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守り刀


 夕刻。雑木へ留まったからすの群れを散らし、見張りへ出ていた若い修行僧が寺の中へ駆け込んだ。

「和尚さまあ、和尚さまあ!」

「来おったか」

 和尚は厨子王を呼び、古びた皮籠かわごへ押し込めて内陣の奥へと隠してしまった。


 ほどなくして、山椒大夫の子、三郎が十余人の供を引き連れて現れ、ずかずかと和尚の前へ進み出た。

「何事じゃ。山椒大夫どののご一族とお見受けするが」

「いかにも、俺は山椒大夫が三男坊、三郎である。和尚にきたいことがあって来た」

「三郎どの。して、訊きたいこととは、なんじゃ」

「一昨日、屋敷からひとりのやっこが逃亡を図り、未だに行方がわからんのだ。奴は十五かそこらの若造だから、そう遠くへは逃げられんし、頼る当てもない」

「あるとすれば、この寺くらい、か」

「なかなか話のわかる和尚だ」

 ふたりは同時に笑い声を立てた。

 三郎はしかし、和らいだ調子をすぐもとの口調へ戻し、話をつづけた。

「和尚さんよ、悪いことは言わん。もしこの寺の内に奴がおるのであれば、もとより山椒大夫の買った山椒大夫のいえへ仕える奴だ、私の手へ引き渡してもらいたい。さもなくば……、私としてもあまり無体むたいな真似はしたくないのだが、ここへ控える者どもとともに、寺中をくまなく調べさせていただくことになる」

 和尚は平生へいぜいと変わらぬゆったりとした調子でこれに応えた。

「まず、奴のことは拙僧は知らん。拙僧の知らぬことは、この寺ではだれも知らん。よって、寺中をさがすにも及ばんのじゃ」

「この寺へ奴が駆け込んだのを見た者がある」

 三郎は鎌をかけた。しかし、和尚にはすぐに嘘とわかる。

 和尚は少し思案するふりをして、

「はて、それは、四十過ぎのきこりの間違いではないか」

「十五の奴だ、若造だ」

「樵は来たが。見間違いではないかのう」

「見間違えるわけがなかろう!」

 三郎は少し声を荒げたが、やがて、これはほんとうに和尚のところへは来ていないのかもしれないと思うようになった。

「悪いが、本堂を調べさせるわけにはまいらぬ。なぜといって、ここは勅願の寺院なもので、厳しい掟があるんじゃ。公の謀反人でもないかぎり、捜索を認めるわけにはいかん」

 これを聞いて、三郎はふたたび怪しく思って言った。

「なんと。和尚よ、少々中を改めるだけだ。国守くにのかみに知られることはない、なにも問題はないではないか」

 和尚は、口調は柔らかいながらも、固い意志を示す目を相手へ向けて応えた。

「わかってくだされ、三郎どの。こう見えて、拙僧には和尚としての誇りもあれば責任もある。分国寺をあずかる身として、おきてに背くことは看過できんのじゃ。もし無理にでも中を捜すとならば、拙僧、総本山東大寺へ報告をせねばならん。そうなれば、三郎どのとご一族へどのようなご沙汰が都よりくだるであろうのう……、しかしそれは、拙僧の本意ではない」

 三郎は言い返すことができなかった。寺の掟は知らないが、そもそもの尋ね人のいる保証もなく、その上、総本山への訴えという未知の脅しを突きつけられては、ここであえて捜索を強行するのは愚かな行為としか思えなかった。


 三郎は背を向けて立ち去ろうとした。

 ところが、内陣の奥から、人の咳き込むようなかすかな音がして、彼は足を止めてしまった。彼は、しばらくじっと固まっていたが、右手の親指の腹であご一撫ひとなですると、低くあたりへ響く声で、おもむろに呟いた。

「この寺へおらぬ以上、あやつが生きておるかはわからんが……、いずれにせよ、弟は姉をも忘れ草だ。そして、姉は屈辱をも忍ぶ草……我ながら残虐な刑罰を科したものだと思うが、母屋おもやの正面へ野ざらしのあのざんばら髪の生首を見ると、逃げた弟とは大違い、よく忍んだものだとむしろ褒めてやりたいくらいだな」



 ***


 内陣の奥で三郎のことばを聞いていた厨子王は、安寿の死体からその頭部が切り離されてさらし首になっていると信じた。初春のあおい空の下へ、木の枝にぶら下げられた姉の首……たしか大夫の屋敷の前には梅の木があったはずだ、今頃は花が咲いているだろう。とびか、あるいは真っ黒い羽を持つからすが、その上空を旋回している……。

 姉の命のないことはわかっていた。わかった上で逃がされたが、そんな自分が浅はかだったと思った。いつかの夜、むしろの上、そのときの姉のけなげな声を思い出した。……ずっと一緒にいる……そのことばに、弟の自分はどれだけ心が慰められただろう。どんなときも、姉の存在が希望だった。生きる希望だった。それを、みずから失った……。

 厨子王は懐に手をやった。こうなった上は、このかごから飛び出し、守り刀をもって三郎の喉笛のどぶえを切り裂いて、みずからも死のうと思った。厨子王は覚悟を決めた。

 しかし、懐にあるはずの守り刀がない。そこにあるのは、毘沙門の宿る地蔵菩薩の金像こんぞうのみ。多襄たじょうを裂いた後、泉の水できれいに汚れを落として懐へしまったはずの厨子王の守り刀は、そこにはなかった。

 ふと気配を感じて、厨子王は後ろをふりかえった。暗闇に浮かび上がったのは、探していた守り刀。彼は無言で手を伸ばす。つかめない……。

 さやを握る白い手があった。奥に、ぼんやりとその者の顔が浮かぶ。あかい唇が震える。

「ずっと一緒に……」

 白い両手が守り刀を包み込み、黒い闇の中へ消えていった。まるで、水底へ沈んでいくかのように、ゆっくり消えていった。

「……姉さん……」

 厨子王は、みずからの胸へ手を戻した。抱えた地蔵菩薩の金像こんぞうを、ぎゅっと握りしめた。




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