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【とある王妃】
寝台から出ることができなくなってどれくらいが過ぎただろう。
最初はちょっとした体調不良だと思っていた。最高の治療を受け続けたはずなのに、ひそやかにゆっくりと体が蝕まれていった。
なぜこの国で一番高貴な女性である私がこのような目に合うのか。
なぜ誰も私を救おうと努力しないのか。
なぜ陛下も息子も私を助けようとしないのか。
動ける間は声をあげて不満を述べて貴族から差し出される高価な薬を片端から試していたが、それすらもできなくなると私の周りには誰もいない。
侍女の世話はおざなりで、食事も満足に取れず、長い間の寝たきりでできた褥瘡が激しく痛む。
国王陛下も王太子である息子も顔を見せたのはいつだったか思い出せない。
もう一人いた息子も気がついたらいなくなっていた。
このまま誰にも看取られずに死なねばならないのか。
朦朧とする意識の中でそんなことばかり考えていた。
「王妃様、あなたさまにひとつお伝えしておきたいことがございます」
見知らぬ若い貴族が枕辺に立っていた。死にかけの人間の部屋には咎める護衛はいない。
宰相補佐官だと慇懃に頭を下げるその姿に枯れ果てた自尊心がよみがえる。
続けることを許す意味を込めて視線だけその男に向けると、察したように口を開いた。
「もうまもなくこの国で反乱が起きます。そしてきっと成功します」
世迷言をと思ったが、男の目は狂人の目ではなかった。
目の前の男もその計画に加担しているのだろう。
「ですからそう寂しくはないですよ。あとから陛下も王太子殿下もそちらへ向かうでしょう」
反乱の成功を信じて疑わない男の言葉が残りわずかな生命力を奪っていく。呼吸がおぼつかない。
「もっともあなたに毒を盛り続けたのは陛下ですが」
信じたくない言葉を耳に入れた瞬間に呼吸はできなくなった。
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王家や貴族がどれほどの力があると言っても、動くのは『人』である。高位貴族たちが身分をかさに着て命令したとしても、それが実行されなければ力ではない。
強制徴兵された民衆が唯々諾々と従うはずもなく、逃亡し反乱軍へ従うものが大量発生した。
キリアンたちは帝国から援助を受けていて、膨れ上がる人数を養うだけの財力もあった。
賢明な思考ができる貴族たちは、むやみな抵抗で血を流すことを避け、そういった貴族に対してキリアンたちも礼節を守った。
一方で領民を虐げる貴族や、自らの既得権益を奪われることに我慢できないような貴族たちは容赦なく制圧していった。
結果キリアンが姿を見せてたった三月で、反乱軍は一度も敗北することなく王宮へ到達した。
王宮はほぼ無血開放に近かった。
守護するべき第一軍団の騎士たちは、ある者は逃亡し、ある者は抵抗して捕縛され、ある者は抵抗する意志も見せずに投降した。命がけで王族を守ろうと思っている者が皆無である表れだった。
国王と王太子の確保に向けてキリアンの指示の元、居住区である奥向きへ向かおうとすると、エイファの足が止まった。
「エイファ?」
「キリアン、わたくし少し別行動をとります。デレク殿下と国王陛下は同じ場所にいるとは思えません。おそらく別々に逃亡を図るでしょう」
王位欲しさに命を狙うような王太子が父親を守ろうとするはずがない。エイファの言う通り自分だけが生き延びられればと思っていることだろう。
「わかった。そっちはすべてエイファに任せた。オーエン、グレッゾと一緒についていってくれ」
「はっ!」
裏庭にある粗末な小屋の床下から二人の男が這い出してきた。第一騎士団長のフィンレイ侯爵とデレク王太子である。
こんな風に逃げだすことに不満な顔を隠さぬまま小屋から外へ出るとぎょっとしたように立ちすくむ。
「お久しぶりでございます、デレク殿下」
これまでと異なり、頭を下げずに挨拶するエイファがそこに立っていた。
もしもの時はとエイファに王宮から裏庭へ通じる抜け道を教えたのは王妃である。半年以上前に没しており、もはやこの世にはいない。決して尊敬できる人物ではなかったがそのことには感謝していた。
エイファがキリアンの婚約者である以上、助け手ではないことは一目瞭然だ。
女ひとり早々に排除しようと柄に手をかけたフィンレイを、威圧するようにその背後からオーエンとグレッゾが姿を見せる。
「慮外者め! 私は王太子だぞ。お前たちは王家に弓引くというのかっ!」
この後に及んでもまだ特権を振りかざそうとするデレクに、エイファの冷ややかな視線が向けられる。
「血統にどれほどの意味があります? どんな王侯貴族もさかのぼれば、初代はすべて簒奪者か成り上がりでしょう。そんなものでしか己を誇示できないなんて無能を自ら証明するものですわ」
射殺さんとばかりににらみつけるデレクと、それを少しも意に介さないエイファのやりとりの隙に、一人逃げようとしたフィンレイは、見逃すはずのないグレッゾに剣を突きつけられた。
「第一軍団長ともあろう方が一人こそこそと逃亡ですか?」
「うるさい、うるさいっ」
グレッゾが隻腕と侮ったフィンレイは剣を抜き放って切りかかってきた。
曲がりなりにも軍団長であったその剣筋は鋭く、傍目にはグレッゾが押されているように見える。
しかし見るものが見ればグレッゾがフィンレイの剣を軽くいなしているだけのことはわかるので、オーエンもエイファも加勢する気はない。
数回の剣戟のあと、勝負は一瞬で決した。
倒れ伏して動かない男を見下ろすグレッゾは、小さく息を吐き血を振り払った己が剣を静かに鞘に納めた。
たった一人になってしまったデレクは目の前で行われた出来事に怯えたのか真っ青になっている。
震える手足で立っているのがやっとのようだが、口だけはまだ動くらしい。
「この国はすべて私のものだ。国そのものの私に逆らおうなどと」
聞くに堪えない戯言だとわかっていたエイファが鋭い声で遮る。
「デレク殿下、あなたが民を生かしているのではありません。あなたは、いえわたくしを含めた貴族はすべて民によって生かされているのです」
「ふざけるなぁぁ」
エイファの声に納得できるようなデレクではなかった。やみくもに剣を振りかざしてくる。
しかしその剣はオーエンによって弾き飛ばされ、剣の柄がみぞおちに強烈に叩き込まれると、デレクはあっけなく戦意を喪失した。
歩くこともできず、その場にうずくまるだけとなった姿に容赦ない断罪の声が響く。
「おわかりになりませんか? 自らが生かすに値しない者であることを、長い間民に見せつけてきたから、いまこんなことになっているのですよ」
剣を失い、オーエンに引きずられるように門から王宮の外へ突き出された。
「あなたがご自分を『比類なき者』とお思いなら、それをみなに証明してくださいませ」
そう言い終えるとエイファは振り返ることなくキリアンの元へ戻る足を一歩踏み出した。




