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12 彼女はヒロイン

「……そんなことを言ったの? 藤乃さん、勇気あるね」

「その子の話を聞いていたら、慧先輩を思い出したんです」

「俺? ……そっか。そのおかげでその子が喜んだのなら、話した甲斐があったよ」


 放課後。私は図書室に来ていた。

 日光に照らされて輝く埃。何ともいえない紙の匂い。慧のえくぼ。何も変わらない、居心地の良い場所。


 話題は、先ほどの学外活動の話し合い。カウンターの上に本を載せると、慧が返却手続きを進める。


「慧先輩のクラスの人にも、同じことを言えたらよかったんですが」

「いいよ、そんなの。俺は、藤乃さんが一緒に水族館に行ってくれるだけで、充分」


 慧はそう言って、笑ってくれる。


「楽しみですね」

「時期を考えると、そろそろ行きたいな。藤乃さん、いつ暇?」

「いつでも……」


 予定なんて、ない。

 私が答えると、慧は「俺も」と言い、頬を緩めた。


「週末でもいいかな」

「いいんですか?」

「もちろん。あんまり先になると、試験と重なるからね」


 慧が言うのは、夏季休業前の、試験のことだ。たしかに、あまり遅くなると、かえって行きにくい。


「予定は任せてもらってもいい?」

「え、私も……」

「ほら、計画を立てるのも、学外活動の一環だからさ」


 そう言われたら、頷くしかなくなってしまう。


「楽しみです」

「藤乃さんがそう言ってくれると、嬉しいよ。俺も楽しみだ」


 慧が楽しみにしているのなら、私も嬉しい。慧がクラスの学外活動に参加できないぶん、私が、楽しい思いをさせてあげたい。


「テスト前の、最高の息抜きになるね」

「ああ、テスト……」


 高等部に入学して以来、海斗がトップ、2位が早苗。

 勉強で自信をつけたいのなら、目に見える成果を上げなければいけない。それはつまり、最低でも、2位。


「あれ。藤乃さん、表情が暗いよ」

「いや……次こそ、テストで結果を出さなくちゃ、って思って」

「……そっか」


 お化粧とは、訳が違う。

 今までの努力では成果が出なかったから、新しいやり方を教えてもらおうと思ったのだ。


「俺も見習わなきゃな」


 さらりと言う、慧に。

 彼は特待生として、常に学年1位を取り続けているという。

 その秘訣を、知りたい。


 頼んだら、迷惑だろうか。

 逡巡する私の目が、慧の目と合う。


「見習うなんて、そんな。私、慧先輩に教えてほしいんです。勉強を」

「俺に?」

「その……迷惑でなければ」


 そっと、慧の反応を伺う。

 少しでも迷惑なら、引き下がろうと思った。彼は特待生。私に構ったせいで成績が下がったら、学園生活が危うくなる。


 彼は目を丸くして、面食らったような顔をした後で、ふっと頬にえくぼを浮かべた。


「そんなの、いくらでも教えるよ。人に教えるのは、良い復習になる」

「いいんですか?」

「もちろん。俺で良ければ」


 早速、慧はカウンターに筆記用具を出している。


「慧先輩が良かったんです」


 他には、誰も思いつかなかった。慧は目を細め、眼鏡のつるに触れる。


「1年生だと、今は何やってるんだっけ」

「えーと……」


 私は鞄を探り、苦手な数学の教科書を探し出す。


「逆からだと見にくいから、こっちにおいでよ」

「カウンターに入っていいんですか?」

「んー……まあ、いいでしょ。気になるなら藤乃さん、後期は図書委員になったら? そうすれば、本当に、何の問題もない」


 それもありかも。

 今は私は、何の委員にも所属していない。面倒だからだ。しかし、慧と一緒に図書室を管理するというのは、なかなか魅力的な考えである。


「この辺りをやってるんです」

「あー……」


 慧の隣に椅子を持ってきて、座る。カウンターは基本的にひとりで作業するように整えられているようで、椅子を二つ並べると、それだけでいっぱいだ。


 私は今日の授業で習った部分を開いて見せる。授業では、半分わかって半分わからないような、微妙な感じだった。


「ちょっと、ノート見せて」


 慧は私からノートを受け取り、そこに書かれた数式を眺める。


「先生はこう説明したみたいだけど、ここはさ……」


 そうして、慧は真剣に、私に勉強を教えてくれた。


「……と、まあ、こんなところかな」

「すごい。慧先輩、教えるのうまいですね」


 授業では難解だった部分が、すっと頭に入ってきて、私は驚いた。

 思わず褒めると、慧ははにかむ。


「自分なりに工夫して勉強しているから、多少はね」

「いや……私、びっくりしました。本当に、よくわかって」

「それなら、良かった。それにしても驚いたよ、藤乃さんは何でもできそうなのに、勉強を教えてほしいだなんて」


 慧には、私はそう見えているのだろうか。

 だとすればそれは、大きな誤解だ。


「……何にも、できませんよ」


 自分でもはっきりとわかるくらい、声のトーンが落ちた。


「今の私じゃ、早苗さんには、全然敵わない」

「俺、見たことないんだよね、1年の特待生の子。見てみたいな」

「どうしてです?」


 慧も、早苗に興味があるのだろうか。海斗みたいに、惹かれているのだろうか。


 心がひやっとして見ると、慧は、片肘をついて、こちらを見ている。その距離が、思ったよりも近い。


「納得できないから。藤乃さんみたいな人がこうして頑張っているのに、敵わないなんて」

「能力が足りないんです」

「そんなさ……どうして、藤乃さんがそんなこと思わなくちゃいけないんだろうね。藤乃さんに苦しい思いをさせている彼女にも、元婚約者の人にも、俺は違和感があるよ」


 私は返す言葉がなかった。


 私だって、その理不尽さをずっと感じている。どうして海斗は平気で、私を捨てて、早苗になびくことができるのか。早苗はどうして、海斗とあんなに親しくできるのか。


 それって本当に、仕方がないのか。


「……私は、自信をつけて、彼女に物申したいんです。その人は私の婚約者です、って。だからもう、やめてください、って」


 それは、泉に促されたことである。

 ダメなことは、ダメ。

 正義感のある彼女は、私がそう早苗にはっきりと言うことを、期待している。


「それを言うために、自信をつけたいんです」

「言って、どうしたいの?」


 泉に応援されているから?


 それも、理由のひとつ。

 だけどそれだけではないことに、今、慧と話していて、気づいてしまった。


「彼女が気づいて、彼から離れたら……婚約破棄の撤回も、してもらえるかもしれません」


 私が「ざまぁ」の展開に惹かれるのは、失脚したヒロインの代わりに、悪役令嬢の価値が認められるから。

 私は海斗に、自分の価値を認めて欲しいのだ。


 だから、認めてもらえるだけの価値を、まずはつけようとしているのだ。


 そういうことだったのだ。

 今までの何気ない思考が、腑に落ちる。


「父にとって、私の価値は、彼との婚約にあるので」

「……お父さん?」

「そうです。藤乃の藤の、花言葉は歓迎。私が歓迎されたのは、初めての女の子で、家と家を取り持つことができるからなんです」


 成長するにつれ頭角を表す海斗に、父は期待している。そして、彼が私の婚約者であることを、心から喜んでいる。


 だから私は、海斗との婚約関係を、取り戻したいのだ。


「藤乃さんのお父さんが、そう言っているの?」

「いえ、はっきりとは……ですが、父は海斗さんとの婚約を、本当に喜んでいるんです」

「……そっか」


 慧が、カウンターに視線を落とす。そうすると、光が眼鏡のレンズに反射して、彼の表情はわからなくなる。


「藤乃さんって、その婚約者の人が好きで、頑張っているわけじゃないんだ」

「……それは。婚約者ですから、好きですよ」

「どういうところが?」

「えっと……ちゃんとした家柄だし、見た目も素敵だし、お勉強もできるから、皆の憧れで……」


 私の言葉は、尻すぼみになる。海斗のどこが好きかなんて、考えたこともなかった。


「それは、人の意見でしょう。藤乃さんが、彼を人として、好きなところってないの?」

「……」


 人として。


 私は慧の質問に、即答できなかった。


 婚約者を差し置いて他の女にうつつを抜かし、さらには婚約破棄をしてしまおうなんて人の。一方的にこちらを敵視し、早苗に害をなしたと決めつけてくる人の。


 今となっては、そんな人のどこを、人として好きだと答えれば良いのか。


「……答えられないんだね」

「考えれば、言えます」

「考えないと言えないなんて、ないのと同じだよ。藤乃さんはこんなに、頑張ろうとしているのに。その相手のことでしょ?」


 私は、下唇を噛む。慧の鋭い物言いに、何も反論できない。


「俺、藤乃さんが可哀想に見えてきたよ」

「……かわいそう、ですか」

「うん。家のために、好きだと言えない相手と婚約していたわけだから。しかも、自分の価値がそこにしかないと思っているから、もう破棄されたのに、その婚約に必死にしがみこうとしている」


 慧の言葉が、ぐさぐさと胸に突き刺さってくる。


 どうして彼は今日、こんなにも苛立っているのだろう。私が傷つくようなことを、言うなんてこと、今までなかったのに。


「……俺は、藤乃さんは、今の藤乃さんは充分に、価値のある人だと思うのに」


 私は、それに反応できなかった。熱いものがこみ上げてきて、それを堪えようとしたら、言葉が何も出なかった。


「藤乃さんの価値は、他に、もっとあるよ」

「……」


 そんなの、ずるい。

 

 言葉の代わりに、何かが溢れた。目頭に濡れた感触を覚える。


「あっ……」


 視界に映る慧の顔が、いきなりぼやける。


 決壊した涙は、もう抑えられなかった。私は呆然としたまま、涙が鼻の脇をつたい、顎に落ちていくのを感じていた。


「……藤乃さん」

「ごめん、なさい。これは」

「ごめん。言いすぎたね」


 ハンカチを取ろうとして、ポケットを探す。うまく手が動かなくてもたついていたら、頬に、柔らかい布が触れた。

 それを取り、私は目元を拭う。慧が、ハンカチを貸してくれたのだとわかった。


 布の柔らかさに、ほっとする。洗剤の香り。私はその甘く爽やかな香りをゆっくりと吸い込み、息を吐いた。


「……落ち着いた?」

「はい。取り乱して、すみませんでした」

「ううん、俺こそ。藤乃さんだっていろいろ悩んでいるだろうに、考えの押し付けだったよ」


 レンズ越しの慧の瞳には、いつもの優しい光が戻っていた。最後に目頭を拭うと、もう涙は出てこなかった。


「……ずるいです」

「ずるい?」


 さっきの感情を思い出すと、声が潤んだ。私はそれを、ぐっとこらえる。


「かわいそうなんて言ったあとに、優しいことを言うなんて」


 吐き捨てるように、無理やり息を押し出した。

 あの落差に、心を揺さぶられてしまった。


「……本当のことだから。藤乃さんは魅力的だし、それに気づいていないなんてかわいそうだ」

「魅力なんてありません」


 だって。

 魅力なんてないから、私は、自信を得ようとしているのだ。


「俺にとっては、あるよ。藤乃さんには、意味がないかもしれないけどさ。……この学園の中で、先生以外に俺を見下さず、蔑まず、対等に話してくれるのは君だけだ。俺にとって君は、唯一の、心を許せる存在なんだ」


 なのに、慧はまっすぐ見つめてくる。その視線に耐えられなくて、私は視線を逸らした。


 彼の言葉は、眩しすぎる。あまりにも、理想的すぎる。


「そんな藤乃さんが、自分をあんまり卑下するから、許せなかったんだ。……ただ、それだけで」


 そんなこと言われてしまったら、私は。


「ああちょっと、泣かないでよ」

「大丈夫です……嬉しくて」


 きっと私は、誰かにそう言ってほしかったのだ。

 今の自分を認めてくれる、温かな言葉。


 どうしようもなく胸が締め付けられて、私は今度こそ、泣き止むことができなかった。


「……すみませんでした」


 私の背には、慧の手のひらが添えられている。


 上下に優しくさすられているうちに、徐々に嗚咽が収まり、私は震える声で、彼に謝罪を述べた。


「大丈夫。藤乃さんも俺に、心を許してくれてるんだね。そんな、すごい泣き顔まで見せて」


 慧は、面白そうに目を細めた。


「すごい泣き顔……?!」


 ポケットから手鏡をさっと取り出し、顔を確認する。

 目元は真っ赤で、ふやけている。涙のせいで、頬が赤い。ぼろぼろの顔をしている。


「ああ、ひどい顔……」

「泣き顔も綺麗だよ、藤乃さんは」

「どこがですか」


 それは、あんまりな冗談だ。

 睨みつけると、慧は悪戯っぽく、頬にえくぼを作る。


「ほんとだって」


 その笑顔と、丸みのある頬のくぼみを見ると、なんだか気が抜けてしまう。


「……こんな顔して帰ったら、心配されちゃいます」

「そこに水道があるから、冷たい水で顔洗って、目を冷やすといいよ」

「本当だ、水道があるんですね」


 慧の示す出入り口には、確かに、水道が備え付けられている。

 こんなところに、水場があるなんて。今まで何度も通っているけど、全然気がつかなかった。


「どうして、図書室に水道があるんですか?」

「本を触るときは、手を洗って綺麗にしようね、ってことらしいよ」

「へえ……」


 おかげで私は廊下に出ることなく、顔が洗える。

 蛇口をひねり、水を出す。両手に水を受けて、顔に当てた。ぱしゃぱしゃ。何度か顔に水を掛けると、目元の熱が引いていく感じがする。


「……ああ、だいぶ、ましだわ」


 鏡に映った顔を確認すると、目の縁はまだ赤いが、だいぶ目元がしゃっきりしていた。

 化粧は落ちてしまったが、さっきよりは良い。これなら、なんとか誤魔化せるかもしれない。


「もう少し本を読んで、落ち着いてから帰ります」

「そうだね、それがいい」


 私は慧のいるカウンターを離れ、歩き慣れた書架の間を歩く。目的の棚は、いつもと同じ。


 私って、彼のこと、好きじゃないのかな。


 落ち着いた頭で考えると、そのことが何よりも、引っかかった。


 慧にあっさりと「好きでもない人と婚約していた」と言われる程度には、私は海斗に対して、好意を抱いていないように見えるらしい。


 というか、好きって、何?


 そんな疑問を抱いた私が手に取ったのは、必然、表紙で女性と男性が絡み合っている、相思相愛っぽい雰囲気の本だった。


 好きって、どういうことなんだろう。


 婚約破棄された悪役令嬢が、颯爽と現れた隣国の王子様に、べたべたに溺愛される物語。

 王道の展開だとわかる程度にはこの手の物語を読み込んできた私は、ストーリーの展開を追いながら、ずっと考えていた。


 好きにもきっと、種類がある。単純に「人として好き」という場合と、恋愛感情として好きである場合。

 婚約者なのだから、私が海斗に抱くべきは、後者の「好き」という感情であるはずだ。つまりは、恋愛感情。


 物語のヒーローは皆、危険や不利益を顧みず、主人公に手を差し伸べる。たとえ何が待ち受けていても、感情を抑えられないのだ。


 抑えられない感情。私はそれを、海斗に対して感じたことなんて、あっただろうか。


「藤乃さん、そろそろ」

「あ、……はい」


 慧が声をかけに来たのは、そろそろ閉館が近づいているから。私は読みさしの本に藤色の栞を挟み、席を立つ。


「俺も、ちょっと頭を冷やしたよ。さっきはごめんね。本当に、気遣いが足りない言動だった」

「いえ、私こそ、失態を晒して……」

「気にしないで。俺、あんなに人のことで頭に血が上ったの、初めてだよ。藤乃さんだって一生懸命なんだから、言っちゃいけないと思ったんだけど、つい、さ」


 慧と並んで、カウンターへ向かう。横を見ると、整った鼻筋が、ほとんど沈んだ夕日の濃い橙色に照らされて、シルエットのように見える。


「……自信をつけるのは、いいと思うよ」


 さっきの話の続きだ。

 こちらを向いた慧の顔も、逆光でよくわからない。


「それが彼のためとか、お父さんのためではなくて……藤乃さんのためなら。藤乃さんが自分の価値を認めるために必要なら、俺は、いくらでも勉強を教えるよ」


 私は、影になったその横顔を見つめる。


「藤乃さんが自分の価値を認められるようになったら、俺も嬉しい」


 その言葉は、すっと私の心に入ってきた。


 努力は、自分のため。

 その考え方は、間違っていないと思う。


「ありがとうございます」

「こちらこそ」


 きらりと、橙色の光が、眼鏡の縁に反射して輝く。


「また明日、藤乃さん」

「はい、慧先輩。また明日」


 変わらない挨拶が、どんなやりとりがあったとしても、また会えることを示している。そんな些細なやりとりが、この図書室を、私の居場所にしてくれる。


 放課後、歩いている早苗を見かけたのは、本当に偶然だった。


 図書室から玄関に向かう途中に、生徒会室がある。彼女は、私の前に、ふっと現れた。きっと、生徒会の手伝いが終わったのだ。

 彼女はそのまま、歩いて行く。威嚇するような足音を立てて。


 彼女がひとりなのも珍しければ、そんな、鬼気迫る様子で歩いているのも珍しい。早苗はいつも明るくて、余裕があって、可愛らしいのに。

 気づかれていない様子だったこと、彼女の進行方向が私と同じことで、私は早苗の後をつける形になった。


 玄関の手前にある、ロッカー。奥まっていて、使う人はほとんどいないだろう、暗がり。早苗はそこにすっと入って行った。


 何をしに?


 直後、どん、と重めの物音がする。

 何か落としたような、ぶつかったような音だ。

 私は壁際に寄り、そっと、通路の奥を覗き込む。


 早苗はロッカーとロッカーの隙間にはまって、手元のメモを食い入るように見ている。その横顔は、見たこともないほど、憎々しげで。


 いったいあの紙に、何が書かれているというのか。さすがにそこまでは、ここからはわからない。


「おかしいわ。選択肢を選ぶときに、脇役がしゃしゃり出てくるなんて、どのルートでもありえないのに」


 ぼそぼそ、とくぐもった声。それでも、誰もいない廊下で耳を澄ませている私には、彼女の声が聞こえてきた。


「予算、とか……どうでもいいのに、そんなこと」


 私の話だ。


 そっと立ち去ろうとした私の足は、そこで止まった。

 昼間の、学外活動の話し合いのことを言っている。結果的に早苗の意見に反対する形になったことを、怒っているみたいだ。


 早苗は深刻な顔で、熱心に、紙に視線を落としている。


「どうしてあの女は、ストーリーの邪魔ができるの? 単なる脇役なのに」


 私は、息を呑む。


 今の発言で、彼女がどういう立場に置かれた人なのか、察してしまった。もしかして、あの人は。

 ゲームという言葉といい。私のことを、「脇役」と表現することといい。


 早苗が紙を畳んだのを見て、私はその場をさっと離れた。盗み聞きが知れたら、良いことはない。


 早足で、玄関を出る。そのまま、足を止めずに、山口の待つ車まで。


「おや、お嬢様……」

「目にゴミが入っちゃって、ずっと泣いてたのよ」

「……左様ですか」


 いくら間を置いたとはいえ、目の赤さは隠せない。私は山口にそう言い訳をし、いつものように、後部座席に腰掛けた。


 早苗は、ゲーム、って言っていた。


 私は、慧のいるカウンターに行く前に、ポケットから携帯を取り出した。

 私たちの通う「霞ヶ崎学園」に、「乙女ゲーム」「千堂海斗」と、いくつかのワードを追加して検索する。


「これ……」


 検索画面をスクロールして、数ページ目にあるサイトの中。そこには、『麗しい男子に囲まれたイケナイ学園生活』という売り文句と共に、ある乙女ゲームが紹介されていた。


 ポップな文字で「あなたは誰と恋愛する?」と書かれている。その下に紹介されているキャラクターは、見覚えのある名前ばかり。海斗の名前、現生徒会長の名前、隣の会長の名前、先生の名前。

 攻略対象として載せられた海斗の顔は、私の知っている海斗の顔、そのものだ。


 ほんとにあるの、そんなこと?


 私は、早苗がまるでヒロインみたいだと思っていた。あまりにも出来すぎた、物語みたいな現実だと。


 まさかそれが本当に、物語の中だったなんて。私はそこに立ち尽くしたまま、ゲームの紹介ページを、画面に穴の開きそうなほど、じっと見つめた。

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