表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

4/49

4 教室はふたりの甘い世界

「えーと……」


 片手には、メモ帳。もう片手で、ひとつひとつの背表紙を確かめる。私は、昨日メモした小説を、探していた。


 それにしても、「悪役令嬢」が登場する「ゲーム的な小説」だけで、こんなにたくさんあるなんて、すごい。それが学園の図書館にこれだけ並んでいることも驚きではあるが、この世には私の知らない世界は、いくらでもあるのである。


「これだわ」


 メモした小説のひとつを発見し、私は抜き取った。どの書架だったか確認してから、本を片手に移動する。


 本を読むなら、据え付けの机や椅子を使うように。


 先ほど示された図書室のルールには、そう書かれていた。当たり前のことだ。それに従って、読書に向いたスペースを探す。


 できるだけ、人目につかなそうなところ。


 図書室の奥にある、小さな机。椅子は壁に面して置かれており、狭くて、座りにくい。

 不自由だからこそ、ここなら、誰も来ないはずだ。

 私は安心して腰掛け、本のページをめくった。


 異世界、貴族女性、学園、転生。

 要素は同じなのに、その展開は、昨日読んだものとは全然違った。


 冒頭。学園の卒業パーティとやらで、いきなり王子から婚約破棄された悪役令嬢が、追放先で内政に力を入れ始める。

 前世の知識によって、廃れた領地がどんどん栄え、力をつけていく。逆に、王子を射止めたヒロインは、結婚後も男性との関係に溺れ、国庫を食いつぶして行く。

 力をつけた悪役令嬢が、国の害悪でしかないヒロインと王子を糾弾し、武力蜂起。ヒロインと王子は処刑され、密かに見初められていた第二王子と、悪役令嬢は結婚。


 さらりとした描写ではあったが、しっかりとヒロインの首が斬り落とされたのを見て、私は手早くラストまで読み流してページを閉じた。


 早苗と重ねて読むには、いささか過激な結末であった。処刑までは望んでいない、と思う気持ちと、清々した気分とが入り混じる微妙な読後感を味わいつつ、書架に戻る。


「こっちは……」


 穏やかそうな表紙のものを選び、手に取る。そもそもが創作なのだから、この手の話に現実感を求めるのは間違っている。それでも、もう少し現実に近い設定のものを読みたい。


「藤乃さん」

「はいぃっ!」


 びくん、と肩が跳ねた。取り落とした本が、絨毯の上にぱさりと落ちる。


 ああ、開いたページが下になっちゃった。本を雑に扱うと痛がるよ、と私に忠告したのは、誰だっただろうか。


 慌てて屈む私の視界に、緑のマークが入った上履きが映り込む。


「ごめん、いきなり声かけて。大丈夫?」


 差し出される、手。私は、片手を床についたまま、その手を見つめた。


「……起こしてあげようかって、意味」

「あぁ! ありがとうございます」


 その手を取ると、ぐっと力強く引かれる。意外な力強さを感じて、また、妙な緊張感を覚える。

 すっくと立ち上がってから、私は、慧に頭を下げた。


「そろそろ閉館だからさ。……借りてく? それ」


 慧の視線が、私が持っている小説に注がれる。表紙には、美男美女のイラストと、ポップな文字。


「意外だな」


 こんな本を読んでるって、思われた……!


 恥ずかしくなって後ろ手で隠すと、慧は僅かに目を開け、それからはにかんだ。頬に、えくぼが現れる。


「隠さなくていいのに。誰がどんな本読んだって、それは自由だよ」

「でも、意外って……」

「それは失言だった。ごめんね。藤乃さんみたいな、真面目そうな人が、そういう本を読んでるって、意外だからさ。いいんだよ、俺は悪いとは思ってない」


 フォローの言葉を重ねられると、余計に、恥ずかしさが増す。私は俯いて、自分の足のつま先を見つめた。


「むしろ……ほら、そのくらいの方が、人間味があって、親しみやすいよ」

「え?」


 つま先から、慧の顔に視線を戻す。まるいえくぼが、まだその頬に浮かんでいる。


「藤乃さんみたいな完璧そうな人が、そういう大衆的なものを読むのって、すごくいいよねってこと」


 なんか、褒められてる……?


 なんで褒められているのか、よくわからなかった。私は隠していた小説を戻して、その表紙を見る。大衆的なイラスト。丸みを帯びた可愛らしいタイトル。


 私の父がこの本を見たら、鼻で笑って、「しまいなさい」と言うだろう。

 だけど慧は、小馬鹿にせず、褒めてくれさえする。


 やはり図書室は、心の広い場所だ。


「……ありがとう、ございます」


 自分で思っていたよりも、その声はぼそぼそとして、素っ気なく聞こえた。


「そろそろ閉館だからさ。声をかけたんだ」

「そうでしたか! すみません……」


 今度は場違いに大きな声が出て、私は肩をすぼめる。


「もう他の人はいないから、大丈夫だよ」


 さらりと笑って、慧は私の失態を流した。

 その笑顔に、自然と肩の力が抜ける。


「それよりも、貸出手続き、していく?」

「……はい」


 その雰囲気に飲まれて、私は頷いた。


 借りてしまった。


 鞄の中には、今まで家で読んだこともない、大衆的な恋愛小説。父に見られたら、きっと、信じられないものを見るような目で見られる。母は、言わずもがな。だからこれは、家族に気づかれてはいけない。

 そわそわしていたら怪しいから、努めて鞄の中を気にしていないふりをして、車に乗り込んだ。


「おかえりなさい、お嬢様」

「ただいま、山口」


 柔らかな座席に腰を落とし、私は両脚を脱力させた。こうしてリラックスすると、自分が思いの外、疲れていたことに気がつく。


「お疲れですか」

「そうね」


 何に疲れたのか、自分でもわからない。


 早苗に婚約者を取られかけている女として、好奇の視線を浴びることか。私たちの婚約はそれほど公にはなっていないものの、知っている人はいるだろうし、周りの視線はやはり気になる。


 それとも、海斗の視線が気になって、一挙手一投足に緊張することか。思わず早苗と海斗を眺めてしまうのに、見ていると怒られる。視線を無理やり逸らすのは、それだけでエネルギーを使う。


 あるいは、初対面の先輩と知り合って、言葉を交わしたことか。

 その全てか。


「よろしければ、紅茶を」

「ありがとう」


 蓋つきのカップに温かい紅茶を注いで、出してくれる。ひとくち含むと、じんわりと広がる紅茶の香りに、強張った心が和らいだ。


 帰宅してから私は、家族にばれないよう、ベッドの中で借りた小説を読みふけった。


 今回のお話は、処刑エンドのような過酷さはなかった。天然な悪役令嬢が、本当に悪気なく、本来の攻略対象を骨抜きにしていくお話。前世の知識持ちのヒロインが、自作自演をして、それを攻略対象たちが糾弾してくれる。


 読み終えると、ネットで本の感想を検索する。悪役令嬢の素直さに好感が持てる、ヒロインが墓穴を掘っていく様が愉快だった、などの共感できる感想をひとしきり読み漁り、満足して部屋の電気を消す。


 私には、こんな風に振る舞うことはできなさそうだわ。


 本を読むたびに「ヒロインざまぁ」への憧れが沸き起こり、その度にそうして否定するのが、定番の思考パターンになっていた。何冊か本を読んでわかったのは、「悪役令嬢」たる主人公たちは、それはそれで能力が高く、人間的な魅力を備えているということ。


 私には、海斗や早苗に張り合えるほどの魅力はない。

 だから、やっぱり、後ろ暗い欲望は創作にとどめておくべきなのだ。


「おはよう、山口」

「おはようございます。……おや」


 山口が困った顔をして、ロマンスグレーの髪を撫で付ける。白い手袋と、灰色の髪のコントラストが、朝の陽射しの中で眩しく光る。

 眩しすぎて、目が痛い。


「お嬢様、今日も寝不足ですか? お疲れのご様子ですね」

「そうなの……考え事をしていたら、眠れなくって」


 私は、「悪役令嬢」にもなれない。


 なにしろ、海斗に嘲笑されるくらい、地味だし。

 勉強だって、努力しても、程よく遊んでいるはずの海斗や早苗にも及ばないし。


 ……そんなことばかり考えていたら、どんどん気が滅入って、なかなか寝付けなかった。


「考え事、ですか」


 山口は、いつものように詮索せず、穏やかに微笑む。


 私は、鞄の上から、図書室で借りた本の存在を確かめる。

 物語の中では、自分に似た状況から始まる「悪役令嬢」が、最後は爽快なハッピーエンドを迎える。

 その結末を、清々しい読後感を思い出すだけで、少しは気が紛れる。


「ほどほどになさってくださいね」

「ええ……ありがとう」


 聞かれたところで、今の私の口からは、泣き言しか出てこない。

 こうしてそっとしてくれる山口の態度が、私には、ありがたいのだった。


 山口といつものサインを交わし、きらきらと朝日に輝く噴水の隣を抜けて、校舎へ向かう。


 いつもと同じ朝の景色、楽しげな学生、爽やかな風紀委員の挨拶。そして相変わらず、気分の重い私。

 教室に着いたらまた、早苗と海斗のやり取りを目にしなければならない。


「おはよう」

「おはよー」


 挨拶の飛び交う中で、できるだけ目立たないよう、そっと席につく。


 教室が活気づくのは、早苗と海斗が、同時に教室に入ってきたから。ふたりの周りに、自然と人が集まる。


「早苗、チーク変えたよな」


 海斗がさらりと、早苗の頬を指の背で撫ぜる。思わず見てしまったのは、女生徒たちが、例のごとく甘い歓声をあげたからだ。


「ええ、何でわかるの? すごいね、千堂くん。男の人なのに、そういうのわかるんだ」


 頬を触られたというのに、動じない早苗。海斗は微笑み、頷く。


「母が化粧にうるさいからさ」


 海斗の母は、プロの歌手だ。テレビには出ないが、コンサートなどには引っ張りだこの、実力派。私も、両親と共に会ったことがあるが、声が素晴らしいのはもちろんのこと、息を飲むほどの美人だった。

 その血を引いている海斗が美形なのも、当然の話である。


「へえ。千堂くんのお母さんって、歌手なんでしょう? 楽しみだなあ、勉強会のときに、会えるの」

「あれ、話したっけ? 悪いな、その日は、親はいないんだ」

「そうなの? 残念」


 海斗と早苗の距離が、みるみるうちに進んでいる。会話からそれが察され、きりきりとなる胸を、服の上からそっと押さえた。


 授業中、目配せをして微笑み合う早苗と海斗。休み時間、どちらともなく、寄り添って触れ合う姿。昼食も一緒に、友人にもふたりで囲まれる。

 彼らの周りに常に人がいるのもあって、どうしても意識してしまう。目の端に入り込む彼らをできるだけ意識の外に置きながら、私は俯き、じっと耐えていた。


 こうして耐えるのは、慣れている。


 海斗と早苗が睦まじいのは、今に始まった話ではない。親しげなふたりをできるだけ意識せず、大人しく過ごしていたのは、今までだってそうだ。

 しかし、海斗が婚約破棄をしたくなるほど、彼女に入れあげているとわかると……その光景を目にするのは、あまりにも辛くて。私は早く放課後になることを、心から祈っていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ