表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灼熱の呪縛  作者: isorashio
6/9

5 国境線上の邂逅2

※流血有り


渓谷を降りた団員たちは、奇妙な竜巻に覆われたツェルクト河へ歩みを進めていた。雪雲を巻き上げながら分厚く伸びた風の中へ足を踏み入れると、途端に目も開けられない程の爆風と氷塊が団員たちの全身を容赦なく打ち付けた。立ち止まれば押し返されてしまいそうな風圧、呼吸すらままならない…とても強力な魔術痕であることに間違いない。なんとか立っていられるのは、現象を引き起こす魔力が時間と共に自然瓦解し始めているからだ。団員たちは吹き飛ばされぬよう互いに身を寄せ合い、姿勢を低くし下半身に重心を置いて一歩一歩進み続ける。

十数メートルほど進んだろうか。先程まで容赦なく吹き付けていた暴風が嘘のようにピタリと止み、一気に視界が開ける。風圧を抜けるとツェルクト河は目前だった。辺りはシンと静まり返り、まるで微睡みの中にでもいるかのように生温かい。晴れやかな空から差し込む光が河面に反射し、目に痛い程眩しく煌めくツェルクト河。そこには…目を疑いたくなるような惨状があった。


ーーー血だ。砂利の敷き詰められた辺り一帯に、血飛沫が飛び散っている。粉々になった木片や地に叩き付けられた食材が方々に散らばり、兵士の亡骸が十数体ほど、流れの緩やかな河縁に引っかかっている。死体が纏っているのは敵国…オルキア帝国の軍服だ。彼らは皆、一様に獣にでも襲われたかのように全身をズタズタに引き裂かれ、首や四肢がかろうじて胴体と繋がっている。最早、元が何であったか定かではない肉塊と、割れた骨の破片が浮かぶツェルクト河が、赤黒い澱みの糸を引きながらただ流れていた。それは、とても人間業とは思えない暴力を行使したのだと、その場に居る誰もが瞬時に理解させられる有様だった。


「ひ、…酷ぇ……」


皆が言葉を失う中、絞り出すようにやっと呟いたのはウォルターだ。団長であるレオンハルトが無言のまま前へ出ると、河縁に浮かぶ若い兵士の亡骸の前で跪き、硬直した身体を冷たい河から引き上げた。兵士は太腿から下を失っていた。両脚のない身体にしがみ付くように、擦り切れながらもかろうじて残されたベルトに装着された鞘には、お守りのような手製の飾り紐が括り付けられている。レオンハルトは辺りを見渡すが、兵士たちが剣を抜いて戦った様子は見受けられない。皆、それほど使い込まれた形跡のない剣を鞘に収めたまま倒れていた。


「新兵だ。…警告もなく襲撃されたか」


レオンハルトの言葉を聞いた途端、ヨハンの目が怒りに吊り上がった。今にも単身で飛び出してしまいそうな彼の腕を掴んで引き止めたのはハインツだった。ハインツが静かに首を横に振る。脚の無い兵士の亡骸をそっと砂利の上へ横たわらせ、レオンハルトが続けた。


「隊を分ける。ミュラー、リヒター、ハインツ…そしてヨハン。痕跡が消失する前に解析を頼む。残りの者は私と共に、鉱山街の警護に向かう」


「そんな…分団長殿、俺もそちらの隊に入れて下さい!魔術師の奴を捕まえるんだ!」


ハインツに抑えられたままヨハンが叫んだ。ヨハンは、自らが魔術の解析に向いていないことを知っていた。そして何より、兄弟の多い家庭で育った彼の強い正義感が、まだ二十歳にも満たないであろう少年兵らが、無惨にも冷たく横たわる光景を許さなかった。しかしレオンハルトは、そんなヨハンに対しても影のある冷たい瞳を向けた。その瞳にどこまでも感情はなく、誰に対しての憐れみの欠片も感じることはできない。


「…我々の任務は討伐ではない。これほど大規模な魔術痕を残したとなれば、術師は既に逃亡しているだろう。冷静を欠いた者が、忠実に任務を遂行できるとは思うまい。死者を弔い、少し頭を冷やすといい」


淡々と紡がれた言葉に、ヨハンは何も言い返すことができなかった。しばらく握り締めた拳を震わせながら奥歯を噛みしめて俯いていたが…やがて、力なく頷いた。


ロンダベルク王国とオルキア帝国との和約が結ばれるまで秒読み段階。兵士になどならなければ幸せでいられたのかもしれない…そんな未来ある若者で構成された非力な偵察隊に対し、あまりに一方的過ぎる虐殺行為。出立前によぎった嫌な予感、魔石を巡る良からぬ噂、目立ち過ぎる魔術師の凶行…レオンハルトが危惧していた事態が今、確信に変わりつつあった。

 

(やはり…ロンダベルク国内には、終戦を良しとしない輩がいる、ということか…)


レオンハルトは静かに口を開いた。


「主犯はおそらく、帝国との和解に意を唱えるレジスタンスだ。ロンダベルク騎士団の名にかけ、自国民の犠牲は一人として出すわけにはいかない。皆、注意を怠るな」


今一度、惨状を目に焼き付ける者、若くして散った命を前に祈りを捧げる者、明日は我が身という恐怖に打ち勝とうとする者……それぞれが胸中に想いを巡らす中、レオンハルトが放った【レジスタンス】という言葉が団員達の胸中に嫌な緊張感を走らせた。

その時である。


「い、生きてる…分団長殿!オルキア兵1名の生存を確認!!」


団員の声がその場に反響した。意気消沈していた団員たちが弾かれたように顔を見合わせ声の元へ駆け寄っていく。そこには。

オルキア帝国人が有する褐色の肌に白灰色の髪を持つ、若い少年兵が砂利の上に倒れていた。齢にして13〜15歳ほどか。全身の切り傷は深いが、運良く致命傷を免れていた。自力で氷水の河から這い上がり、そこで意識が途絶えたのだろうか。しかし発見に至るまでの時が経ちすぎている。多くの血を失った身体に血色は無く、このまま放置すれば、すぐにでも他の兵士らと同じ末路を辿ることになるだろう。


血に汚れた少年兵の身体を我先にと抱え起こしたのはヨハンだった。そして死にかけの少年を前にしても、決して冷たい表情を崩さないレオンハルトを見上げると、涙を浮かべながら訴えかけた。


「分団長殿…俺、助けたいです。帝国の兵士だからって、このまま見殺しになんて…俺にはできない」


震える声で懇願するヨハンに、他の団員たちは戸惑いを隠せずどよめいた。同じ騎士団員とは言えど、たかが一般庶民に過ぎない身分でありながら、話しかけることすら畏れ多い公爵家の…更に、位が上の者に意見しようなどと本来考えてはいけないことだ。しかし、状況は一刻を争う。騎士を志した者ならば誰しも、命は皆等しく平等に扱い軽んじるべきでは無く、剣は命を奪うためではなく守るために在ると習うのだ。目の前に救える命があるのならば、敵兵であろうと見捨てはしないのが理想の騎士像というもの。団員たちは、勇気あるヨハンに後押しされるように、口々に乞い始めた。


「…お願いします分団長殿、至急手当を」

「助けてやって下さい、分団長」

「コイツ術師の顔見てるかもしれませんぜ」

「お願いします、俺もう盗み食いはしませんから…」


団員たちの期待と不安、そして畏れの眼差しがレオンハルトへ集まる。各々の団員を一瞥したレオンハルトは、暫く厳しい表情で沈黙を貫いていたが…やがて、決意を固めて唇を引き結び、一度小さく頷いた。


「…分かった。もう応急処置では間に合わない。そのまま押さえていろ」


レオンハルトとて、敵兵のオルキア帝国人を救うことに迷いがなかったわけではない。しかし、過去にレイノルド・マーセルが受けた苦しみ…圧倒的な力に命を奪われる恐怖と悲しみ、親しい者を目の前で失う身を引き裂かれる想い、抗いようのない痛み、無力な自分への憤り…そして今世にまで引き継がれた憎しみと復讐心は、これ以上なく忌むべきものだと生涯を通して思い知らされてきた。似た境遇とは言えど見ず知らずの少年兵を救う事、それがレオンハルトにとって救いになるとは限らない。それでも。


(ーー…ミゼリー、君ならきっとこうするのだろう?)


ヨハンが胸に抱えた若き少年兵の前へ跪いたレオンハルトは、弱々しく脈打つ少年の心臓の位置に右手を翳した。レオンハルトが魔力を掌へ集中させると、右手が微かに柔らかい橙色の光で包まれた。憎しみや呪いを孕み放てばおぞましい黒炎となる炎は、元を正せば"命"を司る魔力だ。


「最善を尽くすが、救える保証はない。誰か騎士団本部に応援の要請と、フェニクスに伝令を。後を任せる、と」


レオンハルトの言葉を聞き、反応を示した数名の団員が即座にその場を離れていく。それを確認したレオンハルトは、すぅ、と息を吸い込み瞼を伏せた。魔術の詠唱が始まる。


『ーー命の炎よ、魂を繋ぎ止めろ。我が力、我が命を糧に捧げる』


レオンハルトは、少年の身体を巡る微弱な魔力を辿りながら彼の鼓動を注意深く聞いた。か細く揺蕩い、消えかけている魂の篝火を囲うイメージをして…時間をかけ、負担にならぬよう微量な魔力を少しずつ、少しずつ少年の心臓へ送り始めた。団員たちはその様子を、滅多に拝む機会のない奇跡のような魔術への関心はあれど、全神経を魔力操作に費やし若き命を救わんとする団長のため、固唾を飲んで見守っていた。巷では"氷の騎士"などと呼ばれ、周囲への関心を持たず、常に厳しく冷たい印象を受けるレオンハルトという人間。しかし彼の放つ魔力は、なんと穏やかで暖かい事だろう…一番間近で見守るヨハンは、悲しくもないのに何故だか込み上げてくる涙を堪えることに精一杯だった。


半刻程が経ち、レオンハルトが魔力の半量以上を費やした頃…蒼白だった少年兵の顔にほんのりと赤みが差し始めた。心音が確かに脈を打ち始めると、レオンハルトの右手を包む柔らかな光が消失した。プラチナブロンドの隙間から覗く額やこめかみ、頸を伝う汗が、どれほどの精神力をすり減らしたのかを物語っている。魔力の供給が終わった。即ち少年は、助かったのだ。

ヨハンがほう…と長く息を抜いて、瞼を閉じたまま静かに息を繰り返す少年兵へとにっこり笑いかけた。


「良かったな、お前…分団長殿に感謝するんだぞ」




その後、団員らによる夜を徹した捜索も虚しく、生存したオルキア兵を見つけることは叶わなかった。判別の付かぬ形へ変えられてしまった十数名の遺体の、尊い魂を弔いながらヨハンは思い出す。精霊信仰のオルキア帝国では、若くして消えた命は妖精たちに連れられ、万物の元素の源と伝えられる大精霊の大樹へ還るのだと。彼らの魂は妖精たちに導かれ、ツェルクト河を渡りきり…無事に故郷オルキア帝都へ還っていったのだろうか。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ