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糸紡ぎの晩


 灰色の岩壁のような曇り空から、白い光のしずくがやけにゆっくりと降りてきた。雪だ。……厨子王はふと、信夫しのぶしょうの冬景色を思い出した。

 近頃、姉の安寿のようすが変だ。というのも、きょうだいふたりが邪険な三郎の手によってひどい目に遭わされたその後からだった。厨子王の火傷やけどはたいしたこともなく、あともほとんどわからない程度だったが、彼はそれよりも、姉のようすのひどく変なのが気にかかって仕方なかった。

 安寿はほとんど物を言わなくなった。以前は、きょうだいそれぞれつらい仕事から帰ってくると、互いに肩を寄せ合って、父母のことや仕事の愚痴を話しては、励ましあっていたものだった。それが、あの日をさかいに姉のほうがほとんど物を言わなくなり、弟が声をかけても、そっけなく相槌あいづちを打つばかりになった。時折ときおり、どこを見るともなくその黒い瞳の焦点をぼかして、幾度か声をかけても気がつかないこともあった。


 年のくれ、山椒大夫のいえやっこ婢女はしためはみな外での仕事をやめて、藁打わらうちや糸紡ぎなど、屋内でできる仕事をするようになった。安寿と厨子王のきょうだいは、これまで通りのふたりの小屋でこれらの仕事をおこなったが、厨子王の藁打ちに比べて、安寿の糸紡ぎには指南役が必要だった。これを買って出たのが伊勢の小萩こはぎで、彼女は毎晩きょうだいの小屋を訪れては、安寿に糸の紡ぎ方を教えてやるのだった。

 安寿は小萩に対してもようすが変わっていて、早くもそのようすを察した小萩は、安寿のみならず弟の厨子王に対しても、気を配らなければならなかった。厨子王は厨子王で、小萩のそれを鋭く感じ取って、ひどく申し訳なく思うのだった。

 安寿は早くに糸の紡ぎ方を覚えたが、それでも小萩はきょうだいを心配して、毎晩小屋を訪ねてきた。彼女はいろいろと気を遣って、自分がここへ来た経緯いきさつや故郷での思い出を繰り返し語りながら、時折きょうだいへ相槌を求めた。厨子王は、姉の顔色を気にしながらも、自分たちの過ごした信夫の里の雪深さや、正月の遊びや挨拶あいさつのことなどを語って聞かせた。そんな話をするときには、黙しがちだった姉の表情がかすかに緩むことがあるのに、厨子王は気がついていた。


 あるとき、気が緩んだのか、厨子王はこれまで避けていた山椒大夫の息子のことを話題へ上げた。

「三郎さまは、以前からあんなにも恐ろしいお方だったのでしょうか」

 言ってしまってから、「これはしまった」と思ったが、いちど口に出したものを取り消すわけにはいかなかった。姉は黙って背を向けたまま、紡錘つむを回しつづけていた。

「ええ、そうね……」

 小萩が、気遣わしげに口を開いた。

「大夫さまのご子息には、二郎さまと三郎さまと、いらっしゃるでしょう。あの人たちは、お名前通りご次男とご三男なのよ」

 紡錘の律動りつどうがわずかに乱れ、かたかたとまた元の速さへ戻った。

「ご長男の太郎さまは、あたしがここへ来たときにはもういなかったのだけど、あるときふいに姿を消して、行方ゆくえ知れずになったらしい。あたしの聞いた話では、お父さまがやっこの額へ焼きごてを当てるごようすを幼い時分にご覧になって、そのことがずっと心へ残っていて、ついには家出をなさったのだということよ」

 しんとした夜の空気の中、小萩の静かな声が語りつづけた。

「そのとき、二郎さまと三郎さまは十代の末だったということだけど、それからしばらくして、三郎さまのごようすが変わってしまったらしいの。以前は、奴婢ぬひにもお優しい笑みを見せてくださったらしいけれど……。でも、ほんとかどうかわからない。あたしだって、いちども見たことがないから。人って、なんでも良いように考えたがるものだからね……。でも、二郎さまは以前からまったくお変わりないみたい」

 小萩はきょうだいのようすをうかがってから、そっと立ち上がって、ふたりの小屋を後にした。

 やがて厳かな年明けを迎えたが、安寿は糸を紡ぎつづけ、厨子王はわらを打ちつづけ、そして、晩には小萩の話に耳を傾けて……、暮の日々と変わりなく、正月を過ごしていた。




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