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41 「ぶつからない」作戦

「お嬢様、今日はお肌の調子が良くないですね」

「……ちょっとね」


 鏡に映った自分は、目の下に色濃いクマが出ている。寝不足なのだ。おかげで肌も、なんだかざらついている。


「そんな眠たそうなお顔、ご友人にお見せする訳にはいきませんね」


 シノは笑顔で、私の顔に、手始めに美容液を叩き込み始めた。目の下のクマには、しっかり肌色を塗り込められる。

 クマが完全に消えたわけではないが、よく見ないとわからないくらい、顔色が良くなった。シノの腕前は、さすがである。


 別に、眠そうな顔を見せたくない相手はいない。強いて言うなら、慧くらいだろうか。彼はきっと、私の顔を見たら、心配するだろうから。


「お嬢様、お勉強もほどほどになさってくださいね」


 ハンドルを握る山口にも、車に乗り込むなり、そう言われた。化粧で誤魔化しても、彼には通じない。


「寝不足だと、熱中症にかかりやすくなりますから」

「……そうよね。ありがとう」


 案じてくれる山口には申し訳ないが、寝不足なのは、勉強していたからではない。ある意味では、勉強より大切なことだったけれど。


 私は、通学用の鞄を手のひらで撫でる。今日は、鞄が張り詰めていて、重たい。中には、3冊の本が入っている。

 生徒会室の掃除は、ひと段落した。次の樹たちのイベントは、数日後の海開きである。残された放課後の時間には限りがあり、その中で私たちは、イベントを「横取り」する以外の作戦を考えたい。

 そこで頼ったのが、「悪役令嬢」の本であった。


 今回借りたのは、悪役令嬢がヒロインを「ざまぁ」する物語。初めて慧に会った頃、好んで借りていた種類の本だ。転生者のヒロインと、転生者の悪役令嬢。ストーリーを逆手に取って、悪役令嬢が主人公の枠に収まったり、ストーリー外の展開に持ち込んだりする、爽快な結末の小説たち。


 あの頃私は、ヒロインが痛い目に遭う物語を読んで、後ろ暗い欲望を満たしていた。今回は、私が悪役令嬢として、早苗の思惑に歯向かうため。より実務的な情報収集が目的に変わった。

 不思議な話だ。私は「脇役」であり、物語と「悪役令嬢」たちのように、何かを成すことはできないと思っていたのに。

 でも、やらなければならない。私と慧のためには、早苗の希望通りに、ストーリーを進めてはいけないのだ。


 意図的であれ無意識であれ、イベントの「横取り」はもちろん。

 ゲームが始まる前の段階で、攻略対象たち全ての過去が、悪役令嬢によって変えられてしまったり。

 悪役令嬢が心を入れ替えることで、そもそも「悪役」にならず、ヒロインの計画が破綻したり。

 読み漁った本の中の「悪役令嬢」たちは、様々な方法で、ヒロインの邪魔をしていた。


 ふわ、とあくびが出る。

 目尻に浮いた涙を、ハンカチで拭った。


「行かれる前に、コーヒーをお飲みになったらいかがですか?」


 信号待ちの間に、山口が水筒を差し出してくれる。


「……準備がいいのね」

「準備が良いのは、シノさんですね。お嬢様が寝不足らしいと心配して、渡してきました」


 確かに眠そうだったので、と山口。私はありがたく受け取り、水筒の蓋を開ける。車内に、コーヒーの香ばしい匂いが立ち込めた。

 舌に残るコーヒーの苦味に、頭が少し冴える。


 ……やっぱり、海水浴のイベントに合っているのは、あの方法だわ。


 少し冴えた頭で考えても、良いと思える案が、本の中にあった。


 悪役令嬢が、お金に物を言わせて、イベントアイテムを全て買い占めるという物語。私はそれに、可能性を感じていた。

 海水浴のイベントは、砂の中に落ちていたアイテムを見つけることがきっかけで引き起こされる。


 では、アイテムを見つけられなかったら?

 イベントを起こすこと自体が、不可能になる。


「……という風に、考えました」

「奇遇だね。俺も、それが実現可能だと思ってた」


 放課後の図書室で報告すると、慧は微笑んだ。その目の下には、クマがくっきりと浮かんでいる。目尻が垂れ、どこか疲れた目つきなのは、他でもない。


「俺が読んだのは、精霊が出てくる話だったよ。ヒロインは精霊に愛されることでヒロインになるんだけど、悪役令嬢の子が、先に精霊たちの愛を受けてしまうんだよね」


 昨日。私と慧は、それぞれ3冊ずつ、本を借りて帰った。どれも「悪役令嬢」と名の付くもの。早苗を陥れる方法を探すために、ヒロインが陥れられる物語から情報を得ることにしたのだ。


「私が読んだのは、お金でイベントアイテムを買い占める、という話で……」

「面白いね。金に物を言わせる悪役令嬢か。読んでみたいな」

「次、借りますか?」


 まさか慧と、よりによって悪役令嬢を話題に、語り合う日が来るなんて。話は思いの外盛り上がった。慧が夜通し本を読み込んだことは、彼の目のクマが物語っている。

 話しながら欠伸をした慧が、手の甲で目尻を拭う。欠伸が伝染し、私はハンカチで口元を押さえる。目が合い、慧が笑った。頬にえくぼが浮かぶ。


「藤乃さんも、寝不足なんだね」

「はい。つい遅くまで読んでしまって」

「俺もだよ。授業中に、初めて眠くなった。……でも、その成果はあったな」


 イベントを「横取り」する以外の、新たな作戦。睡眠時間を犠牲にして手に入れたのは、可能性の光だった。


「イベントの前に、アイテムを拾いに行けばいいんですよね」

「そうだね。海開きの日だから、夏休み前、最終日の放課後はどうかな? 都合良い?」

「もちろんです」


 私の放課後の予定は、図書室に来ること以外ない。即答すると、慧は喉の奥で小さく笑った。


「なら、そうしよう」


 夏休み前、最終日。早苗がイベントを起こせないよう、砂浜に埋まっているはずの、【メッセージボトル】【おもちゃの指環】【きれいなガラス玉】を見つけ出す。そう約束を交わし、私たちはいつもより少し早めに、図書室を出た。

 お互い、眠かったのだ。交互に欠伸をしては笑うのは楽しかったけれど、交互に船を漕ぎ出した辺りで、慧が「帰ろう」と提案した。


「また明日、藤乃さん」

「はい、また明日、慧先輩」


 帰り道の廊下は、いつもよりも少し、高い位置から光が射してくる。日差しはじりじりと暑く、夏らしさを感じる。

 夏休みに入ったら、こんな風に毎日、慧と交わした挨拶がなくなる。


 廊下を歩く足音は、いつもより何だか、寂しく聞こえた。

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