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43 朝の凪いだ海

「シノ、水着を出してもらってもいい?」

「かしこまりました」


 夏の日の出は、早い。

 普段よりも1時間近く早起きした私は、シノの協力を得て、海水浴の準備をしていた。

 今日は、慧と海に行くのだ。昨日イベントアイテムを回収したことで、樹と早苗にどんな変化が生まれるか。それを、遠巻きに確認するために。


 シノが持ってきてくれたのは、紺色の水着。以前、慧の妹である凛に、選んでもらったものだ。

 海に行くのなら、水着は必要だ。鞄にしまう私に、シノが、青いチューブを手渡してくる。


「これは?」

「日焼け止めです。ウォータープルーフの強力なものですから、水着に着替えたあと、露出した場所に必ず塗ってくださいね」

「わかったわ」


 日焼けすると、肌が赤くなって痛い。私はありがたく受け取り、それも鞄にしまった。


「あとは混んでいて飲み物が買えないといけませんから、お飲み物も多めに。塩分を補充する塩レモンも作っておきました」

「ありがとう、シノ」


 あれこれと準備をしてくれるシノのおかげで、忘れ物がなくて済む。預かったものを全て入れると、鞄はちょうど、いっぱいになった。

 家族の朝食時間には、まだ早い。私は昨日のうちからシノに頼んで、早めに朝食を出してもらうことにしていた。

 家族を起こしてもいけないので、できるだけ静かに扉を開け、閉める。そのまま、食堂へ向かった。


「おはよう、藤乃」

「お兄様?」


 家族は誰もいないはずの食堂へ入るなり声をかけられ、一瞬、息が止まった。兄が爽やかな笑顔で、席についている。


「早起きだね、藤乃。こんなに朝早くから、どこへ行くのかな」

「海開きだから、学園の海へ行くの」

「聞いたよ。『ケイ先輩』と行くんだって?」


 その、ちょっと不思議な発音は、母が慧を呼ぶときの言い方だ。母は未だに、「ケイ先輩」は女性だと思っている。私はそれを、訂正できないでいる。

 母に知られるのは、まだいい。男性とふたりで出かけていることが、母を通じて、父に知れたらどうなるか。それが怖くて、正直に話せない。


 私は、母には昨日のうちに、今日出かけることを伝えた。兄は母から、それを聞いたのだろう。

 兄の顔には、例の笑顔の仮面が貼り付けられている。


「だから僕も、一緒に行くよ」


 慧と出かけるときには、いつも兄がついてくる。その笑っているのに笑っていない顔が、本当に怖い。


 だから、の繋がりは、私にはわかる。海斗との関係にけりがついていないのに、二人で出かけるな、ということだ。

 その通りだ。慧といることが自然過ぎて、二人で出かけることの問題点に、全く気づかなかった。


「おはよう、藤乃さん。……と、桂一先輩」

「おはよう、慧くん。お邪魔して悪いね」

「いえ。いらっしゃると思ってました」


 兄の登場を、慧は予想していたらしい。待ち合わせ場所に突然現れた兄に、動じることなく挨拶を交わす。

 ちなみに兄は、私と出かけると決まってから、一度も部屋に帰ることなく、大きな荷物を持って一緒に家を出た。最初から一緒に来るつもりで、荷物も用意していたのである。


「凛、二人が来たよ」

「ふたりー?」

「藤乃さんと、桂一先輩」

「お兄さんもいるのー?」


 慧に声をかけられ、彼の背後からゆらりと現れたのは、懐かしい顔であった。眠そうに目を擦っている、慧の妹。凛は、欠伸をしてから、やっとという感じで薄く目を開けた。


「おはよー。お兄がお姉さんと海に行くっていうから、うちも付いてきたの」

「久しぶりね。凛ちゃんに会えて嬉しいわ」


 彼女の肌は、夏らしく日に焼けている。外で遊び回り、夏を満喫している姿が容易に想像できる。

 本来は活発な凛は、今日はまだ眠たげだった。また、欠伸をひとつ。


「行こうか」


 兄の号令で、私たちは待ち合わせ場所から、歩いて海へ向かう。ここからは、徒歩でそうかからない。

 私と兄が先を歩き、眠そうな凛の手を引いて、慧が後ろから付いて来た。


「さすがに、まだ誰もいないよ。開放が始まるのは2時間後でしょ? 藤乃たちはどうして、こんなに早く来るのさ」

「人が来る前に、済ませたいことがあったの」


 一般開放の時間は、学生である私たちには関係ない。警備の人に学生証を見せると、砂浜へ入る。兄と凛も、親族という理由で、一緒に入ることができた。


 沖の方から風が吹いてくる。朝の海風は、さっぱりと柔らかく、心地良い。

 私が伸びをすると、背後から、凛の盛大な欠伸が聞こえた。


「眠そうだね、凛ちゃん」


 凛の扱いが上手い兄が、早速話しかける。


「眠いの。お姉さんと会えるのが楽しみで、夜寝れなかったんだもん」

「僕、レジャーシート持ってきたけど。その上で寝る? なんだか藤乃たちは、朝の海に用があるみたいだし」


 兄の提案に、頷く凛。兄が背負った大きな荷物から、青いレジャーシートが出てきた。

 砂浜の上に広げると、なかなかの大きさだ。凛だけでなく、私が寝転がっても、余裕をもって眠れそうである。


「お兄様、準備がいいのね」


 入念に準備をしたつもりの私でも、レジャーシートまでは持っていなかった。感心すると、兄は口角を上げ、自慢げに笑う。


「今度、大学の仲間と海へ行く予定だから、必要なものを買ってあったんだ。役に立って良かったよ」


 他愛ない会話なのに、兄はなぜか、顔に笑顔を貼りつけている。私は口角が引きつるのを感じつつ、笑顔を作った。

 レジャーシートの四隅に荷物を置き、風でめくれないようにする。凛は早速、細い手足を伸ばして、シートに寝転がった。既に目が閉じている。


「それで、どうしてこんなに朝早くから、来る必要があるの?」

「俺たちは……ちょっと砂浜で、探す物があるんです」


 兄の核心をついた質問に、慧がぼかして答えた。


 兄には、本当のことを話すことはできない。「ここはゲームの世界」「私は登場人物」なんてことを話し始めたら、私と慧が、揃っておかしくなったと思われてしまう。


「へえ。潮干狩りみたいな?」

「そんな感じよ」

「それなら別に、朝来る必要はないと思うけどね」


 私と慧で誤魔化すものの、兄の貼りついた笑顔は変わらない。本当のことを話していないのが、ばれているのだ。


「まあいいや。何をしているかは、ここから見えるからね。行っておいでよ」

「ありがとう、お兄様」

「行ってきますね」


 兄からの許しを得ることができた私たちは、砂浜に繰り出す。


「今日はサンダルなんだね、藤乃さん」

「はい。昨日、砂の上が、あまりにも歩きにくかったので」


 朝の砂浜は、どこかひんやりと、しっとりした雰囲気がある。踏みしめる砂も、昨日よりも安定感がある気がする。

 寄せて打つ波。規則正しい音と、潮の香り。


「昨日ね。制服で行くものじゃなかったよ。家に帰ったら、全身砂だらけで、凛に怒られた」


 それで今日来るって話になったんだ、と続ける慧。朝の日を浴びて、レンズが金色に光っている。

 怒っている凛も、きっと可愛い。私は想像して、頬が緩んだ。


 私たちは、砂浜をぐるりと見て回った。昨日アイテムが落ちていたところを中心に、念のため、他の場所も。

 シーグラス、ヤドカリ、貝殻、流木。海にあるべきものは何でもあったが、【メッセージ ボトル】も【おもちゃの指環】も、【きれいなガラス玉】も、そこにはなかった。


 朝の風が涼しいとはいえ、歩き回っていると、じんわりと汗をかく。浜辺を一周し終え、波打ち際で立ち止まる。吹いてくる風が、やけに涼しく感じられた。


「……なかったね」

「はい。ありませんでしたね」


 風を浴びながら、成果を確認しあう。

 拾ったアイテムは、復活しなかった。やはりここは現実であり、取り除いたものがイベントのために復活するような、物理的に不可能な展開はないと言える。


 運動した後の気だるさと、達成感。海面はきらきらと、太陽を反射している。ゆったり飛ぶ海鳥。


 あとは、早苗たちが来たときに、どうなるか。


 私たちがレジャーシートに戻った頃、開放前ではあるが、既に学園の生徒がまばらに来て、場所取りを始めていた。

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