危ないモノを危ないモノとして扱おうって話。
「やっちゃったぁぁぁぁぁ…………」
その後すぐに、桔梗さんは落っこちるような後悔っぷりを見せた。
改札口から出て少し歩いた先のコンビニ。そのベンチで桔梗さんは頭を抱えていた。
僕はその隣に腰掛けながら、地の底へ沈む勢いで凹み続ける彼女をおもんばかる。
「あの……大丈夫ですか?」
「ついカッとなっちゃってた……ウチ、すっげー嫌な奴だったわ……」
「それじゃあ……今からでもあのお巡りさん達に謝りに行きますか?」
「それはイヤ」
イヤなんかい。
「間違ってるものを間違ってるって言えない社会なんて終わってるわよ。まして、相手は税金で飯食ってる公務員。なおのことウチらにはモノを申す権利があるわよ。……ま、ゼー金払ってんのは親だけどね」
正直、僕には何も言えない。
桔梗さんはきっと、目が肥えていたから、ああ言えたのだ。
僕はそういう眼力がまだ備わっていない。だから彼女の言うことに口を挟むのははばかられた。
なので、さっき初めて知った事実を、当たり障りの無い話題として扱うことにした。
「そういえば、昔の刺股って、トゲがついてたんですね」
「そーなのよぉ。それが今じゃあんなヘタレなデザインになっちゃってさぁ。幸人くんも今度あの刺股モドキ見かけたら指摘してやって。まぁ聞き入れられないだろうけど」
「はぁ……」
また皮肉に尖ってきた桔梗さんの発言に、僕はため息をつくような返事をした。
「それにしても、桔梗さんすごかったですよ。警官相手にあれだけやれるなんて。きっと、桔梗さんの師匠も強かったんでしょうね」
話を変える意図も込めて、僕はそう言った。
対し、桔梗さんは意外な言葉を返してきた。
「ううん——弱かったわ」
「は?」
「めちゃくちゃ弱かったのよ、ウチの師匠。今のウチより弱いだろうし、あと、今の君より弱かったんじゃないかしら」
いや、ちょっと待って……弱かった?
なんで自分より弱い人に弟子入りしたんだ? 普通強い人にするものだろう。
「確かに、先生は柳生心眼流をきちんと身につけてた。でも、ただそれだけ。本人には試合や組手の経験どころか、まともにケンカすらしたことがなかった。典型的な「古武道から始めた人」だったのよ」
「それだと、何か問題が?」
「古武道には基本的に組手が無いの。だから技を学んでも、格闘技みたいに腕試しが出来ない。だから試合も大会も無い。……まぁ、当たり前よね。「武道」なんだもの。武道にはルールが無い。ルール無しの状況で戦い、生き残る術を学ぶためのものだもの。だから、試合や組手みたいな「ルール有り」の立ち合いを取り入れると、その「ルール」っていう枠内でしか力を発揮できなくなる。だから武道には組手も試合も無い。——でもその分、打たれ強さや基礎体力に関してはどうしても格闘技サイドには劣る。だから古武道は、格闘技練習者から「非実戦的」って昔から馬鹿にされてきた」
桔梗さんの言いたいことがようやく腑に落ちた。
格闘技経験を経てから古武道を始めたなら、また違ったことだろう。格闘技時代に散々組手やスパーリングを経験して、打たれ強さや勝負強さを養っただろうから。
けど、古武道から始めた人は、殴り合いの経験が無い。
今の僕だからこそ分かるが、いざ殴り合いになれば、慣れていないと落ち着いて適切に行動できなくなるものだ。古武道の技のような複雑な動きならなおのこと。
技を知っていても、それを使えない——「古武道から始めた人」とは、そういうことなのだろう。
「あの人は、よく言ってたわ。——「兵法は平法なり」って。香取神道流創始者の飯篠長威斎家直は、熊笹を潰さずにその上に座ることで自分の実力を見せ、やってくる挑戦者の戦意をくじいて無血で戦いを終わらせたって。戦わずして勝つのが兵法だって。だからお前もそれが出来るくらい精進しろって。……そんな人がね、どうやって死んだと思う?」
ギョッとした。いきなり死んだことを明かされ、それと一緒にその死因を当ててみろといわれたのだから。
僕がかぶりを振って「分からない」ことを示すと、桔梗さんは自嘲したように言った。自分のことではないはずなのに。
「目の前で殺されたの」
「えっ……!?」
「中学一年の頃の話。……先生とウチが二人で歩いてたところを、目がイっちゃってる感じの男がいきない突っ込んできて、先生の脇腹に包丁を深々と刺したのよ。のちほど、そいつが重度の薬物中毒者だって分かったわ。それから刺されてすぐに、先生はあっという間に死んじゃったわ」
「そんな……」
「うん。でもね、おかしな事に、師匠が死んだことでウチの中に生まれた感情は、恩師との死別の悲しみでも、刺した犯人に対する憎悪でもなく——強い落胆だった。」
再び、自分の異質さを自分で嘲るような笑みを浮かべた。
「先生はね、全然その犯人に対して抵抗できなかったの。随分離れた場所にいる時点で光り物の存在が見えていたはずなのに、それを見て完全にビビって硬直してた。刺される寸前まで、先生は反撃どころか反応すらできなかった…………本来の武道はスポーツじゃなくて護身術だ、って口癖のように言ってた人が、あっさりと素人の通り魔なんかに刺し殺された。……こんな人間が、護身術だの殺法だの活法だのと高説垂れてたのかー、って感じで、ウチはあの時確かに失望と落胆を抱いてた。おかしな話でしょ? ほんとに」
……何も、言葉を返すことが出来なかった。なんて言っていいか分からなかった。
「だからウチは決めたの。技の練度だけじゃない、実戦もたくさん経験して、「兵法」を完成させようって。先生の「不完全な兵法」を「完全な兵法」にしてみせるって。それからというもの、暴力的な連中の渦中に入り込んでケンカ三昧。『五輪書』『兵法家伝書』『不動智神妙録』みたいな兵法関連の書もいっぱい読み込んだ」
桔梗さんは、乾いた笑いを浮かべた。
「狂ってるでしょ、ウチ。自分に技を授けてくれた師匠の死を悼むどころか蔑んで、兵法の修行と称してケンカなんかに明け暮れてる。…………ウチはね、こういう人間なの。頭のどこかが狂った、薄情な人間なのよ」
「——それは違います」
僕の断言に、桔梗さんは目を大きく見開いた。
「確かに、師匠の死に落胆は抱いたのかもしれません。けど、本当に蔑んでいるのなら、あなたはその技をとうの昔に捨てているはずです」
「それは……」
「これは、あくまで僕の予想です。……あなたは実戦経験を磨くことで、師匠からもらった技を輝かせてあげようとしてるんじゃないですか? もし強くなりたいだけなら、他の技もいっぱい習えばいい。でも、あなたはそうはしていないんでしょう? 師匠からもらった柳生心眼流だけを大事にしている。違いますか?」
「違わない、けど」
そう。これは前にも感じたことだが、桔梗さんの動きには「格闘技っぽさ」が無かった。
どれもこれも、今まで見たことが無い異質な動きだった。
女の身であるというハンデゆえに立ち回りに工夫こそ加えているが、やはり桔梗さんは柳生心眼流以外の武道を一切学んでいなかったのだ。
「なら、それは師匠を本当は尊敬しているからだと思います」
腑に落ちたような、目が覚めた表情となる桔梗さん。
僕は、思わず口元を微笑ませた。
「それに……桔梗さんは薄情なんかじゃありません。あんなヤバい学校に入学しちゃって途方に暮れていた僕に、『五輪書』をくれたじゃないですか。あの時、あなたの手で『五輪書』を渡してくれなかったら、僕は今頃誰かのパシリにされていたかもしれないです。あなたが、僕に「道」を示してくれた。——誰にも薄情なんて言わせません。あなたは、とても優しくて、強くて、面白くて、素敵な女性です」
桔梗さんが、面食らったような表情をハッと浮かべた。
かと思えば、その顔をみるみる紅潮させていき、やがてタコみたいに真っ赤になった。
ぷいっと僕から顔を背け、うわずった声で言った。
「…………も、もぅっ。幸人くん、なんかプレイボーイみたいだよっ?」
「は? プレイボーイ? 雑誌ですか?」
「スケコマシってことっ。もー、もー、そうやって誰彼構わず口説いて回ってるのっ?」
「いや、口説いた覚えはないんですけど……」
「じゃあ天然ジゴロだ。ジゴロ。ジゴロ。いつか刺されても知らないよっ?」
「誰に刺されるんですか。わ、ちょ、いてっ、やめ、やめてっ。お相撲さんですかっ」
相撲取りよろしく、僕の肩を何度もぽすぽす張り手してくる桔梗さん。
「……ばか」
そう言って、張り手を止める。
しばらく、また沈黙が僕らを支配する。
次に沈黙を破ったのは、桔梗さんだった。
「——でも、ありがとう。幸人くん。すごく嬉しい」
今なお赤みが残った顔のまま、笑顔でそう告げてきた。
いつものからからとした人好きする笑みではない。瑞々しく、甘さを内包したような、胸の高鳴りを誘発させてくるような、そんな微笑。
そう。胸の高鳴り。
なんだかよくわからないが、僕の胸が高鳴っていた。
顔がちょっと熱い。動悸がする。
苦しい。でも、嫌とは思わない苦しさ。
何より、よく分からない気恥ずかしさ。本当によく分からないが、猛烈に今の話題から話を逸らしたい。そうしろと僕の中のナニカが催促していた。
「ら、『雷夫』結成も、その「修行」の一環なんでしょうかっ?」
謎の恥ずかしさで跳ねた口調でそうまくし立てると、桔梗さんはうーんと考える仕草を見せた。
「『雷夫』は……その「修行」の成り行きで出来たグループね。作ろうと思って出来たものじゃないわ」
「成り行き、ですか」
「そうよ。……先生が急逝して以来、ウチは血眼になってケンカの機会を探したわ。そして色んな奴と闘った。『雷夫』のメンバーはね、元々はその闘って倒した連中だったの」
桔梗さんは昔を懐かしむような目をして続けた。
「最初はみんな暴力的で、手のつけられないような奴ばっかりだった。両親との確執、上の兄弟への劣等感、恋人に手酷く裏切られた事による失意、いろんなことがうまくいかないことでの自暴自棄……みんないろんな呪いを抱えてて、それを暴力で発散させてる奴ばかりだったわ。なまじ腕っぷしが強いからなおタチが悪い」
「そうなん、ですか……」
「ええ。特に酷かったのが久里子ね。……あの子の母親ね、男がいないと生きていけない類の女なの。おまけに毎回コロコロ変わる彼氏もロクデナシばっかりで、中には子供の久里子に手を出そうとしたロリコン野郎までいたみたい。そのせいであの子、大の男嫌いになっちゃって、悪そうな男を見つけたら因縁つけて殺しかねない勢いで暴力を振るうようになっちゃってたの。樹くんに手を上げちゃった事は本当に申し訳ないと思っているけど……あれでも昔よりかなり大人しくなってるのよ。今じゃウチにもよく懐いてくれてるし」
「あれ」より凶暴って、一体どんな感じだったんだろう……
「そういう奴らを、ウチは暴力っていう同じ土俵で叩きのめしてた。一回負けてもまた挑んできて、それもやっつけた。そんなことを繰り返していくうちにね……面白いことに、そのぶちのめした奴らの中からね、ウチに懐く奴が現れるようになったの。あいつらの顔からは、最初会った時みたいな邪気が消えてた。綺麗さっぱりって感じになってた。最初は鬱陶しいだけだったけど、何回も接するうちに無下にできなくなってきてね……いつしかウチらは一つのグループとしてまとまって、頻繁につるむようになった。ルールなんかも決めるようになった。そしていつの間にか……『雷夫』なんてダジャレみたいなチーム名を名乗って爆走するようになってた」
当時のことを思い出してか、桔梗さんの頬が緩んでいた。
「幸人くんさ、「平和ボケ」って言葉をよく聞くじゃない? あれの定義って何だと思う?」
いきなり話の方向性を変えられ、僕は「へ?」と目を点にさせる。それから慌てて考えを働かせ、
「……「自分は絶対に危ない目には遭わない」って過信して無防備になること、でしょうか?」
「そうね。世間一般では、それが「平和ボケ」の定義かもね。でもね、ウチはそれだけじゃないと思ってる。ウチが考える定義はね——危ないモノを「危ないモノ」として扱えないこと、だと思う」
「危ないモノを、危ないモノとして扱う……?」
聞くだけじゃいまいちピンと来ないその言葉。
桔梗さんは右手をピストルみたいな形にして、銃口にあたる人差し指を僕に向けた。
「たとえば、拳銃を持ったヤバい男がうろついています。さぁ幸人くん、君はどうしますか?」
「とっとと逃げますね」
「でしょ? それが適切。おめでとう幸人くん、君は平和ボケしてないわ。……でもね、そういう「危ないモノ」に対して、適切な対処が出来ない人間がこの世の中には意外に多い。死んだ先生もそうだけど、さっきの警官みたいにね」
「あ……」
なるほど。だから桔梗さんはああも怒っていたのか。
治安を守る立場である警官が、危ないモノを危ないモノとして認識できていなかったから。
その本末転倒っぷりが、桔梗さんは許せなかったのだ。
「それだけじゃない。……危ないモノを危ないモノとして認識せず、いたずらに振り回した結果、自分の身を滅ぼすこともある。ウチはその例をいくつも知っている。……これはウチのメンバーに聞いた話だけどね、中途半端にボクシングをかじってることで調子に乗って、威張ったりいじめをしたりしてる馬鹿がどっかの中学にいたらしいの。そいつはいじめてた子をサンドバッグ扱いして面白がってたけど、ある日嘘みたいに死んだ。いじめられてた子が刺し殺したのよ。力があるのをいいことに調子こいて追い詰めすぎた結果、逆に自分の身を滅ぼしたのよ」
僕は驚きを隠せなかった。いじめられっ子の刺殺事件の結末にではない……桔梗さんがそういう物騒な事件を身近な事として知っていたことだ。
この人は、いったいどれだけの経験をしているのだろう。
僕の知らない修羅な話題をたくさん知っているこの人が、別世界の住人みたいに思えてくる。
しかし僕は知っている。桔梗さんは強くて荒事慣れしているだけじゃない。頭の良い女性だと。
「分かる? 今の世の中、そういうバランスの悪い人間ばっかりなのよ。徹底的に構えるか、徹底的に構えないか、そのどちらかしか選べないマルバツ思考。マルとバツの間にある「落とし所」を見つける能力がみんな絶望的に欠けてるのよ。そして、どっちの連中にも共通する欠点が——」
「危ないモノを「危ないモノ」として扱えないこと、ですか?」
「そ!」
桔梗さんは肯定すると、ぴょいんと勢いよく立ち上がった。
「だからウチは決めたの。——せめて、ウチを慕ってついてきてくれたあいつらは「そういう人間」にしてやろうって。暴力を否定しない。でもそれを使う機会を正しく選ぶ。なおかつ自分の暴力に責任を持つ……そんなバランスの良い人間を育てるために、ウチは『雷夫』を結成したのよ」
だから「専守防衛」というスタンスなのだろう。
自分からは何もしない。しかし何かされた場合は全力をもって相手を叩き潰す。
なおかつ、高い実力を持つ。
それによって、相手に手を出させないように無言の圧力を与え、平和を保つ。
そうする事で、相手も、自分も、余計な損害を被らずに済む。
これこそが、理想的な暴力の使い方なのではないだろうか?
「ちなみに、メンバーの人が不正義な暴力を振るったりしたら、どうしますか?」
「そりゃ追放よ」
「厳しいですね」
「そんくらいしないと、秩序立たないからね。でも、それ以外は別段厳しい決まり事は無いわね。ネガティブリストって奴よ」
「久里子さんは?」
「うっわ、痛い所突いてきたなぁ……まぁ、言い訳みたいになるけど、あの子が怒ったのは自分のためというよりチームのためだからね。叱りはするけど、追い出しはしない。それに他のメンバーのヘイトは全部、幸人くんに集中してくれたしね」
「はっ? ど、どういう事ですかっ?」
「そりゃ、君がウチらに「ヌマ高まで全員バイクで来い」って要求して無理やり来させたんだから。なんで俺らが、ってみんな思っただろうね。それに……ウチと熱烈にハグっちゃったし♪」
桔梗さんは意地悪っぽい微笑を僕へ向けてくる。しかしその顔はうっすら赤い。
あぁ、なるほどなぁ。アレのせいで僕に反感が集中してるのかぁ。特に久里子さんなんかは今にも刺しに来そうなスンゴイ眼で睨んでたし。
でも、それはきっと、みんな桔梗さんが大好きだからだろう。
桔梗さんが「ダメ」だと言うなら、きっとみんな自分勝手な暴力なんか振るわないだろう。
それでいて、みんな桔梗さんのために怒ることができる。
これはある意味、理想的なチームの「あり方」なのではないだろうか。
でも、いっちゃんにやったみたいな事はもうしないでね。
ふと、桔梗さんのポケットから音が鳴り出した。スマホの着信音だろう。
「あ、ちょっとごめんね」
通話ボタンを押し、桔梗さんはスマホを耳に当てる。
話し声を聞き流しながら、さてこれからどうしようと予定を考えていた、その時だった。
「——それは本当なの?」
ふと、桔梗さんの声が、急激に緊張感を得た。
僕はびっくりする。
桔梗さんは、ああ、うん、分かった、それじゃあ今日の夕方にね、などと言ってから通話を切った。
「何か、あったんですか?」
次に聞こえた答えに、僕は唖然とすることになった。
「——『雷夫』のメンバーが一人、闇討ちにあったらしいわ。やったのは『自転車乙徒』の連中だそうよ」
これより先は現在書き溜め中。
書き終わり次第、発散する予定なので、よろしくです。




