キスキスキス争奪戦〜初めては君と……
「おーい、席に座れ」
担任が教室に入ってきた。
大騒ぎの最中、いつのまにかチャイムは鳴っていた。
担任は教壇に出席簿をドンと置く。
「こらぁ、席に座れ」
男子生徒たちの興奮は収まっていない様子。
柊木藍香を含め、女子はちゃっかりと座る。
柊木藍香は、何か納得いかないという様子だが……
そんな中、一人の女生徒が手を挙げて発言した。
「先生! 西園寺君が怪我をしています!」
「お、そうか」
担任はエアコンが落ちているのを無視して、西園寺を……彼は、まだ涙目、そして、夕莉に向かって、何かを訴えている最中だった。
そんな西園寺だ。足を横にそろえて床に座っている女の子のような仕草だが、それが、どこか怪我しているように見えなくもない。
そこに、丁度……というところで担任は戸惑う。
「誰だ、あれは?」
「夕莉ちゃんでーす」
女子が担任に教えてあげる。
「夕莉? 不破夕莉か?」
「そうでーす」
一瞬戸惑う担任。されど、生徒の怪我の方が心配なのが担任。
「よし、じゃあ、不破? 保健室へ、西園寺を連れてってやれ」
担任には心配ごとが、あと二つ。
黒板の前に倒れている二人。
パンツ坂本と自称空手部次期エースだ。
「こいつらは?」
「バカは、放っておいて大丈夫でーす!」
女子は一致団結、声もそろう。
「ああ、そうだな……こいつらは、大丈夫だ」
和をもって尊しをなすを、女子の意見のみでしてしまうのも担任だった。
かくして、男子たちがザワザワする中、夕莉は西園寺のすぐそば、そして、腰をかがめた。
「ひゃっ!」
西園寺の男のものとは思えない可愛らしい悲鳴。
皆は、それも、しょうがないと思う。
なぜなら、夕莉は西園寺をお姫さま抱っこをしたからだ。
顔の整ったイケメン、美少年の西園寺には、それは悲鳴をあげるほどの屈辱に違いない。
皆は、そう思う。
「夕莉、僕は……」
「分かってるよ。蓮だって、男とキスなんて嫌に違いないからな」
蓮は両腕で自らの制服を、はだけないようにと、両手で裾を掴んでキュッと締めている。夕莉と目が合うのは嫌がり、顔を横にそらす。
ガラガラと扉が開く音。
そして、そこが、ピシャンと鳴く。すると、二人の姿は教室から消えていた。
恥ずかしさで顔を真っ赤にしたイケメン。
西園寺が、女装の不破に……女体化だが……、彼が、彼に、お姫さま抱っこされた余韻にひたる女生徒が数人いるのも確かな様子だ。
それは、それとして、男子生徒のテンションは沈静化するかに見えた。
黒板の前で倒れていたパンツ坂本が息を吹き返す。
彼の一言で、男子たちは熱狂を取り戻してしまう。
その一言がこれだ。
「あいつら、絶対、保健室でキスするぞ! 野朗共! 西園寺グループの横暴を許すな!」
「オオォオ!!」
「許さない!」
「絶対に許せない!」
「俺たちの不破に手を出すなど!」
「絶対に許さん!」
「許してたまるかぁ!」
「不破にキスをするのは俺たちだぁ!」
ドドドと猪の勢いで教室を男子たちは飛び出した!
「こらあ!」
担任の怒声も聞こえないほどに……。
そして、教室に残った女子たちは?
「先生、私たちも行きます!」
「ああ、もういい……理由を言ってみろ」
「面白そうだからです!」
女子たちもキャッキャッと言いながら後を追う。
ただ一人、柊木藍香だけは、冷静たった。彼女は、辺りを探りはじめた。
一方、廊下では……
西園寺は、ずっと夕莉に大人しくお姫さま抱っこをされていた。
夕莉の方も、怪我をしている彼を心配して、大事そうに抱えている。
夕莉の姿は女の子。
それは、男だった頃の不破夕莉と違って、背も低い。それは、高校生女子の平均より低く、中学生ぐらいにしか見えない身長。
西園寺も男子生徒の中では背は高い方では無いが、それでも、今の夕莉よりは高い。
そんな夕莉が、西園寺をお姫さま抱っこできるのは、妖狐の高い身体能力と関係があるかもしれなかった。
廊下をお姫さま抱っこで歩く二人。
チャイムが鳴って静まり返った廊下に、足音が響く……
二人は無言。
それは、なぜか気まずいから……
バッシャーーン!
扉が壊れそうな勢いで開く音!
別のクラス、教室の廊下がわの窓が次々と開かれる。
そこからのぞく、生徒たちの、顔、顔、顔、男女の顔。
まさに、それは、野次馬と呼ぶに相応しい顔で楽しそう。
そして、ドドド、ドドドと迫ってくる轟音!
夕莉と西園寺、彼の後方が騒がしくなっている。というより何かが、彼らを襲う気配。
振り返った二人の目に飛び込んできたのは……
男子生徒の群れだ!
「ウオォー」
「ウオー」
「不破にキスをするのだぁ」
「ウオォー」
「不破にキスをぉ」
「うわぁー、なんだよ!」
夕莉が走り出した!
それが、疾い!
男子生徒たちの勢いだって負けちゃいない
ドドドドドド!
「ウオォー」
「ウオー」
「不破にキスをするのだぁ」
「ウオォー」
「不破にキスをぉ」
奇声を発する男子生徒軍団。
怖い! そして、キモいぞ!
「こらぁ! 静かにしなさい!」
担任とは別教師の声、女の先生の声が教室の中から野次馬の生徒たちを叱っている。
西園寺と夕莉の目が合う。
「蓮、心配するな!」
「うん」
「俺が、絶対、蓮を守ってやるからな!」
夕莉は、西園寺をお姫さま抱っこしたまま廊下を駆ける。
「ウオォー」
「不破にキスをぉ」
男子生徒たちの常軌を逸した追撃!
「ありがと……」
西園寺のお礼、そして、夕莉には聞こえない声で「でも、追われてるのは君だよ」と言い、彼の顔を見て、そして、そこから目をそらし「でもありがと」と彼に身を任せた。
西園寺をお姫さま抱っこした夕莉は疾い!
黄金色の尾が誇らしく揺れている。
その黄金の輝きに、男子たちの目がくらむ。
その目に映るのは、金色の髪の美少女。
彼女の腕の中にいるのは、男子生徒。
それは、まるで絵画のように美しい光景。
夕莉は疾い!
人、一人を抱えながらとは思えない疾さ!
男子生徒たちをグングン引き離す。
夕莉の前に障害物。
廊下の真ん中に地蔵。
首に赤いよだれかけが巻かれた、オーソドックスな地蔵。
笠をあげれば、恩返ししてくれかも、のアレだ。
そんな障害物も夕莉には無いのと同じ。
ピョーンとひとっ跳びでクリアだ!
「くそ、誰だよ、地蔵なんて置きやがって!」
「じぞう……⁈」
「ん? 地蔵?」
夕莉と西園寺が首をかしげた。
そこで廊下の突き当たり。
ここは、二階、保健室は、一階。
階段は、どこの学校でもある折り返し階段になっていた。
夕莉は跳ぶ。
階段の途中、そこの踊り場、その突き当たりの壁へ。
踊り場の壁を、西園寺をお姫さま抱っこしたまま蹴る。
その勢いのまま、一階の床に着地。
百点満点の曲芸を、難なくこなす。
男子生徒たちは、かなり後方。走ってくる足音もかなり小さくなっている。
保健室の前で、夕莉は止まる。
「蓮、ここに結界を張ってくれ、得意だろ?」
「結界って」
西園寺は抱っこされたまま。もう小動物と言ってもいい表情。
「扉に鍵だよ。厳重に、そして開かないように」
「夕莉の頼みなら……」
西園寺は、エイッと扉に結界を仕掛ける。そこは、淡く光り、すぐに、その光りは消え、普通の扉になった。
「ちっ、あの地蔵……」
夕莉は西園寺をお姫さま抱っこしたまま反対側の階段を目指し急いだ。
遅れること少しして、男子生徒たちが保健室前にやってきた。
「あー、やっと着いたぁ」
「不破ぁー!」
男子生徒の一人が、扉に手で開こうとした。
その扉はピクリともしない!
「不破ぁー! 無駄な抵抗はヤメロォー!」
「不破ぁー」
「開けろぉ!」
ドンドンと叩くが反応なし。
「よせ! 結界だ! ここは退魔士を目指すものらしく……」
坂本が率先して結界の解呪をはじめた。
そして、二階廊下。
さっきまで廊下がわの教室の窓からのぞいていた野次馬たちは、再三の先生たちの注意によって、いなくなっている。
地蔵は廊下の中央にまだあった。
その地蔵、ピクリとも動かず。心なしか、あぶら汗をかいているように見える。
「ほおー、廊下に地蔵とは邪魔だな」
夕莉、地蔵の前に到着。
地蔵、平然を装う。それが、誰にでも伝わるくらい一生懸命だから、なんとも痛々しい。
「しょうがない、ぶっ壊すか!」
夕莉、西園寺をお姫さま抱っこしたまま、右回し蹴りの構え。そして、ゆっくりと腰を落とす。
「せーの」
夕莉の掛け声。
地蔵から尻尾が生えた。妖狐のとは違う、茶色で短い、まあるい尻尾。そして、可哀想なほど大量な汗、そして、汗。
「粉々にぃ」
夕莉の蹴りが軽く地蔵に当たった!
ポーン!
地蔵が白い煙に覆われた。
小さなタヌキ。ちんまい化けタヌキが現れたのだ!
「げっ、タヌキ⁈」
「タヌキが化けてたんだ……」
西園寺、いまだ、お姫さま抱っこされたまま。
「やっぱり妖魔の類いの仕業だと思ったのよ」
柊木藍香が何処からともなくやってきた。
彼女は何か怪しいと思い教室の周辺を一人で調べていた。
そのことを、夕莉たちと話す。
「なら、早く気付けよ!」
「化かされてるんだから、しょうがないじゃない! 廊下に地蔵があっても普通だと思っちゃうのよ!」
「そんなもんか……」
不満げな夕莉、その腕の中で西園寺は、藍香の意見に同意してコクコクとうなずく。もはや、西園寺は、抱っこされたまま受け入れていた。
「あんたは、妖狐の力があるから、その不自然に気付くのよ」
化けタヌキがそっと逃げようとするのを、柊木藍香は見逃さなかった。
「人間の小娘には、ぐぬぬぬぬ、負けないたぬぅ!」
化けタヌキは強気。しかし、その大きさ仔タヌキほど……。
藍香のゲンコツ一つで、化け仔タヌキ撃沈!
「たぬー」
という悲鳴が、もはや愛らしい。
「男子生徒たちも、あたしたちも、こんなのに化かされたなんて……」
藍香は、腕を組んだ。
化けタヌキは、
「許してくれたぬ」
と謝罪し事情をペラペラと喋る。
化け仔タヌキ(名前は省略)が言うには、
「空寺の妖狐を捕まえると賞金が貰える」
そういう噂が、妖魔たち中に広まっているとのこと。
そこで、化け仔タヌキは考えた。
「妖狐だと自分の手に負えない、なら人間の姿でと……」
「で、ちょうど、コイツがキスの話をしていて、手当たり次第、キスをけしかけたと……」
藍香が話をしめた。
「おかしいと思ったのよ。だって、あたしが、コイツとキスするなんて……」
彼女は栗毛の髪をいじりだした。
「いや、あの時は……」
「謝る必要は無いわ。あんただって化かされてたのよ」
「そ、そうか」
夕莉が下を向くと、西園寺のジトとした目があった。
「いや、やっぱ謝る。あれは無い。絶対、俺が悪い。だから、ごめん!」
「じゃあ、あんた、本気で、わたしを男だって思ったの!」
「いや、だって、おまえ、可愛いじゃん。だから、確認しないと……」
夕莉は目をつむった。それは、彼が本気で反省をしているからだ。そんな彼の腕の中、西園寺は頬を膨らます。
そして、柊木藍香は、彼が言った「かわいい」の言葉が頭の中でこだまして、グラングランしてしまう。
そして、彼女は気を取り直す。
「へえ、じゃあ、あんたは、どうなのよ? 男の子? 女の子?」
「俺は、男だ!」
柊木藍香は、彼の隙をついた。それは、怒りという名の隙。
一瞬で間をつめる。
唇が合わさりそうな距離感。
そこでも、彼に隙が生まれてしまう。
だから、彼女は、仕返しをした。
不破夕莉、妖狐の女の子のあそこを、もみもみ揉んで、あそこをさっと触る。
それは、二つのささやかな膨らみと、スカートの奥にある場所だった。
夕莉は、顔を真っ赤にした。
「これで、おわいこよ。だから、もう、この話はおしまい」
柊木藍香は、舌を出しながらアッカンベーをすると、彼に背を向けて駆け出した。
「おい!」
「ちょっとごめんなさい、わたし、急いでるの! 保健室に用があるんだから! あのヘンタイ、坂本って奴よ!」
その後、坂本は、柊木藍香からこっぴどく叱られていた。
ことの真相は、坂本が化けタヌキの術式を利用して騒ぎを大きくして楽しんでいた。
ただのそれだけのバカ騒ぎだったのだ。
保健室の前で、もう一度、夕莉と柊木藍香がすれ違う時、彼女は、もう一度だけ、アカンベーを彼にした。
そして、その後の彼女はいつもと変わらない柊木藍香に戻っていた。
騒ぎが一件落着。
みんなが去った後の保健室。
その中。
不破夕莉と西園寺蓮の二人だけ。
授業中、ここは、静けさが支配している。
西園寺蓮は、不破夕莉のお姫さま抱っこから解放された。
保健医が不在で途方に暮れた不破夕莉だったが……西園寺は、怪我はしていないことを、告白した。
西園寺蓮はベットの上で足を横にそろえて座っている。
いわゆる女の子座り。
そのベット隅に不破夕莉は腰掛けていた。
「君が男に戻りたいなら、別にいいよ」
「何を言ってるんだよ……本気か?」
「そのままじゃ困るだろ? 僕だって……」
長い沈黙。
夕莉は西園寺を見た。制服がはだけないように彼はまだ両手で裾をつかみ、胸の辺りでキュッとしている。
「いや……」
「夕莉、目を閉じて」
「おい、男同士で……」
「目をつむりなさい!」
夕莉は目をつむってしまう。後ろから西園寺蓮が不破夕莉の首に手を回す。そして彼は頬に、唇の感触をおぼえた。それは、柔らかくて男のものとは思えない香りをともなっていた。
不破夕莉の全身は西園寺蓮に包まれた。
そして、彼女は、彼の頬にキスをした。
不破夕莉は、彼女の想いが伝わってくるようなそんな感覚はあった。それが彼には、言語化ができてはいない。
西園寺蓮は女の子だ。高校一年生の女の子。西園寺グループの都合で性別を偽り男装をしている女の子。
そのことを、不破夕莉は、知らない。
彼は、自分の姿が、女の子のままだという事実に随分とたってから気がついた。
そして彼は混乱する。
「あれ? 柊木は女……蓮は男……⁇」
「おい、蓮!」
「こういうことだよ」
西園寺蓮は、今まで、はだけないよう、かばっていた胸の辺りの服を、少し開く。
それは、ほんの少しだけ。
ほんの少しの小さな隙間。
それだけで十分。
女性しかない、柔らかな胸の深い谷間、そのはじまりの部分が見えていた。
「おまえ……」
「そうだよ、僕は女なんだ」
顔立ちの整ったイケメンの美少年。色白の和風男子。
不破夕莉に、そう思っていた。
それが……
色白、黒髪、ショートカットの和風美少女。
西園寺蓮は、女の子に見える。
それに、彼が見た、蓮の胸の谷間。
西園寺蓮は女の子。
幼なじみのずっと一緒にいた女の子。
今まで、ずっと……
彼の思考が途切れる。
「僕のこと、嫌いになっちゃった……?」
彼女の言葉で不破夕莉の思考が、動き出した。
「そんなわけあるか! ばか!」
「本当にぃ?」
「ああ、本当だ! 蓮が、男でも、女の子でも、蓮は、蓮だろ? そんなの当たり前じゃないか!」
「良かった……」
西園寺蓮は、不破夕莉をジッと見る。
確かに、彼女は美人に違いなかった。そして、彼女は、服装は男性でも、女性を隠そうとしていない。
だから夕莉は照れってしまった。
「じゃあ、あっち向いてて」
そう言って、夕莉が背中を向けると、彼女はサラシを巻き直していく。
「なんで、蓮は、男装なんかしてるんだよ」
「いろいろ、事情があるんだ。いずれ、訳は話すよ」
「そうか……悪かったな、その……」
「キスのことなら気にしないで」
「そんな訳……」
「本当に気にしなくていいよ。だって、初めては、君とって、ずっとずっと前に決めてたんだから」
チャイムが鳴った。
校内が騒がしくなってくる。