新参(二)
安寿に声をかけたのは、大夫の荘の婢女のひとりで、小萩という少女だった。
「あんた、どこから来たの」
色白の安寿と違い、小萩は小麦色に焼けた肌をしていて、背丈こそ高くはなかったが、がっしりとした壮健な身体つきをしていた。もっとも、これは浜に来ている婢女の多くに当てはまる特徴ではあったが、中でも歳の若い小萩には、あたかも空へ広がる赤松の枝のような力強さが、目に見えて感じられるのだった。
「あたしは伊勢の小萩。伊勢の二見浦から売られてきたのよ」
「私は陸奥の信夫から……」
「名前は?」
「しのぶ……」
……とここでは呼ばれています、と安寿はつづけようとしたが、
「そのまんまじゃない」
小萩は笑って言った。
「でも、いい名前。そう呼んでいい? そう呼ぶね、しのぶ」
安寿はこれを聞いて、このしのぶという名も悪くはないかもしれないと思った。小萩としのぶ、忘れ草……しかし、弟はやっぱり、他のだれかがいないときには厨子王と呼ぶことに決めた。
小萩は潮の汲みかたを丁寧に教えてくれた。水際に響く、少し掠れたような爽やかな声音が、安寿にはとても心地よく聞こえた。
昼になり、ふたりは他の婢女と少し離れた場所で一緒に食事をした。小萩は仲間の休んでいる磯のほうを眺めながら、
「悪く思わないでね」
と言った。
「ここではみんな、自分のことで精一杯なの。仲間とおしゃべりするのも、ふざけあうのも、みんな自分の寂しさを紛らわすためだから、あえて新入りに関わろうとはしないのよ」
「じゃあ、小萩さんは」
「小萩」
「……」
鳶が高い声を響かせて、晴れた上空を飛んでいく。小萩は白い歯を見せて笑った。
「小萩って呼んで」
そうして、
「あたしはほら、あんたと歳が近いから」
食後の椀に少しの潮水を汲むと、少し口をつけてから安寿のほうへ差し出した。安寿はそれを受け取ると、同じように口をつけた。辛い潮の香りが口の中へ広がった。
「これで、あんたはあたしの妹になったわ」
***
この日以来、安寿と厨子王のきょうだいは、少しずつ周囲に打ち解けていった。厨子王は何人かの奴たちと仲良くなってかわいがられたし、安寿も小萩と打ち解けて、徐々に身の上話などをするようにもなった。
安寿は他の婢女たちとも、小萩を介して話をするようになった。婢女たちは口々に、「しのぶはかわいらしいから、男どもに気をつけな」と言ってからかった。安寿は困った顔をして小萩のほうを見るのだが、小萩は爽やかな笑みを返すばかりなので、そのたびにいつも膨れてみせるのだった。
辛いのは夜だった。きょうだいは夕方の再会を泣いてよろこび、ともに食事をして床につくのだが、あたりが静かになると急に寂しさが押し寄せてくる。昼間の仲間との会話が弾めば弾むほど、反動となって闇夜の空虚が濃く深くなってくるような気さえしていた。
「姉さん……」
「なに、厨子王」
「お母さまが、恋しい……」
「……うん」
「お父さまのところへ行きたい」
「……うん」
「姉さん……」
「厨子王」
筵の上で、姉はそっと、弟の手に自分のを重ねた。
「姉さんはずっと、お前と一緒にいるよ……」
お互いの存在が、寂しい夜の間の唯一の希望だった。