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エッセイ

公園の改修工事~これは良い変化なのですか?~

作者: 風音紫杏

 皆さまこんにちは、もしくは初めまして。

 風音紫杏と申します。


 今回の本題は、公園の改修工事についてです。

 ――公園。

 貴方の家のそばに、一つはあると思います。

 皆さまも、子供のころに遊んだ覚えがあるのではないでしょうか。

 そんな公園のイメージは、どのようなものでしょう?


 木があって、遊具があって。ベンチや藤棚、トイレもあるし、場所によっては、ボール遊びも許可されている広いグラウンドだってあります。


 午前には、保育園児、幼稚園児を連れたママさんや、お年寄り。犬と一緒に散歩をする人が。

 午後には、学校を終えたばかりの小学生たちの明るい声が響く温かな空間。


 コロナが流行る前ならば、休日にピクニックをしている家族も見ることもありましたね。


 そんな公園で、私が絶対に必要だと思うもの。


 それは、木です。


 公園は、【子供が遊ぶ場所】という認識が一般的ですが、それ以外にも、遊び疲れた子供たち、犬の散歩やウォーキング、ランニングといった運動等をしている人たちの休憩所という大切な役割も持っています。


 そんなときに重要なポイントとなるのは「日陰」です。

 

 考えても見て下さい。


 運動をして、汗をかいて。

 のどが渇いて、身体も疲れていて。


 そんな状態で、目の前には二つのベンチがあります。


 一つは、直射日光がバリバリ当たっている、太陽にじりじりとあぶられるような場所にあります。

 海にも行かず、日焼けサロンにも行きたくはないが日焼けしたい人にオススメする(危険ですので止めて下さい。念のため)、ちょっとうたた寝するだけでお肌が焼けてしまうような席です。


 もう一つは、大きな木の下で、ちょうど影のかかった場所にあります。

 風通しもよく、屋外でありながら日焼け止めクリームなんて付けなくても良くない?と思うレベルで日差しの当たらない、涼しい場所です。


 絶対に、後者のベンチに座りますよね。


 日陰を作るというだけならば、藤棚やあずまやでもよさそうなものですが、そこだとどうしても面積が限られますし、設置も手間なので、あまり沢山置くこともできません。


 一方で木の下にベンチを置くという方式ならば、木さえある程度の本数が植わっていれば、その下にベンチを置くだけなので、手間もかかりません。いっぱい置くことも簡単です。


 は?何でしょう?

 公園に木が植わっているのは当然のことだって?


 左様です。

 私も、公園に木が植わっていることは当たり前のこと――当たり前であるべきことだと思っています。


 ですから、驚きましたよ。


 木が驚くほど減ってしまった公園を見たときに。


 私の実家のそばには、いくつかの公園があります。

 そのうちの一つが、一年ほど前に、改修工事を行ったのです。


 家のポストに入っていたプリントには、トイレが汚いため、それをリフォームするとともに、公園を少しだけ改修する、といった内容が記されていました。


 トイレに関しては、ある程度キレイな方がありがたいため、当初はご苦労様ですといった感じで、概ね好意的に受け入れていました。


 ――しかし、工事が異様に長いのです。

 

 プリントに書いてあった工事期間が終わっても、リニューアル後の公園についての評判を少しも聞くことがないことに違和感を覚えた私は、その公園へ足を運んだのです。


 そこに、私の知っている馴染み深い公園はありませんでした。


 小さなころに木登りをしていた、木登りができるような木という木は切り倒され、絶対に登れないような高い木ばかりが残されました。

 お気に入りだった、まだ若木の桜も引っこ抜かれておりました。(これらの木は別の場所へ植え替えられたことを願っています)

 撤去された遊具や引っこ抜かれた木のあった場所のほとんどが芝生になっていました。

 花壇になっていた箇所もありました。


 古ぼけ、ペンキの剥げかけた懐かしい遊具は姿を消していました。

 代わりに鎮座していたのは、幼児しか使えないような小さな滑り台や、二人で向かい合って使うだけでいっぱいいっぱいな狭い砂場。背伸ばしベンチや腹筋ベンチ等の健康遊具と銘打たれたオブジェたちに、やけに芸術的な、「幼児が遊んでも危険性が小さい遊具」たちでした。


 この変化は、幼児や小学校低学年の子供たちやその保護者にとっては良いものなのかもしれません。


 木が多いということは、死角が多いということにもつながりますし、そういった観点から見れば、木が少ない方が安全性が高い公園だと言えますから。

 また、滑り台では、なかなかの高さがあるのに柵が低いので、子供が落ちないか心配ということもありますし、シーソーなんかもタイヤと板との間に手をはさんだりしたら、それこそ目も当てられない惨事になってしまいます。


 健康遊具なんかも、一部の人たちにとっては嬉しいものでしょう。


 ですが、私はリニューアルされた公園を見たとき、とても悲しくなりました。

 やり場のない、激しい怒りを感じました。


 私よりもその公園の近くに住んでいる友人も、「酷過ぎる」と立腹していました。

 家族全員で怒り、嘆きました。


 木登りや古い遊具は、小さな子供たちにとって危険な遊びなのかもしれません。


 それでも、せめて木だけは残して欲しかったと思っています。

 

 席が一つしかない、小さなあずまやとトイレ以外に日陰のなくなってしまった公園では、人は気軽に休むことができません。

 日がかんかんと照りつけるベンチで休むときは、常に熱中症に気を付けながら休まなければなりません。


 小さな子だって、長時間公園で遊ぶことができません。

 日影が限られていれば、どうしたって休憩時間は短縮化せざるを得ませんから。


 壊すのは簡単。

 でも、元に戻すのにはとてつもない時間がかかる。

 

 私たちは、それを知っているはずです。

 だから、自然環境を守ろうと躍起になっているのです。


 でも、一度壊してしまうことで元に戻すことが困難なのは、自然環境だけではないのですよ?

 

 変わり果てた公園を見たとき、私は小さなころの大切な思い出を否定されたような気がしてなりませんでした。


 公園の改修では、切り倒した木や、それによって奪われた日陰だけではなく。


 私と同じ考えを持った沢山の人を、傷つけました。

   

感想等お待ちしております。

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― 新着の感想 ―
[一言]  このエッセイを読んで、アニメ監督宮崎駿の作った保育園の話を思い出しました。  地方自治体から補助をもらうといろいろややこしいことがくっ付いてくる。理想の保育園のために、全て企業負担で経営…
[一言] 住民の所有している土地ではないから致し方ないと思います。 周辺住民がボランティアとかで管理に積極的に関わっているなら別ですけど。 都市計画的なものについて地方公共団体と住民の間で食い違うこと…
[良い点] 確かに公園には木、というイメージがありますね。 うちは坂の多い地域に住んでおり、高いところから住宅地を眺めると、木がこんもりしているところが公園、と一目でわかります。木がラウンドマークです…
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