表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

30/49

30 優先順位

「おや、お嬢様……」


 車に乗り込むと、山口が、片眉だけを器用に持ち上げた。


「……なあに?」

「いえ。何か、決意を固めていらっしゃるようなお顔に、見受けられましたので」


 山口の観察眼は、やはり恐ろしい。


「そうなの。頑張ろうと思って」


 私は今日、早苗に、詳しい話を聞く決意を固めてきた。


 正直言って、彼女とそこまで、話したくはない。

 早苗はヒロインであり、海斗の心を奪った張本人。進んで関わり合いにはなりたくない存在だ。


「そうですか。応援しております」

「ありがとう」


 それでも、私が前進するためには、情報を集めないといけない。今のままぐるぐると思考を巡らせていたって、何も生まれないのだ。


「行ってくるわ」

「いってらっしゃいませ」


 山口に見送られ、車を降りる。


 いつもの噴水も、いつもの階段も、どこか新鮮に見える。それは、私の心持ちが違うからだ。


「……早苗さん」


 人に囲まれた早苗に、目立たぬように話しかけるのは難しい。

 結局、私が早苗に声をかけることができたのは、昼休みであった。それも、5限目がそろそろ始まる、という時間。


 お手洗いに立った彼女をそれとなく追いかけ、廊下で追いつき、声をかける。


 声をかけると、ふんわりと蕩ける良い香りがして、早苗が振り向いた。


「……あ、藤乃さん」


 花開くような、愛らしい笑顔。


「考えてくれたの?」

「ええ……もう少しお話を、聞かせてほしくて」


 早苗は、唇に指を当てる。丸く、美しく整えられた指先。爪まで、つやつやと輝いている。


「なら……放課後、カフェでお茶しない?」

「カフェ? 校内にあったかしら」

「ううん、外」


 早苗は、首を軽く左右に振る。彼女が動くたび、甘い香りがして、頭がくらくらする。


「駅前にあるの。そこなら、ここの生徒は、来ないから」

「そうなの……」

「そう。放課後、落ち合いましょう」


 目立たない待ち合わせ場所を確認して、私たちは離れた。


 放課後、早苗と出かけるとなると、慧には会えない。

 その前に図書室に寄って、慧にその旨を伝えたい。


 私は放課後になると、急いで支度をして、教室を出た。


「ねえ、ねえ、藤乃さん!」

「わ……なあに、泉さん」


 早足で図書室に向かっていた私に追いついた泉は、息を弾ませていた。


「藤乃さん……お昼に、早苗さんと話していたでしょ?」

「あら……見てたのね」


 泉は頷く。頬が薄らと赤いのは、小走りで追いかけてきたからだ。


「見ていたわ。大丈夫? 何か言われなかった? わたし、心配で」

「心配するようなことは、何もなかったわ」


 泉は、眉尻を下げ、上目気味に私を伺う。


「なら、いいんだけど」

「大丈夫よ。ありがとう」


 疑われているらしい。心配をかけないよう、私は努めて、明るい声を出した。


「何かあったら、言ってね。わたし、協力するから……」

「うん。その気持ちが嬉しいの」


 泉は、「本当に大丈夫?」と、聞く。私が頷くと、やっと「それなら……」と、納得する素振りを見せた。


「ありがとう。また明日、泉さん」

「ええ、また明日」


 慧と交わすはずの挨拶を、ここで交わしてしまった。

 そして、泉と話していたために、もう行かなければならない時間になる。


 彼女のせいと、言いたいわけではない。

 泉は、心配してくれただけだから。


 しかし、きっと図書室で待ってくれている慧のことを思うと、切ない気分になった。

 それでも、優先順位を考えたら、今は早苗と会うべきだ。


「……待った?」

「いいえ。全然」


 待っていた早苗は、そう答えて微笑む。

 その瞬間、風がさっと吹いて、彼女の髪が爽やかに揺れた。


 ……つくづく、彼女はヒロインだ。


 思わず見惚れ、私は思う。

 普通の人なら気が抜けてしまうような、こんな何気ない瞬間でも、彼女は美しい。

 こうして並んで歩いていると、こちらが、どきどきしてしまうほどに。


「藤乃さんは、カフェって、行ったことがあるの?」

「ええ。アフタヌーンティーなら、昔家族で、よく行っていましたわ」

「ふふっ……本当に、お嬢様らしいわ。ごめんね、庶民のお店が、気に入らなかったら」


 この絶妙な、砕けた口ぶり。

 綺麗な声に、どこを見ても美しい容姿。

 道行く人は皆、彼女を一瞥し、すれ違った後に振り返る。


 近くにいると、早苗の魅力は、本当によくわかった。


「ここよ」

「ここ……」


 早苗が立ち止まったのは、駅前の、雑居ビル。

 1階はガラス張りになっていて、その中は確かに、丸テーブルが幾つか並んだカフェのようだ。


「藤乃さんも、コーヒーでいい?」

「ええ、何でも……」


 店に入ると、まずコーヒーの香りが鼻をつく。店内には人がごみごみといて、間隔の狭いテーブルにつき、お喋りに興じている。

 早苗に言われるがままコーヒーを頼み、私たちは、店内の奥のソファ席に座った。


 早苗は、頼んだコーヒーに口をつけることなく、テーブルに置く。その整った指先を、制服のスカートに載せた。僅かに、こちらに身を乗り出す。

 グロスでつやっとした、淡い桃色の唇が開かれた。


「……ここなら、学園の人は誰もいないから。もうお嬢様のふりなんて、しなくていいのよ」

「え?」


 お嬢様の、ふり。

 早苗から出たのは、よくわからない言葉だった。


「わかってるのよ。あなた、あたしと同じでしょ? 知ってるんでしょ、ここが、あのゲームの中だって」

「……!」


 思わず息を呑むと、早苗はけたけたとおかしそうに笑った。


「ほら、やっぱり。誤魔化すの、へたすぎ」

「やっぱり、って……」

「おかしいと思ったのよ。藤乃さんだけ、ゲームと違うんだもん」


 やはり、意識されていたのだ。


 私の存在なんて、ゲームでは些細なもの。脇役なのだから、多少の違いは、見過ごされると思っていた。


「どうして、違うなんて、わかったの?」

「わかるわよ。どれだけやり込んだと思ってるの? 嬉しかったなあ、死んだと思ったらここにいて、しかも、大好きなゲームの中って」


 早苗の語る話が、今まで読んできた小説と重なる。死んだと思ったら、ゲームの世界。そんな話は、いくつもあった。


「……そうなのね」

「あれ、藤乃さんは、嬉しくなかったの?」

「私は……」

「嬉しくないか。藤乃さんは脇役だもんね、あたしはヒロインだったけど」


 勝手に納得し、早苗は続ける。


「でね、あたしは樹ファンだったから、絶対生徒会長ルートに入ろうと思ってたんだけど……失敗しちゃったの。うっかり、海斗ルートに入っちゃったんだよね。ゲームじゃないから、やり直しもできないし」


 早苗が頬杖をつくと、柔らかそうな頬が餅のように変形する。そのままため息をつく、アンニュイな雰囲気。それすら絵になる彼女は、さすが、ヒロインだ。


「まあ彼も嫌いではないし、現実的に考えたら玉の輿だから、もう仕方ないかあと思って進めてたんだけど……藤乃さんがストーリーを変えてるのを見て、もしかしてって思ったの」


 その透き通った瞳が、真っ直ぐこちらを見つめる。美しく瞳。胸が自然と高鳴る。


「変えてなんて、いないわ。何も……」

「ううん、変えてる。学外活動では、選んだのと違う選択肢にされたし。イベントは、あなたが来ないせいで、起きなかった。テストではあたしが2位のはずなのに、なぜか、あなたが2位。どう考えたって、あなたは『こっち側』だし、わかってて邪魔してるでしょ」


 流暢に話す早苗に、口を挟めない。


 彼女が言う「こっち側」が、「前世で死んでこの世界に転生した人」という意味なら、厳密には私は違うのだけれど。

 それに、彼女を邪魔したわけではなくて、距離をとっていただけだ。


 事情を説明したくても、口を挟めない。


「そんなことができるなんて、思いもしなかった。なら、あたしにもできるかなって、思ったの」


 早苗は、勝手に話し続ける。長い睫毛が、何度か瞬いた。


「……そう」

「そうなの。ほら、あなたは、学外活動に樹を呼んだでしょ」


 早苗が身を乗り出して、顔が僅かに片付く。甘い香りが、鼻をくすぐる。


「呼んだというか、勝手にいらしたというか……」

「とにかく。あんなこと、あたしは思いもつかなかったの」


 彼女の話しぶりに、だんだん、熱が入っていく。


「選んだ相手は変えられないけど、せめて樹に会いたくて、クルーズを選んだんだから。ビーチバレーってことになって、そんなのストーリーにないから、無理だと思ってたのに……あなたは来るはずのない彼を、呼んだのよ」


 あ、だからクルーズだったんだ。


 私は納得する。

 たしかにゲームの中では、クルーズを選んだイベントで、樹が登場していた。


 早苗が樹を好んでいることは、本当らしい。


「でね、試しに樹のストーリーを進めたいんだけど……そうなると、海斗が邪魔になっちゃうのよね。そっちのストーリーも、どんどん進んじゃって」


 拗ねたように尖らせる唇が、ぽってりとして、艶やか。長い睫毛も、人目を奪う。

 その美貌と愛嬌で海斗を虜にしていた彼女が、「海斗が邪魔」と言い放つなんて。

 言葉を失っていると、その潤んだ瞳が、また私を捉える。


「それで、あなたに頼もうと思って。あなた、海斗推しでしょ?」


 なぜ私に頼もうと思ったのか全然理解できなくて、その瞳を見つめ返す。

 無言の肯定だと思ったのだろうか。早苗は、自身ありげに深く頷いた。


「ストーリーと違うことをするのは、あたしが海斗のストーリーを進めたら困るってことで……海斗推しなんでしょ? だから、あたしに協力してよ」


 なるほど。

 本来起こりうるゲームの展開と、違う動きをしている私。


 私が海斗に好意を持っていて、その上で、邪魔をしているのだと解釈しているようだ。

 全くの勘違いだ。


 私は海斗の婚約者ではあるが、彼に好意があるわけではない。ゲームの進行を違う行動を取ったのも、別に二人の仲を、意図的に邪魔するためではない。

 ただ、早苗は私の行動を見て、「海斗と早苗が親しくなるのを邪魔するために行動している」と思ったらしい。


「あたしと協力してよ。樹ルートに入れるように。あなたが海斗とくっつけるように、あたしも協力するわ」


 早苗の描く理想図が、私にも理解できた。


 ここは、現実。ゲームと違って、相手の選択を間違えても、時間を戻すことはできない。

 ゲームのセーブデータを選び直すように、なんとか、別の選択肢を選びたいのだ。


 そのためには、樹のイベントを進めることだけではなく、海斗のルートから抜けることも必要で。


「どう? WIN-WINでしょ?」


 ぱちっ、と早苗は片目を瞑る。その芝居がかった仕草も、彼女によく似合う。


「……そうね」


 確かに、彼女の言う通り。


 彼女の申し出に乗れば、もっと穏やかに、海斗との婚約関係を継続できる。早苗も、樹と親しくなれる。お互いに、良いところしかない。


「やった。契約成立ね」


 早苗が、輝かしい微笑みを見せる。心から、嬉しそうだ。よほど、樹のことが好きなのだ。


「ふふっ。これであたしも、樹と結ばれるんだわ」


 浮かれる彼女を見る私の目は、妙に冷静だった。


 確かに、WIN-WINだ。

 私が、海斗との婚約継続を、望むのなら。


「とりあえず夏休みのイベントを起こしたいから、協力してよね」

「……ええ」


 私の返事は、上の空だ。


「ありがとう! また明日ねっ!」


 ああ、いつもは慧と交わす挨拶を、ここでも使ってしまった。


 満面の笑顔で去っていく早苗を見送り、私は、学園に戻る道を歩いた。

 駅まで来たけれど、山口は学園の正門前で待っているからだ。


 流れてくる人の波に、逆らうように歩く。空はもう、薄暗い。話し込んでいるうちに、すっかり夜になってしまった。

 もう、慧は帰ってしまっただろう。閉館時刻だ。


 残念な気持ちもありつつ、私の心は、熱くなっていた。


 シノの言う通り。

 情報量が足りないから、優先順位がつけられなかったのだ。


 早苗の話を聞いて、私が最初に考えるべきことが、ちゃんとわかった。


 海斗ルートに入ってしまった早苗を、樹ルートに入れる。その後で、私が海斗との関係を築いていく。


 そんな彼女の申し出に乗るかどうかは、私の選択次第。

 両親の期待も含めて、結局、兄の示した2択のどちらを選ぶのか。


 海斗との婚約を、継続したいのか。

 それとももう、破棄したいのか。


 優先順位の第1位は、それ。

 私はあの2択について、結論を出さなければならない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ