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海上の別れ


 山岡大夫の家は、街道を少しはずれた松林の中にあった。家へ着くと、大夫は一行を上がらせて、かゆをかしいでもてなした。腹の空いたきょうだいが、熱い熱いと言いながらせわしなく食事を進めるようすを微笑ましげに眺めると、大夫は母親のほうへも気を遣って控えめに笑いかけたが、しかしこの山岡大夫という男こそ、たちの悪い人買いに他ならなかった。

 幼いきょうだいが寝静まった後、大夫は母親から旅の経緯いきさつを聞き出すと、「おかを行くのは危うい、船路にすべきだ」と言い出した。

「陸はご婦人や子供らには険しすぎるし、獣や人買いに捕まる危険もある」

 そしてすかさず、「私が舟を出しましょう」と申し出て、難なく母親の了解を取りつけてしまった。

 ただひとり、年長の姥竹のみが、いぶかしがってきょうだいの母へ、「このお人は、信用なさるに足るお人ですか」と耳打ちしたが、母親は意にも解さなかった。

「人を信じるのに、足るも足らぬもありませんよ。良い人悪い人を見分けるすべは、私たちにはありません。だからさっきみたいな悲劇が起こるのじゃありませんか。あの人たちだって、私たちが悪い者でないと知ったなら、こころよく泊めてくれたでしょうに……。このお方は違いました。まず、私たちを信用してくださいました。姥竹、私たちがそのお人にお応えするのに、足るも足らぬもありましょうか」

 こう言われると、姥竹も黙ってしまうより他なかった。もとよりこの乳母は、常から殊勝しゅしょうな奥方を敬って、その意にはしたがってきたのだ。しかしなぜか、このときばかりは、その姥竹の胸になんとも言いようのない不安が残ったままだった。



 ***


 生まれてはじめて舟に乗るというので、きょうだいはうれしくてたまらなかった。きょうだいの母は神妙な面持ちで大夫に従ったが、松林を抜けていざ海が見えるところへ来ると、浜へ打ち寄せる灰色の波になにか不吉を感じ取り、姥竹のほうへ不安げに目をるのだった。

「ご安心なされ」

 大夫が言った。

「朝は霧が出るのが常です。昼近くになれば日が照って、温かくもなりましょう。それ、あれが私の舟だ」

 大夫は一行を案内し、それぞれの手を取って舟へ乗らせた。大夫のがっしりとした厚いてのひらに触れて、子供たちはその頼もしさをうれしく思ったが、母と乳母とのふたりは、この見知らぬ男の手に四人の命を預けることの重大さに、あらためて感じ入るような心地がした。

 ともあれ、大夫は艫綱ともづなを解き、一行を乗せた舟は静かに海上へ浮かび出た。


 しばらく行くと、大夫はかすみがかった沖合おきあいにふたつの影が揺らめくのを認めた。影は二艘にそうあきないい舟で、大夫の舟に気がつくとこちらへ向かって漕いでくる。

佐渡さどどのと、宮崎みやざきどのか」

「あるか」

「いくらある」

「これだ」

 大夫は二艘の船頭へ向かって、右手の指を折って合図をした。すると、相手方もそれぞれ指を折って合図をよこした。

「これでどうじゃ」

「いや、俺だ。これで、俺のほうへよこせ」

「待たれい。ちょうどこれだけあるのだ、等分すればよいだろう」

 ふたりの取引相手をなだめると、大夫はこのようすを心配そうに眺めていたきょうだいの母のほうへふりかえって言った。

「ご安心を。あの者どもは私の身内で、どちらの舟も西国さいごくへ行くのです。気のいい者たちですから、ご婦人方、私はあなたがたを彼らに任せることにした。ちょうど二艘あるのだから、舟足ふなあしが遅くならないよう別れてお乗りになるとよいでしょう」

 きょうだいの母は、その顔に浮かんだ不安の色を濃くしたが、そのそばで、厨子王がとっさに姉の手を握ったのを大夫は見逃さなかった。

「仲のいいきょうだいだ。お母さまとしばらく別れても、平気だな」

 大夫はきょうだいの母へ手を差し出し、

「さ、まずはご婦人方」

 手を取って佐渡の舟へと乗り移らせた。次いで姥竹の手を取って、これも移らせ、佐渡の手から銭を受け取った。

「子供たちは、こちらだ」

 こんどは、慣れた手つきで安寿と厨子王のきょうだいを抱え上げると、宮崎の舟へ移して銭を受け取った。その銭を懐へしまって両手をはたくと、

「仕事は終わった」

 おもむろにつぶやいて、舟をかえして行ってしまった。


 親子・主従を分けた佐渡と宮崎の舟はしばらく並んで進んだが、

「そいじゃここらで」

「お別れだな」

 互いにそう言い合うと、互いの船を離し、北と南にそれぞれ分かれて漕ぎはじめた。

「船頭さま、これはいったい……」

 顔をあおくした姥竹が問いかけるが、佐渡はにやりと笑みを浮かべ、黙って舟を漕ぐのみだった。

「お母さま!」

 叫ぶ子らの声に応えて、

「安寿! 厨子王や!」

 母も力のかぎり呼びかけたが、やがて互いの舟は霧の中へ見えなくなって、頼る声も途絶えた。


 しゃくりあげる奥方の側で、姥竹が静かに口を開いた。

「奥方さまのお嘆きは、すべて私めの責任でございます。昨夜、私が無理にでもお止めいたしておれば、このようなことにはならなかった……」

「なにを姥竹、あなたのせいじゃありません」

 奥方はこう言ってなだめたが、

「いいえ、私のせいでございます。こうなったからには、私は、今後も奥方さまのお側へのうのうとお仕えいたすわけにはまいりません。どうか、ごめんください」

 言い終えるやいなや、

「姥竹っ!」

 奥方は腕を伸ばしたたが、間に合わなかった。親子に仕えた乳母は、いだ水面みなもにしぶきを立てて、深い海底うなぞこへ沈んでいった。




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