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報われるなんて最初から思ってなかった


―深夜の会社でキーボードを叩く音だけが響いている―


「……吉田、まだ残ってるのか。」

「!!!信田か…驚かさないでよ…」

「お前が電気も碌に点けずに残業しているのが悪いんだろ…まだ終わらないのか?」

「企画書、部長に明朝提出って言われてるの。」

「締め切りが詰まってる案件なんてなかっただろ。こんな時間まで残る必要あったか?」

「悪かったわねっ信田君と違って要領が悪いからこんな時間になってしまったんですー!もう少しで出来上がるし、明日アンタにも見せてやるわよっ」

「何カリカリしてんだよ。ちょっと見せてみろ。俺も手伝う。」

「私が任された仕事だから必要ないっ」

「意地張んなよ。それにこれー」

「!ちょっと!勝手に見ないで!」

「お前…また遠藤さんに押し付けられたのか?前にも言っただろ。自分のキャパ考えて行動しろよ。それにこの案件、あの人の企画だろ。」

「そんなの分かってるよ!陰で都合の良いように言われている事も…でも、ここで投げ出したくないし、出来ないって馬鹿にされたくないの。」

「頑固者。もっと他の奴を頼ればいいだろ。素直になれよ。」

「言われて直せたら苦労しないし…信田には関係ない。」

「いいから。どうせ入力も出来てないんだろ?」

「!」


咄嗟に隠そうとしたも虚しく、デスクに無造作に並んでいた書類を呆気なく奪われた。彼はその資料にさっと目を通すと、私の煮詰まっていた箇所を次々に指摘してきた。言われるがままに慌てながら修正点を打ち込んでいく。啖呵を切っておいて結局は頼ってしまう事が情けないのに、一緒に居られる時間を嬉しく思う自分が浅ましくて嫌になった。


(こんな私が信田を支えたいだなんて、ほんと馬鹿な夢だったな…)


「…ここまでで大丈夫だから!後はひとりで出来る!」

「遠慮するな。徹夜する気かよ。」

「何とかするから問題ない!そっちこそ、こんな時間に何か用が有ったんでしょ?」

「俺は明日使う資料を取りに戻っただけだ。」

「それなら早く帰りなよ。待ってる人がいるんじゃないの…?」

「そんな奴いない…まだ、同棲してないからな。」

「そっか。要らぬお世話だったね。ごめん。」

(まだ か…)

「別に謝る必要は無い。とにかく終わらせるぞ。」

「…ありがとう…でも、私を気遣ってくれているのなら大丈夫だよ?あの時の告白は自己満足だったんだから。」

「…俺は同僚として助けてやってるだけだ。」

「それでもっ!優しくしないでほしい。期待されたくないでしょ…?」

(好きだから結婚なんてしないでほしい、なんて何で言っちゃったんだろう。馬鹿だなホント…)


目の前の顰めっ面を見て、苦い記憶が呼び覚まされる。初めて彼の婚約の事を知ったのは数ヶ月前だ。取引先のご令嬢で逆玉の輿だなんて社内では噂になっていたのだが、本人は気にしていないようだった。あの時に戻れるなら、絶対あんな言い方はしないのにーー噂を信じたくなくて動転したまま彼に告白をした私は見事に玉砕したのだった。『ただの同僚だと思ってる。女として見れない。』なんて、見えない傷が私にずっと残っている。


「だからね…もう、放っておいてほしい。」

「それと仕事は関係ないだろ?顔を見るなり避けてるのはお前だ。俺の話を碌に聞こうとしない。」

「それは!信田離れしなきゃって…でも結局また迷惑かけちゃった。ごめん。」

「だから、謝るなって―異動の事も聞いた。相談くらいしろよ。俺達同期だろ?お前が言ったんじゃないか。どんな時も助け合うのが同期だって。」

「それは」

「今日の事もそうだろ。あれから未だに嫌がらせをしてくる方がおかしいが、俺のせいもあるからな。和泉じゃなくて俺を頼れよ。」


私は以前、事業がひと段落した打ち上げで先輩達に啖呵を切った事があった。『信田を責めるのは間違っている!誰よりも努力して課を支えてくれているのは誰だと思っているのか!』と。飲み会の中での些細なお説教だったのにひどく酔っていた事もあり、それはもう盛大に主張した。きっとその時に止めに入った彼に言った言葉だったのだろう。あれから、件の先輩方からの風当たりはキツくなったり、その他の支えてくる方々からは揶揄われたりしたため、私の中では黒歴史になっているのに、彼はまだ覚えていたのか。


「和泉君は関係無いでしょ?彼は優秀だから助けられて情けないくらいだけど、指導係としては鼻高々だよ。この件は私が請け負ったんだから、課の一員として責任持って最後までやり遂げたい。」

「最後までか―本当に開発部に行くのか。」

「うん…もう決まった事なの。アンタには入社してから迷惑かけっぱなしだったね。今までありがとう。」

「…もう俺は必要無いって事か?」

「信田?」

「俺から離れていくな――」


バサバサッ―書類の山が音を立てて雪崩れ落ちると薄暗いオフィスの中に沈黙が流れた。一瞬、何が起きたかのか理解出来なかったが、胸にある力強い両腕と背中の温もりで我に帰った。


(…もしかして、抱きしめられているの?)

「っどうしたの?離してっ」

「…出来ない。」

「出来ないわけないでしょ!相手がいる奴がする行為じゃない!やめてっ」

「すまん。でも、お前が離れていくのは耐えられない。」

「何、勝手なこと言ってるの?私の気持ち知ってるくせに!酷いよ!」


どんなに踠いても身体を解いてはくれない。『どうして?』の言葉ばかりを繰り返すが、終いには我慢していた涙が溢れてきた。遣る瀬無くて徐々に抵抗する事もできなくなった時、耳元で『すまん』とただ一言だけ呟かれた。いつの間にか正面から抱き合っていた事に動揺していると、触れるだけのキスをされた。音もなく離れた唇。2人に隙間があることが悲しくて、ずっと欲しかった彼の熱を喜ぶ自分に嫌気がさした。


「―離して。」

「すまん。だけど俺は」

「もういいから!マリッジブルーの気の迷いだよ…忘れるから…」

「気の迷いなんかじゃない。ずっとこうしたかったんだ。」

「どうせ私の物にはなってくれないくせに勝手な事言わないで!!!」


勢いよく彼の身体を押しのけてオフィスを飛び出し、トイレに駆け込んで声を殺して泣いた。小一時間ほど経ったのだろうか。このままではダメだと泣き腫らした顔を髪で隠しながらオフィスに戻ると、デスクの上にはまとめ上げられた企画書と小さなメモ用紙。ただ“悪かった“と書かれていた。

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