我が地獄
いつものです。
「─────まだやるの?」
その言葉に俺は振り向かない。
「……負けるでしょ。分かってるでしょ」
俺は答えない。黙したままだ……。
「ねぇ。なんとか言いなさいよ」
俺は準備を始める。闘いの準備。冒険の準備。生きる準備。
「さぁ。力尽きるまで行こう」
どこまで行けるだろうか、今回は。青空が見える。草原が見える。大海原が見える。希望に満ちた世界が見える。
「────そう。あなたはやっぱりそうなのね。いっつもそうなんだ────この大バカ野郎!」
怒りを孕んだ声が無残に虚空に消えていく。
「一緒に行こうぜ」
俺は言う。そして彼女に手を差し伸べる。
彼女は俯き気味に俺の手をぼんやりとした目で見ている。
「───どこに。どこに行くと言うの」
未練にしがみつく地縛霊のような声。
「私達はどこにも行けないじゃない」
「行けるさ。どこにでも」
「さんざん試してきたわ! このやり取りだって何回目だと思ってるの!? 何度目かの挑戦!? 何度目かの敗北!? 何度目かのGAMEOVER!? ククク。………負ける度に私達はより深く、より悪く、より惨めに、より汚く、より薄暗く、より救いようがなくなってきたじゃない。可能性だってどんどん無くなったわ。もはや私達は可能性に満ち溢れた子供でも若者でもないのよ」
「そうか? 俺はまだ十分俺の事若いと思ってるけどな」
「今はそうかもしれない。でもこのまま続けるとそれが加速するということよ」
「……そんな面白くもない話じゃなくてさぁ……もっと面白い話をしないか」
「あはははっ。面白い話? 面白いこと? そうね。そうしたいわね。でもそれができないから今こういう事になってるんでしょう? …………何回よ。このやり取りも」
彼女は腐敗し切った巨大な会社組織に厭世したかのように息を吐き出した。
「…………」
「…………」
彼女が俯いていた顔を少しだけあげて上目で言った。
「…………なにか面白いことしてよ。面白い話でもいいわ。ま、もう私には何が面白いのかそうでないのか訳が分からなくなってるけどね」
俺は考える。こういうことは直感で答えは出るものだ。頭の表面で考えると理性のせいであああるべき、こうであるべき、とかいう意識が茨ののように俺を覆う。彼らに主導権を握られないようにするためには、つまり”考えてはいけない”のだ。
つまり、ここまで考えている時点でもうほぼ失敗だ。
「犬の散歩がしたい」
「犬ぅ?」
彼女は何か嫌な言葉を聞いたかのように顔をしかめた。
「そんなお金どこにあるのよ」
「まぁそうだな。まずはお金を稼ぐところから始めるか」
簡単に言葉を並べる俺に大して彼女は呆れと嫌悪を暫定的パートナーにしたようだ。
「お金を稼ぐ? バカじゃないの? 私達にそんなこと出来るわけないじゃない。はっきり言って私達は無能なのよ? 借金は作れても財産なんか作れるわけないじゃない」
「そこまで言ってくれると清々しいな」
「私達が馬鹿だからここまで堕ちてきたのよ。昔はこんなに悪くなかったのに…………」
「…………だなぁ」
「……ふふっ。あなたの今の「だなぁ」って本当に無能系無力底辺感が醸し出されていたわよ」
そりゃどーも。
「例えば仮にここに3億円あるとするわね。それでもあなた犬を飼って犬の散歩がしたいの?」
「まぁ犬の散歩の前にいろいろとやるべきことはあるな」
「ポジティブゥ~~~~でも勘違いしないでよね? あなたが明るくて前向きで建設的で誰からも好かれるというわけじゃないの。ただ単にあなたがそういう役回りをしているというだけなの。私が全ての健康を否定する疫病神みたいな役回りを演じているのと同じでね」
「どうせ演じるなら勇者と姫みたいな役がよかったな」
「ハッ」
「お前もそう思うだろ?」
「…………私がお姫様なんてテンプレートなのは嫌。どうせならそうね。一般庶民だけど実は王家の血を引いてるとかがいいかもね」
彼女は自嘲気味に顔を歪めた。なにか自分が”間違った”ことを言ったかのように。
「そうね。私は”あなた”によって少しづつ活力や生きる力を、前を向く力を取り戻したかのように振る舞う。それで? どうなるの? この先どこへ行けるの? この施行何回目だと思う? どれだけ同じことを繰り返していると思う? 適当に終わって、それで終わりよ。どこにも繋がらない。道化の一人芝居だわこんなもの。何の意味もないから、誰にも必要とされてないもの。存在していないのと同じだわ」
「────そうかもな。あるいはただのセルフカウンセリングだ。誰かと関わろう。誰かに聞いてもらうことで、見てもらうことで存在意義をつくろう。俺たち昔に比べればよくはなってきてるところがあると思うぜ。悪くなった部分もあるけど。例えば50m走は少し遅くなったかもしれないけど、ある程度の苦労はしてきて鍛えられたところは多いと思う。普通に生きてるだけじゃ知ることが出来ないことを多く知れたと思う」
「…………そんなこと、知りたくなかった」
「そうだな」
俺は自分ができる最大限のニカッとした笑いを浮かべたと思う。
「セリフカウンセリングをして、そしてまた辛い日々を乗り越えて、健康に幸せになっていくんだ」
「どこにも行けなくてもいいの?」
「勇気!」
俺は胸を張り、左手を腰にあて右拳を蒼穹に突き出した。
「うわ……びっくりするじゃない……」
「勇気!」
彼女は俺が何をして欲しいのか分かったようだ。
「……勇気」
よろよろと拳を上げる。
「はっずーー……。ださ……。ていうか意味わかんない」
勇気が出る掛け声だ。そう。我らが勇気を胸に宿し、万事に対して望めますようにというような。でもなんにせよこれやると気持ちがいいぜ…………たぶん。
「もうそろそろお別れね」
「もう?」
「そうよ。あなたもうすうす分かってるでしょ? 1時間もたたないうちに現実のカウンセリングは終わりでしょう? はい。今日のカウンセリング終わり。王様の耳はロバの耳って2時間も3時間も穴に叫び続けたらうんざりしちゃうでしょう? なんにせよこのアプローチじゃこれぐらいが限界だわ。また別の燃料がいるのよ」
「なるほどねーー。なるほど。そうかこっからは本格的に”別の何か”がいるってことか。それがあれば俺も彼らに並べる?」
彼ら。俺が多くの才ある人々を指した。俺は彼らを見るとたまに本当に胸で渦巻いて爆発するのを必死で抑えなければならないほどの疑問に苛まれる。その疑問は神様にしか答えられないと思う。ホーキング博士が神に「どうやって11次元のM理論のような複雑なものを考えたのですか?」と、問いたかったかのように。
白状しよう。俺が聞きたいことは「俺と”彼ら”との違いはなんですか?」だ。
その答えはその道の先達に言われても信じられない。才能があるやつから返ってくる言葉など信じられない。どうせなんとなくを適当にもっともらしい言葉を並べて説明するだけだろう。神にでも言われないと納得出来ない。
─────なんなんだろうな、ホント。
ずっと長いこと考えているよ。
ゲームをしてても。
食事をしててても。
アルバイトをしていても。
副業をしていても。
人と喋ってても。
何をしていても、”できない”という事実が俺を苦しめる。
夢が俺を苦しめる。
「どうしたの? ネガティブなことを考えるのは私の役目じゃなかったっけ?」
俺は顔に覆われた両手の隙間から彼女を見る。
「…………夢が、俺を苦しめるんだ」
沈黙が横たわる。
俺は瞑目する。
「夢を叶えることができるってあなたいつもいってたじゃない。でもあなた一人では無理だと思うな」
「…………」
いつもなら受け流せる軽口が受け流せない。
「でも私達二人ならあなたが夢見た全てを実現出来る。そうなんでしょ?」
「…………そうだな。そうかも」
「そうあなたはいつも言ってるじゃない。そして私もそう思ってるよ」
彼女は優しく穏やかに、しかし強く言った。