初めて人に懐いた一匹狼の話。
「お前、随分男前なツラになったなー? いったい昨日どうしたよ?」
木曜日の早朝。昇降口目指して校庭を共に歩いている加藤樹こといっちゃんが、僕にそう言ってきた。
僕は、両頬にでっかい絆創膏を貼った顔をぶすっとさせた。
「もうちょい心配してくんないのかなぁ」
「いや、お前が殴られるとこ、見た事ねーもんよ。それ、明らかに誰かにぶん殴られた痕だろ?」
「分かるんだ」
「そりゃ、殴られ慣れてっから、俺」
自慢にならないことで自慢げに胸を張るいっちゃん。
「んで、誰にやられたワケ? それ」
「カバちゃん」
「は? カバ?」
「樺山孝治だよ。知らない?」
いっちゃんの足が止まった。
見ると、彼の顔は殺人現場を見つけた第一発見者みたいな表情だった。
「いや、おま、あの、いやいや……うっそだろぉ!? あの樺山に!? どうして!? いや、お前いったい今度はなにやったのよ!?」
「まぁ、いろいろとね。でも、もう解決した問題だし」
「待て待て! お前、もうちょい関わる人間を選べって! あいつはとんでもなく強くて、容赦を知らねー奴なんだぞ!? 滅多な事で目ぇつけられてみろ、ぶっ殺されて山奥に埋められ——」
「——誰がンなことするか。失礼な野郎だな」
不意に影が差し、背後から平坦な声がかかってきた。
振り向く。
噂をすれば影。僕ら二人の後方には、カバちゃんこと樺山孝治が立っていた。
「うひぃ————!?」
まさかの本人登場で、いっちゃんの驚きようったらなかった。ぴょいんと跳び上がり、瞬時に数メートル距離を取った。
だが僕は、いっちゃんにするのと同じ調子で挨拶した。
「はよー、カバちゃん。今日も元気そうだね」
「おう。……って、誰がカバちゃんだ。殴るぞ」
「あー? いいのかなーそんなランボーな事言ってー。夏子ちゃんを召喚しちゃうぞー? 昨日連絡先交換したんだから。RAINも交換したよ」
「…………すげぇな、最近のガキはスマホ持ってんのか」
「カバちゃんだってガキでしょー」
「うるせぇ。ならお前も相対的にガキだろうが」
「かもねぇ」
「……テメェと話してっと調子が狂うぜ。ったく。じゃあな。先行ってるぜ」
「また教室でねー」
「…………ああ」
すたすたと先に行ってしまうカバちゃんを、僕は見送った。
いっちゃんの驚愕と畏怖の表情は、カバちゃんではなく、僕に向けられていた。
「お前……マジでいったいなにやったの?」
「そんな驚くようなこと?」
「だってそうだろうよ。樺山は人と関わるのが嫌いで、基本的にケンカ以外じゃ他人に関心持たないことで有名なんだぜ? それがあんな……」
その先の言葉は、ぼそぼそとした小声であるため聞こえなかった。
「——なんか、随分良い雰囲気だったじゃねーの?」
校舎の一階の階段に登ろうとした孝治を、王龍俊のその言葉が引き止めた。
孝治は舌打ちし、龍俊の方を見ずに億劫そうに答えた。
「……良い雰囲気、ってなんだ。気持ち悪ぃこと言うな」
「そうとしか言いようがないんだよねぇ。なぁよぉ、樺山、お前あんなふうに人に能動的に絡んでくタイプだったか? しかも特別な用件もないのによ」
「……テメェが俺の何を知ってやがる。情報だけで俺の全てを知った気になってんじゃねぇぞ」
「いいや、変だったね。さっきのお前。お前はもともと、人付き合いが苦手ってレベルじゃなかったろ。人を嫌ってすらいたはずだ。それなのに、あのチビッコと随分仲良さげだったじゃねぇの。……気づいてっか? さっきのお前、表情も声も普段より少しだが柔らかかったぜ?」
「テメェは俺のストーカーか? 気持ち悪ぃ」
付き合いきれないとばかりにそう言い捨てると、孝治は階段を登っていってしまった。
さらにしばらくして、件の少年、月波幸人が龍俊の前を通りかかる。
近くからその姿を見ても、龍俊の印象は変わらなかった。……見るからに「カモ」にしか見えない、普通の少年だった。
階段を登っていく幸人が見えなくなった途端、龍俊は静かに舌打ちをした。
「……これは、座視できねぇかもな」
月波幸人。
見た目からは想像できないが、この少年、なんとあの『雷夫』と強いつながりがあるという。
それだけならばまだ許容範囲だ。
しかし、樺山孝治まで味方につけてしまったとなれば話は別だ。この学校において、孝治にはそれだけの価値がある。
孝治本人は否定しているが、龍俊には分かる。
どういう経緯か知らないが——孝治は月波幸人に心を許しつつある。
群れるのを嫌うどころか、人間そのものを嫌っていると言っても過言ではないあの男を懐かせるなど、よほどのことだ。
あの一匹狼すらも、ああも手懐けてしまう少年……
ハッキリ言おう。——あの少年は、今の自分にとって「無視できない脅威」となっている。
龍俊は、いずれはこの神奈川最強の高校の『アタマ』の座を手に入れるつもりだ。
しかしその前に幸人が力をつけてしまうと(おそらく幸人に「その気」は無いだろうが)、幸人の側につく奴が必ず増え始める。ここはそういう馬鹿の巣窟だ。
ゆえに、『アタマ』になる上で、月波幸人はおおいに邪魔だ。
それは、ヤンキー特有の馬鹿な功名心ではない。……自分が旗を振っているグループ『傲天武陣会』の利益のためだ。
不良グループを打ち立てて、その時点で満足では、しょせんは馬鹿な子供のオママゴトだ。
龍俊はそこで終わるつもりは無い。
『傲天武陣会』をさらに成長させ、将来的には一組織とするつもりだ。
そのためには、あらゆるモノが必要だ。ヌマ高の『アタマ』という神奈川の皇帝的ポジションも、その「必要なモノ」の一つだった。
全ては、自分をさんざん弄んできた日本人どもから、やられた分の倍以上取り立てるため。
自分の「恨み」は、大陸の連中のような先祖からのレンタル品ではない。
自分自身の経験から生み出した、「天然モノ」だ。
それゆえに、どこまでも尽力できる。行動できる。
龍俊はスマホを取り出し、仲間の一人へ電話をかけた。
三コールで繋がった途端、龍俊は流暢な北京語で話しかけた。
「——喂喂、你现在有空儿吧。就依我吗?」




