40 生徒会室を片付け隊
「日差しが強くなって参りましたから、日焼け止めを強いものに替えますね。お肌に合わなかったら、仰ってください」
「ありがとう」
翌朝、化粧をするシノから、そう伝えられる。肌に重ねる日焼け止めは、いつもより少しだけ、伸びが悪く感じられた。
日の出が早くなり、日差しが強くなった。夏休みは、もう間近だ。何気ない日々の準備も、登校する道のりも、少し浮かれたものに感じられる。
「山口は、夏休み期間は、少し仕事に余裕ができるのかしら」
「送り迎えが無いからですか? そうですね、お嬢様とお話できないのは残念ですが」
「どこかへ行ったりするの?」
山口は、視線を外に向ける。隣を走る車の車体が、ぎらりと光る。
こんなところにも、夏の日差し。
「そうですねえ。いかがいたしましょうか」
バックミラー越しの山口が、穏やかに微笑む。
彼は自分のことを、あまり話さない。
家族はいるのか、どこに住んでいるのか。こんなに長く一緒にいるのに、そんなことも知らない。
「楽しい夏になるといいわね」
けれど私もそれ以上、詮索はしない。
聞かなくてもうまくいくのなら、それでいいのだ。
授業も、昼休みも、いつも通りに過ぎていく。その全てになんとなく、ふわふわした、足元の覚束ない雰囲気があるのは、やはり夏休みが近づいているからだろう。
「夏は、どちらへ避暑へ行かれるの?」
「今年は……」
教室でも、そんな話題が飛び交っている。
「夏休みの準備の日程をお配りしたので、参加できる範囲で、来ていただきたいです」
ホームルームになり、アリサが皆に紙を配る。
夏休みの日程表だ。クラスで行う、文化祭に向けた準備の日取りが入っている。
私は、日程表に目を通した。ゲーム通りから後夜祭に行けるのは間違いないが、準備に手を抜いてはいけない。
「その日は、私たち会長のどちらかは、いるようにしますので。ご協力お願いいたします」
アリサの説明を聞きながら、スケジュール帳と照らし、行ける日に印をつけた。
放課後になると、教室のざわめきは一気に高まる。
「夏休みにも準備があるなんて、聞いてないよ」
「先輩が言ってたじゃん。でも面倒だよな、それはわかるよ」
好き勝手に言う級友たち。
手伝いもしないのに、文句ばかり言う。慧の言葉を思い出した。
準備として取られた日程は、確かに少なくないものだった。ただ、一番負担が大きいのは、どちらかが必ず参加するという会長たちだ。せめて文句を言わず、可能な限り協力すればいいのに。
思うだけで、それは口には出せなかった。私が彼らに言ったところで、何も響かないだろう。
「ねえ早苗さん、今日はどこへ行く?」
「泉さん……あたし、今日は生徒会室に行かないと」
「そうなの? 残念だわ……あら、可愛いアクセサリーね」
泉は今日も、早苗を呼び止めていた。ちょっと迷惑そうな、しかしそれを表には出さない早苗。通り過ぎ様に泉と目が合うと、彼女はそっと、片目を閉じて合図を送ってきた。
生徒会室にいくのを、邪魔してくれているのだ。ありがたい。
早苗と泉を横目に、私は教室を後にした。
「こんにちは」
「はーい」
扉をノックして、生徒会室に入る。
樹の声は、机に山と積まれた紙の向こうから聞こえた。この間よりも、量が増えているような気がする。
「改めて見ると、すごい有様ですね、樹先輩」
「え? ああ、藤乃ちゃんだったんだ。ようこそ、また鍵を取りに来たの?」
紙の塔の向こうから、樹の顔が現れる。その頭には、どこからどうやって付いたのか、パンくずらしきゴミが載っている。
「それもありますが……お兄様に、片付けを手伝えと言われまして」
「えっ、桂一先輩に?」
いつも柔和な樹の表情が、ぴし、と強張った。上がった口角が、そのまま引きつり、ぴくぴくと痙攣している。
「藤乃ちゃん、桂一先輩に何を言ったの?」
「書類が山になっていて、昨日は崩れた……って」
「桂一先輩って、そういうのほんと嫌いじゃん? 怒られちゃうよ、おれ」
ああ、と嘆いて天を仰ぐ。樹の髪に付いていたゴミが、床に落ちた。
「やっぱりこんなに散らかしたのは、樹先輩なんですか?」
「いや、ちょっと前までは綺麗だったんだよ! ただ、文化祭が近づいてきて、書類が増えちゃって」
あれこれ言い訳を重ねているが、結局、片付けの苦手な樹のしたことらしい。
「……そうですか」
「藤乃ちゃんの呆れた顔、傷つくなあ」
「すみません」
生徒会室を見回すと、書類の山だけでなく、食べかけのお菓子や、使い終わったお茶の葉も散乱している。
呆れるなと言う方が、無理がある。
「……誰も片付けないんですか? 他の役員の方は」
「最初のうちは片付けてくれていたんだけど……最近は書類を持って、みんなどこかに行っちゃうんだ。寂しいよね」
それは、予想の何十倍もひどい状況だった。
寂しいと言いつつも、状況を変えることはせず、紙の山の中にいるなんて。よほど片付けが苦手なのだろう。
「片付けましょうよ」
「いや、でもおれ、どこに何があるかわかってるから」
「他の方がかわいそうですよ。来年の生徒会長だって、困ります」
「彼は、おれがいなくなったら、全部捨てるって言ってるから」
意図せず、深いため息が出る。
いつも輝いている、素敵な生徒会長、樹。人前では堂々と喋り、誰にでも優しく、人望の厚い彼に、そんな一面があったとは。
「早苗さんは、いつもいらっしゃるんですよね? 片付けはしてくれないんですか?」
「彼女は、優しいから。おれと話せれば、それで良いって」
「はあ……」
それを、優しさと呼ぶのだろうか。
早苗の目的は、ゲームのストーリーを進めることである。樹のファンだと話していたから、このままの彼で、満足なのかもしれない。
それにしても……私は改めて、生徒会室を見渡す。
「……お兄様が、文化祭の時に、見にくるって言ってました」
「ここを? え、おれ、絶対怒られるよ」
「そうですねえ」
否定はできない。生徒会室が散らかっていると聞いただけで、兄はかなり苛立っていた。
「藤乃ちゃん……手伝ってくれない?」
「兄にも、そう言われました。手伝いますよ」
兄の頼みは、無下にはできない。
「藤乃ちゃん……!」
私が引き受けると、歓喜に満ちた表情の樹が、椅子から勢いよく立ち上がる。その風圧で紙がまた1枚、舞い上がって床に落ちた。
「とりあえず、ゴミは捨てましょうか。ゴミ袋はありますか?」
「ええと、それはあの棚に」
あの棚、と言われた棚の前には、段ボールが置かれている。
「あの段ボールは?」
「あれ、学外活動の書類。もう終わったからって、副会長が箱に入れてくれたんだ」
「捨てても良いんでしょうか」
「書類は1年は参考に取っておくことになっているから、あれはだめ」
「はあ……」
そのとき、扉が軽くノックされた。
「あ、はーい」
樹が返事をすると、扉が開く。
「図書室の鍵を借りに……あれ、藤乃さん」
「慧先輩!」
顔を出したのは、慧であった。彼の視線は、私と、樹を交互に見る。
「藤乃さん……ここで、何してるの?」
眼鏡の向こうで、慧の目が訝しげに細められる。声が、いつもよりわずかに低い。
「昨日、兄に、生徒会室の片付けを手伝うよう言われたんです」
「片付け?」
私は頷き、昨日の兄との会話を説明する。慧は、なるほどね、と頷いた。
「まあ、確かにひどいよね、ここ。最近、散らかり方が半端じゃないなって、思ってた。……あ、すみません」
樹と目が合ったらしく、慧は謝る。
「いいんだ。わかってるんだよ、おれ、こういうの苦手だって。誰か片付けを手伝ってくれないと、すぐにこうなる」
「他の役員の方は……」
「最初は手伝ってくれていたけど、もう駄目なんですって」
私が補足すると、慧は顎に手を添える。考えるときの仕草だ。
こんな普段通りの仕草も、図書室の外で見ると、なんだか新鮮である。
「藤乃さんは、手伝うんだね?」
「兄に頼まれたので……それに、樹先輩も、他の役員の方も困っているでしょうから。片付けなら、しても良いかしら、と思っています」
「そうだよね。わかった。なら、俺も手伝うよ」
そう言ったかと思うと、既に慧は、シャツの袖をまくっている。
「図書室はいいんですか?」
「良くはないけど、入りたい人がいたら、鍵を取りに来るでしょう。それよりも俺は藤乃さんに、ひとりで手伝わせたくないから」
力強く言い切る慧。
私と慧は、ふたりでこの散らかった部屋と格闘することになったのだった。
「……何してるの?」
「あら、早苗さん」
暫くしてから生徒会室に顔を出したのは、早苗だった。扉を開けたまま、眉をひそめ、動作を止めている。
「片付けを手伝っているのよ」
「なんで?」
その語気が少々強いのは、勘違いではないだろう。
「おれが片付けられないから、やってくれてるんだ」
樹の説明を受け、早苗は再度こちらを見る。ひそめられたままの眉。探るような視線。他の意図がないか、探っているのだ。
実際、私には、早苗と樹を邪魔したいという下心もある。
「何、早苗。入りなよ」
早苗の後ろから、聞いたことのある声がする。
「海斗。あの、中に……」
「……あ」
早苗の後から生徒会室に入ってきたのは、海斗だった。私を見て、口が半開きになる。
彼と目が合ったのは、久しぶりかもしれない。こんな格好で、なんだか申し訳ないけれど。
私は床に座り込み、落ちているゴミを拾っているところであった。
「どうして、ここにいるんだよ。早苗が怖がってるだろう」
海斗の態度は一貫していて、私を見るなり、早苗との間に滑り込んでくる。自分の体で彼女を守るように立ち、そう、敵意ある言葉を投げかけてきた。
早苗に対する好感度は、下がっていないらしい。
「お兄様に叱られたのよ。生徒会室が汚いから、片付けなさい、って。ここが片付けば来なくて済むから、嫌なら、片付けを手伝ってほしいわ」
まともにぶつかると、こちらが傷つく。いくらもう構わないとは言え、私よりも早苗を優先する海斗の姿を見ると、胸がちくりと痛みはするのだ。あの、繊細に傷ついていた頃の自分の、胸の痛み。
私のひと言が決定打となり、海斗と早苗も、片付けに参加するようになった。
海斗は、早苗のために、私を生徒会室から遠ざけたい。早苗は、樹とのイベントのために、私を生徒会室から遠ざけたい。片付くまではいつまでも居座るとわかったので、ふたりとも協力的だった。
こうすると、思った通りに動いてくれるのね。
海斗も早苗も、私になんか、協力したくはないはずだ。それなのに今、生徒会室を片付けているのは、その方がメリットが大きいから。
正面切ってぶつからなくても、こういう方法もあるのだ。
なんだか搦手って、悪役っぽいかも。
慧の言っていた、「横取り」以外の別の方法も、あるような気がしてくる。
「……漸く綺麗になったね」
私と慧は、すっかり綺麗になった生徒会室を、並んで眺める。
あれから数日、私たちは、生徒会室の片付けに精を出した。書類があるべきところにしまわれ、きっちりと片付いた生徒会室。
「最初の写真を、撮っておけばよかったですね」
見違えるような景色に、清々しささえ感じる。
「これでもう、来ないんだよな?」
海斗が話しかけてくる。
これだけ長い時間を、同じ部屋で、同じ作業をして過ごしたのだ。相変わらず突き放すような言い方で、好意の微塵も感じられないが、こうして言葉を交わす機会は増えた。
和解したわけではない。ただ、彼とのどうしようもないわだかまりは、ほんの少しだけ、解けたかもしれない。
……まだ何も決着はしていないけれど。
「また汚くならない限りは」
「そうか。僕が責任持って片付けるから、もう来なくていい」
海斗の刺々しい言葉に、私は頷いた。
「じゃ、俺たちは行きますね」
「うん、長いことありがとう!」
手を振る樹に見送られ、私たちは生徒会室を出る。
壁にかかった時計を見ると、閉館までは、まだ少しある。
片付けが佳境に入って来てからは、なかなか図書室に寄る時間もなかった。
「今日はまだ少し時間があるから、図書室で話そうか」
慧も同じ思いだったようで、私たちはそのまま、図書室へ向かう。
「結局、俺たち以外は、誰も図書室に来ないんだね」
「そうですね」
私たちが生徒会室の掃除にかまけていた間、鍵を取りに来た人は、誰もいなかった。それは嬉しい知らせでもあり、残念なことでもある。改めて需要の少なさを感じつつ、久しぶりに入る図書館の、馴染んだ温かな空気といったら。
「ああ、久しぶりですね」
私は両手を脱力させ、その埃っぽく、じんわりと重たい、落ち着く空気を感じる。
「……藤乃さん、生徒会室にいるときとは、全然顔が違うよ」
慧の抑えた笑い声。そう言う彼も、生徒会室にいたときの険しい表情と比べると、ずいぶん柔らかい。
「慧先輩も、生徒会室にいるときは、怒ったような顔をしていましたよ」
「あんまり汚いから……それにあの、ヒロインの子。すぐにイベントを起こそうとするから、止めるのに必死でさ」
「それで慧先輩は、樹先輩に話しかけていたんですね」
「そう」
片付けをしながらも、早苗は隙あらば、樹との小イベントを起こそうとしていた。好感度を上げなくてはいけないから、彼女も必死なのだ。
そして、早苗が樹に話しかけようとすると、それとなく慧が会話に挟まっていた。逆に海斗との会話は、早苗が切り上げようとしても、きっちり小イベントが終わっていた。
少なくとも今は、海斗のストーリーの影響力の方が強いらしい。それを確かめられたのは、生徒会室の片付けで得られた、成果のひとつだった。
「いろいろわかりましたね」
「そうだね」
「次のイベントは、海開きの日、でしたっけ」
狭い生徒会室の中では、早苗たちの会話も自然に聞こえてくる。早苗と樹、海斗のストーリー状況が、なんとなくわかったのはもちろん。樹と早苗が海水浴に行くのは、海開きの日だということもわかった。
海開きの日、夏休みの初日には、学園の砂浜を解放するらしい。
「そうだね。もう明後日だ」
「イベントの横取り以外に、何か方法を考えないといけないですよね」
早苗と樹の小イベントは、確かに阻止できた。好感度の上昇は多少抑えられたかもしれないが、それは恐らく、焼け石に水だ。
ストーリー進行上重要なイベントを邪魔してこそ、意味がある。
「今日は、本をたくさん借りていこうと思います」
「本を?」
「はい。本の中には、きっとたくさん、アイディアがあると思うんです」
私は、慣れ親しんだ書架へ向かう。今日は、慧も一緒だ。ポップでカラフルな背表紙の並んだ、「悪役令嬢」ものの小説を見比べる。
迷ったら、情報収集をすればいい。シノの言葉だ。悪役令嬢の本の中には、ヒロインを邪魔するための方策が、たくさん詰まっているはずなのだ。




