ。まさか、こんなことのために国際魔法連盟を動員するなんて言わないよな」
「ふんっ。どうせ、これから不必要になる団体じゃない。だったら有効活用してあげたほうが、世界のためになるわ」
とんでもないことを口走る女に、呆れてため息すら出なかった。だめだ、これ以上こいつらと話していると何かがだめになる気がする。理解することの努力は、理解される努力をしていない人間相手にはこうも役に立たないと実感した。
「それより、早く剣をしまってください。凄い怯えてしまってるじゃないですか」
雑音を集中の糧として、剣をふるう。
別に、こんな面倒な思いをしてまで殺したいほどこの魔獣が憎いわけではない。こういう団体は死ぬほど嫌いだが、ただ嫌がらせのために殺すほど小さい器でもない。ただ、この後の魔族との戦闘を考えると、不安要素は残しておきたくない。魔族との戦闘は、少しでも意識が分散したら命取りになる。集中を乱さないために、俺はこいつを殺さなくてはならなかっただけだ。
「ちょっと、聞いてるの!?」
「ああ、悪い。わかった。あとはあんたらに任せる。得意だろ、こういうの」
俺は魔獣の上から立ち退き、血払いをして、鞘に納める。瞬間、剣からとめどなく痛みが流れてくる。これは昔魔族20体を相手取った時より、はるかに強い反応。つまり、この近くにそれ相当の魔族がいることを示していた。
俺が周囲を警戒する前に、事件は起こった。
「かっ……」
目の前にいた女の首が飛んだ。それを皮切りに、俺を取り囲んでいた人間たちが次々と死んでいく。
……おかしい。見えているのは一体だけ。ほかに複数の気配もしない。まさか、こいつ一人に対する反応なのか……!?
高速で動き回る魔族は、俺以外の全員を殺した後、一切の減速をせず急旋回して俺のほうへと突っ込んできた。
「……っ!」
まずい。一瞬反応が遅れた。あれだけ注意していたのに、油断してしまった。俺は死を覚悟する。だが、生きることを諦めたわけじゃない。自分出せる限界の速度で、防御態勢を取ろうとする。
そして、またしても不思議なことが起こった。どれだけたっても腕に衝撃が来ない。接近してきたのは、攻撃の為じゃなかったのか?
俺は恐る恐る腕を下し、片手で剣を掴む。これでもかというほど主張してくる痛みを全力で屈服させる。前を見ると、一体の魔族がこちらに向けて手を伸ばしていた。
「……なにか、求めているのか?」
「なにかって、助けたお礼以外にある? 人間は大勢で弱い者いじめをするっていうから、皆殺しにしたのに」
思ったことが口に出てしまっていたようだ。それにしても、驚いた。まさか、本当にたった一体でこの反応を引き起こしているとは。このレベル、まともにやったらおそらく勝てない。圧倒的な魔力が、俺の体に突き刺すようにまとわりつく。
幸い、まだ油断しているようだ。俺は細胞レベルに刻み込まれた殺意と敵意を限界まで抑え込む。魔族はいつ気が変わるかわからない。行動に移すのはできるだけ早いほうがいい。そうだな、合図は……次にこいつが、口から音を出した時だ。
「……ありがとう」
「……」
呼吸音と共に魔族の首を刎ねる。手にかかかる肉の重さ、骨の衝撃。完璧な手ごたえを右手が覚える。昔、東国から来た魔族狩りに居合斬りというものを習っておいてよかった。その圧倒的なスピードは、魔族に回避する余地を与えなかった。手の痛みも引いていき、抑え込む意識も必要なくなった。
「危なかった……」
首が地面に転がるのを見た後、危機を乗り越えたことによる安堵の声が自然と零れた。だが、それもつかの間、すぐさま先ほどと同じレベルの痛みが発生した。
完璧に殺したはず。俺はとっさに振り向き、今度は首から下の死体を確認する。それは、あった場所にはなく、続けて首のほうに向けた視線にも、何も映らなかった。
「……生き返るなんて、あり得るのか?」
信じられない。だが、それ以外に考えない。絞り出した俺の答えを嘲るように、頭上から先ほどの魔族と同じ声がした。
「せいか~……いっ!」
空中からの奇襲、それも、先ほどの数段早いスピードでの攻撃。
「ッ……! 『加速』」
自身の速度を上げて、何とかぎりぎりで回避に成功する。だが、息をつく暇なんてない。俺はすぐに剣を構え、次の攻撃に備える。まるで踊るかのようね乱打を、なんとか弾いて耐え凌ぐ。一発一発の攻撃が、今までの魔族とは段違いに重い。速度も手数も、過去に比較対象がいない。何より、殺しても生き返るなんて、一体どうすれば殺せるのか見当もつかない。
「『魔力の衝撃』」
魔族がそう唱えた瞬間、目の前が紫色の光で包まれた。直後に、防御なんて無意味なほどの衝撃が俺の体を吹き飛ばした。
「がはっ……!」
この技は、見たことがある。だが、牽制に使うくらいの威力をした、初歩的な技のはず。それが、なんでこんなバカげた威力になっているんだ。……想像が追い付かない。
全身を暴れまわる痛みに、叫ぼうにも声が出てこない。
安易な選択は、最悪をもたらす。意識していたと思っていたが、心に刻んだと思っていたが、とんだ勘違いだったらしい。身をもって知るまで実行できないとは、無能にもほどがあると、自分に腹が立つ。
俺を見下すような魔族の視線が、痛みと共に体に突き刺さる。
「とんだ礼儀知らずかと思ったら、ずいぶんと硬いのね。多分、人間で一番じゃないかしら。さっきの一撃、すごかったよ? 初めて人間に殺されちゃった」
「……何者だよ、お前」
「え? 魔族だけど」
絞り出した声は、淡々と放たれるわかりきった答えに変わってしまった。
「なん……っで、生き返った……!」
怒りの力で、俺はさらに言葉をつづる。そして魔族は、驚くべき、そして恐るべきことを口にした。
「簡単だよ。だって私、私のことを好きな人にしか存在を絶たれない魔法をかけてるから」
軽々と言い放たれた言葉は、簡単には受け止められないものだった。なぜならそれは、俺にはどうあがいても殺せないということを告げているから。どれだけ殺しても、俺ではこの世から消すことは不可能だということ。深い深い絶望の沼に落ちる。先ほどまで必死に生き延びるため画策していた脳の動きが一瞬止まった。俺にはこいつを殺せない。その事実だけで、全身の痛みが何十倍にも膨れ上がったように感じた。
「そこでさ、君にしてもらいたいことがあるんだけど」
呻く俺なんて関係なしに、魔族は話し続ける。
「私に、人間の生活を教えてくれない? できれば、住むところとかはいっしょがいいな」
拒否権のない、圧倒的な力によるお願い。俺には、拒否権はおろか承諾する権利すらなかった。
「まあ、君がちゃんと話せるくらいまでは待つよ。私は人間と違って、時間が大量にあるから」
そう言って魔族は俺の横に座り、顔をじーっと見つめだす。そして、はっとしたように、何かを思い出したようだ。
「ああー、……忘れてた。私はフィル。これから、よろしくね」
フィルは軽くウインクをして、笑顔を見せる。その笑顔が憎くて、憎くて、仕方なかった。
安易な選択は、最悪をもたらす。確かにこれは、死ぬくらいに最悪なことだ。