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平穏の神さま

 空寺そらでらの朝は早い。

 陽が昇る前から、それは、はじまる。


 夕莉は、妖狐の姿のまま、階段をぴょんぴょんと降りると、彼の祖父であり、空寺そらでらの宮司、不破一心(ふわいっしん)が出迎えていた。


 祖父の一心は、何やら訳知り顔で笑う。

「えろう縮みおって、それで、お前さんは、どっちなんじゃ?」


 昨日の空寺に隣接する鎮守の森での野孤の騒動を、不破夕莉の祖父、一心は知っていた。その場に居合わせた、夕莉のクラスメイト、西園寺蓮と柊木藍香から事情は聞いている。


 当然、その時の夕莉は、美しい女性の妖狐、桜花の姿だった。妹の姫乃の方は、不在だったので、その話だけだ。



 祐希の祖父、不破一心の背中から、妹の姫乃ひめのがジトーとした目で顔を覗かせる。

「お兄ちゃん、何をしてたのぉ?」


 祐希は、己の行動を振り返り、心臓に何かをグサッと突き刺されたような衝撃。それから、兄としての威厳にヒビが入ったかのような錯覚? どういうより、錯覚であって欲しいという願い……兄としての威厳は、まだ取り返されるという思いを、この返答に込めた。


「何って、確認だよ。か、く、に、ん……大事なことだぞ」


 そう、彼は確認したのだ。女の子の胸はどうなっているのかな? という純粋な好奇心。男の子として当然の行動。むしろ、それをしない方がヘンタイであると、彼は、この短い言葉に込める。つまりそれは、自分の胸を揉んだっていいだろ? という開き直り。


「へぇー、大事なことなんだ。で? どこの? なんの?」

 姫乃は、祖父の一心の背中から出ると、兄を蔑むかのようにして見下ろす。


「そ、そりゃあ、もちろん……あれだ、ほら、そのー……」

 不破夕莉の目が泳ぐ。それを、挙動不審ともいう。妹が婦警で、兄の夕莉を職質していたのなら、間違いなく有罪、ギルティに違いない態度だった。


 妹は、大きく息を吐き出す。

 ちょっといじめすぎたと反省。


「もういいわ……とにかく、あなたは、わたしのお兄ちゃん……不破夕莉(ふわゆうり)で間違いないのね」


 夕莉は、コクコクとうなずく。


「よかった……心配したんだからね」

 妹は両手で兄の夕莉を優しく包んだ。彼女は兄の体温を日向ひなたのように感じ、失いたくないと強く思う。


「姫乃……」

 妹の温もりに感動する兄だが、その感動は、次の一言で砕け散った。


「じゃあ、今すぐ、わたしの部屋に行って、服を着替えて来てっ!」

「え……、姫乃?」

「えっ? ってなに? そんな格好じゃダメよ!」

「格好って……姫乃、いや、姫乃さん、何を……」


 夕莉には悪い予感しない……それは、強くてカッコいいと彼だけが思い込んでいた兄の威厳が、完全に崩壊する予感……


「もうぉ、女の子になったら、一番大事なことよ! 心配だから、わたしも一緒に、選んであげるっ!」


 妹はノリノリだ。彼は思う。ヤバい、そして、男して最大のピーンチ!


 彼女は彼の手を引いた。


 なんと、それに逆らう力が彼にはない。妖狐って強いじゃないの? などと抗議の念を抱いても、現実は現実として、受け入れなくてはならないのだ!


「やだ! 絶対に、いーやーだー!」

 かくして、逆らえない兄、夕莉は哀れな悲鳴をあげるにいたった。


 不破夕莉の妹、姫乃の部屋は、朝から騒がしい。

 庭の木に止まるすずめたちは、チュンチュンと鳴きながら早朝の空気を楽しんでいる。


「きゃーっ!」とか「かわいいっっ!」とか妹は奇声を発し、兄はぐぬぬぬぬと嗚咽おえつを漏らす。


 境内で神事をこなす不破一心は、その様子を聞きながら、鎮守の森の方角を向いて、柏手をうち目を閉じた。


 すずめが町へと羽ばたく頃。

 朝の食卓。


 妹の姫乃が食卓に食事を並べていく。テーブルには、祖父の一心が一人、兄の夕莉の姿はない。


 食事の準備が整う。


 姫乃が合図を出す。

「ジャーン」


 夕莉は、その声を廊下で聞いていた。なんて、くだらない! と下を向き唇を噛む。それに、足元のスースーが気になってしょうがない。だから、彼は、裾を両手で掴んでしまう。


 食卓は姫乃の合図の後、静寂が続く……


 もう一度、姫乃。

 コホンと咳払い、そして、目一杯の笑顔で

「ジャーン」


 誰も何も彼女に反応しない。


 夕莉が出てこないので、姫乃は出入り口の方、そこに小声で、

「お兄ちゃん、はやく、恥ずかしがらないで」


「やっぱ、姫乃、勘弁してくれ」


 とんだ茶番、祖父の一心にも、そのやりとりは聞こえていた。なのに、姫乃は、祖父に対して、作り笑いで場を取り繕う。


 また、姫乃は小声、今度は口元を手で隠しながら、食卓から兄のいる廊下へと……


「ちょっと、お兄ちゃん、自信を持ちなさいよ! だって、お兄ちゃんは、可愛いんだから!」

「ばか! 俺は、男だ!」

 兄が妹に引っ張られて食卓に登場した。


 不破一心の視線が夕莉には痛い。退魔士としての修行を一心に見てもらったりしていたから……より一層……女になってしまった自分が不甲斐なく、そして恥ずかしい。


 妖狐の女の子は、耳まで顔をカァーと赤くして下を向く。両手でスカートの裾を掴んだまま固まってしまった。

 尻尾は可哀想にシユンとなって垂れてしまう。


 それでも、セーラ服を着た女の子。黄金こがね色の髪は美しく、もふもふの尻尾とピンと立つお耳は愛らしさを隠しきれない。


「ジャーン、わたしのお下がりのセーラ服でーす。ほんとは、もっと別が良かったけど、お兄ちゃんが学校、学校ってうるさいから……」


「ワンピースとか着ていけるか!」

 これは、夕莉の心の叫び!


 彼は、まだ動かないでジッとしている。


「ほお、夕莉、これは、めんこい。めんこいのぉ」


 祖父の一心は呑気。

 だから、夕莉は怒りが込み上げる。


「じーちゃん、なに、呑気なことを言ってるんだよ」

「ほう? 呑気とな?」


「孫がこんなになってんだぞ! いいのかよ! 跡取りがこんなで!」

「よいよい」

 一心は茶を飲み一呼吸。


「良いか、夕莉……聞いたところ、大怪我をしたそうじゃないか」


 不破夕莉は思い出した。野孤との戦い、そして、力が及ばす意識がもうろうとしていたことを……


「生きておる、それだけでじーちゃんは嬉しく思う」

「でも、こんな妖狐の姿をなんか……」


「妖狐に対する、お前の思いも分かる。憎かろうて……それは、わしも、姫乃も同様じゃ」


「そうよ……だけど……人と同じように、悪い妖狐もいれば、そうでないのもいる。そんなの当たり前じゃない……それに、お兄ちゃんは、無謀よ。いっだってそう。あの時だって……」


「あの時は、おまえが……もう、誰が死ぬなんて嫌だ」

「そうじゃ、だから、しばらく我慢をせい。鎮守の森のお稲荷さまは悪いことはせんじゃろうて」


「なんで、そんなことを言い切れるんだよ!」

 夕莉は、心とは裏腹の言葉を感情のまま言ってしまう。ちょっとだけ罪悪感を感じる。桜花には悪いことはできない、そういう確信が、彼にはあった。そこに理由が無くとも、絶対という確信。


「そうじゃな、あのお稲荷さまのご利益は平穏じゃ」

「なんだよ、それじゃ、ご利益がないのと一緒じゃねぇか」


「ほう、わしはそう思えん。戦時中の空襲でも、水害や、災害があっても、この町は無事平穏じゃ、歴史がご利益を語っておるわ」

「そんなの、たまたまで、偶然だ……」


 食事が終わると、祖父の一心は、鎮守の森へ行こうと言い出した。夕莉は面倒だと返事するも、そこに参れば、分かることもあるやも知れんという一心の説得が効いた。


 快晴の空。

 雲一つなく、濁りのない青だけが空を埋めつくす。


 鎮守の森、

 朝日に照らされたほこらは風景を見守っているかのよう。


 朝の冷たい空気と陽光の寒暖。

 それは、繰り返される一日のはじまりの一つに過ぎない。


 三人は、各々、そこに想いを馳せていた。


 不破夕莉(ふわゆうり)は、気配を感じる。

 彼の妹、姫乃(ひめの)、そして、祖父で空寺そらでらの宮司、不破一心(ふわいっしん)も気づいていない。


 不破夕莉にだけ、その気配は見えていた。

 巫女服姿の女性……妖狐の桜花おうかは、気持ち良さそうに黄金こがね色の髪を風にふわりと浮かせ、立派な尾をゆっくりと左右に揺らす。


 夕莉の外見は、妖狐の姿のまま変わらず……

 それでも、今は、男に戻っている……そんな気が、彼にはする……


 彼女の声が、直接、不破夕莉の頭に響いてくる。


(この風景を……好いておる……)


 ゆっくりとした時の流れ、彼女の気配は、それに身を委ねているかのよう。


「ああ、そうだな」

 夕莉は声を出して返事する。


 彼の声は、独り言として、彼の妹と祖父の耳に入った。


 可愛いらしい妖狐の少女。黄金こがね色の髪が風に泳ぐ。もふもふした尻尾が左右に揺らしているせいで、一心と姫乃、彼ら二人には、妖狐の少女が上機嫌に見えた。


 妖狐の少女は、夕莉のはず。

 それは、彼らも知っている。

 だが、そこに、得体の知れないなにかを感じていた。


 得体の知れない何か……それは、吉兆のようなものを、一心と姫乃に期待させる。


 妹と祖父は、夕莉の独り言を放っておく。

 彼らも、また、この神々しい空気を壊したくないと願う。


 妖狐の少女の姿で、不破夕莉は、確かに風景の一部となっていた。


 それは、まるでノスタルジー溢れる風景を描いた絵画のよう。


 桜花の声が、夕莉の頭の中で響く。


(春の桜。夏の緑、その虫の声……蝉のやかまいし鳴き声もわしは好いておる……、そして、秋の紅葉も素晴らしい。それと、冬の枯れ枝に想いを寄せるのも好きじゃ)


 不破夕莉は、黙っていた。彼にも、桜花に聞きたいことがある……この身体のこととか、いろいろあった。

 彼は、彼女の言葉を聞き逃したくないと思う。


(春夏秋冬、どれをとっても、わしは好きじゃ)


 桜花の気配は、とても楽しげ、そして包み込んでくる穏やかで優しい雰囲気。彼女は、とても幸せそうに語っている。それが、不破夕莉は、なぜか、嬉しく思う。


 だから、彼は黙っている。


(遠くから眺める人の営みも、また、春夏秋冬と同様、その変容に思い馳せるのも好きじゃ)


 彼女の言う通り、ここからは、街を一望できる。


 神さまは、きっと、人の営みですら自然の摂理と捉えている? 不破夕莉の頭に浮かぶ。


 そして、彼は、こう思うのだ。

「神さまは、何もしてくれない」


 それを言葉にしてしまう。


(そうじゃ、だから神さまは嫌いじゃ……)

 桜花の気配は、なんとも表現し難い笑顔を見せる。


「そういう、つもりじゃ……」


(よいよい、ぬしさまが、ここにいる。それだけで、とても嬉しい)


 夕莉はドキドキしてしまう。女性の色艶を感じ取ってしまうのは、高校生の不破夕莉に早すぎた。


 だからこそ、彼は、人違いだと言わなくてはと決心をする。


「それは、多分……人違い……」


(よいよい)

 夕莉の意に反して、桜花はご機嫌な様子。


 《まったく、侍というのは、いつになっても馬鹿正直じゃ)

 笑いはじめた桜花は楽しくて仕方がない。


「だから、俺は、その侍なんかじゃ無いんだ!」

 夕莉は必死。


 桜花の気配は、真面目になった。


(やっぱり、ぬしさまじゃ……ぬしさまでありさえすれば、どんな外見でも、人であろうと無かろうと、想いを貫くだけじゃ)


 気まぐれに吹いた、強い風が吹き抜けた。


(あとは、願いだけか……)


 そう声が響くと、夕莉の身体が熱くなる。無意識に尻尾を顔のそばに持ってきて、そこに顔を埋める。赤くなった耳が、ピクピクと動いていた。


(そそ、それと、ぬしさま、済まぬが、しばらくは、その姿で堪えてくれ)


「なな、なんで? いや、なぜですか?」

 夕莉の身体、妖狐の姿は、桜花の心と同調をしているようで、彼にも、得体の知れない恥ずかしさが襲っていた。


ぬしさまが無茶をするものだから、傷を癒そうとしたら、そのその、どど、同化してもうた)


 桜花の気配は「なんか、やだ、きゃあー」と混乱。

 同時に夕莉は、自らの尻尾をクンカクンカしながら落ち着かせる。


(せせせ、接吻せっぷん


 夕莉は尾を抱きながら「やだやだ、言っちゃった」とグルングルンと悶える。


 流石にこうなってくると様子をうかがっていた二人も黙ってられない。

「なにこれ……」

 妹の姫乃は絶句した。


「接吻?」

 尾を抱きながらグルングルンしてる最中、やっとの思いで夕莉は声を出した。


(キッスのことじゃあ!)

 夕莉はゼーハーとなってしまう。


あるじさま以外とするのはイヤじゃが……多分、それで、姿は変わる)


「それは……」

 夕莉は妹を見た。妹にキスをねだる? 無理だろ、絶対!となり、仲の良い女性がいない彼にとって、女の子のままは、ほぼ確定となった。


(それと、拝まれたら、また出てしまうかも、だから気をつけるのじゃ)


「それは、なんで?」


(頼まれたら、そうなるじゃろ? 別に、ぬしさま以外、気には留めぬが、どうにも、こうにも……)


「お人よしなんだな……」


(違うわい! 妖力が満ちるまで、しばらく寝るから、あとは、好きにせい!)


 その瞬間、夕莉は、赤くなった顔は沸点をこえ、頭から蒸気がボンと吹き抜けたような感覚に襲われる。


 実際、はたから見ていても、尻尾を抱えながら身悶えていた女の子が、突然に動きを止めてボンとなっていたのだが……


「お、お兄ちゃん?」

 妹が夕莉に駆け寄る。


(べ、別に、えっちなことをしても良いなんて、ことじゃ無いんだからな!)

 声は、夕莉の頭の中で響いている。


(無いんだからな!)


「結局、俺は、どうなるんだよ!」

 鎮守の森からでた叫び声は、町中にこだました。


 こうして、彼の神憑かみつき生活が幕を開けた。

挿絵(By みてみん)

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