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11 学外活動・会議は惑う

「おはよう、藤乃さん!」

「あ……おはよう」


 教室に入り、いつものように黙って自席に向かう。すると、横から突然声をかけられた。

 怯みながら目を向けると、泉の明るい笑顔。肩の力が抜け、表情を緩めて返事を返す。


「この間はありがとう」

「いえ、こちらこそ」


 私たちの親しげな会話を、周囲の生徒は訝しげに見ているのがわかる。

 泉はともかく、私がこんな風に、打ち解けた会話を学級内でしたことなんて……本当に、入学以来ないだろう。


「……どうしたの、泉さん」

「先日、藤乃さんのお宅で、お化粧を教えていただいたのよ」

「まあ」


 泉は友人の輪に戻り、私の話をし始める。私はその輪の横を通り、席について荷物を整理する。


 毎朝のルーティンは、変わらない。

 それでも、漏れ聞こえる泉の声に、なんとなく心が落ち着く。


「おはよう」

「おはよう、早苗さん」


 早苗と海斗が入ってくれば、泉たちの集団は、ふたりに合流する。私はそこに視線を向けないよう努め、外を見た。

 青い空に、もくもくと、白い雲が漂っている。初夏の訪れを告げる、綿飴のような雲。


「おふたりの勉強会は、いかがでしたの?」

「え……? ふふ」


 それでも会話は、耳に入ってくる。照れたような早苗の声に、嫌でも想像が掻き立てられる。

 泉ですら私と海斗の関係を知らなかったのだから、当然、早苗が知る由もないだろう。知らずにしていることとはいえ、その親密そうな雰囲気に、やはり胸がちくりと痛む。


「余計な質問しないでくれる? 早苗も、答えなくていいから」


 海斗が、早苗を守るような発言をする。


「でも、海斗」


 言い返す早苗の呼び方に、ざわ、と波紋のように動揺が広がる。

 あの海斗を、早苗が呼び捨てにしたのだ。

 それは明らかに、彼らが今までより親密になったことを表している。


「早苗さん、それは……」


 泉の声が耳に飛び込む。

 彼女はこの間、私という婚約者がいる海斗と、親しくしている早苗に憤っていた。


 もしかして、何か言ってくれるのかな。


 つい期待して、そちらに目をやる。

 泉と、一瞬、目があった。


「素敵ね!」


 視線を逸らし、泉は早苗に言う。


 咎めたように、思われちゃったのかも。

 私は、彼女が私のことを、「怖い顔をして見ている」と言っていたことを思い出した。


 期待は外れてしまったものの、自分でも言えないことを、人に言ってもらおうなんて甘えた話だ。

 だいたいこんなところで、海斗と私がどんな関係であったかを暴露されても困る。変に注目を浴びたくないから、できるだけ隠していたのに。


 知らないのだから、早苗が海斗と親しくしていても、仕方がない。

 海斗は私との婚約は破棄するのだから、早苗と親しくしても、仕方がない。

 泉が何も言ってくれなくても、自分だって言えないのだから、仕方ない。

 私より早苗の方が魅力的なのだから、海斗や泉が彼女を選んでも、仕方ない。


 仕方ない、仕方ない。

 私はそう自分に言い聞かせ、彼らの会話から、できるだけ意識を遠ざけた。


「……夏の匂いがする」


 吹く風に季節の匂いを感じるのは、私だけだろうか。

 なんとなく湿度を含んだ、青臭く、爽やかな風。これは、夏の香りだ。

 それに、紅茶の香りが混ざる。


 屋上でゆっくり食べる昼食は、心落ち着く、至福のひととき。

 毎日違うメニューに舌鼓を打ちながら、時折箸を置き、空を眺める。


 ゆっくり流れる雲。

 淡く青い、抜けるような空。

 心が吸い込まれそう。悩みも、嫌な感情も。


 地面からじんわりと伝わる温もりを、目を閉じて感じる。燦々と降る日光は、春のそれより、僅かに厳しい。


「藤乃さん、いつもここでお昼食べてるの?」

「えっ?」


 びく、と肩が跳ねる。


「あ! ごめん、箸が」

「……いえ、大丈夫」


 弁当の縁から落ちた箸が、スカートの上に載っている。私はお手拭きを取り、箸をそっと拭った。

 顔を上げると、眩しい陽射しが目に差し込む。逆光で見えないその人は、泉だった。


「探したんだよ。謝りたくって」

「謝る……?」


 目が慣れると、泉が眉尻を下げ、申し訳なさそうな顔をしているのがわかった。


「どうして?」

「早苗さんに、注意できなかったから」


 朝のことを言っているのだ。私は、「いいのよ、そんなの」と応える。


「よくないよ!」

「だって、早苗さんは、知らないんだもの。仕方がないわ」


 朝、自分に言い聞かせた言葉を繰り返す。


「仕方なくなんて、ないよ! だめなことはだめなんだから」


 なのに泉は、そう言葉を重ねる。


 私の代わりに、怒ってくれているみたい。

 彼女の思いやりに、ちょっと、嬉しくなる。


「……藤乃さんが注意してくれるなら、わたしも言えるのに」


 ぼそり、と付け足されたひとこと。


「私が?」

「そう。藤乃さんに言われたら、早苗さんだって、反省すると思うのに」

「そうかしら……」


 私は、早苗には敵わない。

 本を読んで色々と考えているうちに、それを痛感した。

 今の私が何か言ったところで、状況が変わるとは思えないけれど。


 泉の気持ちは嬉しいものの、早苗に何か言うほどの自信はない。

 目に見える変化を積み重ね、彼女を超えたという自信をもてるまでは。何かしても、無駄なように思う。


「……でも私、海斗さんとの婚約を、言いふらす気はないのよ。泉さんが、知らなかったように」


 これは、事実だ。

 今までもそうして来たし、現状では、尚更だ。


「なら、呼び出してもいいと思う。だめなものは、だめだもの。婚約者がいる人と、知らなくても、親密になるなんて。隠すのは早苗さんにも失礼だわ」

「まあ、そうね……」


 泉の言うことは、一理ある。


 どうしたらいいのだろう。

 たしかに、早苗のしていることにも、間違いはあるだろう。ただ、私は今、彼女に何か物申すだけの自信がない。


 泉に嫌な思いをさせず、しかし、断るうまい言い方はないだろうか。


「……えっと」

「わたしは、友達として協力するからね、藤乃さん。何か言うときは、応援するから」

「ありがとう」


 言葉を選んでいるうちに、泉の言いたいことは終わったらしい。花の咲くような笑顔を見せ、屋上を去っていく。

 その向日葵のような笑顔は、明るく照らされた屋外の雰囲気にぴったりだ。


 やや急かされている感はあるが、泉がああして気にかけてくれるのは、私にとって嬉しいことだ。

 彼女の期待に応えたいと思ったら、早苗に何か言えるくらい、自信をつけなければならない。


 目に見える変化は、自信につながる。


 私は、鞄から本を取り出し、ページをめくる。白い背景と黒い字のコントラストは、痛いほど鮮明に目に飛び込んでくる。


 どの作品でも、主人公の「悪役令嬢」は努力して自分を高め、自信をつけている。たとえば、容姿。

 私もお化粧を学んで、容姿についての努力の仕方が、多少はわかった。


 次は、勉強だろうか。

 シノに教わってお化粧を学んだように、誰かに教われば、勉強ももう少しできるようになるかもしれない。


 私は頭の中に慧の顔を思い浮かべながら、荷物を片付け、屋上を後にした。


「学外活動の、話し合いの続きをしたいと思います」


 黒板には、浜辺でスポーツ大会、霞ヶ湾をクルーズ、オリジナル花火大会の企画、の3つの案が書かれている。


「やっぱりクルーズがいいなあ」


 早苗の呟き。彼女が言うのなら、海斗もそれに賛同する。ふたりが言うことは、クラスの総意と相違ないだろう。


 私は、暇を持て余して、以前配られた資料に目を通す。

 学外活動のクラスとしての予算と、スポーツ大会、クルーザー、花火大会にかかる費用がそれぞれ書かれている。やはり、スポーツ大会以外は、かなりの持ち出しがある。


 慧の話を、思い出した。

 持ち出し分が負担できないから、彼は学外活動に参加できない。


 私自身は、昔から親戚等に頂いたお小遣いを貯めているから、そこから持ち出し分を支払うことができる。

 しかし、家庭の環境は、それぞれだ。

 行事のためにこれだけの持ち出しをするのは、難しい生徒もいるのではないだろうか。


「少し周囲の人と話してみてください」


 会長の指示で、辺りが会話にざわめく。

 私は、そっと周りを見回した。

 皆は、どんなふうに受け止めているのか確認したかったのだ。


「……あれ」


 目に止まったのは、隣の席の女子生徒。妙に難しい顔をして、書類を食い入るように見つめている。

 他の人は皆、紙なんて机の上に置きっぱなしで、おしゃべりに興じているというのに。


 誰だったかな……。

 中等部から持ち上がりのはずだけれど、人の名前は、なかなか出てこない。


「……持ち出しが、けっこう多いわよね」


 真剣に書類を見ている人になら、そんな話を振ってみてもいいかもしれない。

 話しかけると、彼女はぐるっとこちらを振り向いた。


「そうなの……」


 その顔は、悲しげというか、苦しげというか。少なくとも、良い感情は読み取れなかった。


「私の貯金じゃ足りないわ」

「お家の方は?」

「難しいの……我が家は、男子にお金をかける方針だから」


 視線を落とし、ため息。


「なるほど」


 さほど珍しくない話に、私は肯いた。

 男尊女卑というまでではないものの、男子は後継ぎ、家を支える者。そう考えて男子を重んじ、女子はいずれ家を出るからと、手をかけない家も中にはある。

 我が家は母が庶民の出であることもあって、兄と私の間に差はない。ありがたいことだ。


「両親に借りるしかないかしら」

「……そうね」


 暗いトーンで呟く彼女に、同意することしかできなかった。


 進学や就職など、将来に関わることで、両親からの援助を頼むならまだわかる。

 しかし、学外活動は、言ってしまえば遊びだ。その遊びのために、両親から金銭的な援助を得るのは、心苦しいのだろう。

 その葛藤が、下唇を薄く噛んでいる、彼女の横顔から読み取れた。


 もしかしたら、そんな生徒は、他にもいるのかもしれない。


 あの温厚な慧が、同級生に対しての劣等感を暴露したときの、あの剣幕を思い出す。

 今彼女が置かれている状況は、慧によく似ている。


 ……なんとかしてあげられないかしら。


 そう思った。

 彼女に助力することは、慧に力を貸すことであるような気がした。

 だから、私は考えた。


 こういう場で発言するのは、柄ではない。

 説得力をもって語り、皆の心を掴むのは、兄の得意分野だ。

 兄ならこんなとき、どう話すだろうか。


「……ご意見があれば、伺いますね」


 会長の合図で、皆が目配せを交わす。

 その視線が自然に、海斗と早苗に集まる。


 彼らは、クルーズがいいと主張している。

 今ここでどちらかが発言したら、意見はそれでまとまるだろう。


 海斗の右腕が、上がろうとした。

 それを見て、咄嗟に手を挙げる。


「小松原さん、お願いします」

「はい」


 会長に指名されたのは、私である。

 返事をして起立した私に、視線が集まる。


 本当に、柄じゃないわ。


 掌に妙な汗をかきながら、私は周りの生徒をゆっくり眺めた。不思議そうな表情で、こちらを見ている。


 大丈夫。兄になりきったつもりで、話せばいい。


「書類の一番上を確認すると、学外活動の目的は、自由度の高い状況下で、意見を擦り合わせてひとつの行事を運営することで、自主性と思いやる能力を高めること……とあります」


 震える声を抑えるため、ぐっと腹部に力を込める。


「つまりこの行事の目的は、楽しむことではなく……さまざまな考えや状況の生徒のことを互いに思い合い、時には我慢したり、配慮したりしながら、企画を運営することだと思うのです」


 集まる視線に、棘はない。泉が、肯いている。それを見て、緊張がふっと抜けた。


「会長さんがわかりやすく作ってくださった書類のおかげで、かかる費用も、よくわかります。クルーズと花火大会は、持ち出す金額が、予算を大幅に超えています。もちろん、持ち出しにより、自由度が高まる面もありますが……」


 反論を防ぐために、予防線を張りながら。


「ただ、目的を考えると、予算を超える金額を予定して自由度を高めるよりも、学級内にいる様々な生徒……中には、持ち出しは厳しい方もいると思うのです……に配慮した金額設定をしたほうが、学びになるのではないでしょうか?」


 全体に向かって、こんなに長く話したのは、初めてだ。掠れてきた声を、咳払いしてごまかす。


「つまり私は、予算内に収まるスポーツ大会の中で、工夫するのがよいと思います」


 最後にまとめ、言い切って席に座った。

 頭に上っていた血が、すっと下がる。

 ずいぶんと緊張していたらしい。


「小松原さん、ありがとうございます。他に意見のある方は……」

「ありがとう、藤乃さん」


 会長の司会の声に紛れて、隣から囁かれる。先ほどの女生徒が、両手を合わせていた。その目は、どことなく潤んで見える。


「あんなこと、自分から言い出せないから……私のためよね? ありがとう」


 彼女のためでもあるが、慧を助けるような気持ちになっていたのだ。

 曖昧に肯いて返すと、また彼女は「ありがとう」と言った。


 感謝されるのなら、良かった。


「あの」


 会長の投げかけに、すっと手を挙げたのは、早苗だった。


 早苗?


 彼女がこういうところで、全体に向かって自己主張をするイメージは、あまりない。

 先ほどから「クルーズがいい」と呟いてはいたものの、意思表示をしているだけで、押し付ける雰囲気でもなかった。

 そんな彼女は、今、両手を机に叩きつけ、身を乗り出した。


「あたしはどうしても、クルーズがいいんです!」


 そして、はっきりと、言い放つ。

 その口ぶりは、場にそぐわないほど、切羽詰まっている。


 どうして、そんなに?


 疑問に思ったのは、私だけではなかろう。


「理由を、伺ってもよろしいですか?」


 皆の疑問を代表するように、会長が聞く。早苗は、声を震わせながら、続けた。


「クルーズを選ばないと、いけないからよ!」


 だから、なんで?


 理由にならない理由だけれど、彼女の悲痛な言い方に、それ以上突っ込んだらかわいそうだと思ってしまった。

 机についた早苗の腕が、震えている。周りの生徒は顔を見合わせ、会長は眉尻を下げる。


 こんなに取り乱す早苗の姿は、初めて見た。


「早苗」


 海斗の声が、教室の沈黙を破る。

 私は、思わず期待の視線を向けた。この状況に口を挟めるのは、海斗しかいない。


「クルーザーは、僕が今度、乗せてあげるよ」


 海斗の父は、クルーザーを保有している。私も家族と共に乗ったことがある。素敵な船だ。


「だめなの、学外活動じゃないと……!」

「どうしてそんなに、こだわるんだ?」


 そうそう、それが聞きたい。


 早苗は、きっと海斗をにらむ。あんな表情、初めて見た。

 海斗がたじろぐのが、こちらから見ていて、わかった。早苗は海斗を見たまま、顎を軽く上げて、言った。


「……どうしても」


 それは、呟くように。説得力のない彼女の言葉が、ふわっと宙にほどけた。


「どうしても乗りたいなら、僕が乗せてあげるよ。理由を言ってもらえないと……皆、困っているよ」

「……それだけなの。もう、いい」


 投げやりに言い、早苗は、すとんと椅子に座る。海斗は肩をすくめ、会長を目で促した。


「……では、決を採りたいと思います」


 三択で、挙手を募る。結果は圧倒的に、スポーツ大会が多数であった。

 私が思うより、金銭的な厳しさを感じていた生徒は、多かったのかもしれない。


 クルーズに手を挙げたのは、早苗と海斗。それに、数人の女生徒。


「特に異論がなければ、スポーツ大会の方で進めたいと思うのですが」


 会長が言うと、視線は早苗、そして海斗に集中する。


「……ありません」


 不服そうな声で、早苗が言う。海斗が、ゆっくりと頷いた。ほっとした雰囲気が、教室に広まった。

 ふたりが了承するのなら、そのように進めてよいだろう。会長たちは表情を緩め、「では、そうします」と宣言した。

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