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7 お化粧したら友達ができそうです

「おはようございます」

「おはよう」


 教室では、いつものように、朝の挨拶が飛び交っている。

 私は扉の前で躊躇い、それから、教室へ入った。そっと周囲を見渡すけれど、級友は、特にこちらに視線を向けるそぶりもない。


 ……やっぱり、いつもと変わらないわ。


 大きな安堵と、ほんの少しの落胆。

 私は誰にも挨拶をしないまま、席に着いた。鞄から学習用具を取り出し、机にしまう。何も変わらない、いつものルーティーン。


「おはよう、早苗」

「おはよう、千堂くん」

「今日も可愛いな。似合ってるよ、その髪型も」


 海斗は早苗の髪に触れ、周囲の女生徒は色めき立つ。二人を含む集団は、教室の中でも、とりわけ華やかな空気を醸し出している。


 私がこうして化粧をして登校しても、海斗は少しも気づかない。

 早苗は何も変えなくても、ああして彼に褒められる。

 睦まじい二人の姿を見るたびに、海斗が婚約破棄をすると言ったのも、早苗に寄せる思いも、本物なのだと実感する。


 あんまり見るとまた海斗に怒られるから、私は意識的に、視線を窓の外へずらした。

 それでも視界の端には早苗たちが写り、楽しげで甘やかな会話が耳に入ってくる。


「そのネックレス、着けてくれてるんだね」

「もちろん。嬉しいもの、千堂くんからの贈り物なんて」


 海斗は、早苗にジュエリーをプレゼントしたらしい。

 男性が女性にネックレスを贈るなんて。そこには、特別な意味しか感じられない。

 私は、海斗から個人的な贈りものをしてもらったことすら、ない。


「大事にするよ」

「俺も、大事にする」

「何を?」

「……言わせないでよ。わかるだろう?」


 きゃあ、と色めく女生徒の声。

 学年1位で、容姿端麗、文武両道、ファンクラブなるものまである海斗。高い能力を持つのに奢らず、褒められても素っ気なく、好意を寄せられても軽くあしらうだけ。何を考えているのかわからないところのあった彼が、早苗の前ではああもあけすけに甘い言葉を吐き、好意を隠そうともしない。


 きっと、私に対しての好意なんて、1ミリもなかったんだわ。


 その様子を見ていたら、確信せざるを得ない。

 そもそも私たちの婚約は、生まれる前から、同い年の子供ができると知った両親の間で交わされていたものだ。

 こうなるのも、仕方がないことなのかもしれない。


「……あの」


 ふう、と音もなくため息をつく。

 海斗に婚約破棄を言い渡されたことを両親が知ったら、悲しむに違いない。

 早苗と海斗の様子を見ていれば、その未来は思ったより早く来るだろうと、容易に想像できる。


「あの、藤乃さん?」

「はい?」


 名前を呼ばれて、そちらへ視線を向ける。

 私に声をかけてきたのは、お下げの可愛い、眼鏡の少女だった。少女……といっても同い年のはずなのだが、背が低く、ふっくらとした頬には、どこか幼さが感じられる。


 ……誰だっけ。


 特待生以外は内部進学してくるこの学園で、同級生だということは、中等部でも同じ学年にいたはずだ。

 名前がわからない、なんて、これほど失礼なことはない。

 それが顔に出てしまったのだろうか。彼女は「えへ」と、どこか気まずそうに笑った。


「泉よ。同じクラスになったことがないから、知らないかもしれないけど」

「……ごめんなさい」

「いいの。それより藤乃さん、今日は可愛いわね。どうしたの? お化粧したの?」


 声が大きい。

 肩をすくめて周りを見ると、周囲の生徒の視線が、それとなくこちらに向けられているのがわかった。


「……まあ」

「いいわね、素敵」


 泉は両手を頬に添え、目を細める。


「……ありがとう」


 気づいてくれる人がいた、と少し嬉しくなる。

 泉は花の咲くような笑顔を浮かべた。


「よかったわ、藤乃さんと話せて」

「……どうして?」


 話せてよかった、なんて言われる覚えはない。

 思わず聞き返すと、泉はきょとんと目を丸くする。


「友達は多い方が嬉しいじゃない。できるならわたし、クラスのみんなと、友達になりたいの」

「そうなのね、……すごいわ」


 私には、そんな目標、達成できない。

 感心していると、泉は肩をすくめた。


「すごくないわよ。でも、良かった。藤乃さんって、思っていたより、話しやすくって」


 くだけた話ぶりに、くすぐったい気持ちになる。

 こんな風に親しげな会話を同級生とするなんて、高等部に来てから、初めてだ。


「ここ、いい?」


 返事を待たず、泉はそのまま、私の隣の席に腰掛ける。本来の持ち主は、まだ登校していない。


「そのお化粧、自分でしたの?」

「まさか。侍女がやってくれたのよ」

「ああ、だからそんなに上手なのね。わたしは、お化粧は自分でするのだけれど……あんまり上手にできないの」


 泉が目を閉じ、私に見せる。自分で引いたというアイラインは、いささかがたついて見えた。


「羨ましい。わたしも、お化粧を教えてほしいくらい」

「……そう」


 どう返していいかわからなくて、曖昧な返事をしてしまった。

 お化粧の技術は、シノのもの。ぼんやり見ていただけの私には、彼女に教えてあげられるものは何もない。


「藤乃さんのお家に行ったら、わたしも教えて頂けるかしら?」

「え?」


 思わぬ追撃に、間抜けな声が出た。


「私の家?」

「うん。……なんて。無理よね、それは」

「うーん……」


 級友を家に呼んではいけない、という決まりはない。

 シノだって、私から頼めば、お化粧の仕方くらい教えてくれるだろう。


「羨ましいわ、本当に」


 きらきらとした、期待の眼差し。

 家に呼んだら、彼女ともっと、仲良くなれるのかもしれない。

 その思いつきは、級友に囲まれる早苗を羨ましく思う私には、魅力的なものだった。


「……聞いてみるわ」

「えっ! いいの? 嬉しい!」


 両手を組み、喜びの色を浮かべる泉。

 こんなに素直に、喜んでもらえるなんて。


 帰宅したら、友人を呼んでもいいか、母に聞いてみよう。


 私が頷くと、泉は「ありがとう!」と言って、心底嬉しそうに笑った。


「おはよう」

「あ、ごめんなさい。勝手に席を借りちゃって」


 席の持ち主が登校し、泉は謝りながら席を離れる。


「またね、藤乃さん!」


 そろそろ、授業の始まる時間だ。

 私は泉を見送り、準備を始めた。


 お化粧のおかげだ、と思った。


 だからあんな風に泉と話せた。

 おかげで、仲の良い友達が、できるかもしれない。


 昨日本で読んだ、目に見える変化があると楽しい、という言葉を思い出す。

 それを見て、目に見える変化や成果があれば、自信を持てるだろうと思ったのだ。


 化粧をして見た目が明らかに変わり、友人もできそうな気配がある。

 これは、目に見える変化と呼んでもいいのではなかろうか。


 なんだか自信が持てそうだ、と、少し心が温かくなった。


 授業の時間は飛ぶように過ぎて行き、すぐ昼になる。私はいつものように、弁当を手に取り、屋上へ向かおうとした。


「ねえ、早苗、お昼ご飯食べに行こうよ」

「そうね」

「今日は、どこで食べる?」

「うーん……中庭かな」


 泉は、早苗と昼食を食べるらしい。

 友達が多い方が良いという言葉通り、早苗とも、その周囲の女生徒とも、幅広く仲を深めているようだ。

 その交友関係の広さに感心しつつ、教室を後にする。


 よく晴れた日の屋上は、相変わらず暖かくて。弁当を食べ、午後の授業も終わり、すぐに放課後になる。

 放課後に図書室に向かうのは、もう習慣になった。


「……こんにちは」


 図書室に入り、カウンターへ寄ると、小さな声で挨拶をする。


「こんにちは、藤乃さん」

「本を返しに来ました」

「そうだよね。はい、頂戴」


 本を手渡し、返却作業をしてもらう。


「手慣れてますね」

「まあ、いつもの作業だから」


 はにかむと、頬がうっすらと窪む。慧のえくぼは、可愛らしい感じで、笑顔を見るとほっとする。

 私は、慧が下を向いて作業している隙に、こっそり口角を上げて、頬に指を当ててみた。私の頬は、窪まない。

 なんだか、残念だ。慧みたいなえくぼがあれば、もっと印象が良いかもしれないのに。


「何してるの?」

「えっ」

「笑顔の確認?」


 見られていた。しかも、指摘が的確だ。

 言葉が出ずに口をぱくばくさせていると、顔に熱い血が集まる。


「藤乃さんって、すぐ赤くなるんだね」


 そんなこと言われると、ますます恥ずかしい。


「うちの妹も、怒るとすぐ赤くなるんだ。ちょっと似てるね」

「……妹さんは、おいくつなんですか……?」


 話題を自分から逸らしたくて、質問を投げる。


「10歳だよ。今年、11歳になる」


 微笑んだまま、慧は答える。


「10歳。けっこう、離れているんですね」

「そうだね。7つ違うよ。俺は、わりと早くに生まれた子供だから」

「7つ違いかあ……」


 今高等部1年の私と、大学1年の兄とで、ちょうど3歳差。それでも差を感じるのだから、7歳も離れていたら、ずいぶんな差がある。


「そんなに離れていると、話も合わなそうですね」

「そうだねえ。その分、可愛いよ。……藤乃さんは、きょうだいはいるの?」

「兄がいます。3つ上で、昨年度卒業しました」


 答えると、慧は「ん?」と言って、私の貸出票を確認した。


「そっか。藤乃さんって、あの小松原先輩の、妹なんだ」

「兄を知ってるんですか?」

「知ってるよ。元生徒会長だから」

「……ああ、そういえば」


 2年の後期から3年の前期にかけて、たしかに兄は生徒会長を勤めていた。学園のリーダーとしての役割を、それはもう生き生きと、楽しげに全うしていた。


「……そうかあ。藤乃さんって、本当にお嬢様なんだ。凄いんでしょう、小松原家って。クラスの人たちが、噂してたよ」

「凄い、って……?」

「うーん。何が凄いのかまでは、覚えてないんだよね。どっちみち俺にとっては、雲の上の話だから」


 確かに系譜の長さや経済力は、私自身も驚くほどのものがある。兄のように目立つ人は、なおさら、噂の対象になっただろう。


「そんな雲の上の人と、こうして話せるんだから、世の中って不思議だね」

「……私も、慧先輩にとっては、雲の上なんですか?」


 慧は眼鏡のつるに手をかけて調整しつつ、「そうだなあ」と暫し考える。


「事実はそうなんだけど、藤乃さんは、もっと親しみやすく感じているかも。なんとなく、妹みたいなところもあるから」


 失礼だったね、と軽く謝罪されたので、私は首を横に振る。


「失礼じゃありません。慧先輩にそう思ってもらえるなら、こちらも気が楽です」

「そう言ってもらえるなら、俺も気が楽だよ」

「……ただ、妹みたいっていうのは、気になりますけど。妹さん、10歳なんですよね?」


 その言葉尻を捉えてみる。私のどこが、10歳の女の子みたいだと言うのだろう。


「赤くなるところ。あとは、純粋だからだよ。貶してるわけじゃないよ」

「純粋、ですか? 私……?」

「そうだと思うよ。俺は、ね」


 純粋、という言われ方は、初めてだ。


「ありがとうございます」


 驚く代わりに礼を言うと、彼は小さく頷いた。


「じゃあ、本探してきますね」

「いってらっしゃい」


 ひと通りの会話を終え、私は今日も、いつもの書架に向かう。


 慧に妹がいるというのは、初めて知った。

 日に日に、互いのことを知り、私たちの距離は近づいている気がする。


 人と仲良くなるのって、こんなに楽しいものなんだ。


 今まであまり味わったことのない、心浮き立つ感触。私は、人と親しくなるためのヒントがありそうなお話を探した。


「……これを借ります」


 慧に差し出し、貸出手続きを済ませる。


「また明日ね、藤乃さん」

「はい、また明日」


 その優しい挨拶に、密かに癒されながら、図書室を出ようとした。


「あ、藤乃さん」


 背後から声をかけられ、振り向く。慧はにこりと微笑んだ。


「言い忘れてたけど、今日、可愛いね」

「えっ?」

「藤乃さんが、さ。雰囲気が違くて、可愛い。素敵だと思うよ。……じゃあ、またね」


 言うだけ言って、慧は軽く手を振る。

 私は頭を下げて会釈し、図書室を出た。


 可愛いって、言われた。


 慧の言葉の意味が、じわじわと胸に染み込んでくる。

 シノも山口も褒めてくれたし、泉も褒めてくれた。それでも、慧に褒められるのはひとしおで、込み上げてくるなんとも言えない喜びと、頬の緩みを抑えながら、私は山口の待つ車へ急いだ。

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