美人さん、さすまたにおかんむりって話。
土曜日になった。
カバちゃんこと樺山孝治に殴られた痕はなおも両頬に残っているが、三日程度で癒える傷でもないので、そこは気長に考えることにする。
さて、繰り返す。土曜日だ。休日である。
ゴロ寝して惰眠を貪るというのもアリだが、それではもったいない。
何より、予定がちゃんとある。
学校に履いていくローファーではなく、普段用の靴がもうボロボロなのだ。そろそろ買いに行かなければならない。
なので、今日は少し遠くの駅まで行こうと思う。いくつかデパートやらが集まったそこそこ栄えた街だ。あそこなら靴屋が複数あるため、選択の幅が広がることだろう。
いつもの「ロウソク修行」を終え、朝食を食べてしばらくしてから、僕は私服に着替えて家を出た。
午前十時半。最寄り駅から電車に乗る。目的の駅はヌマ高の最寄り駅を通過する方向にあるため、IC定期の分だけ運賃がお得になる。
優先席の近くに立って揺られながら、ぼんやり到着を待っていた時だった。
「——あ、幸人くんじゃん!」
開いた向かい側のドアから乗車してきた女性が、元気良く声をかけてきた。知っている人だった。
「桔梗さんっ?」
「うんうん。こんにちわ。……ってどうしたのその頬っぺたの絆創膏。誰かにやられた?」
「えっと、まぁ、そんな感じです」
「そっかー……まぁ、痛みを受けるってのは、逆に考えれば打たれ強くなる修行にもなるし、悪いことばっかりでもないわよ」
そう告げてきた桔梗さんは、いつものようなエロ……セクシーなライダースーツではなかった。
少しゆったりめなチェック柄の七分袖シャツに、それと相反するようにぴっちりしたジーンズ。普段は見られない衣装だった。奥ゆかしくも体の線をほのめかすのを忘れていない。
まさに大人っぽいお姉さんって感じだ。大学生みたい。
「その服、よく似合ってますよ。今日の桔梗さん、いつにも増して綺麗です」
「——っ。そ、そうかなぁ……?」
頬をほんのり染めてもじもじする桔梗さんに、さらに率直な感想を告げた。
「はい。二十歳みたいです」
「…………幸人くぅん? それどういう意味かなぁ? ウチが老けてるって言いたいのかなぁ?」
「へ? いや、大人っぽいなーって。ていうか、二十歳って老けてるのかな?」
「そういうことにしておいてあげる」
つーん、とばかりにそっぽを向くが、別にそこまで不満そうではない。どことなく楽しげな顔だった。
ぷしゅーとドアが閉まり、電車が動き出す。
「ところで、幸人くんは何か用事?」
あっさり普段通りの態度に戻った桔梗さんがそう訊いてきたので、僕は「靴を買いに」と言った。
「靴ねー。女の子は足を見るからねぇ、気を配るのは大事よぉ」
「そうなんですか?」
「そーなの。女の子は減点方式だからね。普段から身だしなみとかお風呂とかしっかりしとかないと、モテないわよー?」
よくわからないが、とりあえず覚えておこう。
「そういう桔梗さんは?」
「ウチ? ウチはねぇ、服を買いにいこうかと。あと、良さげなオーバーパンツがあったら買おうかなって」
「どこへ?」
桔梗さんが駅名を告げる。なんと、僕と同じ駅だった。
それを告げると、桔梗さんは手を叩き合せ、
「よし! んじゃ、お姉さんと一緒にお買い物デートといきましょうか!」
「あ、いいですね。ご一緒しましょうか」
僕もその良案に乗っかる意思を見せる。
が、なぜか桔梗さんはむすっとした顔でジト目を向けてきた。
「…………ねぇ、前から思ってたんだけど、幸人くんてさ、随分女慣れしてない? 実は結構遊び人だったりする?」
「いや、女慣れって……女の人って、慣れるものなんでしょうか……?」
「……うーん、なんか解答がずれてるわねぇ」
「女の人と接した回数を指してるなら、僕は全然慣れた方じゃないですね」
うーん、と悩ましげに唸る桔梗さん。
そうしているうちに、目的の駅名を告げるアナウンスが聞こえたため、停車を待つ。
停車し、ドアが開いた。僕ら二人は揃って降車した。
ホームに出て、改札口への階段へ向かおうとしたが、その途中で様子がおかしいことに気づく。
「あれ? 人がいっぱい……」
向かい側に停まっている回送列車。
そこに人がたくさん集まっていた。
普段見ないようなその光景に、僕は不穏な匂いを感じた。
「何か事件かな」
「多分違うわ。だって、場の「気」が腑抜けてるもの」
しかし、桔梗さんはそう断言した。
次の瞬間、
「——オラァー!! テメェらぁ!! 全員ぶっ殺してやんよぉ!!」
そんな怒声が回送列車から飛んできて、僕は思わず飛び上がった。
声のした方を振り向く。
なんと、電車の中には、ナイフを持った男が立っていた!
「おうテメェ、何スマホなんか取り出してんだぁ、あぁ!? 串刺しにして炭火焼きにすっぞコラァ!!」
男は再び奇声じみた怒号を上げ、近くに座っていた人にナイフを突きつけていた。
明らかに銃刀法の基準をオーバーした刃渡りのコンバットナイフ。そこに濃厚な殺意を感じた。
「は!? ちょ、えぇっ!?」
いやいやいや、これ明らかに大事件だろう!
僕は改札に続く階段を必死に探した。
「け、警察っ! 警察に知らせなきゃ!?」
「あー大丈夫。すぐに来るから」
うろたえる僕の肩を、呆れきった顔の桔梗さんが掴む。
え? 「すぐに来る」って——
「わっ」
どたどたどた! というせわしない足音の重複。
階段から降りてきた警官達のものだった。
彼らの手には、先端にU字型のパーツがついた長い棒……いわゆる「刺股」が握られていた。
良かった。お巡りさんが来た。あとは彼らに任せておけば大丈夫だろう……僕はそう安心感を得た。
「——あの馬鹿ども」
しかし桔梗さんは、舌打ちとともに小さくそう毒づいた。
普段見せないようなその剣呑な不機嫌さに、僕は思わずビクリと身を震わせた。
しかし、それからのお巡りさん達の活躍に、僕はその震えをすぐに忘れた。
コンバットナイフを前へ突き出して周囲を威嚇する犯人に、警官が刺股を片手に果敢に突っ込む。
刺股のU字形の内側に犯人を納めたまま、閉じたドアに押し付けて身動きを取れなくする。それから他の警官が犯人の手からナイフを剥ぎ取り、無手となったところを一気に三人で取り押さえる。
うつ伏せで取り押さえられた犯人は、もう動くことはできない。事件は解決だ。
「おおー……!」
その鮮やかな手際に僕は思わず拍手を送るが、警官らが犯人を取り押さえるのをやめて立ち上がるのを見た瞬間ギョッとする。——え、ちょっ!? 犯人が逃げちゃうよ!?
しかし犯人は立ち上がりこそしたが、逃げはしなかった。それどころか警官に親しげに笑いかけてすらいた。
え? なに? どういうこと?
僕が混乱していると、
「——防犯訓練よ」
「は? 防犯? 訓練?」
「そ。電車内の暴力事件とかが起きるたびにね、ああやって回送電車使って訓練するわけ。たいていは、刃物男が暴れてるとか、スプレーで変なガス撒いてる男とか、そういう犯人を用意して訓練に当たるわけ」
「そうなんだ……でも、すごいですよねっ。あんな鮮やかに捕まえちゃうなんて。これなら車内でテロとか起こっても安心ですね」
「ふん、まさか。——赤点どころかマイナスよ。あんなクソ訓練」
「へ?」
予想を超える酷評っぷりに目が点になる僕。
そんな僕を置いて、桔梗さんは向かい側の回送電車へ向かって歩いていく。
「あ、ちょっと桔梗さんっ?」
思わず呼び止めるが、彼女の足取りはどこか苛立ちを帯びているように見え、邪魔をするのははばかられた。
電車前に集まってやり遂げた雰囲気となっている警官達へ、桔梗さんは鋭く言い放った。
「ねぇ、今の何ゴッコ?」
とんでもねーくらいの直球だった。
警官達は突然の声掛けとその言葉に、キョトンとした顔を見せる。
「え……何を言ってるんだい? お嬢さん」
「だからっ。今のは一体何ゴッコなのかって訊いてんのよ」
「ゴッコ」という言葉を繰り返し使われたことで、警官達も貶されていると自覚したようだ。表情に一様に不満が宿った。
「……どういう意味だ?」
「あんなお粗末なやっつけ訓練で「訓練してやったぜ」みたいなやってる感出して、恥ずかしくないのかって訊いてんのよ。税金で飯食ってる自覚ある? あんたら」
「なんだと!? 素人に何が分かるっていうんだ!」
一番若い感じの警官が、そう食ってかかった。ちゃんと鍛えているようで、結構ガタイがいい。
そんな相手に、桔梗さんはしかし少しも怯まず言い放った。
「逆に聞こうかしら。あんたらには何も分からないの?」
「何を言ってるんだ……?」
「…………だめだわこりゃ。まぁ期待はしてなかったけど」
「さっきからなんなんだお前はっ!! 素人の分際で分かったような口をっ!!」
「教えてあげよっか? ——「実技」で」
「何っ?」
警官の当惑に、桔梗さんは驚くべき提案を真顔で突きつけた。
「ウチが犯人役をやってあげるって言ってるの。それをあんたらがそのステキアイテムで取り押さえてみなさいって話。もしもウチが捕まえられちゃったら、今言ったことを伏して謝罪するわ」
何言ってんのこの人——!?
「ちょ、き、ききょさ……」
僕はなんて言ったらいいか分からず、言葉がめちゃくちゃになる。
そうしているうちに話がどんどん進んでいく……!!
「ば、馬鹿を言うんじゃないっ。そんなこと出来るわけ……」
「何で? 誤ってオッパイ触っちゃったりしたらどうしようって? だいじょぶだいじょぶ、訴えないわよ、ウチのチームと幸人くんに誓うわ。それとも……こんなか弱い女一人、捕まえる自信が無い?」
その発言に、警官達から刺々しい雰囲気が生まれた。治安を守る身としてのプライドがあるのだろう、今の発言は聞き捨てならないようだ。
「……一回だけだぞ。お前と違って、俺たちは忙しいんだ」
「いいよ、一回で。それにすぐ終わるし。……ほら、あの模造ナイフ寄越しなさい」
——もう、止められそうになかった。




