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【とある侍女】


 15歳の時、王宮へ侍女として仕えることになった。私は王都に店を持つ商会の娘として生まれた。扱う品物はアーバイン伯爵家領地の生産品で、その縁から伯爵家の方々とは家族ぐるみで親しくさせていただいていた。

 王宮への出仕の際、身元保証人にもなってくださった。長男シェイマス様と次男のコルム様は多少乱暴ではあるが、ずいぶん仲良くしてくれた。


「ユリアはお茶を淹れるのがとても上手だからきっと大丈夫だよ」


 出仕の前日、不安が顔に出ていたのか、いつもよりも優しく励ましてくれたシェイマス様の笑顔に後押しされて王宮へ上がった。

 確かにお茶を上手く淹れることが私の取り柄だったが、そのおかげか三年目に王妃付きとなり、その一年後に事件は起きた。


 嫉妬深く癇癪持ちの王妃の侍女はとにかく王妃の機嫌を損ねないことを第一としている。

 私は侍女の中でも一番年若く、それなりの見目をしていることから、国王の前に絶対に姿を見せないようにと厳命されていた。

 しかしその日、私は運悪く国王の目に入ってしまった。

 一番美味しいタイミングで提供されないと満足しない王妃のために、テーブルの傍らで紅茶を淹れていたら突如国王が入室してきたのである。


「我が妃よ、そなたの茶会で供される茶はたいへんな美味であると評判のようだな」

 自分の知らない事をすぐに確認しないと気が済まなかったのだろう。

 先触れの使者とほぼ同時に部屋に入ってきた国王に慌てて顔を伏せる。


「さあ、余にも飲ませてくれ」

 断りもなく着席した国王は王妃を促し、王妃は苦々しそうに応えた。

「………早くお出ししなさい」

「は、はい」


 震えそうになる手を押さえて丁寧に淹れることだけで精いっぱいだった。

 国王分のティーソーサーをテーブルに置いた瞬間、顎をつかまれ伏せていた顔を上げさせられる。


「ほう、これは……」


 国王の私を見る目が怖い。しかしそれ以上に私の背後にいる王妃の視線の方がはるかに怖かった。

 その視線が見えるはずがないのに、王妃がいま何を思っているのかわかる気がする。空気がすでに息苦しい。



「この薄汚い泥棒猫が!!」

「申し訳ございませんっ」


 国王が退室したあと、他の侍女も護衛もすべて下げ、王妃は予想通り私を罵倒し始めた。


「今までさんざん良くしてやった恩を忘れて、陛下に媚びを売るなんて。思い上がりも甚だしいっ」

「そのようなつもりは毛頭ございません。どうかお許しください」


 平伏した体を象牙でできた固い扇で何度も打擲され、痛みに涙がにじみ、体の震えは止まらない。


「どうか、どうか、お許しを」


 考えるよりも早く口から出るのは許しを請う言葉しかなくなったころ、荒れた息を整えるかのように深呼吸をした王妃は私の顎を扇で持ち上げた。


「お茶を淹れるだけしか能のない子にそんな顔は不要よね」


 名案を思いついたというようににこりと笑った王妃は、すぐそばの暖炉から火掻き棒を取り出す。

 何をされるか考える以前に、恐ろしさしか感じられずどうにか逃げようとしても足はすくみ、お仕着せの裾を強く踏まれて立つこともできなかった。


「王妃であるわたくしの気分を著しく損ねた罰よ」


 楽し気な声音と全く笑っていない目と熱い鉄の棒。その後の記憶は今もない。



 目が覚めたのは王宮の医務局だった。顔中にまかれた包帯で息をすることももどかしい。


「ふっ」


 自分の身に起こったことを信じたくなくて笑おうとしたとたん、ひきつるような痛みとともに涙がこぼれた。

 止めようもなく溢れてくる涙はぬぐう前に包帯に吸い取られていく。


 いったい私が何をしたというのだろう。

 なぜ私はこんな仕打ちを受けなくてはならないのだろう。

 誰に問いかけても決して納得できる答えは返ってこないことが私を打ちのめした。



「すまなかった」


 私の病室に第二王子であるキリアン様がいらしたのは、治りようのない顔をはっきりと目にした数日後だった。

 外聞を慮った周囲の根回しで私は病気療養ということになっており、実家や身元保証人の伯爵家には何一つ知らされていない。

 だから誰も見舞いにこないがそれでよかった気がした。


 理不尽すぎる行為を抗議したくてもできるはずがないのだから。

 はらわたが煮えくり返るようなこんな思いは、愛する家族や優しいあの人たちに抱いてほしくなかった。

 ただ怪我をしてから初めて聞いた謝罪の言葉はほんのわずかだけ嬉しかった。


「王宮で侍女を続けるのは無理だろう。これは今後の生活に使ってほしい」


 差し出された袋に入っているのはおそらくいくばくかの金銭だろう。

 まだ少年という年頃なのに理知的なまなざしで私を見ているキリアン様に対して、怒りも憎しみも沸いてはこない。むしろ素直に頼ってみようという気になった。


「どこかほかのお屋敷にお勤めすることはできませんでしょうか? このような顔ですから厳しいかもしれませんが…」

「生家に帰りたくはないのか?」

「はい。事実を知って嘆く家族の姿は見たくありません」


 本当は家族よりもアーバイン伯爵家の方々に知られたくなかった。

 平民である我が家と違い、王家に対して忠誠を誓い仕えねばならない貴族の人たちだ。

 優しいシェイマス様たちはきっと怒ってくださる。とてもとても怒ってくださるだろう。

 けれどその怒りはどこへもぶつけられず、それを抱えたまま仕えていかなければならないのはただの重荷だ。

 大好きな人たちの重荷にはなりたくなかった。


「わかった。勤め先はこちらで用意しよう。ただ生家には君から手紙を書いて納得してもらうように」


 私の意を汲んでくださったキリアン様に応えるべく、生家へ手紙を書いた。居所は明かさず、そして伯爵家の皆さまには死んだものと思ってほしいということも。



 紹介されたマクラウド侯爵家は王宮とは正反対のところだった。

 キリアン様の婚約者である令嬢のエイファ様は何度かお見かけしたことがある。

 お茶をテーブルに置く際、給仕した私の顔を見て『ありがとう』と言ってくださる方だった。


「我が家にはお母様のころからいてくれる侍女しかいなくて、ユリアのように若くてセンスの良い人が来てくれてとても嬉しいわ」


 身支度を整えるときに少しだけ髪形をアレンジして差し上げたら、輝くように笑ってくださった。


「流行りに疎い年寄りで申し訳ございません」

「そんなこと言っていないじゃない。わざとらしく拗ねないで」


 エイファ様が生まれたときから仕えている年かさの侍女は、主家のお嬢様に対してこんな口が利ける。

 そしてそれを笑っているエイファ様に初めのころはとても驚いた。

 ここの使用人は皆私を邪険にすることも憐みの目で見ることもない。


「お嬢様も喜んでくださることだし、お嬢様のお世話はユリアに任せましょうかね」

 私を一同僚として対等に接してくれる。


 王族の顔色を終始うかがって仕えた日々とは全く違う。心の底から楽に呼吸ができる。

 当主である侯爵様やエイファ様の気質がそうさせているのだろうか。

 マクラウド侯爵家はとても空気が涼やかできれいなところだった。


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