19 「自分のため」になること
「皆さんへのアンケートをもとに、企画の案をいくつか用意しました。皆さんの意見を受けて決定したいので、資料をご覧ください」
ホームルームで、会長たちの説明とともに、資料が配られる。
前回の話し合いで、私たちの学外活動は、スポーツ大会に決まった。予算内に収めるという観点から、場所は、学園から借りられる浜辺の一画に決まった。
その後、希望の内容を問うアンケートが配られ、各々、それに対して意見を書いたはずだ。
今回の資料は、その意見を集約したものだった。
ビーチバレー、ピクニック、手持ち花火、スイカ割り、海水浴、などなど。それぞれが思いつくまま書いたであろう案を、並べてある。
「この形式だと見にくいね」
「私、これよりも、こっちの方がいいと思うのに」
書類に目を通しながら、各々が、自分の感想を口に出す。
それをなんとなく聞き流して、私は書類に目を落とす。
たしかに、見にくさはあった。
それでも、全員のアンケートを確認し、このようにわかりやすい表にまとめるまでには、それなりの手間がかかったはずだ。
慧の言葉を思い出す。
彼は、自分は参加できないのに、学外活動の計画に手を貸していると話していた。会長の苦労も知らず、皆のんきに文句ばっかり言っている、と。
こういうことだわ。
周囲の人々は、この書類を作った会長たちへのねぎらいもなく、あれこれと文句を言っている。
教室の前に立つ会長たちは、穏やかな表情をしてはいるが……どのような気持ちで、この無責任な文句を聞いているのだろうか。
「あの」
今日の話し合いによって、皆から出た案のいくつかが採用され、いくつかが没になった。
ここから会長たちは案を詰め、いよいよ再来週に迫った学外活動の、当日を迎えることになるという。
放課後になり、ざわつく教室。普段なら真っ先に図書室へ向かうのだけれど、今日は違う。
「……はい?」
机に広げた書類を見つめていた会長たちが、顔を上げる。その表情は、訝しげだ。
心臓が、きゅっと縮む。
それでも私は、声をかけてみたかった。
「……何か、お手伝いできることがあればと思って」
そう言った瞬間、警戒心を含んでいた彼らの表情が、ふっと緩んだ。
「ありがとう、藤乃さん。だけど大丈夫、これは、私たちの仕事だから」
断られたけれど、その言い方は、決して刺々しいものではなくて。
「……そうだね。でも、買い出しとか、人手が必要なときには声をかけてもいいかな?」
私は、もちろん、と頷いた。
「慧先輩の話を思い出して、手伝えることはあるか、聞いてみたんです」
「……へえ」
図書室についた私は、慧に今日のことを話していた。慧の話を思い出し、会長たちに声をかけたこと。
「嬉しかったと思うよ、きっと」
「慧先輩なら、そう言ってくださると思いました」
私は、慧からのその言葉が欲しかったのだ。
そう思って、私は、あれ、と考えた。
大変な仕事をしている会長たちのためと思って声をかけたけれど、実のところ私には、慧に褒められたいという下心があったのだ。
実際にこうして褒められ、嬉しい思いもしている。だとしたら私の行為は、「自分のため」だったのではなかろうか。
2つの選択肢が、頭を過ぎる。
兄には、自分のためになる判断をしなさい、と言われた。
今日の声かけが自分のためなのだとしたら、「自分のため」になる行動とは、案外幅広いのかもしれない。
「この間の続き、しようか」
「……はい」
奥の部屋に続く扉に、慧は手をかける。私はその後を追って、部屋を移動した。
どの選択が、自分のためになるのか。
それを判断するには、いろいろな面から、考える必要がありそうだ。
隠してあるゲーム機を取り出し、セットする。表示された画面から「ロード」を選択すると、ゲームは、前回の続きから始まった。
「勉強会の後からだったね」
「そうですね……あ、学外活動の話だ」
そこから暫く進めると、教室でイベントが発生し、学外活動の選択肢が出てきた。
「クルーズ、花火大会、スポーツ大会。これって……」
「私のクラスで出た案と、全く同じです」
「へえ……すごいね」
「そうですね、本当に」
感心した声を上げる慧に、私も同意する。
もうわかってきてはいるものの、ここまで現実と重なると、やはり不思議な気持ちになる。
「どうする? 藤乃さんたちは、スポーツ大会をすることになったんだっけ」
「はい……ですが」
私は、すぐにはボタンを押せなかった。
「早苗さんは、クルーズがいいって主張していたんです。もしそうなっていたら、どうなったかは、少し気になるというか……」
「なるほどねえ」
慧も画面を見つつ、顎に手を添えて考えている素振りを見せる。
「さっきゲームを立ち上げたとき、複数のセーブデータを登録できるようになっていたから、両方確認できるんじゃない?」
「そうなんですか?」
「そう。とりあえずセーブしておこう。……貸して、藤乃さん」
慧にコントローラーを手渡すと、彼は設定を開き、現在の進行をセーブする。
「とりあえずクルーズで進めて、そのあとスポーツ大会を選んで進めよう。現実に即していた方がいいだろうし」
「わかりました」
私は、3つ並んだ選択肢から、『クルーズに行きたい』を選ぶ。
学外活動は、現実とは違って、選択するとすぐにスタートする。
「ずいぶんと豪華な船だね」
「そうですか?」
画面には、活動の舞台となるクルーザーが映し出されている。主人公が、(すごい豪華な船……!)と、慧と同じ感想を抱いている。
父がそうした乗り物にあまり興味がないので、我が家は、クルーザーを持ち合わせていない。海斗の父は船が趣味なので、たしか、良いクルーザーを自家用に持っていたはずだ。
「あ、これは」
「ミニゲームだね。借りるよ」
船に乗り込み、ミニゲームを交えたイベントが始まる。私は、慧にコントローラーを渡した。
慧はいつの間にか、この間と同じ、くつろいだ格好になっていた。緩んだネクタイから覗く首筋に一瞬目を奪われ、慌てて、視線を逸らす。
なんだか、見てはいけないもののような気がした。
「ミニゲームは、同じ感じだね」
「それでも私には、できそうにありません」
「良かったよ、藤乃さんの役に立てて」
器用なもので、慧は今回も、完璧に近い高得点を記録していく。
「この人、誰でしたっけ」
「生徒会長でしょ。見覚えがあるよ」
得点の表示画面が終わると、ストーリーが進む。学外活動を楽しむ主人公の前に、生徒会長が現れる。
『楽しんでる?』
『先輩、どうしてここに』
『どうして、って、学外活動は生徒会が統括するからさ』
会長は爽やかに微笑む。
そこへ、海斗が横から現れる。
『会長、早苗に何か用ですか?』
『いや? 楽しんでもらえてるかな、と思ってさ。またね、早苗さん、海斗くん』
生徒会長がいなくなり、海斗の姿が大写しになった。
『変なこと言われてないか?』
『別に、何にも。普通に話しただけだよ』
『そうか……変だな。会長と話している早苗を見たら、妙にいらいらしたんだ』
どこか雰囲気のあるBGMが流れ始め、海斗は軽く俯き、複雑そうな表情を浮かべる。
『大丈夫? 食べすぎた?』
『いや、これは、そうではなくて……大丈夫。心配しないで』
そう答える海斗の頬は、うっすらと朱に染まっている。現実では見たことのない、恥じらう様子だ。
「嫉妬、ってことですか?」
「まあ、そうだろうね。はっきりとは言及されてないけれど」
「ふうん……」
頬を赤らめた海斗が、暫く主人公を見つめる。何か口を開いて言いかけ、口ごもった。
『なんでもない』
その言葉で、会話は終わる。主人公は、(具合悪そうだったな。食べすぎたのかな?)と、またも呑気な感想を抱いている。
「私もそれほど気の利くタイプではありませんが……食べすぎなんて、そんなはず」
あまりにも鈍感な主人公の対応に、そう違和感を呟く。それを聞いて、慧が、ふっと軽く笑った。
「まあね……でも、そうやって鈍感にして、だんだんエスカレートしていく感情表現を見るのが、この手のゲームの醍醐味なのかもよ」
「……なるほど」
主人公が海斗の好意を察し、自ら積極的に好意を示し始めたら、海斗は引いてしまうだろう。少なくとも、私の知る海斗は、そういう人だ。
主人公の鈍感な設定にも意味があるのだ、と納得しているうちに、イベントは終了した。
「早苗さんは、嫉妬する海斗さんを見たかったのでしょうか」
「それは、他の選択肢を試してみないとわからないんじゃないかな」
「それもそうですね。では、選択するところに戻ります」
私は、セーブデータの画面を開け、データをロードする。戻るのは、学外活動をどれにするか、選択するところまで。
「スポーツ大会にします」
「……ここからは、未来を知ることになるね」
私が選択肢を決定すると、慧がそう言った。
「……そっか」
今までのゲームのストーリーは、現実に起きたことの後追い。過去にあったことと、ストーリーが重なることを確認してきただけだ。
ここからは、一線を超える。
私たちは、これから起こることを、先に知ることになる。
「ちょっと、悪いことをしている気分ですね」
未来を知るなんて、普通の人間には、許されないことだ。知りたいと思っても、知れないもの。タイムマシンを作りたくても、それは実現しないものなのだ。
なのに私は、これから、未来を知ってしまう。
それは少し恐ろしくて、少し罪悪感があることだった。
「なら、やめる? 学外活動が終わってから続きをすれば、未来を知ることにはならないよ」
「そうですね……でも」
早苗は未来を知っていて、その上で行動しているのだ。彼女の思うところを、私は知りたい。
これは、単なる好奇心だ。
「気になるので、やってみます」
「良かった。俺も気になってたんだ」
未来を知るという、普通ならあり得ない、してはいけないこと。私と慧は、今、密かに共犯者となった。
そのとき、部屋に、電子音が鳴る。
「……あっ」
「時間だね」
慧が予めセットしておいた、閉館時刻を知らせるアラームの音だ。
ゲームに集中してしまうと時間がわからなくなるので、前回に引き続き、こうしてアラームをかけておいた。
案の定ゲームに気を取られ、このアラームの音で、時間の経過に気づくこととなった。
「もう時間なんですね。昼間の時間は長いのに、ここに来ると、時があっという間に過ぎるように感じます」
「単に、時間が短いからではなくて?」
「いえ……楽しい時間はあっという間に過ぎる、という言葉通りです」
クラスでなんとなく居心地悪くしている朝の時間、退屈なこともある授業の時間、ひとりで食べるお昼の時間……そうした時間と、図書室で過ごすときの時間の流れは、比較にならないほど違う。
「藤乃さんがここにいて楽しいなら、何よりだよ」
「はい。おかげさまで」
図書室で慧と過ごす時間が、今の私にとっては、何よりも楽しくて楽しみな時間だ。
「また明日、藤乃さん」
「はい、また明日」
お決まりの挨拶には、いつも、心温まる。私は慧と別れ、薄暗くなりつつある廊下を歩いた。