鎮守の森
「ねぇ、一緒に死んでくれる?」
艶かしい女の声。
彼は、夢の中ではっきりと否定した。
「やだね……」
名前を呼ぶ声。
「不破夕莉、起きなさい」
教壇に立つ男性教諭が、黒板を叩く。
「すみません」
と不破夕莉は席を立ってお辞儀する彼のひどい寝癖を見つけた数人のクラスメイトが声を殺して笑った。
不破夕莉の背丈は高い方だ。運動部ならバスケ部といった雰囲気。体育会系に見えなくもない。
「入学初日から、その態度だと、退魔士の国家資格があっても卒業できんぞ!」
と担任は叱責をした。
ほどなく、終礼が終わる。
騒がしくなった教室では、鎮守の森で幽霊が出るとの話題になっていた。
不破夕莉の親友、西園寺蓮が、夕莉に声をかける。
「興味があるんじゃないか」
西園寺グループの御曹司は、入学したばかりというのに、容姿が淡麗なイケメンということもあって、女生徒の人気は高い。
「幽霊なんていない。当たり前のことだ」
「退魔士のくせに、夕莉には、夢がないな」
「だからこそだ。幽霊なんて、都合の良い妄想だよ。それが、たとえ悪霊でもな」
その様子を眺めていた女生徒の一人が近づいてくる。彼女の肩まで伸ばした栗毛がフワッと揺れた。
「そんなことは無いわよ。教科書には、心霊現象は、妖魔の仕業か、異界との境界に現れる現象と説いてけど……。霊魂は、存在するわ」
「オカルトだな。それと、妖魔と違って、幽霊は、金にならない」
そんな、夕莉を西園寺は「まあまあ」と苦笑い。
「なら、行きましょうよ」
女生徒は、西園寺を押し退けた。
夕莉は、間に挟まれる格好になった西園寺を見る。
教室に残っていた生徒は、いつの間にか、男女を問わず、その様子をうかがっていた。
「僕も、そのつもりだ。行ってみよう。それに、場所が、空寺の鎮守の森なんだから、夕莉だってどうせ行くんだろ」
不破夕莉は指で丸をつくり、お金を示すゼスチャーを西園寺に見せる。
「いいよ。もちろん、幽霊がいればだけどね」
西園寺は嬉しそうに言う。
女生徒は可愛らしい顔の眉間にシワを寄せた。
「サイテー」
「君はどうする? 別に来なくても」
西園寺の言葉を女生徒がさえぎる。
「もちろん、行くに決まってるでしょ」
彼女の鼻息は荒い。
不破夕莉は荷物を持ち立ち上がる。
「おまえ、誰だよ」
「あなた、自己紹介を聞いてないの? 柊木藍香よ! お姉ちゃんは、特級なんだからね!」
柊木藍香は、ドーンと胸を張った。
不破夕莉は、肩を叩かれ、振り返る。
「ちょっと、こっちを向きなさいよ」
などと騒いでいた柊木藍香の方にも女生徒の人だかりが……。
「おい、不破、俺たちも行くぜ。いいだろ? 西園寺も、構わないだろ?」
男子生徒たちの懇願には、幽霊以外の意図がありそうに見えた。
こうして、彼、彼女らは、学校をでて、鎮守の森へと出発をした。
桜咲く季節。
新しい節目のはじまり。
建物が密集する市街地。
そこに、取り残された森林の桜も満開を迎えている。
鎮守の森で羽を休めていた小鳥が、慌てたように、一斉に空に向かって羽ばたいた。
出入りが制限されている鎮守の森。
そこの扉が開かれた。
ギギギ……と錆びた音を扉の蝶番が奏でる。
そこを抜け、鎮守の森へと続く、長い、長い階段を、生徒たちが登っていく。
整備が行き届いたとは言えない階段
盛った土を半分埋めた丸太でせき止めて作られた原始的な階段。
足元を注意しながら、皆は足を運んでいく。
その様子に、両脇の木々は、風に揺らさる枝をざわめかせた。
「鎮守の森には、稲荷が祀られている」
不破夕莉は、西園寺につぶやく。
「怖いなぁ、夕莉は。それは、祟ってくるのかい?」
「そんな大層なものじゃねぇよ。鳥居もない稲荷だぜ」
跳ねるように階段を登りながら柊木藍香が寄ってくる。男子生徒の数人は、踊るスカートの裾にドキドキして、他の女生徒から冷たい視線を浴びてしまう。
「あなた、由来ぐらい知ってるんでしょ? ここは、空寺の管轄よね。神主のお孫さんでしょ?」
「おい、なんで知ってるんだよ」
「自己紹介の時、言ってたじゃない? それに、ここの許可だって……、あなた……馬鹿なの?」
「おい! 蓮、この栗毛なんとかしろ!」
「名前も覚えられないのね……。可哀想だわ……」
「おい!」
「まあまあ、夕莉、僕も、由来には興味があるな。それと、栗毛の柊木さんも、煽らないで」
西園寺蓮と不破夕莉、柊木藍香の三人は、丁度、階段を登り終えた。
夕莉には、見慣れた光景。
それに、蓮と藍香、その他、ついてきたクラスメイトたちは息をのむ。
満開の桜が彼らを出迎えた。
既に散った桜が土を覆い絨毯のように広がっている。
風が吹くと散った桜は舞い、散る桜は誘われるようにして、そこへ加わっていく。
「すごいな……」
西園寺蓮は、手のひら上に向け、そこに、そっと降りてきた桜の花びらを見つめた。
不破夕莉は柊木藍香へどうだと言わんばかりの視線を送る。
彼女は、ぷいっと横を向いてしまう。
「ここの稲荷さまの由来を教えてくれないか?」
西園寺が問う。
柊木藍香も、そっと寄ってくる。
「由来? たいした話じゃないぜ」
「早く、言いなさいよ」
「やだね」
西園寺が柊木藍香を押しとどめる。
さらに、西園寺は彼女の口を手のひらで塞いだ。なので
柊木藍香は、ごにょごにょとなってしまう。
「続けてくれ」
西園寺の笑顔に、不破夕莉は、得体の知れない恐怖を覚える。
「本当に、たいした由来じゃない。大昔、ここに、一匹の狐が住み着いてらしい」
「それで?」
西園寺と柊木藍香の声がそろう。
「さあ、死んだから祀ったんじゃねぇの?」
「馬鹿ね」
柊木藍香は、西園寺から解放されて自由を得た。
「それは、きっと妖魔よ。稲作さまとして、祀られるぐらいだから、きっと高位の妖狐だったに違いないわ」
「おい!」
西園寺の声が厳しい!
「ふん、妖狐だったら、祠なんてぶっ壊して、討滅してやるぜ」
「なに、罰当たりなことを言ってるのよ!」
「柊木さん!」
「罰当たり? 妖狐は、俺の両親の敵なんだぜ。滅するに決まってるだろ」
「かたき……」
柊木藍香は声を震わせた。
妖魔に家族を殺される。
そんな人間は、少数とはいえ、存在する。
その悲劇を防ぐために、国は退魔士の制度を設けているのだから……。
「ごめんなさい……」
柊木藍香は、泣きそうな声で、素直に謝罪した。
「大丈夫か?」
西園寺は、柊木藍香の肩に手をおきながら不破夕莉を見た。
「ああ、大丈夫だ」
夕莉は、笑顔を見せる。
「それと、栗毛も気にするな」
彼は、自分よりずっと背が低い、柊木藍香の頭に手を乗せた。
彼女は動かない。
「えっと、何だったかな?」
などと戸惑い。
「柊木藍香は、なにも悪くない」
初めて、彼は、彼女の名前を呼ぶ。
柊木藍香は、顔を上げる。
彼は、まだ笑顔だった。
「そ、そうね、悪いのは妖狐よね」
彼女は、自分のせいで悪くなった空気を変えようとしてみた。話を蒸し返してしまったのは、少し不器用だからだ。
「いや、悪いのは俺だ……。だから、栗毛は、気にするな!」
「栗毛じゃないわ! 柊木藍香! ひいらぎ、あいかよっ!」
彼女の勢いに、不破夕莉は、栗毛を手のひらでくしゃっとすることで応えた。
「ほんとっ、サイテー!」
はにかんだ笑顔で柊木藍香は、両手で髪を整えはじめた。
一人の男子生徒が声をあげた。
「おい! あれ!」
「あっ、わたしも見たわ!」
別の女生徒の声が続く。
「きっと、幽霊だぜ」
とか言いながら、数人が不破たちから離れて、奥へと向かっていった。
「放っておいても大丈夫だろ」
不破は、別の道へと西園寺たちを誘う。
「西園寺、どうせなら、鳥居のない稲荷神社に案内してやるよ」
「そ、そうね……。せっかくだから」
「いや、おまえは、幽霊探しが優先だろ」
柊木藍香は、リスみたいに頬を膨らませた。
「冗談だよ。栗毛もついて来いよ」
「だから……」
彼の声は、小さくなって桜の奥へと消えていった。