邪険な三郎
逃亡を企てた奴が烙印を押されてからというもの、安寿と厨子王のきょうだいは恐怖に震えながら日々を過ごしていたが、まさか自分たちが同じ危険にさらされようなどとは思いもしなかった。
ある夜、きょうだいは遠く離れた父母のことを思って、互いに話をしていた。
「姉さん、私は今朝方、こんな夢を見たのです。いつの間にか、私は姉さんと一緒にここを抜け出して、佐渡へ売られた母上のもとへ参っていました。そこにはやっぱり姥竹もいて、私たちはもう一度、父上を尋ねる旅へ出かけたのです」
「そう。それじゃ、私が見たのは、お前の夢のつづきということになるわ。私たちは、都へ入って父上をお迎えしたの。帝のお許しをもらって筑紫から上ってきた父上は、元通り陸奥の領地を返してもらったのだけど、特に願い出て、丹後国もたまわったのよ。それで父上はね、厨子王、お前に丹後を任せると言ったの。それでお前は、さっそく丹後国へ下ってくると、奴婢をみんな放してやって、それから、山椒大夫一家の人たちを……」
「しっ!」
厨子王が姉のことばを遮った。
「姉さん……、嫌な気配がする」
「え……」
バタン……と戸が開き、姿を現したのは三郎だった。
「お前たち、なんの話をしていたのだ」
三郎は不自然に口元を震わせながら、小屋の中へと入り込み、どしりと腰を下ろした。
震えながらも、安寿が応える。
「……たわいもない話でございます」
「ほう。俺はそのたわいもない話というのが好きなのだ。どれ、今一度、最初から話して聞かせてはくれまいか」
「夢の話でございます」
厨子王が口を開いた。
「大夫さまが、私たち奴や婢女のために、これはというような豪勢な宴を開いてくださったのです。大夫さまとご一家の方々よりの身に余るご厚意に、私たちはもうなんともうしてよいやらわかりませんでした」
「そうです!」
安寿がそれに話をつづけた。
「私たちひとりひとりの前へお料理が盛られて、私たちは感謝の念でいっぱいで、生涯かけてもお返しできないご恩をたまわったのだからと、大夫さまのご一族へ、末代までの忠誠をお誓い申したのでございます」
三郎はこれを黙って聞いていたが、聞き終えるやいなや、きょうだいの腕をがっしり引きつかみ、乱暴に表へと引きずり出した。
「だれかある、焼きごてを持て!」
三郎は声を張り上げて、きょうだいふたりを冷たい地面へ叩きつけた。
「黙って聞いておれば、小癪な策を弄しおって」
ひとりの奴が篝火の向こうから駆けてくるのが見えた。手には熱した焼きごてを持っている。奴は焼きごてを篝火の熱で熱してから、三郎の手へと渡した。安寿と厨子王のきょうだいは、恐怖に震えて逃げ出すことも叶わなかった。
「常ならば、この俺さまがみずからお前たちの額へこれを当てるが、今宵はお前たちが策を弄してくれたからには、こちとらもそれに酬いねばならん」
三郎はそう言って、厨子王の手へ焼きごてを差し出した。
「忘れ草よ、お前は、お前の姉が俺の前で嘘を言ったのをよおく知っているだろう。知っておるからには、お前の姉が罰を受けなければならんことも、よくわかっておるはずだ」
厨子王は、はっとして三郎の顔を見返した。
「ふん、賢しい奴め。俺の言うことが理解できたようだな。ならば、さっさとその焼きごてを、おのが姉の額へ押し当てるのだ!」
厨子王は、熱せられた焼きごてを手にして逡巡した。
三郎は、怒りと嗜虐心との混ざったような残忍な顔をして、きょうだいそれぞれの顔つきを見比べていた。
「厨子王」
安寿が小さくつぶやいた。深い黒色の瞳には、覚悟の色がはっきりと見えた。
厨子王は、手にした焼きごての先端を姉の額へと近づけていったが、にわかにその腕を引き戻して、みずからの鎖骨のあたりへとそれを押しつけた。
「アアッ!」
厨子王はすぐさま焼きごてを放り、熱さに悶え苦しんだ。
三郎は一瞬、呆気にとられて固まったが、すぐに肩を震わせて邪険な笑い声を響かせた。
「なにをしている!」
厨子王の叫び声を聞きつけた二郎が、この場へ駆けつけて三郎の頬を打った。
「焼きごてをおこなうのは父上のお許しあってのことだろう、詮議もなしに、勝手なことをするな!」
その後、二郎は厨子王の火傷へ手当てを施してやった。彼はきょうだいに事の経緯を尋ねたが、安寿も厨子王も恐ろしがって話そうとしないので、無理には聞かず小屋へ帰した。