強引に後ろ盾を得ようって話。
一台の赤いネイキッドバイク。
それは桔梗さんの隣へ滑るように止まり、エンジンを切った後、乗っていた人が降り立った。
フルフェイスのヘルメットを外して露わになったのは、ショートヘアの綺麗な女の人の顔だった。
中性的、とでも表現すればいいのだろうか。
一律に流れた黒髪ショートは左目の上で綺麗に別れており、その下にあるのは鋭く整った美貌。美人ではあるが、桔梗さんのように柔らかさがあるわけではない。顔つきに鋭利さとかキツさが強い感じ。
黒いライダースジャケットとパンツが描き出すシルエットは、ほっそりとした体型。しかし貧弱そうな細さではなく、芯が通ったようにスレンダーな体型。特に背筋の良さが印象的だった。
その女の人はキビキビと整った歩みで桔梗さんに近づく。その途中で、彼女の黒いジャケットの背中が見えた。……アメコミっぽい画風の、ハンマーを担いだハクビシンの絵が刺繍されていた。
女の人は、ハスキーっぽい低めな声で言った。
「総大将、今日の四時から例の空き地で定例集会を行います。お迎えにあがりました」
「えー、まだ一時半よ、久里子ぉ。ちょっと張り切り過ぎじゃないかしら?」
「かもしれませんが、最近は『自転車乙徒』や『邪威暗屠』、それと『傲天武陣会』のようなクズどもが血気をはやらせています。総大将の実力を疑うわけではありませんが、もしもの事を思ってのこと。どうかご容赦ください」
「んなかしこまるなってー。一緒にいるくらいで容赦くださいとかさぁ。ウチ、あんたや他のメンバーのことも、手下とかみたいに思ってないからさ」
「ありがとうございます。それよりも……」
桔梗さんの友達っぽいその女の人——久里子さんは、僕といっちゃんへ切れ長の瞳を向けた。
「こいつらは何者ですか?」
なぜだろう。鋭い眼光を感じた。
僕たち睨まれてる? しかも初手「こいつら」ときましたか。
明らかに「最初からてめーらと仲良くする気はねーぜ」って感じの態度に思えた。
そんな女の人——久里子さんの態度に気づいているのかいないのか、桔梗さんは僕といっちゃんを手で示し、苦笑をまじえて言った。
「あー、忘れてた。紹介するね、久里子。……このフツーっぽい子が月波幸人くん。もう一人が加藤樹くんよ。制服で分かるように、二人ともヌマ高の生徒ね」
それを聞いた久里子さんは、僕を一瞥してから、桔梗さんに再び視線を戻した。
「それではこの男が、総大将が『五輪書』を譲った相手……?」
「そ。大いに役に立ってるみたいよぉ。ねー幸人くんっ?」
にっこりいい笑顔で同意を求めてくる桔梗さん。
「は、はい……おかげさまで」
僕はとりあえず肯定した。助けられたのは事実だから。
だが次の瞬間、久里子さんはものすごい勢いで僕の方を向いた。
ひっ。
なんか、さっきよりすんごい目で僕を睨んでる。
親の仇、はちょっと言い過ぎか。だが、その一歩手前くらいの感情を感じる。
ていうか、さっきからホントなんなのこの女……
桔梗さんも僕の疑問に勘付いたようで、慌てて紹介しだした。
「あぁ、幸人くんにも紹介しなきゃね。この子は河野久里子。ウチの右腕的な存在。特別な友達よ」
久里子さんはうつむくと、「と、とくべつ……」と小さく呟く。その声はどこか甘さをふくんでおり、頬はうっすら赤らんでいた。
よーく見ると、口元が嬉しそうに小さく微笑んでいた。……なんかよく分からないけど、甘ったるい空気を感じる。
「えっと、よ、よろしくお願いします……」
僕がそう挨拶すると、久里子さんはギンッ! という擬音が出そうなほどの眼光で僕を睨みつけた。怖っ。
そのままツカツカと僕へ歩み寄り、間近でそのギラついた睨み目を向けてきた。
「おい、貴様。その『五輪書』を粗末に扱ってみろ。私がこの手で引導を渡してやるからな」
「いや、粗末に扱うも何も……この『五輪書』には、僕も助けられてますし、粗末に扱うわけないですって」
ヘラヘラと愛想笑いをまじえて釈明すると、どういうわけかさらに睨み目を強めてきた。
……どうしよう。僕、この人苦手だ。
「まーまーまー、久ー里ー子っ」
桔梗さんが久里子さんの両肩を後ろから抱いた。
久里子さんは大人しくなった。……その頬がうっすら赤いのは気のせいか。
「……ごめんねー。この子、大の男嫌いなのよ。昔、ちょっと色々あったらしくてさー。許してやってほしいのよ」
「いや、大丈夫です。別に気にしてないから……」
「ありがとー。……ほら久里子、クリームソーダーでも飲んで落ち着きなよ」
桔梗さんはそう言って、飲みかけのクリームソーダーを久里子さんにブラブラ見せつけた。
「えっ…………あ、でも……そんな、私…………いや、でも……」
たったそれだけのことなのに、どういうわけか久里子さんはまた顔を赤くして、恥ずかしそうに俯いた。しきりに桔梗さんのクリームソーダーに視線を移している。
僕らに凄んだり、恥ずかしそうにしたり、忙しい人だ。……ん? 恥ずかしそう? なんで?
いっちゃんがちょいちょいと肘で小突いてきた。
なんか気まずそうな顔をしている。小声でささやいてきた。
「なぁユキ、あの短髪の女…………もしかすると、ソッチなんじゃね?」
「ソッチってどっち?」
「……いや、なんでもねー。忘れてくれ」
変ないっちゃん。
結局久里子さんは真っ赤になって黙りこくるだけだった。それを飲まないと判断した桔梗さんが残りのクリームソーダーも全部一気飲みした。それを見た久里子さんは、なぜか後悔したような顔をしていた。
……ま、いっか。考えても分からないものは分からない。
僕は話題を変えることにした。
「ところで、最近チャリなんとかとかが云々言ってましたけど、もしかして……抗争とかやる感じですか?」
「お前には関係ない。とっとと家に帰れ」
久里子さんがそうつっぱねてくる。……なんか喋るのイヤになってきた。
「関係ない、とは必ずしも言えないですって。僕といっちゃん、さっき桔梗さんに助けてもらったばっかりなんですから」
「何っ? どういうことだ? 説明しろ」
僕はとりあえず、佐竹たちとの一件を説明した。
それを聞き終えた久里子さんは、全身に殺気をまとわせた。
「……おい小僧。今すぐその佐竹とかいうクズのところに案内しろ。私がこの手で地獄を見せてやる」
「いや、それはちょっと……それに、手を出すまでもないんじゃないかな」
佐竹はあの大群を動かすために、『傲天武陣会』が自分のバックにいると嘘をついていたはずだ。
その嘘がバレた今、動かされた側のヌマ高生は佐竹をただではおかないはずだ。
ご愁傷様、とは思わない。いっぺん痛い目にあって改心してもらわないと。
そのように説明すると、久里子さんは不快げに鼻を鳴らした。
「……まったく、これだから底辺高のゴロツキ共は」
久里子さんのぼやきに、いっちゃんはムッとした様子で言い返した。
「お前だってゾクの一員だろ。同じ穴のムジナじゃねーか」
次の瞬間——久里子さんの姿が消えた。
「がふぁっ——!?」
さらに次の瞬間、いっちゃんの呻きが耳朶を打った。
見ると、久里子さんに片腕を取られた状態で、地面に仰向けになっているいっちゃんの姿が。
まさか、投げられたのか?
「——吐かすな。同じ穴のムジナ、だと? 総大将のお陰で道を踏み外さずに済んだ奴がいったいどれだけいると思ってる? 恣意的で勝手気ままなお前達と一緒にするな。不愉快だ」
静かな殺気を宿した語気で、彼女はいっちゃんに言い放った。
「ぐふっ、がはっごほっ……!」
だが、いっちゃんにそれに耳を傾ける余裕は無かった。背中を打ち付けたショックで、何度も咳き込んだ。
「いっちゃんっ!」
僕は慌てて駆け寄り、久里子さんの腕を振り払った。彼女は一歩後ろへ退がる。
いっちゃんを助け起こし、背中を何度かさすってから、それをやった張本人をキッと睨め付けた。
「——おい! いくらなんでも乱暴過ぎるだろ!?」
僕の非難の言葉に、久里子さんはいっちゃんを触った手をハンカチで拭きながら、すげなく言った。
「その男が無礼な事を言うからだ」
「こいつ……!」
僕は睨みを強めた。
だがそこで桔梗さんが、久里子さんの肩を後ろから掴んだ。
「久里子、やめな」
「しかし、不当な侮辱ですよ! 私達は『自転車乙徒』や『邪威暗屠』のような連中とは——」
「やめなって言ったけど」
「っ…………はい」
有無を言わさぬ桔梗さんの語気と眼差しに、久里子さんは渋々といった感じで大人しくなった。
それから桔梗さんは、僕らに申し訳なさそうな笑みを見せて言った。
「ごめんなさい。後でこの子は厳しく叱っておくから、それで許して?」
桔梗さんはそう言うが、今のは悪態をつかれるのとは訳が違う。
実際に手を出されたのだ。僕の憤りはまださめなかった。
「……ずいぶん強いんですね、彼女。護身術か何かですか?」
僕は皮肉に尖った口調に、桔梗さんはなおも済まなそうな表情で、
「久里子は合気道やってんのよ。しかも演武だけ得意なタイプじゃなくて、実際に使ってるガチの実戦派。ヘタな男より数倍強いわ」
「『雷夫』には、これくらいの人がいっぱいいるんですか?」
「久里子はウチを除いて一番強いわよ。その下にいるみんなも、腕に覚えのある精鋭揃い。大所帯ではないけど、戦力ならかなりのもんよ」
なるほど、随分と立派なゾクであることだ。
もしも————彼女達が僕らの味方になれば、随分と心強いはずだ。
五輪書「火之巻」に曰く——底を抜く。
たとえ敵を武力で叩きのめしたとしても、外見上では負けていても、内面ではまだ敵の中に「敵愾心」が残っていることが多い。
この場合、勝負に勝ったとは言えない。相手は負けを認めてなどいないのだ。
本当の勝利を掴み取るには、相手の精神もくじかなければならない。
そのために最も手っ取り早い方法は「相手を殺す」だが、今の社会でそれをやれば僕は塀の中だ。
であれば、この兵法をどうすれば活かせる?
簡単だ——戦う前に相手の心をくじいてしまえばいい。
敵があまりに巨大で、強大な存在であるならば、よほどの大義が無い限り勝負を挑むのは避けたがるはずだ。竜巻と力比べをしようなんて愚か者はいない。
人間が、その「強大な存在」になるには、どうすればいい?
簡単だ——群れをつくればいい。
どれほど鍛えようとも、人間一人の力などたかが知れている。
だからこそ、人は「群れ」を作る。
集団を作る。街を作る。軍隊を作る。国を作る。
その「群れ」の力を後ろ盾にすることで、人間は一人を超えた強い力を得られる。人類はそうやって今の社会を形成していった。
では、僕が、不良の世界になんのツテも持たない僕が、強い「群れ」を作るには、どうすればいい?
簡単だ——今、目の前の状況を利用すればいい。
僕はいっちゃんへ同情の視線を送ってから、再び目の前の女二人へ非難がましい視線を戻した。できるだけ、あからさまに。
「……本当にごめんなさい。その代わりと言ってはなんだけど……私にできることがあるなら、何かお詫びをさせてほしいの」
来た。
「言質」を取った。
僕は、迷いの無い口調で言った。
「なら————『雷夫』一同、僕といっちゃんの「後ろ盾」になってください」
女性陣は、そろって目を見開いた。
無論、最初に動いたのは久里子さんだ。僕に歩み寄り、怒鳴りかかってきた。
「何をふざけた事を抜かしている!! 貴様の後ろ盾になれだと!? バカも休み休み言え!!」
「できることなら何でも「お詫び」してくれるんでしょ? 君の総大将がそう言ってるんじゃないか」
「だが、貴様の希望は明らかに過ぎている!! 被害と謝罪の釣り合いが取れていないだろうが!! ごうつくばりにも程があるぞ!?」
「うるさい黙れ」
反吐を出すような声で、僕は言い放った。
すぐ眼前の久里子さんが、かすかにたじろぎを見せた。
言い返す暇は与えない。僕はたたみかけた。
「久里子さん、君は僕らを「底辺高のゴロツキ」なんて腐した。それにいっちゃんは言葉で返した。そしたらどうだい? 君は言い返すんじゃなくて、実力行使に出た。……ねぇ? これって「専守防衛」をうたってる『雷夫』としてはどうなんですかね、桔梗さん?」
「総大将は関係ない!!」
「あるって言ってるだろ。兵隊が何かやらかしたら、その責任は将軍にあるんだ。ごっこ遊びで総大将って呼んでるのかな、君は?」
「貴様っ……!!」
「あれ? また投げちゃう?」
ことさらににっこり笑う僕。
ぐっ、と唸る久里子さん。
僕は力を込めて、一番言いたい事を言った。
「はっきり言うよ——いっちゃんにあんなことされて、僕は頭にきてるんだ。意地でもそれくらいの「お詫び」をしてもらわないと、こっちの気がおさまらないんだよ。分かったか? この跳ねっ返り」
久里子さんは、怒りと苦悩の混じった表情で俯いた。
その唇がギリギリと噛み締められており、血管が切れそうなほどの怒りに耐えていることがよくわかる。
——我ながら口が上手くなったものだ、と思った。
彼女らは、こう言われたら、僕の要求を受け入れざるを得ない。
もし受け入れず、暴力で黙らせたりしてしまえば、「穏健派」で通っている『雷夫』のメンツは一気に失墜する。
口で何か言われたから実力行使——これは明らかな「不当な暴力」。『雷夫』の信条に反する行いのはずだ。
それと、理由はもう一つある。
それは、ただ単にムカついたからだ。
いっちゃんを投げ飛ばしておいて謝りもしない久里子さんに、一発がつんと言ってやりたかった。
言えた。とてもすっきりした。胸がすく思いとはこういうものか。
さて、言いたい事を全部言ってスッキリしたところで、本題に入ろう。
「それと、「後ろ盾になってくれ」とは言ったけど、それは「僕が誰かに何かされたら『雷夫』全員で報復しろ」って話じゃないんだ。——その可能性があるって事を示唆してくれるだけでいいんだ。本当に手は出さなくていい」
桔梗さんはハッとした顔をする。
「……戦略的曖昧性、ってことね」
「はい。『雷夫』は身内を不当に傷つけられたら容赦をしないことで有名なグループです。そんなグループが嘘であっても「僕の味方」になってくれれば、僕らを不当な暴力の的にしようとするヌマ高の連中はいなくなるでしょう。少なくとも、嘘がバレるまでは安心です」
「なるほど……不良の巣窟の中での安全な生活を、ウチらの力をちらつかせることで実現しようってことね。……どっから引っ張り出してきた知識かしら?」
「五輪書「火之巻」から。「底を抜く」を自分なりに解釈してみました」
「あっははははは!!」
桔梗さんは愉快そうに笑い出した。
ひとしきり笑った後、
「……幸人くん、ずいぶん強くなったね。武蔵様様だわ、ふふふふっ」
桔梗さんは、もう一度笑顔を見せた。
作り笑顔ではない。本当に楽しい、と言わんばかりの笑顔だった。
まるで、少し前までちっちゃかった近所のちびっ子が、久々にあった時に大きくなっているのを見たかのように。
……正直、僕はこの反応にとまどっていた。
桔梗さんの反感を買うことが前提だったのだ。
当たり前である。自分のチームを巻き込むような事を頼まれたのだから。
だが、桔梗さんは気を悪くするどころか、本当に愉快そうだった。
これはこれでとまどってしまう。
「——いいわ。そういうアイデアなら、吊り合いが取れてる。それをお詫びの印として受け取ってもらうわ」
桔梗さんはそう快諾してくれた。
対照的に、久里子さんは忸怩たる感情を密かに顔ににじませていた。
いっちゃんは、痛みをすっかり忘れた様子で、唖然とした顔で僕を見ていた。
今の三人の感情の渦中には、「僕」という存在があった。
——ああ、僕はたった一日で、こんなにも悪いやつになってしまったのだな。
騙し討ち、二体一、道具を使ったりもして、何がなんでも勝利を掴もうという貪欲さ。
さらには己の安全のために、詭弁をもてあそび、相手の謝意を利用しようとしている。
昨日の僕に今の状況を説明しても、きっと信じてはくれないだろう。
おそらくこうなったのは……佐竹との最初のケンカに勝利してしまったからだ。
勝利というのは、どういう形であれ、人を変える。
自信をつけさせるのだ。
おそらく「強者」とか「勝ち組」と呼ばれている人は、その「勝利」をいくつも積み重ねたことによって、己の自尊心も積み重ねてきた人たちだ。だからこそ、あそこまで堂々たる振る舞いができるのだ。
けれど、それは必ずしも良い事ばかりではない。
自尊心が強まれば、傲慢になることもある。
傲慢になれば、油断を生む。余計な隙を作る。研鑽をしなくなる。
そして最悪、弱者と見下していた相手に足元をすくわれることになる。
そう。ずっと勝っていたければ、強くいたければ、勝利のもたらす脳内麻薬に踊らされず、謙虚でいなければならない。
宮本武蔵だって、常に全力だったはずだ。
僕がもらった『五輪書』の文庫の最後には「独行道」という、武蔵の生き方を記した二十一箇条があった。それ読めば、武蔵がそういう人物であったことが分かる。
僕は知恵と力をつけつつあるのかもしれない。
でも、これからも僕は「弱い奴」でいよう。
自分を「弱い」と思っていれば、油断も増長もしない。立ち止まったりもしない。
「弱い」と自覚して全力で知恵と力を振り絞れば、必ずなんとかなるようになる。
そう——僕は弱いのだ。
「それで、具体的な方法はあるのかしら?」
桔梗さんの質問がくる。
方法は考えていなかったが、僕は今瞬時にそれを思いついた。
「——ものすごく簡単な方法です」
某最強の生物氏「たかだか一時間余りで蚊トンボを獅子に変化る。勝利とはそういうものだ」




